二つの理由。一つの痛み
2人は階段を降りることにした。
先ほどまでの騒動が嘘だったかのように、また家の中は凛とした静寂に包まれている。2人がゆっくりと足場を確認しながら歩いていても、その足が鳴らすギシギシという床板の軋む音が響いて聞こえるほどだ。
ーー感染者がいた。
にもかかわらず、危険を顧みずなぜさらに探索を続けるか、その理由は至極簡単なもので大まかに分けると二つあった。
さきの騒動でかなりの音を立ててしまったにもかかわらず、走ってきた感染者はただ1人。このことがこの家にいる感染者の存在が1人だけだという可能性を底上げしている。なぜなら奴らは音に反応して走ってくる習性があったからだ。
今まで見たほとんどの奴らがそうだった。
しかし例外もいることにはいた。2人の間で奇行タイプと呼んでいる奴らだ。この奇行タイプは生前の記憶、そして性格が色濃く残っているのか、音を出すと反対の方向へ走って逃げたり、怯えたように頭を抱えてしゃがんで丸まったりする。
"怯えたように"というのは、"そう見える"という意味としてここで用いており、感染者が怯える、又は怒りや悲しみを持つのかどうかは確認できていない。おそらくだが生前の記憶とリンクした行動を取っているだけであり、生前怖がりだったものは反射的に怖がる形をとるのではないかと2人で結論づけている(無論ほとんどクロの観察と独断)
この奇行タイプがいる可能性も十分にあるわけだが、物音一つしないところを見ると、度外視にいかないまでも可能性は薄く捉えて良いだろう。
もし奇行タイプがいたとするなら、怯えて走って逃げる音、さらには "怖がって" 変な声を出しているはずだからだ。
そしてもう一つ、二人を探索の続行へと判断たらしめた大きな理由がある。
それは「ある程度の距離、又は建物内をテリトリーとし、テリトリー内の「仲間」を殺して食うことだ。
ここでは仲間と言ったが、仲間意識などはかけらもなく、同じ感染者でもテリトリー内で出会えば殺し合いが発生するのだ。そして負けたものはその肉を食われ、後には骨だけが残る。
クロとシロはこの場面に2回ほど出くわしたことがある。感染者の動向や習性を把握するために観察を続けていた時に起こった。建物の屋上で、双眼鏡を用いてある一体の感染者を観察していた時、おそらくテリトリーを伸ばしてきたのであろう感染者とバッタリ遭遇し、お互い同時に走って殺し合いを始めたのだ。
クロはこの時のことをノートに細かく書いている。
そしておかしなことに気づく。それはこの殺し合いが、感染のパンデミックが起こって随分な年月が経っていた頃にもかかわらず起こったということだ。
何がおかしいかというと、パンデミックが起こってすぐの時はひしめき合う、とまではいかないにしてもそれなりの数の感染者がうろつきまわっていたに違いない。そのときにも殺し合いをしていたのだろうか?おそらく違う。その時は"何か"をもってして襲わない対象として認識していたのだ。
が、今は違うようである。
そしてある時を境にしてテリトリーを各々が作りだし、邪魔なものを殺し、食らう。
そして今まで確認してきた習性をふまえ、そこから考えられる可能性は「テリトリーは少しずつ大きくなっていった」のではないかとクロは仮定している。
そしてこのテリトリーの習性こそが、ふたりを探索の続行へと駆り立てた一番大きな理由である。
あの感染者は、おそらくこの建物の中をテリトリーとしていたのだろう。ならばもう一匹いるとは考えづらい。故に、探索を続行したのである。
先程感染者が駆け上がってきた階段をゆっくりとおりていく。念のためいつもの陣形で、息を殺しながら降りていく。クロはテイザーガンが階下に落ちたので、ハンドガンを構え、後ろをついてきている。なるべく早くテイザーガンわ、拾わなければ、また危険な目にあう確率が高くなってしまう。
階下の部屋へ降りると、上階よりもかなり薄暗くなっている。全ての窓を板のバリケードで塞ぎ、ほとんど日光が入って来ないせいである。バリケードの隙間からかろうじて差し込む細い光が、空中に舞っているホコリを照らし、薄暗い部屋に幾本かの光の線を作り出していた。
先ほどよりも湿気がすごく、至る所で腐った木が心許無く建物を支えているが、いつ倒壊してもおかしくないような有様だった。
部屋の真ん中には丸いテーブルがあり、三つの椅子が囲んでいた。テーブルの上にはかつて何かの植物が入っていたであろう白くて細かなディティールをした花瓶と、写真立てが置かれていた。写真立ては中の写真が全く見えないほどにホコリが覆っていた。
クロは写真立てを手に取り、覆っていたホコリを拭った。
大柄な男性と、その左横で優しく微笑む小柄な黒髪の女性。女性の手には、赤ん坊が抱かれている。大柄な男性はとても優しそうで温かい笑顔をして女性と赤ん坊を見つめており、左手を女性の方に回し抱き寄せている。女性は小柄で気が弱そうな顔を恥ずかしそうに赤らめ、男性を見つめている。
クロは写真立てをテーブルに戻し、伏せた状態で置き直した。
「この人…」
後ろで見ていたシロが、小さく呟いた。
クロは伏せた写真立てを見つめながら、
「うん、たぶん。服が同じだから」
クロは落ちていたテイザーガンを拾った。
よかった、どこも壊れていないようだ。
「先に他の部屋も見ておこう。」
シロは頷き、ナイフを顎のところへ構え直した。
「そこの部屋に入ろう」
クロが指差すドアには「ベッドルーム」と書いてあった。寝室と思っていた先ほどの部屋は違ったようだ。おそらく来客用か子供用か、今思うと確かに家具らしきものがほとんどなかった。
シロはゆっくりとドアに近づき耳をドアに当てた。5秒ほどそうしているとシロはドアから耳を離し、
「大丈夫。動いているものはない」
と小さく言った。了解、とクロはハンドサインを出し、シロにゆっくりとドアを開けるよう指示した。クロはドアの正面にテイザーガンを構えて立った。
シロがドアノブに手をかけゆっくりと回す。
ギィィ…と木の鳴る音がして、ドアが開かれた。