3話 わぁい! 男だらけのしゃせい大会
すっかり肌寒くなってきたある冬の放課後。
いつものように部室に入ると既に書紀が来ていた。
「うぃーす」
書紀は少し伸びた前髪をサラリと揺らしながら、挨拶を返した。
「はよー」
「部長は?」
部室を見渡したが、彼の姿はなかった。
「まだだよ。なんか図書室にやらしい本置いたとかで生徒指導室に呼ばれたみたい」
「何やってんだか……」
いつもの席に腰を下ろして鞄から本を取り出し、読書に没頭し始める俺達。
しばし部室にはページを捲る音だけが寂しく響いた。
「お茶でも淹れようか。長太郎くんは何が良い?」
「サンキュー。書紀のと一緒の奴で良いわ」
「いつもそう言うね」
書紀は本を置いて立ち上がり、室内端に置かれている電気ケトルまで歩いていった。
「今何読んでるんだ?」
「『屍人荘の殺人』だよ。今度映画化される奴」
「あー、ミステリーなのに〇〇〇が出て来るって話題になった奴か」
「あ、ネタバレダメだよ」
「まぁ良いじゃん」
他愛のない会話を楽しんでいると、出しぬけに部室の扉が開かれた。
「おいーっす」
部長だった。
「お勤めごくろーさまでーす」
「全くもう、酷い目にあった!」
部長は寒さなんか気にしない様子でミニスカートをはためかせ、いつもの席へと向かっていった。
「図書室にエロ本置いたらそりゃダメでしょ」
「エロ本じゃないよ! 『わぁい!』は全年齢向け男の娘専門雑誌だよ!」
「なんだそれ……」
「僕たちすごい国に産まれたんだね」
「それって今も出てるんですか?」
「いや、2014年に休刊しちゃった」
「終わってますやん」
部長は声を荒げて捲し立てた。
「だから休刊だって! ボクが布教することで、感銘受けた誰かがクラウドファンディングでも立ち上げるかもしれない。そしたら次の号が出る! そう思ったら居ても立っても居られなくなったんだ」
「なぜ学校の図書室で布教活動しようと思ったのか、これがわからない」
書紀の冷静なツッコミにも部長は動じない。
「女装の手引きとか載ってるんだぜ? 義務教育の範疇かな、って」
「高校の学習指導要領を確認してからやるべきでしたね」
「ボクが政治家になったら改訂を試みるよ。ま、それはともかくこってり絞られちゃったから、今日は室内で普通に部活しよう」
「わー! 珍しい!」
書紀が興奮した様子で三人分のコップを机に運ぶと、部長は例によってフリップを取り出した。
「では、今回のテーマはこちらー!」
ペリっとシールが捲られ、書かれた文字が露わになった。
この下りを毎回やる意味はあるんだろうか。
「『皆でしゃせい大会をやってみよー!』 ふわぁー! ドンパフドンパフー!」
「……わー」
書紀が露骨にガッカリした声を上げて項垂れた。
「なぁに皆その表情。うひひ、何かえっちなこと考えた?」
「いや、怒られたばかりなのによくまだ遊ぶ気になるなぁ、と」
「何言ってんのさ、コレは皆の描写力を鍛えるって目的もあるんだよ」
「んん?」
「ボクらも文芸部である以上、今後部誌を書く回があるかも知れない。それに向けての準備みたいなもんだよ」
「回て」
機会って言おうとしたのかな?
「あの、だったら絵の描写力鍛えるより、文章力鍛えるべきだと思うんですが」
「ふふん、書紀くんは東野圭吾が言ったこんな言葉を聞いたことがあるかい?」
「?」
「彼は情景を書く前に、頭の中でその光景をイメージするんだって。なんかのエッセイで言ってた」
「ごく普通の言葉が出てきた……」
「描写力を鍛えるには、脳内でキャンパスにその光景を描きだす修練が必要だ。その為には目と脳を鍛える必要があるってこと。写生大会することでその能力を上げようって試みさ」
「絶対普通に文章書いた方が早いと思うんですが」
「よーし、それじゃ数日前に美術室からパチってきたケント紙と画材配るからやってみよー!」
「フリップ買う金あるならそれぐらい買えよ」
「ふふん……ボク、ピッキング検定一級の腕持ってるからね」
部長はスカートから針金を取り出して器用に指で弄びだした。
「そんな検定あるわけ無いでしょ」
「後で返してあげて下さいね」
♂ ♂ ♂
「で、モデルは何です?」
「ふふん、どうせならモデルは可愛いものが良いと思って準備してきたよ」
腕を組んで大いばりの顔を見せる部長だったが、彼はそのままピクリとも動き出さなかった。
「……? はやく呼んで下さいよ、モデル」
「長太郎くんはエロゲの主人公並に鈍感だね」
何かを察した様子の書紀が不安げに問いかけた。
「まさか部長……」
「そう! エロゲの主人公なみに妄想が逞しい書紀くんの想像通り! モデルはボクだよー」
「部長はエロゲの主人公を何だと思ってるんですか」
部長のことだから他校の女子でも呼ぶかとちょっと期待したのだが、流石にそれは浅はかな考えだったようだ。
「なんか一気に書く気失せたな」
「そう言うなって。下の準備もバッチリなんだから」
部長はスカートを手に持ってヒラヒラはためかせたが、心底どうでも良かった。
「そんなとこ準備するくらいならケント紙くらい――」
「しつこい! はい、しゃせい大会スタートね! 際どいポーズもバッチリOKの大サービス期間中だよ!」
「うへぇ……」
「嫌そうな顔すんなって! ココは『わぁい!』って言うところだぞ!」
「へいへい……」
「『わぁい!』って言えよ!」
♂ ♂ ♂
数分後、俺達はケント紙が置かれた卓上イーゼルを前にして、机の向こうでヘンな体勢で立ち続ける部長を描写しようとしていた。
「ああ、ボク卑猥なポーズさせられて視姦されてる……どうしよう」
彼は両手を頭の後ろで組み合わせ、股を大きく開いたアホっぽいポーズを取っていた。
「自分からその姿勢になったんでしょ。楽な体勢取って良いですよ」
「しかしモデルが動くわけにはいかない……うう、足が震えてきた……皆、は、はやく写生してぇ!」
「アホかな?」
書紀が珍しく直截な物言いをした。
部活できると思っていたのにこんなことやらされて気が立っているのだろう。
書紀はおもむろにペンを机に放り出して、こう言った。
「はい書けた。本読んでていいすか?」
「わ、雑だな書紀くん。長太郎くんは真面目にやってるのに」
「もう部長のおふざけには付き合わないって決めたんです」
「boo boo!! ノリが悪いぞー」
「boo boo言っても僕はもうやりませんからね」
部長が頬を膨らませたので俺は注意した。
「動かないでくださいよ。今書いてるとこですから」
「こっちはノリノリだな。そうだ! 折角だし書き上げたら『く……もう写生る!』って言ってよ」
「嫌っすよ……出来た。下書きだけど、こんなもんすかね?」
俺は書き上げたケント紙を皆の方へに向けた。
「わ、うま!? 長太郎くん、絵心あったんだ」
「実は昔ちょっと……」
「おしりをイジった経験が?」
「それと絵心に何の関係があるというのか」
書紀も気になったのか俺を絵を見に来た。
「ほんとだー。うまいね長太郎くん」
「素人にしては、な」
こう真っ直ぐに褒められては照れくさいが悪い気はしない。
いい気になっていると、出しぬけに部長が言い放った。
「うーん、確かにうまいけどエロさがたりないな。目にハート付け足してくれる?」
「俺に何書かせる気ですか……」
「エロいボク」
そんなの書いてどうするんだろうか。
「……アホらし。いい加減にして下さいよ部長。部活しないんなら僕帰ります」
「え? ちょ、待てよ書紀」
書紀は俺のキムタク風の静止も聞かずに鞄を手にしてさっさと部室を出て行ってしまった。
「あちゃーマズいなぁ。書紀くん下ネタ嫌いだったんだよね」
「確かに今日ちょっとシモ方面の話が多かったですよ。気をつけてください」
「ごめん……でも男の娘の日だったんだ」
「そんな日あってたまるか」
「男の娘の日ってのは、朝起きたら写生し――」
「いい加減にしろ!」
デコピンを放ってやった。
「あたー!」
しばらく額を押さえていた部長だったが、自分に非があると分かっていたのか特に文句は言われなかった。
「いてて……でも書紀くんホントに帰っちゃうなんてな。長太郎くん、追いかけてキスの1つでもしてあげなよ」
「まだ言いますか……しかし今帰るのも早すぎるんすよね。ま、いいや。暇だし写生大会に付き合いますよ。他になんかリクエストあります?」
俺がケント紙の前に向き直ると、部長は目を輝かせた。
「おお、良いノリしてるね。それじゃボク頑張ってアヘ顔するからソレを書いてね」
部長は目を大きく上に向けて白目に近い状態になり、口を広げて舌を突き出した。
あんまりにマヌケな絵面に俺は苦笑が漏れ出るのを止められなかった。
「くくく……なんすかそのアホの極致みたいな表情……こんなの書いてどこに置くっていうんだよ」
「部室に飾るんだよ」
「ええ!?」
♂ ♂ ♂
こっから書紀視点
♂ ♂ ♂
部長があんまり下ネタをかますから、嫌になって部室を飛び出した翌日。
お昼休みに本を読んでいると、クラスメートの安田くんから声をかけられた。
彼が部活を見学したいと申し出てきたので、僕は少なからず狼狽した。
「え、本気……?」
「おう」
安田くんとはあまり話したことがなかった。長太郎くんとよくつるんでいるので、その繋がりで何度か話したことがあるくらいだ。
「でも安田くんって何か別の部に入ってたんじゃなかったけっ?」
これも長太郎くんから聞いた情報だった。
「あー……実は最近部の奴らと喧嘩してさぁ……で、漫喫でサボってたら『バーナード嬢曰く』って漫画読んだんだ。これがまたすげぇ漫画でさ、読むとめっさ読書したくなんのよね」
「ふぅん……それで、文芸部に興味出て来たってわけ?」
「まぁな。でもお前の部って……その、女装してる先輩がいるじゃん」
「……うん。居るね」
「あの人って実際どうなんだ? ヤバい人なのか?」
やはりそこがネックになるか。
「ヤバい人なのは間違いないけど、悪い人ではないよ」
男相手にセクハラするような人だけど、本気で嫌がることはしない……ハズだ。
「ふうん。だったらちょっと覗いてみるかな」
「ぜ、是非おいでよ!」
早速僕らは校舎本棟から部室棟へと練り歩き、目的の場所へ彼を案内した。
文芸部の扉の前までたどり着いた時、僕は彼に一つ忠告する事にした。
「あ、そうだ。うちの部長変わってるから部室にヘンなもの置いてあるけど気にしないでね」
事情を知らない人がフリップの束や、片足だけが残されている台座等を見れば不審に思うだろうから、僕は予防線を張った。
「え……おう」
「ま、すぐに慣れるよ」
その言葉と共に部室の引き戸を開くと、早速ヘンなものが目に飛び込んできた。
「なんじゃこりゃ!?」
部室の中央にはいつもの通り、長机が縦向きにドンと置かれており、その机の上には昨日の卓上イーゼルが残っている。
そこには呆けた表情をしながら両手でピースしてる部長の絵が掛けられていた。
「文野も慣れてないじゃん……ってなんだこれ!?」
僕に続いて入室した安田くんも仰天した。
なんと説明したもんかと悩んでいるうちに、良いタイミングで誰かが部屋に入ってきた。
「うぃーす」
長太郎くんだった。彼は僕の隣にいる安田くんを見ると少し驚いた顔を見せた。
「あれ、安田か。どうした?」
「お、おう……文芸部に興味でてきて……って、それよりコレなんだよ」
「あ、それな。部長が書けっていうから書いてやったんだ。まさかマジで飾るとはな」
やはり長太郎くんが書いたものだったか。
頼まれたからってこんなの書くなよ。
「イカレてんなお前ら」
安田くんは至極真っ当な感想を漏らすと、僕はある事に気がついた。
「あれ、もう一枚ある」
卓上イーゼルの横には一枚のケント紙が無造作に置かれていた。
裏返しの状態になっているので、余った紙がほったらかしになっているのかと思ったが、違った。
「普通の絵も書こうと思って書いたんだ」
長太郎くんがもう一枚書いたようだ。
「筆早いね」
「お前無駄に多才だよな」
「無駄とか言うな」
会話しながら僕がその紙を裏返すと、書かれた絵が露わになった。
「わ……綺麗な絵」
夕日を背に長い黒髪をなびかせた部長が静かに微笑んでいる絵だった。
「昨日コレ書いて部長に見せたら急に帰っちまったんだよな」
「……可愛く書きすぎたんじゃない?」
「そうか? 見たままだぞ」
唐突に部室の扉が開かれた。
「おはよ――う」
「お、部長。どしたんすか昨日、急に帰っちゃって」
「き、君があんな絵書くからだろ」
部長は長太郎くんを見るなり顔を伏せて小声で話している。
「いや、アレ書けっつったの部長でしょうが」
「あ、あの絵じゃないよ! っていうか今思うとなんだコレ!」
部長はイーゼルに置かれていたヘンな絵をポイと投げ捨てた。
「ああ! 折角書いたのに!」
安田くんは微妙な表情で彼らのやり取りを見ていた。
「何やってんだ……ん?」
安田くんは突然取り憑かれたかのように机に置かれた卓上イーゼルを見つめだした。
「どうしたの?」
「こ、これ……まさか……」
安田くんは卓上イーゼルをつかみ取った。
「美術部の備品じゃねーか!」
「え、え?」
「そうだ、この汚れとかキズとかーーうちにあった物とソックリだ!」
「や……安田くん、美術部だったの?」
もしや、さっき安田くんが話してた『部の奴らと喧嘩した』って言うのは――
「コレが部室から無くなった日、部屋を最後に出たのが俺だったんだ! それで俺の責任問題になったんだよ!」
「ぶ、部長……まさか、パチッたのってケント紙だけじゃないんですか!?」
物置から持ってきたのだと思っていた。
「あ、あはは……ぼ、ボク、ピッキング検定一級の腕を持ってるからね」
「ふざけんな!」
安田くんは手に持った卓上イーゼルを掴んだまま、部室の扉に荒々しい歩調で進み始めた。
「あ、ま、待って! 折角来たんだし見学していけば――」
「誰がするかバーカバーカ!」
部長に罵倒を浴びせた後、安田くんはギロリと僕を睨んだ。
「文野! 何が『悪い人じゃない』だよ! イカレ女装窃盗犯じゃねーか!」
「あ、いやその……」
ふん、と鼻を鳴らし安田くんは回れ右をした。
「こんな部二度と来るか! バーカバーカ!」
大きな音をたてて引き戸が閉められると、部室に重い沈黙が落ちてきた。
「せ、折角新入部員が増えるチャンスだったのに……」
「イカレ女装窃盗犯って言われた……」
ショックが過ぎ去ると、頭にフツフツ怒りが湧いてきた。
せっかく部員が増えるチャンスだったってのに……!
「も、もう怒りました! 部長! いい加減にして下さい!」
「わ、わわ! お、怒んないでよ。た、確かに今回はボクが悪かった」
「今度という今度は我慢なりません!」
僕はゆっくりと部長に近づき、足元にあったキャンバスを手に取った。
「ま、待って! そ、そのキャンバスをどうするつもり!? 安田くんは気付かなかったけど、それも美術部からパチッてきたものだよ!」
「お、おい書紀」
二人の静止も僕には聞こえない。
こんなに怒ったのは産まれて初めてかも知れない。
「し、新入部員が増えなかったのは残念だけど、考えようによってはこれでいつも通り三人でやっていけるよ! わぁい!」
両手をあげて万歳する部長を無視して、僕は手に持ったキャンバスを二つの手で大きく上に持ち上げた。
「ほ、ほら、そんな物騒なもの床に置いて! そうだ! 書紀くんには取って置きの『わぁい!』創刊号をプレゼントしよう! ブルマ風の何かも付いてくるよ! やったね! わぁい! わぁ――」
本気で振り下ろした。
「そぉい!」
ゴッという鈍い音がして、キャンバスに部長の頭の形に沿った穴が空いた。
「ああぁーーい!」
終ぅい!
後日、部長と折半して壊れたキャンバス代を安田くんに払ったが、彼が文芸部に足を向けることは二度と無かった。