1話 衝動買いした本
部室への扉を開けると既に部長と書記が来ていた。
部屋の中央にデンと置かれた長机越しに向かい合うようにして二人は座っており、部長が糸で吊った五円玉を書記の目の前でフラフラ揺らしながら、恐ろしい言葉を呟いていた。
「あなたはだんだんホモになーる……あなたはだんだんホモになーる……」
「ひええ……」
部長――結部長春の奇行は今に始まった事では無い。男子校でありながら唯一女物の制服を着ている彼は、否が応でも校内で注目を集めていた。
「何やってんすか……」
「よお長太郎くん。君が来るまで暇だったから書紀君相手に催眠術試してたんだ」
「肩こりを治す催眠術掛けてくれるって言ったから見てたのに……」
書紀はそう嘆きながらもまだ五円玉をジッと見ている。まさか本当に催眠にかかってやしないだろうな。
「本当に何やってるんだよ……」
部室のロッカーに鞄を置いた俺は、いつもの席についた。
書紀の隣、部長と真正面から向かい合う位置。これが俺の定位置だった。
俺たち文芸部の活動は、皆が既定の席に着いた時から始まるのだ。
♂ ♂ ♂
「では、今回のテーマを発表します」
そう言って部長は机の上にフリップを置いた。部室にはこんな小道具がアホほど置かれているのだ。
「今回のテーマはずばり……デケデケデケデケ……じゃらん!」
掛け声とともに部長がフリップシールを剥がすと、そこに書かれている文字が露わになった。
「『タイトルでビビッと来た本』~! うぉーいえー! パフパフー!」
「あの、部長……」
「あん?」
「先週『各自、タイトルでビビっときた本を持ってくるように』て言ったの部長ですよね?」
「ああ」
部長は、そうだよ? と呟いき、首を傾げてこっちを見ているが、俺は構わず疑問を口にした。
「なんでわざわざもう一回同じフリップ出したんですか?」
「フリップシール剥がすの楽しいじゃん」
「……そうか?」
さっぱりわからん。
「それじゃーノリも悪いしホモでもない長太郎くんなんか放っておいて、書紀くんからいってみよー」
「ホモじゃないのを悪口みたいに言うな」
水を向けられた書紀は鞄から一冊の文庫本を取り出した。
「えーと、僕のはこれかな」
『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』
白い肌の校舎の真横、落ち葉が舞う校庭に机と椅子がポツンと置かれている、寂しげな表紙が見えた。
俺はその本を読んだことがあった。
「あーコレ面白かったな」
「え、知ってるの? 有名?」
どうやら部長は読んだことがないようだ。書紀はそんな部長を見てホッと一息ついた後、解説を始めた。
「桜庭一樹の代表作ですよ。この他にも『Gothic』とか書いた人ですね」
「全然知らん」
「マジすか? たまには普通の小説も読んだ方が良いっすよ」
俺がそう呟くと、部長は鋭い視線を向けてきた。
「足穂先生とか三島由紀夫が普通じゃないと?」
「いや、そう言うわけじゃ無いっすけど……」
部長はその二人の熱狂的なファンだ。部室の本棚に堂々と「少年愛の美学 a感覚とv感覚」や「仮面の告白」が置かれているのは、この人が持って来たからだ。
書紀は空気を変えようと空咳を放ってから話を戻した。
「まぁこの本はその作者達に比べたらすごくライトな文体で読みやすいですよ。っていうか桜庭一樹って元々ラノベ作家みたいですし」
「どんな話?」
「田舎が舞台でリアリストを自称する中学生少女が主人公で、彼女のクラスに垢抜けたボクっ子美少女が転校してくる話。青春小説ですね」
「ホモ要素は?」
「……僕が言ったあらすじ聞いてました? 主人公、少女ですよ?」
「垢抜けた少女が田舎に転校してきたんだろ? ソイツが腐女子で周りにBL布教して、ある日薄い本を見てしまった幼気な男子中学生二人は――」
また部長の暴走が始まったので俺は止めるべく動いた。
「うるせぇ」
俺の静止を無視して部長は気持ち悪い声使いで言葉を続けた。
「ああ! 佐藤君の砂糖菓子すごく甘いよ! うむ、良いぞ天井君! 俺のシロップが弾丸の如く出てきそ――」
「うるせぇっつってんだろ!」
俺は部長の額めがけてデコピンを放ってやった。
「あたー!」
「名作を汚さないでください」
書紀も心底嫌そうな目で部長を見ている。コイツは普段気弱だが、本に関しては結構熱い思いを持っているのだ。
「ううー、ボクは部長だぞ。っていうか今調べたら、それ『タイトルが良い小説100選』ってサイトに載ってるじゃん。有名どころはナシナシ」
「え、そんなルール初めて聞きましたが」
書紀の疑問を部長はアッサリと一言で切り返した。
「ボクが昨日決めたからね」
「ええ……」
このルールだと俺が持ってきた『たった一つの冴えたやり方』も無効にされるんだろうな。
……良い話なのに。
「有名どころなんか大体面白いに決まってるだろ? ボクが聞きたいのは『タイトルや表紙でグッときて衝動買いしたけど、期待外れだった本』だよ!」
「じゃ、事前にそう言って下さいよ!」
「うるさいなぁ、だからもう一つフリップ持って来たじゃん」
そう言って部長は何処からともなくフリップを机に持ち出してシールを捲った。
「じゃらん!」
「『タイトルや表紙でグッときて衝動買いしたけど、期待外れだった本』でしょ!? 口で言えばわかりますよ!」
「うるさい! ボクは捲りたいんだ!」
部長にツッコミ切れなくなったのか、書紀は諦めて話を進めることにしたようだ。
「……期待外れだった本を紹介するんですか?」
「君らも本好きならそう言う経験あるだろ? 皆でくんずほぐれつ傷をなめ合おうよ」
「なんだその企画……」
「他校の文芸部もこんな感じなのかなぁ」
たぶん違うと思う。
「『ヨソはヨソ、ウチはホモ』だよ。ほらほら、現物の本は出さなくて良いから口頭で紹介して。次、長太郎くんの番だからね」
「え、ええ……そう言われてもな……」
脳内で衝動買いした本を検索してみたが、あんまりヒットしなかった。俺が本の購入を決意する際、ネットで勧められてる本を買う場合が多いのだ。好きな作家の新刊は別として。
うんうん唸っていると、しびれを切らした部長が言い放った。
「もーしょうがないなー、それじゃあ長太郎くんはシンキングタイムってことで、書紀くんよろしく」
「また、僕ですか?」
不満そうに眉を歪める書紀を見ても部長は態度を変えなかった。
「部長のボクがトリに決まってるだろ」
「まぁ、良いですけど……そうですね、衝動買いしたけど思ったより満足出来た本なら良いですか?」
「え? ダメ。企画の趣旨わかってる?」
「さっき聞かされたばかりなので、あんまり……まぁ、いいや勝手に紹介します。僕本を貶すの好きじゃ無いんで」
「あ、ズルいぞ」
なにがズルいのかよくわからんが、書紀は部長を無視して話を続けた。
我ら文芸部員のコミュニケーションは無視という選択肢を抜きにしては成立しないのだ。
「タイトルは『ようするに、怪異ではない』って本です。表紙と題名から青春オカルトミステリっぽいので衝動買いしました」
興味をひかれたので聞いてみる。
「面白そうなタイトルだな。どうだった?」
「シリーズ化もしてるらしくて、今続刊探してるとこだけど……面白かったよ。妖怪の存在を信じる少女を主人公が否定する、ってパターンの短い話が四話構成で成り立ってるの」
「あーいいなそれ。単話である程度完結してる話が数話ある本好きだわ」
「僕も2日くらいで読み終えたからね。謎の内容はまぁ……そこまで奇抜なものではなかったけど、謎が提示された時のワクワクはすごく良かった。『この事件はオカルトなのか、人為的なものなのか』っていうのが各話のキモだね」
ちょっと本気で読みたくなってきたので聞いてみる。
「良さそう。今度貸してくれよ」
「いいよ。明日持ってきてあげる」
いきなり部長が声を荒げた。
「おーい! イチャイチャするのは良いけど書紀くん企画の趣旨に沿ってないから減点だからね」
俺らは二人同時にツッコミを入れた。
「今のがイチャイチャしてるように見えたんすか?」
「減点制度とかあったんですか?」
「二人してツッコまないでよ! 男に穴は一つしか無いんだよ! はい、もー次! 長太郎くん!」
部長の下品な発言は無視して俺は答える。
我ら文芸部員のコミュニケーションは無視という選択肢を抜きにしては成立しないのだ。
「う、うーん。実はさっきの小説で思い出したんだけど……1つありました。衝動買いして後悔した本」
「いいねぇ、聞かせて聞かせて」
「タイトルは――と言いたいとこですが、タイトル忘れました」
「ええ!?」
「買った翌日に近所の古本屋にはした金で引き取ってもらいましたからね」
書紀が窺うように俺を見てきた。
「……そんな酷かったの?」
「うーん、ちょっと衝動買いした経緯から話して良い?」
「うんうん」
♂ ♂ ♂
あれは――俺が中学生くらいの頃の話だ。その日はいつも通う通学路から少し外れた道を通って帰路に付いていた。
一人だったけど、なんか寄り道でもして帰るか、って気分だったんだ。
そう言う日あるよな?
季節は夏でジメーっとした湿り気のある曇り空の日だった。
アンニュイな読書日和と言えるんだけど、生憎家にある本は大体読み終えてたんだ。
それで、ダラダラ寄り道してたわけなんだけど、通りから外れた道を歩いてると、木造立ての古くさい本屋が見えたんよ。
ジャンプとかの週刊誌が店の前に並べられてて、湿気でちょっとクタっ、てなってんのね。
なんか良いよな。こういうノスタルジックな本屋。
そう思って入ってみたら、案の定というかなんと言うか、店主はお爺さんで、それに中も狭くてさ。レジ前にある小っさい旋風機が嫌そうに首ふってんのね。
風はまぁ、店内に行き渡るようになってたんだけど、妙にムシムシしてたなぁ。
店を何周か歩いて見回ってたらだんだん熱くなってきてさ、特にめぼしい本もないし、別の本屋いくかー、って思ったその時だったんだ。
真横の本棚から視線を感じたんだ。
ん、って見てみると、面になって置かれてるその本が目に付いたんだ。うろ覚えだけど、背筋が凍る怖い話百選……みたいなタイトルだったと思う。目のない子供幽霊みたいな奴がこっち向いてる表紙だった。
これに視線感じたのか……。ってちょっと怖くなったな。鳥肌が立つ、って程では無かったけど、薄気味の悪い何かを俺は確かに感じたんだ。
そいで、折角だし思い切って買ってみたんだ。
♂ ♂ ♂
「……そ、それで?」
書紀が話の続きを促してきたが、俺は答える気になれなかった。
「な、なにさ。早く言ってよ」
「ボクも気になる」
仕方がないので俺は言葉を紡いだ。
「……クソだった」
「……え」
「引くほどクソだった! 短い話が沢山載ってて読みやすいのは良いんだけど、全部が全部がクッソつまらなかったんだよ! この本のタイトルは忘れたけど、それに載ってたクソ話は今でも覚えてる。主人公が友人達とチャットしてんだよ、前日ソイツらと曰く付きの場所行ったかなんかで盛り上がってんだ。で、友人が奇妙な文章送ってくるんだよ! 黒い影が見えるとかなんとか。ここまでは良いじゃん。悪くないじゃん。でもさぁ、その後友人が黒い影に襲われたかなんかで『ぎゃあああ!』とかチャットで送ってくるわけ!! チャットでだぞ!! アホかよ!! どこの世界に幽霊に襲われてる時、パソコンに『ぎゃあああ!』ってタイプするアホがいるんだよ!!」
「……う、うわぁ」
「このバカ話読み終えた後の脱力感ったらなかった」
話し終えたので部長の様子を窺うと、彼は顔中をクシャクシャにして笑っていた。
「うっひっひっひ! いいねぇ、ボクそういう話が聞きたかったんだよ! 長太郎くんにプラス10点」
「貯まるとなんかあるんすか?」
「10点毎に、文芸部の必需品『剥がせるフリップ』を1つプレゼントするよ。はい」
「いらねぇ」
「ちなみに書紀くんはさっきので-10点だから文芸部の必需品『剥がせるフリップ』を1つ作らなきゃダメだからね」
「部長コレ自作してたんすか……?」
部長は得意げにふんぞり返ってこう言った。
「簡単だよ。部室の物置には昔ボクが〇ジテックスに電話して注文した『めくりシール』が1ロットあるから、後は〇ジプリに電話してフリップを一つ注文するだけだよ。後はシールを張り付けるだけ」
「そうなんだ……」
「ホワイトボード買えよ」
部長の耳は都合の悪い事は聞こえないようになっているのか、俺を無視して声を張り上げた。
我ら文芸部員の――
「よーし! それじゃあいよいよボクの番だね。期待しててよー」
「わ、わぁー」
書紀が一応合いの手を打っている。
「ボクが選ぶ『タイトルや表紙でグッときて衝動買いしたけど、期待外れだった本』……それはこれだ! じゃらん!」
そう言って部長は鞄から一冊の本を取り出した。
『あの山に登ろうよ』
虹がかかった草原を背に、パツキン妖精と三人の子供たちがポーズを取っている表紙だ。
「……子供向けの本ですか。意外な所を突いてきましたね」
「先日、親戚の子供にプレゼント用意しなくちゃならない機会があってさ……タイトルと表紙が明るくて良い感じだったからコレを選んだんだ」
「パッと見た感じ悪くなさそうですけど……酷い内容だったんですか?」
書紀が声を震わせながら部長に問いかける。
「ひょ、ひょっとしてこの表紙の男の子が山から滑落して終わりみたいなオチだったんじゃ――」
「いや、そんなのじゃないよ……って言うか書記くんの発想怖いな。話自体はボクも読んだけど悪くなかったよ、無難に子供向けの内容って感じ」
「ん? じゃ何がわるか――」
もう一度、本の表紙を見直した瞬間。俺はある一点に目が付き、固まってしまった。
不審に思った書紀が俺を覗き込んでくる。
「どうしたの長太郎くん?」
「ふ、書紀……こ、ここ」
俺はその本の、作者名が書かれている部分を指さした。
「ん? 作者――あ」
「……」
「……」
「……」
終!