日記
ギィィっという音が静寂を掻き分け、二人の間を縫うように去っていった。
ドアの起こす風で埃が舞い、ドアの隙間からわずかに差し込む光を空中に映し出した。
小さな部屋に、大きなベッドが置いてある。二人用だろうか?
クロは、目を細め薄暗い部屋の中のベッドを注視し
、とっさに目をそらした。
「女の人、かな」
先に言葉を発したのはシロだった。
ベッドの上には女性と思われるミイラが横たわっていた。女性と思えたのは黒くて長い髪と、着せられた服装からだった。
綺麗な細い白色のワンピースに、ネックレスをしていた。とても小柄で骨格も華奢だった。
ベッドの上には他に、乾燥剤とパリパリになって茶色くなった花がたくさん置いてあった。
おそらく、ミイラ化は何者かが意図して行ったものだろう。
花は、この女性を取り囲むように周りに置かれている。
なぜミイラ化させたのか、そして誰がそんなことをしたのか、クロにはなんとなくわかる気がした。
よく見てみると、首は不自然に折れ曲がっている。
クロはそのままベッドの横に置いてある小さなテーブルの本を手に取った。
この家に住んでいた住人の日記のようだ。
クロは開くのを躊躇った。
しかし私達はこの家のものを拝借していく。
このような世界になったとはいえ、無断で"盗んで"いくのだ。
せめて、その持ち主だったものの末路は、見ておくべきではないのだろうかー…。
単なる好奇心が混ざっていないかと問われると、完全に否定できないかもしれない。
シロの方をふと見る。
シロは、ベッドに横たわる女性と思われるミイラに手を合わせお辞儀をしている。
どこで覚えたのか、多分映画だろう。
彼女は映画でいろんなことを学んでいるから。
クロは日記へと向き直し、表紙をじっと睨んだ。
好奇心、罪悪感、使命感が混ざり合いながら、ゆっくりと、日記を開いた。
日記には世界を変えた"あの事件 "から約1年ほど前の日付から始まっている。
「2069.5.12--これがこの日記の初めての記録となる。今日から私もこの科学都市の住民だ。ここまで来るためにどれだけの時間と犠牲を払ったことか。だがそれもここまでだ。ここでゆっくりと研究をし、妻に苦労をかけた分の恩返しをしていこう。妻とのこだわり抜いたこの新しい家も、素晴らしい出来だ。明日からの研究が楽しみでしょうがない。」
「2069.6.15--妻が子供を身ごもった。なんと素晴らしいことなのか。ここにきてから何もかもが順調だ。研究もうまく進み、美しい妻とさらには愛しい我が子まで。私はこんなに幸せになっていいのだろうか。だがしかし不安もある。私に子育てができるかどうかだ。私は勉強しか脳がなかった。仕事をする上ではそれで十分だったのだ。しかし子育てとなれば話は違う。全く未知の領域だ。妻にこのことを打ち明けると、(あなたなら大丈夫、それに私がいます)と励まされた。情けないことこの上ない。明日は研究も早めに切り上げて子育ての本でも買って勉強しよう」
「2069.8.25--研究を完全に買い取りたいという男が現れた。研究員もそのままに、資金を出してくれると。そしてこの研究の成果はこの男の事業の糧となる。正直私の研究は嫌われる分野であり、タブーともされるものだ。資金を出してくれるものもほとんどおらず少し研究費が危なくなっていた。こちらとしては願っても無い話だ。また伸び伸びと研究ができる」
「2070.4.11--ついに娘が生まれた。こんなにも可愛い赤ん坊がこの世に存在するのだろうか?娘には(ミナ)と名付けた。私の国の愛の女神の名前だ。この子が将来胸を張れるような研究をしたいものだ」
「2070.6.11--こんなことになるなんて思わなかった。私はこんなことのために研究してきたわけじゃない!!いずれ世界から人類はいなくなるだろう。そしてこの世界に残るのは、果てるのを待つのみの歩く死体だけだ。幸いなことに娘と妻、そして私は無事だった。今は家にバリケードを張り籠城をしている。備蓄は3ヶ月分はあるだろう。セーフティルームも地下にある。望みは薄いが、助けが来るのを待とう。妻と娘だけは、絶対に死なせるわけにはいかない。」
「2070.6.17--娘が病気になった。薬を取りに行かなければならない。このままでは明日か明後日には死んでしまうだろう。バリケードを剥ぎ、今日街へ降りて薬を取って来るつもりだ。ミナ、絶対にパパが助けてあげるからね。」
「2070.6.18--娘が、感染した。なんてことだ。帰ってきたらドアが開いていて感染者がいやがった!私はとっさに横にあるバールで動かなくなるまで頭を何度も殴った。妻と娘はセーフティルームへ逃げ込んでいたが、逃げる途中にもみ合いになり、娘が引っ掻かれたそうだ。クソが!この世には神もいないのか!なぜこうなったんだ!!娘は発熱し、とても苦しそうだ。もう長くはないだろう。」
「2070.6.19--娘を天国へ送った。きっと向こうは安らかな世界なのだろう。痛みも恐怖も飢えすらない。まだあの子の笑い顔がはっきりと想い出せる。そして、あの子が息をしなくなる瞬間も。許してくれミナ。パパも、もうすぐ行くよ」
「2070.6.20--妻が娘の後を追いこの世を去った。僕を残してどこへ行くというんだい。そうか、きっとミナの面倒を見に行ってくれたんだね。ありがとう」
「2070.6.21--妻を、形が残るように処理した。これでずっと一緒だ。サエコ、もう離れないでおくれ」
「2070.6.29--今日は妻にプレゼントをした。といっても家の中のもので作ったネックレスだ。渡すととても嬉しそうにしていた。娘も笑っている。私は幸せだ」
「2070.7.02--サエコは最近あまり喋らない。しかし愛は伝わるものだ。ミナ、サエコ愛しているよ」
「2070.7.05--やられた。奴らに噛まれてしまった。だが私は死ぬわけにいかない。まだ間に合う、血栓を作るんだ。まにあう、そうだまにあう血栓は生姜と砂糖とウサギの毛が」
「うまいうまいおいしいにくネコのにくうまいなおる」
日記はここで途切れている。
最後の支離滅裂な文はおそらく感染して自我が崩壊して行く最中に書いたのだろう。
それにしてもこの内容、"あの事件 "の理由を知っている男だったのかもしれない。この家には手がかりがあるかも…
「クロ、大丈夫?」
シロの言葉でふと考えをやめた。
シロもだいたい何が起きたのかは分かっているのだろう。
「大丈夫だよ、それより食べ物とか探そう」
そう言ってクロはシロに笑いかけた。
今見た現実を拭い去るように