孤独な扉
「ああ、またアンタか。どうした?いつも通り、今日の予言を聞きに来たのか?…違う?オレの話を聞きたい?…まあ、いいぜ。……オレはたくさんの罪を犯した。多くの人を悲しませた。迷惑をかけて生きてきた。だから償わなきゃならねえ。ここから伝えなきゃならねえ。みんなの笑顔のためにオレがやらなきゃならねえんだ。それがお嬢ちゃんとの最後の約束なんだ」
街中のとある廃墟の古びた木製の扉。
嗄れた声の男が問掛ける。
「いつの未来が見たい」
今日、或いは明日、或いは一年後、或いはもっと先の未来でも自分自身の未来を教えてくれる。
しかし男の姿を見た者は無く、不気味な都市伝説として語られていた。
そんな男の元をある少女が訪れた。
少女は毎朝訪れ、その日の自分の未来を聞いては帰って行った。
ある日男は少女に問い掛けた。
「どうして毎日未来を知りたがる?」
少女は答える。
「あなたに会える未来を見たいからよ」
その日から男と少女の会話には未来を聞くだけでなく、他愛ない日常会話も増えていった。
淡々としていた男の声も次第に抑揚が含まれ、男から話し掛けることも増えた。
「そんな時だ。オレは見ちまったんだよ。明日の未来を。お嬢ちゃんに内緒でな。何が見えたかって?」
「……」
「お嬢ちゃんの未来見えたぜ。……オレと仲良くなって会う約束をするってよ」
「え、ほんとう!?」
「オレの予言は外れねえ、ほんとうさ。そうとなれば早速約束をしなきゃならねえ。そうだな、週末はどうだ?お嬢ちゃんも学校、休みだろう?」
「ええ!週末に遊びに来るわ!お家に入ってもいいのかしら?」
「もちろん、いいぜ。きちんと片付けをしておかなきゃならねえな」
男と少女は約束を取り付けると、いつものように世間話に花を咲かせた。
「これが最後の約束かって?いいや、この話には少しだけ続きがあるんだ。お嬢ちゃんが帰っちまう直前の話さ」
「おじさんはすごいね」
「すごい?」
不意だったのか、男は素っ頓狂な声を漏らした。
「うん。悪いことをしても反省して、償おうとしてる。みんなに未来を教えて、良いことが起こるように努力させようとしてる。すごく立派だよ」
男は押し黙った。
少女は不安そうに扉の前で首を傾げている。
「…おじさん?」
「ああ、なんでもねえ。なんでもねえんだ」
「おじさんならみんなを幸せに出来る。それがおじさんの償いなんだと思うよ」
「そう言われてもなあ」
「いいから、おじさんはその力でみんなを幸せにするの。私との約束」
少女は扉に向かって左手の小指を向けた。
「ははは、わかったよ。約束だ。俺はこの力を人のために使おう」
その小指が交わることは無かったが、少女は満足気に笑みを浮かべると扉に背を向けた。
「おじさん、また明日ね!」
男は一瞬息を呑むと「またな」と返した。
翌日、少女がその扉を叩くことはなかった。
「ああそうさ。オレが見たのはお嬢ちゃんがこの家に来ない未来だ。その未来には蔓が生い茂った粗末なボロい木の扉しか映らなかったよ。それで確信したね。お嬢ちゃんは二度と来ないってさ。原因なんざ分からねえ。何せ、お嬢ちゃんの未来のはずが、お嬢ちゃんの姿は映ってなかったんだからな」
「その子がどうなったか教えてやろうか」
中年のような出で立ちの髭を蓄えた男は、木製の扉の前で煙草を吹かすと、低く、腹に響くほどドスの効いた声で言った。
男はぎょっとしてその言葉に食いついた。
「アンタ、何か知ってるのか?教えてくれ、お嬢ちゃんは一体――」
ドンっと大きな音が男の言葉を遮った。
木の扉がギシギシと軋んでいる。
「あの子は私の娘だ。そして」
中年の男は再び扉を叩いた。
今にも壊れそうな木の扉は、かろうじて原型を止めている。
中年の男は深くため息をつく。
「ここに来る途中、事故で死んだよ」
男は一瞬動揺したが、いつもの嗄れた声で「そうか」と答えた。
「それだけか?」
「ああ、薄々分かっていたさ。俺の予言は絶対に当たるからな」
「ふざけるな!」
中年の男は喉が擦り切れんばかりに叫び、ドアノブをガタガタと揺らした。
「予言?未来予知?そんな甘ったれた能力じゃない!ここ1ヶ月お前の予知を聞いて確信した!お前の能力は――」
自分の妄想通りに他人の未来をねじ曲げることだ!
ああ、そうだ。知っていた。
オレは予知能力者ではないことを。
人の役に立つどころか、人の人生を狂わせかねない能力であることを。
「お前は私の娘を殺した!お前が望むままに!お前がそう願ったせいで!」
そしてオレは思い出した。
「お前なんか死んじまえ!」
既に死者であったことを。
「ああ、分かった。分かったよ」
男の嗄れた声は、さらに小さく、今にも消えてしまいそうだった。
「オレは死んでいた。とっくの昔に。電気椅子での死刑だった。それほどオレの罪は重かった。それでもオレは自分が生きていると想像することで形を止めていたんだな」
「消えろ…消えろ…死んでしまえ…死んでしまえ…」
その嗄れた声は中年の男の耳にはもう届かなかった。
「どこで間違えたんだろうな。オレはただ、お嬢ちゃんを失いたくないと、消えて欲しくないと、そう願っていただけなのに。どうしてオレは、消えてしまった未来を想像したんだろう…な…」
その声はだんだんと細くなっていく。
「お嬢ちゃんが…来なくなることが怖いと…そう思ってしまった…だけなのにな…」
中年の男が扉を力いっぱい殴ると、扉は簡単に開いた。
そこにはもう、男の姿も、人が居た痕跡さえも無かった。