ドモン、ヲタ芸を極める(Bパート)
イオは珍しく昼間から色街をぶらぶらと歩いていた。もちろん仕事だ。布教活動は神父としての絶対的な活動であり、時間や場所に例外などない。この閉鎖的な風俗街である色街でも、それは変わらぬ。
そして色街は意外に早く営業を始めている。高位の貴族や騎士の中には、外泊にすら許可がいる者も少なくないのだ。そうした者達は、日が高いうちからこの色街へと繰り出し、日が暮れるまで女の子と遊ぶのが、この色街の昼の顔なのである。
「あら、イオちゃんじゃない!」
裏返った野太い声。入り口でキセルをふかす細身の男が一人。いつのまにやら、いきつけの娼館『マリアン』の前まで来ていたらしかった。どのみち目的地には違いない。イオは支配人に顔を覚えられているくらい、この店の常連なのである。
「これはこれは、支配人さん。いやあ、布教に熱中するあまり、このようなところまで来てしまうとは。私もまだまだ主への信仰が足りぬと見えます」
「御託はいいわよ、イオちゃん。そんなことより、ちょっと困ったことがあってねぇ」
くねくねと困り顔で頭を抱える支配人に、とっさにイオは釘を差した。
「俺はツケはしてねェぞ」
「違うわよ。あなたが金払いがいい上客だから頼みたいことなのよ……新人さんがね、一昨日から入ったんだけど……」
新人。イオは口の中でつぶやくと、支配人の肩を掴み詰め寄った!
「……いい女か」
「いい女よ。保証するわ」
イオは何やら脳内で打算を始める。この色街で『新人』というのは、実は危ない触れ込みなのだ。色街の女が魅力的なのは、男の事を深く理解し、一線を引いた手の届かぬ雰囲気や、その道の玄人だからこそ味わえる快楽など、いずれも素人女にはないものを持っているからだ。新人には当然、そんなものはない。逆にルールが分からず、金を払っても素人以下のことさえままある。もちろん、どこにでも需要というものは存在しているもので、そういった女がいい、と宣言するものもいる。
ともあれ、支配人はいい女だという。よほど、外見がいいか……もしくは他の娼館から流れてきたか? 女遊びのプロたる自覚のイオにとって、脳内での打算終了までこの間わずか一秒も無い。
「よし。案内たのむ」
即決!
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。事情があんのよ、事情が」
そう言うと支配人は、イオの手を引き、娼館の事務所に招き入れる。ふかふかのソファに座らせると、従業員を呼びつけるとコーヒーを淹れさせ、お茶菓子までつけてきた。なんたる好待遇!
「で、事情ってェのはなんだい」
「実は、普段とは違うルートで雇った新人さんなんだけどね」
普段このマリアンでは、自ら志願して娼婦となる女性のほうが多いのだという。なにせ老舗かつ優良店、評判はイヴァンでも指折りだ。こうした風俗街は総じて『苦界』と呼ばれ、忌諱されることが多いが、それでもこうした稼業で金を稼がねば生きて行けぬ女達がいるのも確かである。そうした女達にとって、少しでも良い職場を選ぶのも、ひとつの選択なのだろう。
「……実は最近、おかしな人が女の子を連れてくるの。結構美人なんだけど、右目に黒い眼帯をつけた女の人よ。不思議と、いろんな種類の美人を連れてくるのよね。女の子についたお客さんからの評判もいいらしいの」
その女が連れてくる女の子を雇った娼館は、たちまち大評判を取るようになり──人気のあまり、あれよあれよと身請けされてしまう始末だと言うのである。
「別にいいじゃねェか。女盛りの最中に身請けられりゃ、高い契約解除料で娼館は儲かる。女だって、自分を腐らせずに済んで、万々歳ってもんだ」
「そういうこと。わたしだって、こんな稼業でしょ。どうせならみんな幸せな方がいいに決まってるわ。で、その新人さん。例の眼帯女が連れてきた子なの。ウチも、恩恵に預かってみようって、営業努力をね。で、確かに可愛い子なんだけど、他の店に来た子の前評判と比べると、なあんか変なの。どうも、覚悟が足らないというか、なんというか。このままじゃ、ウチの信用に関わってくるわ。で、イオちゃん顔はいいでしょ。美形となら抵抗ないだろうし、そこから慣れてもらえたらと思ってね」
「顔も、だろ。それ以外ダメみてェじゃねェか」
「嘘は言ってないわよ」
支配人はそういうと、従業員を呼び、連れてくるよう短く指示した。イオは茶菓子として出されたチョコレートをかじり、ぬるめのコーヒーで流し込む。そこまでしておいて、彼は頭を抱えた。これから寝床を共にするのに、コーヒーなど飲んだらまずい。口臭がよろしくないのではないか……そんな事を考えていると、一人の女が入ってきた。
小柄だが、目鼻立ちのはっきりしている少女だ。まだ十代といったところだろうか。娼婦特有のはだけやすい作りの、薄手の丈の短いドレス。大きなくりっと丸い目は、どこか怯えているような印象を思わせる。しかしそれを差し引いても、美人であった。
「ほーら。お客さんに会ったら、まずは自己紹介でしょ」
びくっと少女は身を震わせ、おずおずと頭を下げた。
「ユ、ユンと申します」
「……支配人。こりゃまた……あんたもアレだな。趣味がいい」
イオは率直な感想を述べ、支配人はにんまりと笑みを見せた。イオは立ち上がると、彼女の腰にそっと手を添えた。あくまでも添えるだけだ。触れはしない。それでもユンは、少し身を強ばらせたような気がした。
「部屋は?」
「三階の突き当たった部屋。これ鍵ね」
支配人は鍵を渡しながら、イオの耳にそっと言葉を添えた。
「……うまく説得してくれたら、お金はいらないから」
イオはそれに、いやらしい笑みで返した。もちろん、ユンには見えない角度である。イオは顔を使い分けるのが上手い。得てしてそういう男は、女遊びにも長けているのだ。イオはその極地にいると言えた。
階段を登り、廊下を歩き、部屋の扉の前まで来ても、彼女は何も喋らなかった。緊張しているのはわかるが、それにしたって何か喋ってもいいものだ。男と女が共に寝るというのは、一種のコミュニケーションだ。いきなりことに及ぶのはスマートではないし、相手も自分も共にそれぞれの事をよくわからぬでは話にならない。巨大なベッドが目の前にでん、と現れる。貴族が寝るような、天蓋付きのものだ。気分を扇情するような、赤系統でまとめられた壁や調度品。イオはそこでようやく、彼女の肩に触れた。
「やっ……」
ユンは手を弾き、壁に背中をくっつける。まるで猫か何かだ。イオは苦笑しながら、カソックコートを脱ぎ、コート掛けに掛けた。そして手を軽く広げながら、ゆっくりと彼女に近づく。
「こ、こないで……」
「何がそんなに恐ろしいのですか」
イオは聖職者めいて言った。大げさな舞台役者のように、道に迷った子羊に教え諭すがごとく。彼女は恐ろしさからなのか、涙すら浮かべていた。
「わたしは……わたしはこんなことしたくて、してるわけじゃない……」
イオは彼女の目線を合わせ屈むと、ゆっくりと彼女の頬に手を当て、涙を親指で優しく拭った。
「大丈夫です。私に全てを委ねると良いでしょう」
「神父様、違うんです……わたし、本当はこんなところで働くなんて、思わなかったんです。その、元のところに戻してやるから、別のところで働けって……」
「元のところ? 元のところというのは?」
雲行きが怪しくなってきた。イオは彼女の手を引き、ベッドにゆっくり座らせた。そして自分は部屋に備え付けてある椅子を引きずってくると、彼女の目の前にそれを置き、自分はそこに座った。話を聞く必要がありそうだからだ。
「あの、バレたら、まずいんです。だから……」
「結構ですよ。私は神父。懺悔する者を問い詰める気はありません」
その言葉とロザリオの輝きに安心したのか、ユンはゆっくりと、吐き出すように、懺悔を始めた。彼女は、とある場所で働いていたのだという。いわゆる芸をするチームであり、彼女はその一員だった。そのチームには掟があった。二週間に一度、観客にアンケートをとり、ランキングを作るのだ。そして、最下位を三度連続して取った者は、チームを辞めなくてはならないのだ、という。
「ランキングに残るためには、みんななりふり構わないんです。お客さんと、その……寝る子もいるんだとか。投票権はお金で買えるので、お金持ちの『旦那』さんを味方にして、生き残る子が大半だって」
「しかし、そこまでしてどうして……」
「どうしても、舞台に立ちたいんです」
ユンは、絞りだすように、涙混じりにそう言った。
「私、昔から、歌が得意で……踊りはそんなでも無かったんですけど、どうしても歌手になりたかったんです。でも、バーの歌手はどこも間に合ってるっていうし……そのチームは、たくさん女の子を集めてたから、私も入れたんです。舞台にも立たせてもらえました。……でも、そういう人気取りが必要だなんて、私知らなくて……ここで働いて、出てくるだけの器量があるなら、またチームに入れてもらえるって言われたんですけど……」
不憫な子だ。おそらく、何をするかろくに知らされずにここに連れて来られたに違いあるまい。イオはさり気なくベッドに移動すると、彼女の隣に腰掛けた。
「私は神父。神に仕える者として、あなたにできることはこうして懺悔を聞くことのみです。そして、この店に来た客として、あなたにこのベッドの上で手解くくらいのものでしょう」
「……神父、それでまさか」
「最後までいったよ、俺は。そりゃあおめェ、いくだろ。男だぜ俺は。なおかつソニアおめェ……タダだぞ。タダ。間違いなく初物だからな、多少物足りねェとこもあったがよ。辛いかもしれねェが、初っ端から脂ぎった豚に抱かれてスタートより、マシってもんだろ」
教会の聖堂。ベンチに寝転がったまま、イオはソニアに対し、戦勝報告を行っていた。あの娘もどうあれ、これからの商売に覚悟を持つことだろう。色街で働く女は強い。逆に言えば、強くなければ生きてはいけぬのだ。
「お前、手をだす範囲が広すぎやしないか。女の幅を広げるのは一向に構わんが、人数の方を増やすと後で泣きを見るのはお前だぞ」
ソニアが実に年長者らしい落ち着いた意見を吐くが、イオはどこ吹く風だ。生きるも死ぬも、人生はどちらに転んでもつらいものだ。少しでも好きな様に生きられれば、それでいい。それが神父イオの人生哲学でもあった。
「ま、気になったらあんたも様子見に行ってやってくれや。いい子だぞ。俺が保証する」
「神父さんに保証されても、あんまりいい気しないと思いますよ、その子も」
フィリュネが給湯室から紅茶を載せたトレイを持ち、二人に差し出す。彼女が淹れる紅茶はなかなかのものだ。教会の奥には給湯室が備えてあるのだが、何分シスターもいない男やもめの教会だ。埃を被ってそのままになっていたのを、フィリュネが使えるよう片付けたのだった。
「それにしても、怖いですね。そのチーム。最下位になった人を辞めさせて、色街に売り飛ばすなんて」
「ああ。頑なになんてチームかは言わなかったがよ。口ぶりから言うと、なんだかはやりのチームみたいだったが……よくわからねェ」
紅茶をふうふう冷ましながら、イオはベンチの上であぐらをかき、飲んだ。なかなかうまい。これで、茶菓子でもあれば最高なのだが。
「そういや、旦那はどうしたんでェ。いつもなら見回りついでにサボりにくるころだろ」
「ついでにケーキかなんか持ってきてくれるはずなんですけど、来ないですね。ソニアさん、何か聞いてません?」
ソニアは紙巻たばこの巻紙に煙草の葉を入れて、くるくる巻きながら興味なさそうに言った。
「知らん。店を出してた時も確か会わなかったはずだが」
彼はストックのたばこを作り終えて満足したのか、冷めない内に紅茶を口へ運ぶ。同時に、すぐに口からカップを離した。
「……あの、口に合いませんでした?」
「違う。俺は猫舌なんだ」
階段を下る度に、楽しげな音楽が聞こえてくる。
ここは、イヴァン南大通りアケガワストリートのど真ん中にある、トゥエンティーワンシアターである。一階部分は劇場となっているが、地下一階は劇場の舞台装置、アイドル達の控室──そして、オーナー・アンナの私室兼執務室がある。劇場だけあって、防音設備がしっかりしているのが自慢だ。
「プロデューサー……ダメよ」
女が吐息を漏らす。巨大なデスクの奥、革張りのふかふかなチェアが、ギシギシ揺れていた。座っているのはアンナ。そして彼女の膝に座っているのは、
IVNの人気ランキング不動の一位にしてリーダーの女、ミラだ。
「何がダメなんだ? ハニー。こうしてアタシの膝に乗ってるってことは、可愛いところを見せに来てくれたんじゃないのか?」
そう言うとアンナは、左手でミラの顎を持ち上げ、這わせた。恍惚とした表情のミラの首をぐいと寄せ、そのまま口づけた。ステージの上で踊るときの衣装。へそ側から上着に手を差し入れ、ミラはアンナの手のひやりとした感覚に小さくあえぐように声を漏らす。
その時である。ドアがノックされた。アンナは舌打つ。
「何だ」
「俺だ。入ったらマズいか」
どこか間延びした中年男のだみ声。再び彼女は舌を打つ。ミラはすこしばかり残念そうな表情を作り、彼女から降りると、衣装を手慣れた様子で直した。
「入んなよ」
するり、と入ってきたのは、白髪交じりのもじゃもじゃ頭の中年男だった。白い憲兵官吏の印のジャケットを着ており、少し腹が出ている。
「なんだい、ランスの旦那のお出ましかよ」
「悪いか、エッ?」
ランスは応接セットのソファーにどっかと横柄に座ると、置いてあった灰皿を引き寄せ、携帯火種で──簡易魔法によって、タバコに簡単に火を点けられる流行りのグッズだ──勝手にタバコをやりはじめた。
「悪いな、ハニー。旦那の隣に座ってやりな」
ミラは少し不服そうな顔をしたが、アンナの言うことに逆らうつもりは無いようだった。ランスはやはり横柄に隣に座ったミラの腰に手を回し、彼女と対照的に満足そうに紫煙を吐いた。
「で、どうしたんだい旦那」
「折り入って話がある。……ミリィだ。あの女、ちょっと考えねえとマズいかもしれねえ」
アンナは葉巻にランスの携帯火種で火を点けると、部屋中に広がりそうなほど大量の紫煙を吐く。ランスは眉を潜めたが、もう慣れた光景だ。
「旦那。レディはアタシの腹心だぜ。レディがやることを旦那、アンタがマズいかもしれねえなんて、アタシに直接言うとは穏やかじゃねえ」
「お前の当初の目的は、IVNの競争のためだったんだろ。それこそやる気を出させるために、娼館に叩き落としてでも……ってな」
「ああ」
「しかし、ミリィのやつ……それ以外に方法をしらねえのか、何度も娼館に入れやがる。当初は、なんか研修代わりの……地方公演で一定額稼ぐとか、そういう方法だったんじゃねえのか、二十二番目落ちは。ミリィは、お前の指示通りだなんて言いやがって、聞く耳持ちゃしねえ。憲兵団も馬鹿じゃねえぞ。この場所に劇場をぶち上げるのだって、俺が色々口を利いてやってんだ。下手な事をしてみろ、いずれ……」
「おい」
アンナは不機嫌そうに、低い声でランスの言葉を制した。ランスは身を一瞬震わせ、口を閉じる。
「旦那。いずれ、なんだ? バレたらあんたが腹切って、アタシとレディがちょっと高いとこに上がってぶっ殺される。火炙りか槍で突き殺されるか。二つに一つだ。それが不安か? 何当たり前の事言ってんだ。そりゃあそうだろ、アタシらはワルだぜ。殺られる時は殺られる、早いか遅いか、それだけのこった。アンタが話に乗ったのを後悔しても、いまさら遅いってもんだぜ」
ランスは気に入らないとでも言いたそうな表情を隠さず、ぶっきらぼうに言った。
「別に後悔をしてるわけじゃねえがよ……俺は憲兵団で甘い汁を吸い尽くしてからおっ死ぬつもりなんだ。つまらねえことで、まだ腹を切るわけにゃいかねえぞ」
アンナは葉巻を左手でつまみもったまま、くつくつと喉を鳴らした。
「バーカ。アタシがそんなヘマをアンタにさせるもんかい。簡単な事だ。ミリィにはアタシから指示して、今後二十二番目を娼館へ送り込むのはやめる。いよいよ、IVNは帝国中に羽ばたく準備ができたんだ。クリーンなイメージにしねえとな。今度の噴水広場公演は、規模は小せえかもしれねえ。だがよ、御天道様の下で、アタシのプロデュースしたアイドルが、お上ご公認のもと、大手を振って公演できるんだ。意義はそっちの意味で、大きいってもんさ」
葉巻の灰が灰皿に落ち、アンナは笑う。彼女の人生は、博打とスリルそのものだ。うまく行かずに死んでも、それは悪党たる自分の末路だと覚悟している。だからこそ、彼女は恐ろしいとランスは思う。どんなに他者をひどい目に合わせても、自分の良心は少しも傷まないのだ!
「……しかしよ。確か先週も二十二番目落ちした女がいたろ。あいつはどうなる。もう既に娼館へ送っちまってるみたいだぞ」
聞いてどうなるわけでもない。そして、付き合いの長いランスには、彼女がどう言うかなどよく分かっている。だから、アンナは答えなかった。
「それよりい、プロデューサー。サーシャの事なんだけど」
ミラは、そういった空気を切り裂くように、甘えるような口調で切り出した。彼女は特にアンナのお気に入りで、実力も人気も兼ね備えているという事もあり、度々アンナのこうした『悪党』めいた側面にも口を出すのだ。
「サーシャ? ああ。今の二十一番目か。先日、『説教』しようと思ったんだが、逃げられちまったよ。ああも聞き分けねえんじゃ、今後の見込みもねえ」
アンナはぴしゃりとそう言うと、再び葉巻に口をつけた。そんな彼女の隣に、ミラは素早く移動し、先ほどの焦らされたうらみを晴らすように彼女にすがりつく。
「違うの。気に入らないのよ、あの子。私の食事会にも全然来ないし、『旦那』を探せってアドバイスも聞きゃしない。ダンスだって二流だし……それにあの子……規則違反をやってるらしいの」
アンナは俄に眉を潜め、彼女の腰に手を回し、まっすぐに目を見つめた。トンボメガネの下から、鋭い瞳が彼女を突き刺す。その視線だ。その視線が、ミラを、IVNの女を狂わせるのだ。
「そりゃ、聞き捨てならねえな。……ミラ、リーダーとして報告してもらおうか」
アケガワストリートは、あいも変わらず様々な人々が行き交い、賑を見せていた。露天でリンゴを買ってかじりながら、ドモンはうろうろとストリートを歩く。目指すは、トウェンティーワンシアターだ。気乗りはしないが、ガイモン直々にくだされた命令に背こうと考えるほど、ドモンの頭は悪くはできていない。
その時であった。ドモンは前から歩いてくる一団に、大いに見覚えがあった。帝国魔導師学校の制服を着た男子生徒三人組を引率するように、セリカが混じっているのである。まさしく、ばったり会ってしまった形だ。
「お、お兄様!」
どことなく顔を不機嫌そうに変形させるセリカに、ドモンはへいこらへりくだった態度を見せる。ましてや生徒の前だ。何か恥をかかすわけにはいかない。そうでなくとも、セリカはドモンの生活態度を、目の敵にしているのだ。
「や、セリカじゃありませんか、一体……」
「どうしてこのようなところに。お兄様、まさかとは思いますが……サボっておられるのでは無いでしょうね」
そう言うと、セリカは生徒達に見えない角度で睨みを利かせた! おかしな事を言えば、帰ってからがマズいことになる!
「ま、まさかあ。僕がそんなにいつもサボっているように見えますか?」
「……生徒たちの前です。あまり私を怒らせないでくださいまし」
ドモンはおほん、と咳払いをしてから、少し胸を張るように言った。
「実は、ここのアイドルの警護を頼まれたんです。これからプロデューサーさんに、挨拶に行くところなんですよ」
おおお、とセリカを含む生徒たちの感嘆の声があがる。ドモンにとって見れば一か八かだったが、どうやら思った以上の効果があったらしい。
「先生のお兄さん、凄いんですね!」
生徒の一人が言う。ドモンもまた照れつつ謙遜しようとしたその時、人々からわっと歓声が上がった!
「おい、IVNのメンバーだぞ!」
「全員出てきてるぜ!」
IVNの地下劇場『トゥエンティーワンシアター』はその実地上二階建ての建物だ。二階部分のベランダから、可憐なるIVNメンバー達が、地上へと手を振っているのである。
生徒達とセリカは、ずらりと並んだメンバー達がよく見える位置へと移動すると、手を千切らんばかりにぶんぶん振る! なんとも異様な光景だ! それもそのはず、ドモンはIVNのことなどよく知らぬ。知っているものから見れば普通やもしれぬが、今目の前で狂乱めいて手をふる人々の姿は異様そのものだ!
「皆さん! トゥエンティーワンシアターに来てくださってありがとう御座います!」
「ミラだ! こっち見てくれ! うおーい!」
セリカの隣の男子生徒が、ひたすら大きな声でぶんぶん手を振る! 他の人々も、各々のメンバーの名をチャントのごとく叫び、ドモンはなんとなく見ていられなくなり、背を丸めて地下へと続くシアターの階段を降りる。
「あ? なんだ。ドモンじゃないか」
目の前に現れたのは、ドモンも見知った顔であった。憲兵官吏のランス。四十絡みで白髪交じり、中肉中背の中年男だ。
「や、これはランスさん。どうしてここに?」
「そりゃお前……こっちが聞きたいくらいだ。管轄が違うだろお前」
くわえタバコのまま、不機嫌そうにランスは言う。確かに、ランスの管轄はアケガワストリートの付近なのだから、ここにいてもなんらおかしくはない。ドモンのほうが場違いなのだ。
「や、実は。ガイモン様から、今度行われるなんとかっていう……さっきベランダに出てた」
「IVNトゥエンティーワンな」
すかさずランスが口をはさむ。
「そう、それです。で、そのIVNの公演の、警護をするように言われまして。プロデューサーのアンナさんに挨拶をと」
「なんだそりゃ、聞いてねえぞ……」
そうぼやきながら一瞬苦い顔をしたランスの表情を、ドモンは見逃さなかった。しかし、引き止めておく義理など何も無い。ランスもまた、それ以上ドモンに何か言うような用を持ち合わせていないようだった。
「あの、ランスさん」
すれ違うランスの背中に、ドモンはのんびりと声をかけた。苛立った表情のランスが、凄みを利かせた顔で振り返る!
「プロデューサーさんのお部屋は、どちらに?」
「そこの突き当りを右に曲がったところだ。さっさと行けよ」
ドモンはへらへらと笑みをうかべたまま、怒り肩をさせたランスの後ろ姿を見つめていたが、彼の姿が見えなくなったところで、やれやれと小さく呟き、ため息をついた。押しが強い人間は苦手だ。ドモンは彼に言われたとおり、薄暗い地下通路を進む。途中何人かスタッフらしき人間とすれ違いながら、さらに突き当りまで進む。『事務室』と書かれたプレートの下がった扉。ノックすると、廊下まで聞こえそうな盛大な舌打ちが響き、ドモンは一瞬身体を震わせた。
「誰だ!」
なんたる横柄で乱暴な返事! ドモンはマイペースにそれに答える。
「すいません。イヴァン憲兵団憲兵官吏のドモンと申します。例の、警備のお話を伺いに……」
「入んなよ、旦那」
やはり横柄な返事! ドモンは眉一つ動かさず、扉を押し開けた。デスクに足を投げ出し、口元には火の点いた太い葉巻。口の間から紫煙を吐きながら、アンナは彼を迎えた。ドモンはその雰囲気にさすがに少々恐縮したような素振りを見せ、会釈した。見ると、紙巻きタバコの灰で満載になった灰皿が、応接テーブルに載っかっている。その目の前でうなだれている女が一人。肩越しまで伸びた金髪。右目にはアイパッチ、もう片方の目は寒々しさすら感じる三白眼だ。黒いマントの下は、女らしさの無いモスグリーンの戦闘着めいた動きやすそうな服に、黒皮のコンバットブーツ。どう見てもカタギではない!
「アンタが、ガイモン様の使いかい」
「や、まあそういうことです。で、言われたので来ましたけど……僕は一体何をすれば」
ドモンは立ったままちらちらと応接ソファに腰掛けうなだれた女をチラチラ見る。さすがにきまりが悪い。女は微動だにしないし、しゃべりもしないのだ。どこか不気味な雰囲気すらある。
「……そっちはミリィってんだ。『面倒事』をいろいろやってもらってる」
「はあ」
「気にすんな。ま、こっち来なよ」
アンナは机から足を下ろし、引き出しを開ける。そこからおもむろに皮の袋を引っ張りだすと、机に放り投げた! じゃらり、と金属の擦れる音が響くと同時に、思わずドモンは飛びつかんばかりに机に詰め寄る!
「これは足代だよ、旦那。受け取ってくれ」
ドモンは恥も外聞もなく、袋を取りじゃらじゃら鳴らした。口角を意地汚く上げると、右袖口の隠しポケットへそれをしまう。なかなか分かっているお人だ。想像以上に、美味しい話のようだった。
「少し話は聞いたかもしれないが、ヘイヴン近くの噴水広場。あそこでウチのアイドルの興行を打つんだ。今しがた、ここに来る時……旦那も見たろう。ファンが多いのは大変結構なことなんだが、熱狂通り越して、どうかしちまってるのもいるんでね。この劇場の中ならどうとでもなるが、もし外で公演をやった時に限って問題が起こっちゃ、これからのIVNはおしまいだ。リスク回避ってやつを、やっておかなきゃならねえってわけさ……」
彼女の紫煙がドモンの顔にかかるのも、気にならなかった。ドモンは革新する。これはまさしく美味しい仕事だ。今後も気に入られれば、多少小遣いをもらえるような立場になれるやもしれない。
「つまり、コンサート中に警備をやればいいんですね」
「そういうことさ。まさか憲兵官吏の旦那がうろついてんだ。無茶をやろうなんて奴が出るもんかよ。なあ? ああ、そうそう。アンタ身内は?」
「妹がいますけど」
「IVNのファンかい? 旦那の身内ってんなら、特等席を取ってやるぜ」
セリカとセリカの生徒の三人組は、まだ外にいるだろうか。もし彼らがいて、その『特等席』のチケットを直接渡せれば、セリカに大きな顔をすることができるだろう。ドモンはニンマリと会心の笑みを浮かべ、言った。
「ではお言葉に甘えて……四人分、チケットお願いします」
ドモンが出て行った後も、ミリィはしばらく口を開かなかった。彼女は考えていたのだ。今後の『始末』をどうつけるのかを。
「アタシも悪かったとは思ってるのさ」
葉巻に口をつけながら、諭すようにアンナは言う。
「このビジネスも、正直こんなに大きくなるなんて考えもしなかった。だが、やるんなら最後まで慎重に、クールに、スマートにやんなくちゃな。違うかい、レディ」
「同意しかねる」
ミリィは涼やかに言った。視線は、机を見下ろし見つめたままだ。
「今更、人道路線を掲げても遅いと思わないか。我々は悪党。私は、最下位のメンバーを娼館へ売り飛ばす方針のほうが、カネにもなるしメンバーのモチベーションの維持にも繋がるから、これ以上の方法はないと考えてる。『鳥が金の石を二つ持ってきた』そういうことわざ通りだぞ」
悪党と名乗りながらも、ミリィは高いインテリジェンスを見せつけてみせた。アンナが彼女を側近としておく理由の一つだ。暴力だけでも、頭でっかちでも悪党には足りぬ。どちらの才覚にも優れてこそ、真の悪党なのだ。
「それも女を食い物にする女だぜ。最高の悪党だろう。……いや、男も食い物にしてるか? 間違いなく今後はそうなるな。IVNに金を落としてくれた男に、メンバーを抱かせてやるのさ。なあに、娼館の女とシステムは変わらねえ」
ミリィは腕を組み、ソファにもたれかかる。おお、影になっていた彼女の顔は異様! 右目アイパッチの回りは醜い火傷、草原に火をつけたごとく広がり、首まで達している!
「最低だな、貴様は」
「ま、実際にはもう少しうまくやるがね……その前にだ。アンタには二つやって欲しいことがある」
ミリィは左腕で腰に帯びた短剣を抜いた。『忠誠こそ我が誇り』の刻印が入った、特製品だ。彼女は帝国の歩兵隊出身であり、女だてらに小隊長まで昇進。騎士への昇格も見えていたが、五年前の帝国内戦時に、新型兵器の誤爆により、全身に大やけどを負い、右目を失ったのだ。治癒師による治療は、負傷者が多数いたため、一般の兵士まで追いつかなかった。彼女はそのまま軍隊を辞した。
今では、正解だったと思っている。この剣の忠誠も、誇りも、彼女には何も与えてくれなかった。所詮この世は、暴力とカネで他者を押しのけることで回っている。自分はその押しのける側に回っただけなのだ。その事実は、単純で、甘美であった。
「殺しか」
涼やかな彼女の声に似つかわぬ言葉。アンナはそれに獣のような笑みで返す。
「そうさ。的は二人。一人は、アンタが娼館に叩き込んだユン。もう一人は……ま、こっちはそれからだな。始末が終わったらまた来てくれ」
ミリィは短剣を宙へ投げ、くるりと回転させた。アンナに負けず劣らずの、まさしく獣の如き笑みであった。
「了解した」
トゥエンティーワンシアターの裏側。建物と建物の間に位置する、いわゆるデッド・スペースである。入り組んだ迷路のような先にあるこの空間を知るものは少ない。もう一つ、ここに至る手段がある。ステージの裏側の、狭い採光窓が、このデッド・スペースにつながっているのだ。
そしてこの空間で、密会するものがあった。
「サーシャ」
少年は愛しい相手の名を呼びながら、女を抱き寄せた。年の頃は、少年より二・三歳年上である。少年の名はケント。セリカの生徒の一人だ。
「ケント……ごめんなさい」
同じようにケントを固く抱きしめる少女は、サーシャ。IVNのメンバーの一人である。まさしく、アイドルとそのファンの逢瀬の真っ最中、絶対に許されぬ邂逅だ。
「謝る必要なんて無い」
ケントは熱っぽく言った。
「僕らは……あ、愛し合ってる。サーシャがアイドルでも、関係ないよ」
サーシャは心底その言葉が嬉しかった。彼女はアイドルであった。歌と踊りで成功したいという夢があった。だが、彼女の歌も踊りも、二流であるということに気づくのには、そう時間はかからなかった。そして、彼女はケントと出会った。彼女は女性である。愛するものと結ばれたいという願いを持って当然であったし、既にケントと添い遂げたいという気持ちの方が大きくなりつつあったのだ。
「私、私……本当に幸せ」
「僕もさ」
ケントは、何の力も持たぬ学生である。平々凡々な人生を送り、これからもそうだろうと考えていた。だが、友人たちといったIVNの劇場でのライブで、懸命に歌い踊るサーシャの姿を見て、心を奪われたのだ。IVNのメンバーには序列があり、序列が上のメンバーはともかく、下のメンバーと仲良くなるのは実は難しくない。ライブの後『握手会』というイベントで、ファンとの交流が図られるのだが、序列が下になれば、交流を図ろうとするファン自体が激減するのもザラなのだ。そうして、ケントは友人たちにも密かにしつつ劇場に通い、ついにサーシャと心を通わせたのだ。
「ケント、実は話があるの」
「なんだい」
夕日がさしこみ、暗がりに落ちる空間の中で、サーシャとケントは並んで座り、話を続けていた。
「私、今度のライブ前にここをやめるつもりなの」
「えっ」
「だって、私ランキング最下位だもの。これ以上続ける意味ないわ」
IVNのファンは、ランキング最下位──つまり『二十一番目』が意味するところを知らぬ。これはメンバーたちに課せられた最低限の秘密だ。ファンにバレるようなことがあれば、あの軽薄に見えて冷酷そのもののプロデューサーは許さぬだろう。同じく最下位争いを繰り広げていた友人のユンは、先日とうとう娼館に送られた。つらい思いをしていることだろう。彼女には悪いが、自分もそうはなりたくはない。
そして、IVNには『見習い』が多数所属している。誰かが抜けたら即補充されるだけの話だ。どうせ、序列の低いアイドルが抜けても、誰も困りはしない。
「ライブは三日後。二日後のこの時間、またここで会いましょう」
ケントははにかんで笑うと、彼女の手を握った。サーシャもまた、彼の手を握り返した。暖かな手。見た目の通り、ケントは優しく奥手な少年だ。こうして手を握り合うことすら、当初は困惑したものだった。だが、サーシャはそんな彼のやさしい手のぬくもりが好きだった。今後は、彼の暖かな手を握って過ごして生きたい。サーシャは、その小さな願いは叶うだろうと、今この時確信していた。