プロローグ 服部長太郎の入部動機
ともかく、下校の時刻をずらさなければならなかった。
万が一にも、帰宅途中のジミ子と鉢合わせになることは避けねばならないからだ。
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小山内ジミ子と初めて会ったのは俺が5才くらいのころだ。隣家に引っ越してきた彼女と挨拶して以来、俺達は男女の垣根無く友人として過ごしてきた。
その関係が変わったのが中一のころ、近所の夏祭りに来たアイツの浴衣姿を見たときだった。
彼女を女性であると意識し始めて以来、俺は彼女に話しかけるのが照れくさくなり、何気ない会話をするのにも、ぎこちなさを感じるようになっていった。
それがテレビドラマや映画に出てくるような恋だと気付いていたが、それを認める事はこれまでの関係を否定して破壊するかのようで怖かった。
いたずらに時間だけが進んで、俺達は中三になり、進路を決める時期となった。
ろくに勉強をしてこなかった俺は希望書に近所の高校の名を書いたが、クラス委員だったジミ子にそれを渡した際、彼女はポツリと言葉を零した。
「離ればなれになっちゃうね」
ジミ子は俺とは違う高校を受けるようだった。
性差を感じて以来、あまり会話をしてこなかった俺達だが、彼女のその言葉には、寂しい、と言う気持ちがありありと込められていた。
そして、それは俺も感じたから、翌日何気ない風を装って俺は彼女に問いかけた。
「ジミ子はどこの高校受けんの?」
彼女は驚いた様子を見せたが、あっさり高校名を教えてくれた。
その高校は、俺が受ける高校よりもランクの高いところだった。
「ちょうたろーー服部くんも受けるだけ受けてみたら?」
進路を聞いて同じ高校を目指すなんて気持ち悪がられるかも、と心配していたが、この言葉でそれは杞憂に終わった。
高ぶる内心が顔に出ないよう、俺は必死にポーカーフェイスを保ちながら、こう返した。
「もし受かったら、俺ら小中高一緒になるな」
ジミ子はその名に似合わない、ヒマワリみたいな笑顔を咲かせたが、慌てた様子で明後日の方を向いた。
「それも、いいんじゃん?」
彼女が窓の向こうにある果てしない青空に向かって、そう言葉を零したのを聞き、俺の内部で何かが心地良く爆発した。
そうして、猛勉強の日々が始まった。
男が本気を出さねばならぬ時があるなら、それはこの時に違いないと確信した。
持っているゲームは全て売り払い、それを赤本、参考書、夜食用食料に費やした。
授業後は図書室に赴き勉強し、家に帰ってからは夜遅くまで勉強した。
そして、その努力の結果、俺は合格点ギリギリで落ちた。
……そう、落ちたのだ。
合格発表の翌日、ジミ子が家に来た。
俺は自分の家の玄関で、片思いしていた彼女に受験校高から落ちた事を告げた。
ジミ子は彼女の名に似合わない、凍ったバラのような冷めた視線を俺に注ぎ続けた。
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この時の出来事がよほどショックだったのか、俺は何故か近所の高校にも落ちた。
そして、県内でも有数の低偏差値男子校、益荒男男咲高校にしか引っ掛からなかった俺は、若干15歳にして人生のどん底を味わうこととなった。
失恋のショックも覚めやらぬまま、無為に日々を過ごしていたある日、帰宅路で偶々ジミ子と再会した。その時の彼女の、気まずそうな顔ったらなかった。曖昧に挨拶して、無難な質問をして、無難に返事して……新手のパターンの地獄として鬼に紹介してやりたいくらいだった。
ともかく、俺はその日決意した。
一人暮らし出来る場に引っ越すか、なんかテキトーに時間を潰せる方法を見つけなければ。と。
一人暮らしは面倒くさそうだから除外するとして、やはり無難なのは部活に入ることだろう。
とは言え、俺にやりたいこともない。スポーツはオールマイティに全部苦手で、音楽や美術、劇や映画等の文化系にも力を注ぎたいともは思わない。
ただひたすら部室でダラダラ出来るような夢の部活はないものか。
ジミ子と出会った翌日の休み時間中、そんなことを考えていると、教室の端で一人本を読んでる小柄な男子生徒を見つけた。
(アイツいっつも本読んでるよな……ん、待てよ。そうだ。文芸部という手があるぞ)
校内の部活リストには、偏差値が低いせいか文芸部は無かった。
だが、文芸部なんて本読んでりゃ成立しそうな部活だ。実際はどうなのか知らんが、ここは偏差値の低い底辺高校、好き勝手やらせてくれる可能性がないとも言えん。
そもそも俺は本を読むのはそんなに嫌いではない。作家買いする作者がいる程度には読書好きだ。
いくら時間を潰そうったって、毎日友人らと遊びに出かけるなんて不可能だし、バイトするのも面倒くさい。ダラダラ本を読んで過ごすのも良いが、どうせなら部活と言う名目があれば世間にも顔向けができる。
俺はその日、この底偏差値男子校に文芸部を作る決意をし、クラスの隅にいる生徒――文野書紀の元に向かって歩いて行った――。
後にその選択を盛大に後悔することになるとは、この時の俺には知る由もなかった。