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必殺断罪人スペシャル(特別編)  作者: 高柳 総一郎
イオ、ソープに体験入店する
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イオ、ソープに体験入店する(Aパート)

 イヴァン北西部歓楽街『色街』。

 魔導式ランプが色とりどりの光を放ち、通りを怪しい輝きで染め上げる。まるで光の海のようなこの通りに身を委ね、皆一夜限りの素晴らしい体験を得ようと試みる。短いところで二時間程度の恋だが、それでも恋人同士が身を寄せ合うように身体を温め合う。それが色街の本文である。

 娼館『グリーンプレイス』は、そんな一夜限りを売る店の一つだ。同じ娼館である『マリアン』などの老舗には敵わぬが、そこそこの規模を誇る店であった。

 薄暗い照明で雰囲気良く照らされた廊下の脇、小さな事務室に、オーナーである禿頭の小柄な中年──ノードの姿はあった。オーナーと言えば聞こえは良い。しかし彼の役割はまさしくお飾りだ。こうして経理のための帳簿をつけることはするが、その帳簿で踊る数字を彼が手にしたことはまずない。

「オーナー」

 気だるげな女の声であった。薄暗い室内であったはずが、彼女が入ってきたことで明るくなったような気さえした。ノードは目をわずかに上げ彼女の姿を見た。モスグリーンの毛色は鮮やかであり、見るものをはっとさせるだろう。メリハリのついた身体からは、引退間際だというのに女の魅力がむせ返っていた。

「め、メイ。仕事は……」

「仕事はいいのよ。それより、あんた最近たるんでんじゃないの」

 そう言うと、メイはノードが作業しているほうの隣の机に腰掛け、バスローブのように裸体にまとっただけと思わしきガウンから、白く長い足を惜しげも無く晒しながら組んだ。

「……ぼ、僕はそう思わないが……」

「私はそう思うのよ。あなたの意見は聞いてないの。……売上が落ちてるし、マーカス親分に支払うアガリも減ってる。私がなだめてるから、どうにもならずに済んでるのよ。もっと、売上をあげなさい。ダメならあんたも八つ裂き、よくて川に簀巻きにされて流されるのがオチ」

 まただ。ノードはため息をつきたかったが、どうにもならなかった。彼女の言葉に嘘はない。彼女はこの娼館の用心棒として、マフィアであるマーカス・ファミリーを呼び込んだ。確かに娼館である以上、ある程度のトラブルはつきものだ。問題解決方法は様々あるし、色街ではマフィアと組んで店の安全を買うのも、不思議なことではない。

 だがマーカスは問題だ。彼は強欲で、暴力的であった。それでいて、メイに惚れきっていた。こういう男は恋をさせると一番厄介だ。ヘタをすれば、これまで対応したどんな客よりも厄介であった。

 さらに厄介なのが、メイであった。

 今やメイは、この店で最も強い権力者であった。会計はもちろん、経営にも人事にも口を出す。彼女が言えば、どんなに人気の娼婦や男娼でも、次の日には追い出された。抵抗すれば、マーカスが口を出してきて、同じ結果へと持ち込んだ。

 彼女は、間違いなく災厄を持ち込んだのだ。この狭い娼館の中に。

「いい? そういう風にされたくないのなら、もっと経営努力なさい。私も口利いてあげるから」

「なんとかするよ」








「どうにかなりませんか」

「どうにもならねェ」

 オンボロ教会の、これまた古いベンチに、男が二人腰掛けていた。一人は寝ぐせだらけの収まりの悪い黒髪の男。彼は白いジャケットを羽織っており、目の下に出来た深い隈をこすりながら、盤上のポーンを一ます進めた。対面に腰掛ける、栗色のウェーブがかった、肩までかかる髪の神父はそれを受け、ナイトでポーンを討ち取った。二人はチェスを楽しんでいるのだった。

「チェック。弱ェなあ、旦那」

「でもねえ、こっちは金貰っちまってんですよ。相手はさっき話したとおり。分かるでしょう。ああいうところの人間は閉鎖的で、色街から外にでるようなこともありません。それにあの大物──夜霧のマーカスが後ろについてるんですよ。……万が一にも、失敗は許されません」

 聖書台には、輝く金貨が二十枚。久々の大物である。夜霧のマーカスといえば、この神父──イオにも聞き覚えのある名前であった。色街の大物。手段を選ばぬ男……そして、鼻つまみ者でもある。黒い噂も探せばキリがない。

「娼婦一人を殺るので金貨二十枚だろ。相当の恨みを買ってるのは間違いねェ。……しかしあそこは高ェからな。俺も馴染みはねェし」

 イオは天井を見上げ、埃っぽい空間をただただ見つめた。自分でもいうのもなんだが古い教会だ。目の前にいる男──ドモンも、同じように思うに違いなかった。

「チェック? あんた目が変になったんじゃありません?」

 得意気に言うドモンの言葉に、勝負が決したはずの盤へイオは目を落とした。確かにチェックを『かけられている』。

「おい! 盤を入れ替える奴があるかよォ!」

「バレましたか」

「それでも憲兵官吏かい。チェス勝負くらい真面目にやってくれよォ」

「……とにかく、あんたなら色街には詳しいですから、なんとかなりそうな気がしたんですけどねえ」

 ドモンはイカサマがバレたのが気に食わなかったのか、多少不機嫌な顔をしながら立ち上がり、側に立てかけていた剣を取り、腰のベルトに帯びた。

「悪いな。残念だが、お役にゃ立てねェ。……ここは、いつもどおり嬢ちゃんに頼むのが上策じゃねえのかい」

「……ソニアさんがそんなの許すと思います? 娼館の中ですよ。いくらなんでも、フィリュネさんにだって無理がありますよ」

 神父はふうむと顎をなでた。何しろ色街は閉鎖的だ。こと『グリーンプレイス』ときたら度を越してしまっている。規模こそ中堅といったところであるが、マーカスの後ろ盾によって、色街でも指折りの高級店に変わったこの店は、庶民には手が届かぬ域に達してしまったのだ。

「ま、普通の娼館ならいざ知らず、だ。何をやらされるか分かったもんじゃねェしな」

「そういうことです。ま、何か別の方法を考えるとしますよ」







 イヴァン北西部、歓楽街、通称・色街。

 お世辞にも綺麗とはいえぬ、黒いコートが揺れていた。

 アクセサリー職人のソニアは、その相棒である金髪の小柄な少女・フィリュネと共に、色街へアクセサリーの営業へ出かけていた。彼手作りの無骨なアクセサリーであったが、とにかく売れれば生活の糧になる。彼らは必死であった。金がなければパンも買えないのだ。しかし、世間の風は季節とは裏腹に冷たかった。

 なにせ売れない。売れなければ何もならない──彼らは、別の『仕事』に手を出さざるを得なくなる。黒いサングラスの下で、ソニアは考える。どうにかして、この眼の前の少女にそんな真似をさせずとも生活させてやりたいと。

「ダメでしたね。娼館はどこも出入りの業者がいるみたいです」

「俺達が入り込む隙間は無いわけか」

「諦めたらダメです! もしかしたら、そういう出入りの業者さんがいないところがあるかもしれません!」

 金髪の少女は大きな胸を張って、自信満々にそう言った。明るい少女だ。彼女と一緒ならば、なんとか世間も渡っていけるだろう──咥えたタバコと口の隙間から、紫煙を満足気に吐いたその時、二人は通りを裂く女の叫びを聞いた。時間はまだ昼間。この時間色街を訪れるのは、外泊に制約がかかる一部の貴族や騎士であったり、イヴァンを去る前に遊んでいく旅行者くらいのものだ。人自体がまばらなのだ。その光景は間違いなく異常であった。

「誰か助けて!」

 女は必死にそう叫び、足をもつれさせながら埃っぽい地面に転がった。思わず助け起こそうと、フィリュネとソニアの二人は女へと駆け寄った。ひどい顔であった。殴られたのか、目の周りには青あざ、鼻血まで流している。

「助けて、おねがい!」

 若い女はそう哀願し、フィリュネのフード付きのマントへ縋り付いた。ソニアが慌てて女を抱き起こそうとした直後、数人の男たちが指を差し、近づいてくる。みな一様に、グレイで染め抜かれたジャケットを羽織った、絵に描いたような荒くれ者だ。四人。多勢に無勢だ。

「おう、おっさん! その女はうちの従業員でな。捕まえてくれてありがとよ」

 ソニアは黙して語らなかったが、ずいと女の前に出て、荒くれ者達を遮った。さながら姫を守るナイトのごとし。男どもにとっては、みすぼらしい中年の強がりにしか見えなかったようだった。

「なんだあ、おっさん」

「おう! 俺たちゃ夜霧のマーカス親分率いる『マーカス・ファミリー』のもんよ。喧嘩売る人間は、よおく選んだほうがいいぜ」

 男たちはしまいには、ナイフをジャケットの裏からちらつかせる始末だ。さすがに相手が悪い。ソニアは舌打ちし、フィリュネを後ろに追いやりながら道の隅へと避けた。

「いくつになっても、賢く生きにゃならんぜ、おっさんよう」

 頬に傷のある細面の男が、長ナイフの刃をぴたぴた自分の頬にくっつけながら、ソニアの目鼻の前まで寄ってから楽しげに言った。どうやらひときわ上位の人間らしい。

「ザインのアニイ! このアマ、どうしやしょう」

 二人がかりで女を持ち上げる男ども。それを見ながら、何も持っていない子分が、兄貴分に問うた。兄貴分はソニアやフィリュネから目を離さず、ナイフを弄んでいた。

「店に連れてけ。親分に報告だ。……おう、おっさん。いい年こいて、なかなかべっぴんを連れていやがるじゃねえか」

 ザインは蛇のようにちろりと舌を見せながら、いやらしくフィリュネに視線を這わせた。まるでその視線から逃れるように、フィリュネは身体をよじった。

「うちの店なら、すぐに売れっ子になれるぜ。どうだい、預けてみちゃあ」

「勘弁してくれ。……あんたのとこは女にひどい化粧をさせるみたいだからな」

 ソニアの言葉に、ザインはくつくつ笑い、そのまま子分の元へとのしのしと去っていった。去り際に彼は振り向き、言った。

「その娘ももちろんだが、ウチで預かれそうな娘がいたら紹介してくれよ。俺は、おっさんが気に入ったぜ。支度金も弾むからよ」

 女は既にいなくなっていった。彼女が流した血の跡が、点々と通りに残っていた。ソニアは自分のコートを意味なく払い、フィリュネのマントも払ってやった。ふたりとも、何も喋らなかった。






「おまえにしちゃ珍しいじゃないか。資料室で調べ物か?」

 背中越しに振り向くと、同期の憲兵官吏であるサイが立っていた。ドモンは慎重にはしごから足を下ろすと、ぽんぽんと制服と白ジャケットについた埃を払った。

「資料室以外で調べ物なんて聞いたことありませんよ」

「違いないな。事件か?」

 ドモンは曖昧にへらへら笑い、彼の質問には答えなかった。まさか自分の裏稼業の話を、友人に話すわけにもゆくまい。彼は掴みかけた資料──マーカス・ファミリーについてのものだ──をゆっくりと戻す。

「サボってんですよ。右から左、左から右。資料室の整理も立派な仕事です」

「ガイモン様の前でそっくりそのまま言ってみろよ。一生資料室にいさせてもらえるぜ」

「勘弁して下さいよ」

 サイは別の棚の資料を取ると、ぺらぺらとめくり始めた。彼は憲兵団でも稀有なほど真面目な男だ。本当に調べ物に来たのだろう。ドモンもそれに負けじと、先ほど置いたマーカス・ファミリーの資料をめくり始める。

「なあ」

 優秀な同期は、資料へ目を落としながら尋ねた。

「なんですか」

「お前、最後に娼館に行ったのいつだ?」

「はい?」

 似合わぬ発言に、思わずドモンの声は裏返った。サイはなおも顔色一つ変えず、尋ねた。

「だから、最後に娼館に行ったのいつだって話だよ」

「いつでしたかねえ。もう覚えてもいませんよ」

「景気の悪い話だ」

「お互い様でしょう。給金は変わらないんですから」

 サイは笑った。さもおかしそうに。

「なら、そんな友人に、俺がもう一度機会を作ってやろうじゃないか」

 なんとも似合わぬ発言に、ドモンは面食らった。サイも男だ。独身だし、持て余すこともあるだろう。なんら不思議なことではないのだが、何分彼とそんな話をしたことがなかったので驚いたのだった。

「……まさかとは思いますけど……。君、そういう趣味ですか。僕は別に差別する気は無いですけど、いきなり娼館っていうのはマナーとしてどうかと思いますよ」 

「言いたいことは二つある。ひとつは、お前は話を最後まで聞くべきだってことさ、ドモン。もうひとつは俺は女が好きだ。男は趣味じゃない」

「安心しました」

「そうかよ。……ま、簡単にいえば、仕事さ。こないだ、色街を管轄する憲兵官吏の人事異動が、ようやくあったろ。空席になってほんの一月くらいの話だったが、その間に街に紛れ込んできたのが……丁度いまお前が持ってる資料に載ってる、夜霧のマーカスだ」

 ドモンはさもいま気づいたかのように、おお、と自分の持っている資料を見て驚いた。サイは彼からそれを奪い取ると、パラパラとめくった。

「やつは西から流れてきた大親分でな。何に対しても手が早くて有名だ。金、女、ビジネス……口より先に手も出るらしい。暴力的な男さ。……だが、気に入った女にはとことん尽くすタイプらしくてな。今彼が尽くしてるのが、グリーン・プレイスのナンバーワン娼婦、メイ・リー」

「それで、仕事っていうのは?」

「客としての潜入調査だ。どうもきな臭いからな。憲兵団としても、牽制をしておきたいんだろうよ。……まあそんな話はどうだって構わないのさ。憲兵団から、捜査費が出る。ただで娼館に行けるってわけだ」

 かく言うドモンも、一人の男である。女を抱く機会があるのなら、応じることにやぶさかではない。タダならばなおのことだ!

「で、どうする。行くか」

「行きましょう」

 サイが言い終わるか終わらぬかくらいのタイミングで、ドモンは半ばかぶせるように返事をした。もちろん、彼はタダに釣られただけではなかった。偶然かどうかは分からなかったが、グリーン・プレイスのメイ・リー。今回の断罪の標的だ。

 せめて中の様子くらい、先に見ておくべきだろうと考えたのだ。もちろんそっちの目的が重要だ。タダに釣られたわけではなかった。

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