2話 コレがホントのフィギュアスケート
部室の扉を開けるやいなや、部長は言い放った。
「皆~! フィギュア買ってきたよ~!」
部長は両手で三つの箱を抱えながら部室の机に向かってヨタヨタ歩き、よいしょ、と言うかけ声と共にそれをドンと置いた。
「みてみて! 性別ヒデヨシで有名なヒデヨシと、藍一点の男の娘アイドル、リョウきゅんと、ヨグ=ソトースの息子にしてシュブ=ニグラスの夫ハスターのフィギュアだよ!」
部長はそれぞれのフィギュアを紹介しながら箱から取り出して机に並べ始めたが、興味のない俺と書紀はあんまりピンときていなかった。
「はぁ……」
「それ、部室に飾るんですか?」
書紀の質問に、部長は驚いた顔を見せた。
「まさか! そんなのつまらないよ。今日は皆でコレを使って遊ぼー!」
「フィギュアで遊ぶ?」
「うん! 先週業者の人が来たから廊下にワックスかかってるよね? このフィギュアを倒さずにボクが勝手にガムテ張った丸印の所まで皆で滑らせんの!」
「……は?」
「丸印に1番近い人が勝者ね! 名付けて、コレがホントのフィギュアスケート大会~! なんちゃってー! ドンドンドン! パフパフー!」
「……」
「……」
「ソレどっちかというとフィギュアカーリングじゃねーか!」
「ツッコむ所そこ?」
♂ ♂ ♂
数分後、俺達は部長に促されるまま、部室外の北廊下に出ていた。
窓から指しこむ茜色の光を廊下のワックスが鈍く返している。
廊下を見渡すと、階段がある踊り場のもう少し向こう、消火栓ボックス付近の床にガムテープが丸の形に張られているのが遠目で見て取れた。
「さぁ、秋も深まって参りました。窓から覗く落葉樹は赤々と燃え上がり、廊下に集う選手達の熱気に呼応するかのようです」
部長が先日買ってきたカラオケセットのマイク片手に解説を気取ってるのを書紀は冷めた目で見ている。
「部活しましょうよぉ……」
「おおっと顔色が青コーナーの書紀選手がなにやら喚いておりますが、選手兼司会兼審判のボクに苦情は一切受け付けません」
疑問が浮かんだので聞いてみる。
「カーリングに審判っていましたっけ?」
「コレがホントのフィギュアスケートだっつってんだろ。ま、とにかくやってみよう。書紀くんからね」
「ええ……」
アクリル板の台座が付いたフィギュアを手渡された書紀は、戸惑う様子を見せるばかりだった。
「おおっと書紀くん。精神を集中しているのか、微動だにしません。これはいけない。はやくしろ」
「たぶんやらねぇと終わらねぇぞ、書紀」
「むううー……一回だけですからね」
書紀が面倒くさそうにフィギュアの台座を抓み、中腰になってそれを床に滑らせるように廊下に放ったが、ワックスの滑り程度では無理があったのか、フィギュアは全然前に進まずに途中でコテッと倒れた。
「ひ……ヒデヨシーー!!」
部長は悲壮な叫びをあげながら、アクリル板の台座に片足だけを残して廊下に放り出されたフィギュアに向かって駆けて行った。
ソレを見た書紀はにわかに狼狽した。
「ご、ごめんなさい部長……」
「謝ることねぇぞ、書紀。お前は悪くない」
「ちくしょう! 手抜き工事しやがって、あの業者ぁ!」
「いや、業者が悪いワケでもないですよ……」
書紀が壊れたフィギュアの残骸を気まずそうな顔で見ながらこう言った。
「ヒデヨシがこうなっちゃフィギュアカーリングは無理ですね。一人だけ台座カーリングすることになっちゃいます」
「コレがホントのフィギュアスケートだっつってんだろ。仕方ない、ボクは選手としての道は諦めて審判一筋でやっていくよ」
「数奇な人生ですね」
「そのかわり君ら二人が残りのフィギュアを使って大会するんだよ。さぁ、再開しよう」
「うーん……」
俺は身をかがめてワックスでテカる廊下を指でなぞってみた。
確かにツルツルとはしているが、塗りたてのそれと比べるとかなり落ち着いている。木造建築で出来た文明の最果てみたいなこの高校の廊下で、フィギュアカーリングするのは無理があったのだろう。
「次やってもまた無駄にフィギュアが壊れるだけの気がしますけどね」
部長も俺に習って指や足で床の滑り具合を確かめた。
「……く、分かった分かった、認めるよ! 完全にボクの準備不足だった」
「分かってねぇ……」
部長はガバッと立ち上がり、五指を限界まで開けて俺達二人の前にかざした。
「皆、五分くれ。部長として、ボクはできる限りの事をしてみる」
「じゃあ部活しましょうよ」
書紀の訴えはいつものように無視された。
「それじゃ一旦解散。アイキャッチ!」
♂ ♂ ♂
ほもげい! テリレリレリー!
♂ ♂ ♂
それから五分後。
部室で本を読んでいた俺達に向かって、廊下側から声が響いてきた。
「準備できたよ!」
しかし、今読んでる本が面白い部分だったので俺は無視した。
「部長呼んでるよ?」
書紀が心配そうに隣から声をかけてきたので、俺は曖昧に返す。
「んー、でも今ちょうど主人公がこの事件を怪異じゃない、って断定した所なんだよな」
「あ、もうソコまで読んだんだね。じゃあ、邪魔しちゃ悪いよね」
突然、ドアが開いた。
「っておおーーい!! 部長のこのボクが、準備できたっつってんだろ!」
「わ、びっくりした」
ソコに立っていたのは案の定部長だった。
長い黒髪を逆立たせてプリプリ怒った表情を見せている。
「『邪魔しちゃ悪いよね』じゃないよ! なにノンキに本なんか読んでんだ! 君ら文芸部員としての自覚はあるの!?」
「長太郎くん自覚あるから本読んでると思うんですけど……」
「折角準備したんだからやろうよ! 青春なんかあっちゅう間だよ!? そんな限られた時間をただ本読んで消費してるだけで良いの?」
「文芸部の活動を全否定された……」
俺は読んでいた本に栞を挟み、机に置いた。
「ーーったくしょうがねぇな」
「長太郎くん?」
「今ちょうど読み終わったし、付き合ってやろうぜ、書紀」
結局俺達三人は再び先ほどの場所まで戻ってきた。
「皆集まったね、さっきは準備が足りなくて失敗したけど、今回はきっと大丈夫」
さっきと何が変わったのかを確認するため、改めて廊下を見回してみる。
「なんか廊下が妙にテカテカしてますね」
「さっきマブダチの用務員さんからワックス借りて、廊下にぶちまけたんだよ」
「ひええ……コレ下手したら停学もあり得るんじゃ……」
怯える書紀を尻目に部長は続けた。
「これで多分滑りは大丈夫だと思うんだけど、念のためコレも持ってきた」
部長は片手に持ったブラシをクイと持ち上げた。
「書紀くんがフィギュアをリリースしたら、長太郎くんは羽先にワックスが塗られたコレでフィギュアの進む進路をスイーピングして滑りをさらに良くするんだ」
「……」
「……」
「やっぱカーリングじゃねーか!」
書紀も俺に続いて捲し立てる。
「って言うかなんで長太郎くんが僕のフィギュア飛ばすのに協力するの? 僕らは誰と戦ってるの?」
「うるさいうるさい! ルールに多少欠陥があっても皆でやれば楽しくなるよ! はい、セットアップ!」
「さっきからちょくちょく使う用語はホントに使い方あってるんですか……」
ブツクサ言いながらも結局書紀はリリース位置に、俺は丸印へ続く廊下に配置された。
「皆、規定の位置についたね。いつでも良いよー」
部長はキラキラした目で書紀を見つめ続けている。
書紀も観念したのか、投げやりな調子でさっきとは別のフィギュアをリリースした。
「えーい、もーどうにでもなれ! とえーい!」
予想よりも速い速度でフィギュアは廊下を滑ってきた。
「ナイスリリース! 長太郎くん、スイーピングを!」
「え、え」
予想外の速度に戸惑っているうちに、フィギュアが俺の元に迫って来たので、慌てて俺はブラシを床元にかざしたが、反応が遅かったのか、ブラシはフィギュアの台座に直撃してしまった。
「あ!」
ぶつかった反動で男の娘アイドルフィギュアは片足だけを台座に残し、ワックス塗れの廊下にダイブした。
「りょ……リョウきゅーーーん!」
「わ、悪い……俺、スイーパー失格だ」
「長太郎くんそんなの目指してないでしょ。もー、いい加減部活しましょうよ!」
部室に帰ろうとする書紀だったが、俺は引き留めた。
「ま、待てよ。正直ちょっと楽しくなってきた! ラスト一回だけやろう」
「良いノリだ! 長太郎くん! さすがボクのオナニー用の右腕」
「うえー……まだやるの?」
書紀には悪いが、フィギュアが廊下をツルーっと滑っていく光景は正直アホらしくて楽しかった。
俺は嫌がる書紀を何とかなだめすかし、スイーパー規定の位置に戻った。
「さぁ、ラストセットアップ! ルールはチャージ三回ノーオプションフィギュア。皆ぁ、絶対成功させようぜ!」
俺はブラシを構え、いつでも走れる体勢を取った。
「次は失敗しねぇ……!」
「なにそのテンション」
一人だけノリに乗れない様子の書紀は大きく嘆息した。
「よーし、いっけー! 書紀くん!」
部長が大声を聞いた書紀は、フィギュアをヤケクソ気味にリリースした。
「もーほんと……部活しましょうよー!!」
先ほどと同じ要領で書紀は廊下にフィギュアを滑らした。
「かけ声はともかく、ナイスリリース! いけ! 長太郎くん!」
今度は心の準備が出来ているから反応できた。
俺はフィギュアの真横を併走するように走り、フィギュアが進む先の廊下めがけて何度もブラシをスイーピングした。
「うおおおー!」
「おお!? 思ったよりも良い感じだぞ、長太郎くん!」
部長の歓声も今の俺の耳には入らない。
今、俺はフィギュアを丸印の所まで送るためのスイーパーなのだ。
冴え渡る意識と加速する光景の中、俺は悟った。
何の意味も無いことに全力を尽くすことこそ、青春なのだ。たぶん。
そんなことを考えていると、いきなり肩に何かがぶつかった。
「うぐ!」
追突の衝撃で体の均衡を失った俺と「うぐ!」と発した声の主は、ワックス塗れの廊下に身を滑らせた。
「いてて……ごめんなさい。大丈夫ーー」
大丈夫ではなかった。
「うぐ!」と言った声の主は生徒指導の教師だった。
低い偏差値で有名なこの高校で、生徒指導の立場にある教師は並の体格では務まらない。
彼はその屈強な体格を震わせながら立ち上がり、恐るべき怒気を込めてこう言った。
「なにやっとるんだ、お前ら……?」
「あ、ああ……」
「なにをやっとるんだ、と俺は聞いているんだが?」
「あ、あわあわ……」
書紀が顔を真っ青にしながら声を震わせていた。
生徒指導の教師はワックス塗れの廊下を見渡した後、床に転げたフィギュアを手に持った。
「もう一度聞くぞ。なにを、やっとるんだ?」
「ふ……」
「フィギュアスケートを……」
部長の発言を聞いた生徒指導の教師は、手に持ったフィギュアを恐るべき握力で握りしめ、パキ、という何かが壊れた音が廊下に響いた。
「ゆ……ユグ=ソトースの息子にして、シュブ=ニグラスの夫ハスターー!!」
終!
その後俺達は何度も平謝りし、廊下も掃除して、反省文を提出する事でなんとか停学は免れた。