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必殺断罪人スペシャル(特別編)  作者: 高柳 総一郎
ドモン、オタ芸を極める
3/12

ドモン、ヲタ芸を極める(Cパート)

 夜。イオは再び、色街に立ち寄っていた。また、ユンの様子を見てみよう、と考えたのだ。そして今回は、ソニアも一緒だ。娼館という名称を聞くと、誰もがいわゆる性風俗をイメージしてしまうが、その実は大人の遊び場、娼婦との駆け引きを楽しむ場でもある。何もやることだけやって終わり、などとせずとも、娼婦と話や酒を楽しむといった遊び方もまた、オツなものだ。

「あらあ。なあに、今日は二人で遊びに来てくれたの?」

「ああ」

 イオはにやにやと笑うと、ソニアの肩を強引に組む。

「支配人、今日もユンをつけてくれ。こっちにも紹介してやりたくてよォ」

「イオちゃんのお陰で、ユンも頑張ってんのよ! サービスするわよ~?」

 娼館・マリアンの支配人が、身体をくねくねさせながら嬉しそうに言うと、二人はやってきた従業員に待合室へと案内される。なんとなくソニアが辺りを見回すと、出口側の通路から、女が歩いてくるのが見えた。肩越しの金髪に、右目にアイパッチをつけた、黒いマントの女。冒険者にも見えなくないが、どことなく異様な雰囲気だ。すれ違った後、待合室へと通され、備え付けのソファに座るよう、従業員に促される。

「では、準備ができましたらお呼びいたします」

 丁寧な対応にソニアは頷き、静かにその時を待った。ソニアは女遊びを激しくやる方ではないが、この女を待つ瞬間というのはなんとも言えないものがある。柄にもなく緊張するのだ。一方イオは慣れたもので、備え付けられた鏡に自身を映しながら、髪をいじってみせたりしていた。場数が違うのだ、おそらく。そう考えながら、ソニアは一服して落ち着こうと、ストックしておいた紙巻タバコを取り出す。その時、待合室の扉が開いた。普段であれば、従業員と娼婦が部屋へ案内する前に面通しをするのがルールだ。だがそこに立っていたのは、血相を変えたマリアンの支配人だったのだ!

「お、お客様……申し訳ございません」

「なんだい、支配人。らしくないな、改まって」

「ユンが……ユンが今しがた、亡くなりました。喉を突いて」

 イオは鏡から顔を離し、支配人に詰め寄った!

「おい……あんたでも流石に冗談がすぎるんじゃねェのかい」

 もはや普段の穏やかな神父の顔はどこへやら。イオは青ざめた表情の支配人の肩を持ち揺らす!

「じょ、冗談なんかじゃないわよお! こっちが冗談じゃないか疑いたいくらいよ!」

 言うが早いが、イオは待合室を飛び出す!

「おい、どこ行くんだ、神父! おい!」

 ソニアもまた、イオの背中を追う! イオは階段を登り、従業員がドア付近に集まっている異様な雰囲気の部屋を見つけ、野次馬を押しのけ部屋に押し入る!

「……なんてェこった……」

 辺りは血の海だった。ユンは、右手に短剣を持ったまま、その赤い海の中に沈んでいた。生命を失った、虚脱した瞳が、血だまりに反射してイオを見つめている。馬鹿な。最後に会ったのは、ほんの一週間そこら前の話だったはずなのに。

「こいつは……酷いな」

 追いついたソニアが、サングラスの位置を直しながら、重苦しく言った。

「ねえ、何の騒ぎ?」

 隣の部屋から、肩をはだけた薄手のドレスという格好の男娼が顔をのぞかせた。どうやら寝ていたらしく、茶色の猫っ毛がはねてしまっている。

「あんた、気づかなかったのか」

 ソニアがどこか責めるような口調で言うも、猫っ毛の男娼は意に介さない。あくびをしながら、マイペースに答えた。

「僕は知らないよ。さっきのアイパッチのお客さん、すごくてさ……もう搾り取られちゃったせいか、眠くて眠くて……。おっかしいな……普段はこんなに眠くなんかならないのに……。で、何があったの?」







 同時刻。

 ドモンはようやく帰宅を果たしていた。臨時収入に妹からの尊敬……得られたものは多かったが、同時に仕事は全くはかどっていなかった。結局、こうして残業をして埋め合わせをしたのだ。ドモンにとって残業は不本意極まる行為である。セリカも、あまりいい顔をしない。夕飯の後片付けや風呂の準備が面倒になるからだ。

「ただいま」

 返事がない。寝てしまっているのか? もしそうならば、起こさないようにせねばなるまい。しかし、寝るにしてはまだ時間が早いような気がする。いろいろな事を考えながら、そろりと家に入り込んだドモンが見たのは、寝巻き姿で光る棒を両手に持ち、鉢巻を巻いて踊り狂う妹の姿!

「こーいーは、いーつーでーもー……マジック~!」

 おお、その姿はまるで歴戦の二刀流を使う剣士のごとし! おそらく簡易的な光魔法の術式が組み込まれているのであろうその光る棒は、様々な色に振る度変わり、見る者を飽きさせぬことだろう! 少なくとも今いるドモンを除けば!

「セリカ……何を、やってるんですか?」

「あっ! お兄様、おかえりなさいませ!」

 さわやかな汗をリビングに散らしながら、セリカは朗らかに言う。いつもの数倍は機嫌が良い。

「お兄様のお陰で、IVNの特別公演に参加できることになりましたからね。生徒たちの手前もありますので、恥をかかないよう練習しているのですわ」

「はあ。アイドルとは聞いていますが……セリカが踊り狂う必要は無いんじゃないですか?」

 セリカは首にかけたタオルで汗を拭いながら、指を振った。そのタオルには、ご丁寧にIVNの刺繍が施されている! いつの間に手に入れたのやら、衣装にも同じ刺繍が縫い付けてあるではないか!

「甘い、甘すぎます。お兄様、これはIVNの皆さんを応援しているのです」

「応援」

「その通りです。IVNの皆さんが踊る。私達観客も踊り、声援を飛ばし、一体化する。それが真骨頂だというのです。生徒に色々と教えてもらいました。何事もまず形から。そしてやる時は全力で。私のモットーです」

 いうが早いが、セリカはドモンに何やら差し出す。光る棒に、タオル。

「当日は、お兄様もこれを身につけるとよろしいでしょう」

「よろしいでしょうって……僕はそもそも当日会場を警備するっていう立派な仕事が」

「お兄様」

 ぴしゃり、とセリカの言葉が、まるでカミソリのように差し込まれた。こうされてはもう、ドモンに二の次の言葉は紡げなくなってしまう!

「いいですか。IVNは一生懸命公演をやるんです。それを見る観客も、一生懸命にならなくてはいけません! さ、お兄様! 棒を持って! 私が歌を歌いながら踊りますから、それに合わせて踊ってくださいまし!」

 もう風呂に入って、さっさと寝てしまいたい。そんな願いをたやすく排除し、セリカは歌と共に、棒を振り踊り始める!

「良いですかお兄様! ここは……手を右に振って、肩の上を突くようにするのです! 左へ持って行って同じように! これが基本動作です!」

 結局、熱血教師セリカの特訓は深夜まで続いた。明日筋肉痛になればよいのだが、どちらにせよ仕事だ。こんな酷い仕打ちがあって良いものか。ドモンの立場は尊敬を得ても、なおそんなに変化はないのであった。






「それ、すぐにですか?」

 フィリュネは素っ頓狂な声を上げた。教会では、神妙な面持ちの男二人、イオとソニアが並んでベンチに腰掛けていた。

「すぐにだ。ソニアがよ、気になる女を見たってェンだ」

 ソニアはその言葉に頷く。

「アイパッチの女だ。殺された女の隣の部屋に入ってたらしい」

 フィリュネは聖書台の裏にまわり、その上で頬杖をついた。ほおで指をとんとん叩く。どうも話が見えてこない。

「で、その女の人とどういう関係が?」

「殺されたユンを連れてきたのもな、その女らしい。極めつけは男娼だ。やつらはプロだからな。どんなに疲れても、相手が寝るまでは自分は起きてるもんだ。それが、寝ちまって驚いてやがった。そして、アイパッチの女は殺される直前にはいなくなってやがった。十中八九、薬を盛られたんだ」

 ははあ、とフィリュネは大体の話のあたりをつけた。つまり、アイパッチの女の正体を探れというのだ。それ即ち、ユンの正体を探れということ。どこから彼女が来たのかが分かれば、自ずとアイパッチの女に辿り着くだろう。

「でも、そんなの銅貨一枚にもなりませんよ。私だって可哀想だとは思いますけど、タダ働きになっちゃいます」

 イオはにやりと笑い、立ち上がると、聖書台に金貨を三枚置いた。

「金は貰ってる。神の名において、ユンは低コストで天国に召されていったってわけさ」

「よく言うぜ。きっちり自分の取り分は取って、支配人から葬式代をガ余計にメたんじゃねえか」

 ソニアはタバコに火を点け、紫煙を吐いた。だが、話は簡単だ。要は、断罪にしてやろうというのだ。そういうことならば、がぜんやる気が違ってくる。

「旦那さんには伝えたんですか?」

「まだだ。ま、旦那にゃ大詰めの時に出張ってもらえりゃそれでいいがよォ……後からうだうだ言われるのもな。嬢ちゃん、会ったら伝えておいてくれねェか」






 コンサート前々日。

 サーシャは突然、プロデューサーのアンナに呼びつけられていた。よくない気がしていたが、既に決意は固まっている。ケントのためにここをやめる。コンサートの後に言おうと考えていたが、今でも構わないだろう。

「何でしょうか」

「サーシャ。折り入って、話があるんだ」

 机に足をかけ、不遜な態度でアンナは葉巻をふかしながら言った。

「私もです。実は……」

「おい」

 アンナはひどく気分を害したようで、葉巻の灰を落としながら眉根を寄せる。サーシャは思わず少しだけ身を震わせた。恐ろしい。

「話してるのは、アタシだぜ。順番をわきまえな……。それでな。実はよくない話を聞いた。お前の話さ。……ここに入る時、アタシは、言ったよな。このIVNに所属している間は、男女の関係はご法度だと」

「はい」

 覚悟はしていた。サーシャは、リーダーにして序列一位、ミラとあまり仲が良くないし、目の敵にされていることも知っている。そしてミラを敵に回すということは、ミラの派閥にいる他のアイドルたちや、スタッフに至るまで敵に回すと同義なのだ。

「よもや、お前が男と乳繰りあってるとはな。え? アタシは、何でも知ってるんだぜ……」

 アンナは立ち上がり、葉巻を灰皿のへりへと置いた。ゆっくりと机を回り、左手をサーシャの細い肩にのせる。そのまま、ゆっくりと首をなぞり、頬へ触れ──頬を殴る! 思わず、応接ソファにサーシャの華奢な体が転がる!

「お前がそれほどまでに欲求不満だとは、知らなかったよ──ま、確かに気持ちは分かる。アタシにゃモノはついてねぇからな。満足に満足させてやれねえ──で、相手は魔導師学校の生徒だって? ガキの癖に、タッパはあるってことか? 何回股を開いたんだ? え? ちょっとアタシに教えてくれよ」

「ち、違うんです」

 アンナは着ているコートを脱ぎ、ワイシャツのボタンを外しながら──サーシャに跨ると再び頬を殴る!

「何が違うんだ、え? いいか、そのガキのモノをしゃぶりたての口を閉じろ! アタシは裏切りが嫌いだ。飼ってるサラマンダーに火を吐かれるのが一番嫌いだ! アタシはこのIVNを、珍しく秩序立てて創りだしたんだ。普段はそうしないにも関わらずだ! なぜだか分かるか?」

 サーシャは涙目になりながら、アンナの問いに頭を振る! すかさずアンナが三度頬を殴り──今度はサーシャの上着のボタンに手をかけ、強引に引きちぎった! サーシャの小ぶりな乳が露出!

「一つは金になるからだ。二つ目は、お前みたいな田舎者がスターになりたいってんで、いくらでも参加してくるからだ。どうせ一山いくらだ、替えがいくらでも効くからな!」

 アンナは、歯を剥いて笑う。アンナの吸う高級葉巻特有の、ワインの薫り

めいた匂いが、目と鼻の先から漂った。

「最後はな……商品をいくらでも好きにしていいってことだ。別にぶん殴ったり切りつけたりしなきゃ、なんだっていい。こういう風にな!」

 サーシャの身体を守る鎧は、もはやアンナという巨竜の前では何の役にも立ちはしなかった。いくら彼女が金切り声を上げても、誰も助けてはくれない。この地下の事務所にわざわざ飛び込んでくる勇者など、誰もいないのだ。

 サーシャはいつしか、おぼろげな事務所の明かりを見ながら、ケントの手の事を考えていた。彼の暖かな手を握りたかった。しかし、彼は本当に自分の手を握り続けてくれるだろうか。

「ガキに何ができる」

 いつしか葉巻の薫りが、再び漂い始めていた。『コト』は終わった。涙の跡を、サーシャは強引に袖で拭う。アンナの顔が近づき、再び彼女の唇を、奪う。もはや抵抗も出来ぬ。サーシャの歯を、舌を、まだケントにも触れられてすらいないところを全て、まんべんなくアンナは犯した。

 気持ち良いと感じてしまったのもまた、ショックであった。サーシャは生娘である。対するアンナは、こうして己の手と指と言葉だけで、何人もの女の脳を蕩けさせてきたのだ。強引に迫られれば、サーシャのような女にできることなど何もない。

「先にお楽しみか」

 いつの間にやら扉が開いており、そこにミリィが寄りかかっていた。そして、ミラも薄笑いを浮かべて、こちらを見つめていた。見られていた。サーシャは身体から血が抜けたようになり、身体を掻き抱く。ケントの手が恋しかった。

「ねえ、だから言ったじゃない? プロデューサーって凄いでしょ? 初めっからそうしておけばよかったのに……気づくの遅すぎなのよ。あなたも、そう思わない?」

 ミラはさもおかしそうに笑う。そして、影に隠れていたもう一人の背中を押した。サーシャには見覚えがあった。忘れるわけがない顔だ。猿轡をかまされ、うんうん唸るその姿。魔導師学校の制服。涙は今のサーシャ以上にこぼれ、ひどい顔だ。ケントは、全て見ていたのだ。いや正確には、見させられていたのだろう。愛するサーシャがアンナに襲われ、全てが終わるその瞬間まで。何も出来ず、何も叫べない状態で。

「残念だったな。彼氏が初めてじゃなくて。感想を言っとくと、序列は最下位でもやっぱりいい女には違いないぜ、彼氏クン。アンタの目は確かってわけさ……最も、もう何をしようと無駄だがな。女同士ってのは、いくとこいっちまうと癖になる。男となんか何したってもう濡れねえよ」

 アンナは得意気に、けらけらと喉を鳴らした。サーシャは必死に頭を振る外無かった。違う。屈してなどいない。ケントもおそらくそれを信じている。彼の目を見れば、それがよくわかった。

「さて、サーシャ。彼氏クンにはもうお帰りいただく。今後、シアターには出入り禁止だ。今度サーシャと会ったら……生命はないぜ」

 得意げな顔のミラとミリィが、彼の背中を押し、退室すると、執務室はまたも二人だけとなった。

「そして、お前も辞めさせねえ。何度も言うが、アタシは何でも知ってるんだぜ。あの彼氏クンと添い遂げようって腹だろうが、そうはいかねえ。勘違いするな。これはチャンスだ。今までのアタシなら、娼館送りってとこだが……まあ、ユンも昨日亡くなったって言うし、さすがに同じように送るのは忍びなくてな」

 声が出なかった。ユンが、死んだ。そんなバカな。否定する言葉も、悲しむ言葉も、今のサーシャには出てこなかった。

「アイドルじゃ無くなったら、お前はただの女だ。なんの力もない女だ。アタシはその『なんの力もない女』の無力さと惨めさがどんなもんか、よおく知ってるつもりだ。少なくとも『消されてもいい』とは思われないってことさ。ユンみたいにな。分かるか、この理屈?」

 サーシャにはもはや、抵抗する気力など微塵も残っていなかった。わたしは『アイドルとして死ぬまで』ここで閉じ込められるのだ。ユンは、アイドルで無くなったから死んだのだ。サーシャにはケントがいる。死ねなかった。

「お利口なのは好きだぜ、サーシャ」






 アケガワストリートを歩くドモンがフィリュネにあったのは、妙なところであった。トゥエンティーワンシアターのすぐ前の路地裏の影から、ちらちらと様子を伺っているのだ。フードを目深に被っていたので、通り過ぎるところであった。

「断罪ですか。その、ユンって子の仇討ちで」

「そういうことです。……で、さっきなんですけど。アイパッチの金髪の女の人が、入っていったんです!」

 ドモンは、初めて事務所へ入った時の事を思い出していた。うつむき加減であったが、金髪に黒いマント、そしてアイパッチの女だったのは間違いない。

「あっ、出てきました!」

 金髪に黒いマントのアイパッチの女につづいて、フィリュネのように深くフードを被った女が出てくる。そして最後の一人は、ドモンにも見覚えがあった。セリカと一緒にいた、小柄な生徒だ! その顔は泣きはらしたかのようで、目を腫らし酷いものであった。

 フードを被っていた女が、顔を見せる! その正体は、IVNのリーダー、ミラだ! ミラは、パフォーマンスのごとく、舞台の上で歌うように言った!

「ご通行中の皆さん!」

「おお! すげえ!」

「ミラだ!」

 出待ちしていたファンや、通行人が、思わぬ有名人の出現に簡単の声を漏らす。同時に、アイパッチの女が、魔導師学校の生徒を蹴り倒した!

「よおく聞いて下さいね。この少年は、IVNのメンバーを、あろうことか襲おうとしたんです!」

 一気にざわめく人々! ミラはその反応にほくそ笑むと、さらに続ける!

「ですから、今後出入り禁止になりまーす。憲兵団にも通報いたしますので、よろしくおねがいしますね!」

 直後、図ったようなタイミングでランスが悠々と歩いてくる! おまけに、駐屯兵まで連れているという念の入れようだ!

「こいつかい。フン、ガキの癖に大胆なことだ。連れて行け」

 ランスは大きな鼻を鳴らすと、ぐったりと抵抗する様子もないその生徒を縛り上げさせ、そのまま連れて行ってしまった。

「旦那さん……どうしましょう」

「僕は、ランスさんに事の次第をそれとなく聞き出してきます。セリカのとこの生徒さんなんですよ……見逃したら、なんて言われるか。フィリュネさん、あなたは、あのアイパッチの女の正体を掴んでください」

 フィリュネは無言のまま頷くと、素早く人混みに紛れていった。






 絶望に打ちひしがられたケントは、回りが何も見えていなかったが、ようやく気づいたことがひとつあった。いつの間にか、駐屯兵がいなくなっている。縄を打たれた自分と、その縄を引っ張るランスの姿のほかない。

 イヴァンの中でも一番の大通りであるアケガワストリートを少し外れてしまえば、そこはたちまち薄暗い裏通りだ。自分もまた、その裏通りを歩いていることを気付かされたのだ。

「入んな」

 どすの利いた声で、雑居ビルの裏側を通り、木戸を押し開ける。大いに見覚えのある場所だ。そう、ここはトゥエンティーワンシアターの裏側。サーシャと愛を語り合った、思い出の場所だ。

 そこで待っていたのは、サーシャではありえなかった。先ほど冷酷にも自分を叩きだしたミラが、自分とサーシャが座り込んでいた場所に腰掛けていたのだった。

「今通ってきたルート。ぐるぐる回ったんだと思うけど、実はトゥエンティーワンシアターの裏口抜けてすぐの狭い路地と繋がってるの」

 ミラは手帳くらいの大きさの鉄のケースを開けると、細いタバコを取り出し、咥えた。そしてその先に、細い指をちょんちょんと当てる。ランスは懐から携帯火種を取り出し、蓋を開けてやった。火が点き、甘ったるい紫煙の薫りが漂う。

「プロデューサーは寂しがりやなの。真似してタバコをやるようになったら、喜んでくれた。でも癖になっちゃって。時たまこうしてここで吸ってるんだけどね。……そうしたら、サーシャとあなたがいた」

 妙に落ち着いた素振りに、ケントは思わず足を踏み出しそうになった。彼は男だ。同時に弱い少年だ。あのプロデューサーや、この憲兵官吏には叶わぬ事は明白。だが目の前の全ての元凶たる女を殴るくらい、許されていいはずだ。彼の中にあったのは、そういう怒りだった。だが、ランスが固く肩を掴んでおり、それ以上身体は前に進まぬ。

「やあね。乱暴はダメよ。でも……私も、プロデューサーのあのやり方は少し気に入らないわ。だから、私がチャンスをあげる。サーシャと添い遂げるための、チャンスを」

 ケントはランスを振りほどき、ミラへと駆け寄る! つまづき、転び、這いずって、ミラの足にすがりつく。ケントは、涙すら流していた。沸騰するような怒りは、めくり返って涙へと変わっていた。

「ほ、本当に?」

「ええ。私はリーダー。責任があるわ」

 紫煙を吐きながら、ミラは微笑んだ。ケントには文字通りすがりつくほかなかった。ケントは孤独な少年であった。勉強以外に何も知らず、友人も少なかった。その少ない友人と共に行ったIVNのコンサート。地味で、立ち位置も奥。ダンスも、キレは他の者とくらべて悪かったように思う。だが、その姿は一人だけ光り輝いて見えたのだ。

「お願いします……僕には……サーシャしかいないんだ……」

 その光を、彼にとっての唯一の光を、失うわけにはいかなかった。

「契約成立ね」

 ランスは、どことなく非難めいた視線を彼女に送っていたが、ケントにはそれに気づく余裕も残されていなかった。

「明日、またここに来なさい。チャンスは一度きり。夜に一人でね」





「なぜあんなことを言った」

 ランスは笑いもせず言った。ミラは油断ならぬしたたかな女だ。ダンスや歌の実力ももちろんだが、他のメンバーやスタッフとの関係構築や、プロデューサーたるアンナへの取り入り方の上手さも並ではなかった。IVNという異様なシステムで構築された組織を、すぐに完璧に読みきったのは彼女だけだ。だから、恐ろしい。彼女は人を操る。操られたことすら、他人に気づかせずに。

「ねえ。もしもの話だけど……公演の前に悲劇が起これば、公演はそれだけ盛り上がると思わない?」

 細いタバコを指ではさみ、押し込めるように笑う。ランスは、アンナと長い付き合いだ。それこそ、ただの悪党だったころからの。このミラという女は、アンナのコピーだ。悪辣さも、人を操る力も、彼女に負けずとも劣らぬ。

「ねえ、ランスさん。これは私のアイデア。プロデューサーはこんなこと考えていないかもしれないわ。でも、私はサーシャのようにスカした女は大嫌い。ファンと乳繰り合うような、プライドのないところも、グズグズ地の底でくすぶってる感じも、ぜえんぶ大嫌い」

 彼女は笑う。既に日は傾きかけている。血のような夕日の光が、彼女の不気味な笑みを逢魔が時から浮かび上がらせる。

「口には出さないけど、プロデューサーもたぶん、それを望んでいるわ。ランスさん、あなたも悪党なら、安全圏にいるだけじゃダメよ。それじゃ、カネはつかめない」

 赤い光を飲み込む、金色の放物線。高貴な音を影に散らしながら、金貨が三枚転がった。それをランスが拾い、その場はお開きとなった。そして彼がその小さな空間から出てきたのは、既に夜に差し掛からんというところになっていた。

「や、ランスさん。奇遇ですねえ」

 のんびりとした声。路地の影から、男が一人ぬっと現れる。剣を帯びたその姿。同じ憲兵官吏のジャケットを着た若い男に、ランスには大いに見覚えがあった。

「ドモン……おまえ、なぜここが」

「いやね、さっきの生徒さんなんですがね。教師をやってる妹が担任をしてる子なんですよ。見てましたよ、さっきの騒動。気になっちゃいまして。この辺りで耳をそばだてていたんです。開放してくれたみたいなので、安心したという次第なんですよ。ところで……ミラさんとは、どんなお話を?」

 ランスはまたもあからさまに苦い顔をした。完全に聞かれた。ランスは暗がりで剣の柄に手を伸ばしかけ──やめた。

 こいつはクズだ。憲兵団きってのお荷物。小悪党。ならば、この場に出すのは刃ではない。苦い顔を僅かな笑みに切り替えながら、ランスは懐に手を突っ込み──金貨を一枚差し出した。

「さっきのガキはもうお咎め無しだ。忘れろ」

 ドモンは卑屈そうに笑い、それを受け取り、右袖口のポケットにしまった。ランスもまた笑った。やはりクズ。救いようのない小悪党。ミラの言葉を借りるのなら、悪党でも危険区域にいなければ、ちいさなカネしか掴めないのだ。

「や、きれいさっぱり忘れました。もうすっきりさっぱりと。いやあ、物忘れが激しくて困りますよねえ。では……」

 ランスはそのまま、別の方向の暗がりへと消えていった。ドモンはそれを注意深く見つめた後、ため息をつく。確かにミラの声は聞こえた。しかし、扉に阻まれ詳しくは何も分からなかったのだ。先程のは、単なるブラフ。完全には実らなかったが、一つだけわかったことがある──ミラと、ランスはグルだ。

「……いやなことにならなきゃいいんですがね」






 そして、ケントにとって──そしてサーシャにとって、運命の日が訪れた。ミラが手引きするという言葉を信じて、ケントはあの場所へ訪れた。人目を気にして、真夜中。トゥエンティーワンシアターの裏側の、狭い空間。確かに、待っていた。サーシャが。彼女は泣いていた。ケントも泣いた。彼は彼女の手を引き、狭い空間を飛び出し──細い道を抜ける。

 その全てが、幸せだった。理不尽からの逃亡。狂おしいほどの退屈な日常からの脱却。二人は、暖かな手を握り、夜の街をかける。イヴァンからは、出て行かねばならぬだろう。だが、二人ならどこであっても幸せに暮らせる。

「幸せかな、二人共」

 アケガワストリートを抜け、南大門へとたどりついた二人を待っていたのは、絶望そのものだった。ランスと、ミリィ。二人の逃亡は、そこまでだったのだ。前後を阻まれ、どこに逃げることもできない。何もかも、折り込み済みだった。ミラの言葉は──罠! ギラリと光るランスの剣と、ミリィのナイフが、それを物語っていた!

「どうして……なんで! ミラは南大門に行けば、迎えが待ってるって」

「迎え?」

 ミリィは笑う。闇の中から静かに、絶望だけを携えて。

「我々が迎えさ……言うなれば、地獄への道先案内人といったところか。彼女はリーダー。プロデューサーの腹心さ。裏切るわけがないだろう」

 一瞬の出来事だった。

 ミリィに襟首を掴まれ、もがくケント。サーシャは、ランスの刃を突き立てられ、地面に転がった。ケントは声も出せなかった。もがく以外に何も出来なかった。サーシャの命が尽きるその最後の瞬間まで、目から涙を流しながら焼き付けていた。同じ目で見た絶望を、さらなる形で焼き付けられたのだ!

「どうだ、少年。どんな気分だ? 私が、あのプロデューサーとなぜつるんでいるのか……教えてやろうか?」

 ミリィは、三白眼に歓喜を滲ませ、口角から泡を飛ばしながら、ケントの前髪をぐいとつかみ顔を引き寄せた!

「それはな……お前みたいな世間知らずのガキを……好きなだけ地獄に叩き込めるからだよ。だが……女をただ娼館に叩き込むだけじゃ、もう満足できない。お前は知らない名前だろうが、ユンを叩き込んだ後……仕事に慣れた頃の彼女をブチ殺した時は最高だった……今は、その二倍は、楽しい、よッ!」

 言うが早いが、ミリィは刻印の入ったナイフの刃を一気にケントの心臓めがけ押しこむ! 見開かれるケントの目。愉悦にさらに歪むミリィの三白眼。刃が抜かれ、血が溢れ、ケントは地面に転がる。既に命を失った、サーシャの濁った目が、伸ばした手が、ケントの視界に入る。後数センチ手を伸ばせば、届く。だが無慈悲にも、その手をミリィは踏みにじった!

「残念だったな少年、触れてはならぬ領域をわきまえることだ……」

 彼女はケントが事切れたことを確認してから、満足気に笑った。声を上げて。本来ならば、聞かれることは無かっただろうこの狼藉は、『アイパッチの女』を追跡していた、フィリュネの目からは逃れ得なかった。

 彼女は非力で、無力だ。だが殺しが出来ないわけではない。それがまた、無力さを痛感させた。だが、やれることはある。ケントと、サーシャの無念を晴らす、唯一無二の方法が。

 彼女の羽織るフードは翻り──神父イオの教会へと、静かに向かっていった。

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