ドモン、ヲタ芸を極める(最終パート)
「なるほどな……そういうことだったのかい」
イオは静かに呟き、巨大十字架オブジェの前に立つ。この世に神はいない。だが、神に唾吐く汚い悪党どもは、のうのうとのさばっている。ドモンは腕組みを解き、五枚の金貨を聖書台に置いた。
「プロデューサーのアンナは、かなりの実力者……あのガイモン様すら、へーこらしてたみたいですしね。行政府にも顔が利くってんじゃ、憲兵団は恐れをなして絶対動きませんよ」
これで、アンナ達に積み重なった恨みは、金貨八枚。取り分は一人二枚だ。ソニアは早速手に取りながら、金貨を手のひらでハネさせてからコートのポケットへと仕舞う。
「お役人はいい気なもんだな、旦那」
ソニアは皮肉めいた言葉をシニカルな笑みを浮かべつつ吐いた。なんとも言い返せぬが、それが役人というものだ。組織の外側を圧倒するような、化け物には到底対抗できぬ。
「しかしどうする、旦那。確か明日の晩なんだろ、公演だかライブだかは」
「簡単な事です。幸い僕は現場入り出来ますし、あんた達の分のチケットなんですが……死んだケントって魔導師学校の生徒は、僕の妹の教え子なんです。彼の友人も、ライブに行ってる場合じゃないってんで、返されちまいましてね」
ドモンは忌々しげに紙切れを取り出し、三人に渡した。IVNのライブチケット。これさえあれば、全員ライブ会場のドサクサに紛れることができるだろう。
「……所詮、世の中はカネ。僕はやつらのやり方を非難できるほど偉かありませんが……やつらだって、金のために人を食い物をしている連中です。自分が食い物にされることくらい、解ってるでしょうよ。いつかは報いが来る。それも、人生の一番いい時にね……」
ドモンの表情は暗がりに落ち、既にもう見えなくなっていた。イオとフィリュネもまた金に手を伸ばす。教会の中にいるのはいつしかドモン一人になっていた。ドモンは自分の分の金貨二枚をポケットに仕舞いこむと、聖書台の燭台に灯る蝋燭の炎を吹き消した。
噴水広場は、夜だというのに、満月のせいか明るかった。今日は、特別な日だ。
「ご来場の皆様、お越しいただきまして誠にありがとうございます。開演は、三十分後でございますので、お席についてお待ちくださいませ」
噴水広場に特設された舞台から、アナウンスが響く。ランスは、噴水広場に続く細い道で一服していた。この公演が成功すれば、アンナはIVNというアイドル集団を拡散させ、このビジネスモデルを無限に拡大させるだろう。そうすれば、ランスはケチな役人人生では考えられぬ巨万の富を得る。小悪党では稼げ得ぬ金。
「や、これはこれは。ランスさんもこれからライブへ行かれるので?」
気の抜けた声が、暗がりから響く。突然話しかけられたことに、ランスはびくり、と身を震わせた。
「ドモンか? 良く会うな、最近」
暗がりから姿を現したのは、思った通りの男であった。白い憲兵官吏のジャケットを羽織り、卑屈な笑顔を浮かべたドモン。ランスは鼻で笑うと、たばこを咥え直した。脅かしやがる。
「お前が来たんなら、俺の出番はねえ。さっさと退散するつもりさ」
「や、そうですか。……実はですね、少しお耳に入れたいことが」
ドモンはそう言うと、ランスへずいと近づき、ささやくように手を彼の耳に向けた。
「なんだ、気色悪いな……さっさと言えよ」
「すぐ済みますよ。実は……」
激痛が走った。冷たい物が、脇腹に押し込まれる感触! 暗がりの中、刃の鈍いきらめきが脇腹で光り、さらに押し込まれ、見えなくなった。ドモンは剣の柄を鞘のように抜いており、そこから現れた刃で、ランスの脇腹を刺し貫いていたのだ!
「あんた……もう死んでますよ。お仲間は後から送って差し上げますから、さっさとくたばってもらえませんかね」
ぶつり、と刃をランスの身体から抜くと、ドモンは悠々と彼のジャケットの袖で刃を拭い──柄を戻した。ランスは魂が抜けたように突っ立っていたが、やがて咥えていたタバコが地に落ち、自分の身体も地面に倒れ伏した。その時には既に、ドモンの姿はなくなっていた。
「はいはいはい! いい? 後二十分! ほらメイク済ませて、衣装着る! ユキ、あんたダンストチってみなさい。今度は許さないからね!」
ミラは楽屋で、他のメンバーにハッパをかけていた。彼女は、リーダーとしての実力を確かに兼ね備えている。おそらくそれは、これからもそうだろう。それを、このライブで、観客にも見せつけるのだ!
「リーダー、そろそろメイクしないと」
「ヤダ、もうそんな時間? じゃ、あなた達も完璧に仕上げるのよ」
再度メンバーにハッパをかけ終えると、ミラは彼女用の個室へと引込み、メイク台の前へと座る。化粧道具箱を開けて、まずは──無い。普段は全てが詰まっているはずの、化粧道具がひとつも。こんな馬鹿な。
「ちょっと! 誰か来てもらえない?」
「はーい、ただいま!」
ハンチング帽に、ラフなシャツの小柄な女が個室に飛び込んできた。手元には、小箱を携えている。彼女はすぐにその箱をミラの目の前に置いた。
「全く、誰よ! 私の化粧道具持っていったの! 見つけたらプロデューサーに言いつけてやるんだから。……あら、あなた見ない顔ね」
「フィーと申します。スタイリスト見習いです。よろしくおねがいします!」
フィーはそう言うと、深々と礼をした。しかしミラはそれを一瞥もしない! 何たる不遜な態度か! しかし、彼女は一流のアイドルである自負がある。今は、ライブに集中せねばならないのだ!
「……ってことは、スタイリストの先生がいるの?」
フィーはドーランを取り出し、彼女に差し出す。ミラは手際よくそれを手のひらにとり、練り始めた。話しながらでもお手のものだ。とにかく、今は急がねばならない。
「はい。どんな人にも効果てきめん、確実なメイクでばっちりです」
「なら、先生を呼んでくれない? 今日だけは失敗できないの」
フィーはにやりと笑うと、廊下へとぱたぱた駆けて行った。数秒もせずに、一人の男を連れて帰ってきた。これまたフィーと同じデザインの、ラフなシャツを着た背の高い男だ。なぜか、首にはロザリオを下げていて、チェーンから繋がった部分より下を回転させていた。その度に、空気が破裂するような音が響いていたが、ミラは気づかなかった。
「スタイリストのイオです。私に任せてもらえれば……」
「挨拶はいいから! もう開演まで時間が無いの。とにかく、メイクを完成させてもらえない? 普段自分が使ってるのと違うから、よく分からなくて」
「そうですか、では」
そう言うが早いが、なぜかイオは化粧箱から真っ赤な口紅を取り出すと、小指にそれを取り、おもむろにミラの唇に塗り始めた。明らかに工程が違う。
「ちょっと、あなた本当にスタイリストの先生なの? まるで素人じゃない!」
「まさか。私はプロです。メイクだって何百人にしてきましたよ」
鏡越しに、イオの姿が見える。ロザリオを高く掲げ、薄く唇に笑みを湛えた男の姿が! 一気にロザリオが振り下ろされ、ミラの首筋にロザリオの先が当たる。同時に内部のゼンマイが回転し、高速で長い針が打ち込まれた! まるで力が抜けたように、首だけががっくりと前に落ちた。はたから見れば、化粧台の前に座って、下を見ているようにしか見えぬ。
「ただし死化粧だがねェ。どうだい。自分の死に顔、気に入ったかい……」
イオはロザリオをミラの首筋から抜き、回転部分を逆回転させ、突き出た針を内部へと仕舞った。フィーは勝手に借りた小道具であったハンチング帽を投げ捨て、フィリュネに戻り──主を失った部屋を後にしたのだった。
「失礼だが──」
ミリィはまさにそのプロデューサーの部屋に戻る直前、暗い廊下の中で男と出会った。だが、開演まで後数分。客を高揚させるように、生演奏のリハーサルが始まっている最中である。良く聞こえない。
「すまないが、よく聞こえない。なんだって?」
「聞こえないのか!」
「今は聞こえる。それくらい大きな声で喋ってくれ!」
「分かった! プロデューサーはまだ部屋にいるのか!」
妙なことを聞く男だ。ミリィが訝しみ、咄嗟に腰の短剣に手を当てた。良く見れば、黒いメガネに白いワイシャツ姿の男など、スタッフにはいない。なぜプロデューサーに用があるのかも分からぬ。侵入者か。
「何の用だ! 今は忙しいんだ!」
男は、よく見ると右腕に黒い布を巻いていた。何十にも巻いている様子であった。これは、なんだ? あまりに怪しい風貌に、ミリィは彼を侵入者だと判断し、腰から短剣を抜く! 振り下ろした短剣を、男は黒布を巻いた右腕で防ごうとかざす! 愚かな選択だ。ミリィは僅かに口角を上げる。彼女の短剣は軍用の特別製、服や布は愚か、体重を乗せれば鎧すら引き裂くだろう!
しかし、男は逆に、その布を手首を軽く回転させ解いた! 解けた布は、ミリィの振り下ろしたナイフに絡みつき、刃は止まった! 載せていた体重のため、ミリィは前方につんのめる! 一瞬の出来事。振り向いたミリィの眉間には、男の左手の先──腰のベルトに無造作に差し込んでいた拳銃の銃口が、無慈悲に押し付けられていたのだった。勝負あり、である。
「馬鹿な……貴様……一体……」
ソニアは答えず、引き金を引いた。アップテンポの曲が、楽しげに全てをかき消した。ミリィの手に巻き付いた黒いコートを引っぺがすと、ソニアはそれを羽織り、会場の人混みへと紛れていった。
舞台袖で、アンナは数人のスタッフと話をしていた。開演まで、残り五分しかない。アンナは、ミラから聞かされたサーシャの末路で、またも奇策を考えついたのだ。あえて、開演前にその事実を発表する。人道的で感動的な、アイドルたち。仲間同士の絆が、公演を成功させたという事実。サーシャの死を、IVNの広告に使うつもりなのだ!
「じゃ、アタシが昨日の──サーシャについて話をしてから、公演スタートだ。準備はできてるか?」
アンナは公園前の最後の葉巻を楽しんだ後、灰皿に押し付けた。彼女もまた緊張している。彼女の全てをかけた、博打の結果が出るのだ。緊張するのもやむ無しだろう。
「プロデューサー、ミラがいないので私達探してきます」
IVNのナンバー2である少女、ユキが不安げな言葉を吐く。アンナはさすがに頭を抱えるほかなかった。こんな時にリーダーがいなくて、どうするというのか。
「おいおい、冗談だろう。とにかく探してくれ。全員でだ。ユキ、お前は舞台の下でみんなとスタンバイだ。アタシの話が終わって、アタシがハケたら、生演奏のバンドとメンバーを舞台装置でせり上げる。いいな」
急いで、全員が散らばった。時間がない。いざという時は、自分が時間を引き伸ばさねばならぬだろう。つくづく面倒が連続する。
「クソッタレめ……」
「や、なんだか大変ですねえ」
気の抜けた声に、イライラが頂点に達しようとしていたアンナは怒鳴る!
「誰だ!」
「や、どうも。イヴァン憲兵団憲兵官吏、ドモンです。や、なんですねえ。どうもこういう公演は、色々とトラブルがつきもののようで」
アンナは気持ちを落ち着けるように、新しい葉巻を咥えて、笑った。この旦那に怒鳴っても、どうなるわけもない。
「全く困ったもんさ。ところで旦那、警備はどうだい。何かマズいことは起こっちゃいねえだろうな」
先程までのへらへら笑いを、どこか気まずそうな表情に変えたドモンを見て、アンナはまたもイライラし始めた。金を出しても警備一つままならんか、この役立たずめ。憲兵団に申し出て、クビにしてやる。
「実は、怪しい者がこちらへ入り込んだので、追いかけてきたんです。姿を見失ってしまったので、こうしてせめて報告をと」
「何? 怪しいやつだあ? ならこんなとこで油売ってないで、なんとかしてくれ」
アンナは舞台袖から、会場の客を見る。期待に目を輝かせた、開演はまだかを待ち望んでいる、そんな顔だ。一方ドモンは、静かに、剣を、抜いた。会場のざわめき、舞台袖の暗闇に隠れ、アンナは全く気づかなかった。そして、その刃を、そのままアンナの背中から突き立てた! コートを突き破り、血が滲み、アンナの口から血があふれる!
「今日の主役はあんただ。最期になるんだ。みやげ話に目立ってきな!」
ドモンは剣の刃を抜き、コートの裾で刃についた血を拭い……彼女の身体を蹴った! 力を失いながら、舞台にまろびでるアンナ! 会場は、突然のことに阿鼻叫喚の地獄と化した!
ドモンは一度だけ、舞台上を振り向いた。何も知らぬ照明係が、間抜けにも彼女の死体にスポットライトを当てていた。ドモンはすぐにまた舞台袖の奥、暗闇へと進んだ。自分のいるべき場所を、あらかじめ分かっているかのように。進むべき道を、恐れていないかのごとく。
ドモン、ヲタ芸を極める 終