この冬景色を忘れない
「冬が終わっていない?」
世界中を回る旅の商人の女性――アリスは、久しぶりに目にする故郷の様子に驚きを隠せません。
長い行商の旅から戻ってみたら、本来は春を迎えているはずの国が、一面銀世界に覆われていたのです。
こんなことは、アリスの知る限り初めてです。
冬が終わらず春がやってこない。
それは、冬を司る女王が塔を離れず、春を司る女王への交代が行われていないことを意味しています。
王都を訪れたアリスは、街頭へと張り出されていた王様からのお触れを目にしました。
冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。
ただし、冬の女王が次に廻ってこれなくなる方法は認めない。
季節を巡らせることを妨げてはならない。
お触れを目にしたアリスは、すぐさま王宮へと向かい、冬の女王のいる塔を訪問する許可を得ました。
全ての予定を後回しにして、アリスは塔へと向かいます。
「お久しぶりです」
「アリス。行商の旅から戻ったのですね」
塔を訪れたアリスは、冬の女王と数年振りに再会しました。
アリスと冬の女王は、同郷の幼馴染でもあります。
冬の女王様が今の王様に見初められて故郷を離れて以来、疎遠となっていましたが、二人の友情に変わりはありません。
アリスがこうして塔を訪れたのも、幼馴染を思ってのことです。
「驚きました。国はすっかり、暖かい季節だと思っていましたから」
「申し訳ありません。私の我儘のせいです」
「よろしかったら、塔に留まる理由をお聞かせ願えませんか?」
「……そうですね。あなたになら、話してもいいでしょう」
「私になら、ですか?」
「アデルを覚えていますか?」
「もちろんです。よく私達の後ろをついて歩いていた、あのアデルですよね」
アデルとは二人の年下の幼馴染の名です。
兄弟のいなかった二人にとって、アデルは可愛い弟のような存在でした。
「アリス。アデルとは最近会いましたか?」
「いいえ、しばらくは会っていません。ここ数年、各国を回っていましたから。画家としての才能を開花させたとは、噂に聞いていましたが」
「アデルの描く繊細な風景画の数々はとても美しく、宮廷画家の候補にも挙がる程でした。現在は、四季を題材とした風景画の、四作目に取り掛かっていたのですが……」
「アデルの身に、何かあったのですか?」
伏し目がちに語る冬の女王の様子に、アリスも不安でいっぱいです。
「アデルは、重い病に倒れました。一カ月前のことです。余命は、半年程と……」
「アデルが、余命半年……」
大きなショックを受けて、アリスは言葉を失いました。
「アデルは強い子です。彼は運命を受け入れたうえで、今も絵を描き続けています。四季を題材とした四作品最後の一つ。冬景色を」
「もしや、塔に留まっているのは」
「はい。アデルの絵を、完成させてあげたいからです」
病床のアデルの描きかけの絵と、終わらない冬。
アリスは、全てを悟りました。
「病の影響で寝込むことも多く。アデルの風景画は思うように進んでいません。その間に、私が塔に留まる期間が終わりを迎えてしまいました」
「冬が終わってしまったら、アデルが題材とする冬景色も無くなってしまう……」
「アデルの余命は半年。来冬を待つ時間はありません。今冬は、アデルにとっての最後の冬なのです」
「だから、アデルの絵が完成するまで塔に留まる」
「その通りです。運命を変えることは出来なくても、せめて、あの子の最後の作品を完成させてあげたいのです」
「そういうことでしたか」
アデルの絵を完成させたいという冬の女王の気持ちは、アリスにも痛いほど分かります。
「アデルは承知しているのですか?」
「いいえ。あの子には何も話していません。優しいあの子は、自分のために冬が終わらないことを、良しとはしないでしょう」
「……」
アリスは何も言えませんでした。
自分が冬の女王と同じ立場だとしたら、アデルのために同じようなことをしてしまうだろうと、そう思ったからです。
アリスは悩みます。
一人の願いを叶えるために、大勢の人々を困らせてはいけない。
このまま冬の塔に籠り続けていたら、冬の女王の立場だって悪くなってしまいます。
季節を巡らせ春をもたらす。これだけは、絶対に果たさなければいけない。
だけど、それではアデルの絵は完成しません。
春の訪れもアデルの絵の完成も、どちらも実現したい。
行商で世界中を巡り、様々な土地で色々な経験をしてきた自分ならではの解決方法がきっとあるはず。
アリスはそう自分に言い聞かせ、必死に考えを巡らせます。
そして――
「これからアデルに会ってきます」
「真実を伝えるのですか?」
「このままでは、いけませんから」
「アリス……」
「また来ます」
季節を巡らせ、アデルの絵も完成させてみせる。
覚悟を決めた表情で、アリスは塔を後にしました。
「久しぶりね。アデル」
「アリスお姉ちゃん。久しぶり」
故郷の村のアデルの家を、アリスは尋ねました。
杖をついて歩くアデルは、以前会った時よりも痩せており、顔色もあまり良くはありません。
「聞いたよ。具合、あまり良くないんだよね」
「うん。せめて、四季の絵だけは完成させたいと思ってるんだけどね」
アデルの視線の先には、描きかけの風景画があります。
「今は、冬景色を描いているんですってね」
「うん。病気のせいで長時間は厳しいけど、少しずつ冬景色を描き進めているよ。不思議と今年は冬が長いしね」
「アデル……」
真実を伝えるべきか否か、アリスは一瞬悩みますが、国をこのままにしておくわけにはいきません。
「アデル。あなたに話さなければいけないことがあるの――」
アリスは、冬の女王とのやり取りをアデルに聞かせました。
最初は驚いていたアデルでしたが、覚悟を決めたように、だんだんと表情が和らいでいきました。
「そっか。どうりで長い冬だと思ったよ。僕のためだったんだね」
「……あの人を責めないであげて。優しい人だから」
「責めはしないよ。僕を思ってくれてのことだしね。だけど、冬は終わらせないとけない。僕のために、国の人たちに迷惑はかけられないから」
「強いのね。アデルは」
「……出来れば、僕自身が塔に行って説得したいけど、この体じゃ遠出は厳しい。手紙をしたためるから、アリスお姉ちゃんが届けてくれないかい?」
「それは構わないけど、その前に一ついい?」
「何?」
「あなたがいつも絵を描いている場所に、私を案内してくれないかしら?」
「それは構わないけど、何をする気だい?」
「冬は終わらせる。だけど、あなたの描く冬景色は終わらせない」
「どういうこと?」
「私が、景色を切り取ってあげる」
翌日。アリスは再び冬の女王の待つ塔を訪れました。
冬を終わらせてほしいという旨を記した、アデルの手紙も持ってきました。
「こんにちわ」
「アリス。今日も来てくれたのね」
「昨日、アデルに会ってきました。彼から手紙を預かっています」
「アデルに、全て話したのですね」
アリスは無言で頷き、アデルから預かってくれた手紙を冬の女王に手渡しました。
手紙には、国に住む全ての人々のために、冬を終わらせてほしいという願いと共に、冬の女王に対するアデルからの感謝の気持ちが綴られていました。『僕のためにありがとう』と。
「……これ以上、冬を続けるわけにはいきませんね。民のためにも、アデルのためにも」
手紙を読み進める手を止めた冬の女王の頬を、一筋の涙が伝いました。
「私は女王失格です。いけないことと分かっていながら、私情を優先してしまった。民たちにも、申し訳ない気持ちでいっぱいです――」
「例え周りがあなたを責めようとも、私はあなたを許します」
冬の女王の体を抱きしめ、アリスは幼馴染として、全身で気持ちを受け止めました。
国を離れていて、冬の女王やアデルの苦しみに気付いてあげられなかった自分にも責任はあると、アリスはそう思っています。
「私は本日をもって、塔を離れます……アデルの絵が完成出来なかったのは心残りですが」
「絵は、きっと完成しますよ」
「どういうことですか? 私がこの塔を離れ、春の女王が塔に入れば、アデルの描いている冬景色も終わってしまうんですよ」
「これを見てください」
「これは」
アリスから手渡された一枚の紙のような物を見て、冬の女王は驚きました。
そこには、美しい故郷の冬景色が、まるで時間そのものを切り取ったかのように刻み込まれていたのです。
平面の上に、まるでもう一つの世界が存在しているようでした。
「それは写真といいます。異国の商人から譲り受けたカメラという道具を使うことで、写した景色を再現することが出来るんです。この風景は、アデルが描こうとしている冬景色ですよ」
「このような技術があるだなんて」
「行商人である私に出来ることがないかと考えた時、旅の途中で手に入れたカメラの存在を思い出しました。アデルにも、同じ写真を渡してあります。春がやってきても、この写真を見ることで、冬景色を描き続けることが出来ます。手紙の続きを読んでみてください」
アリスに促され、冬の女王が手紙の続きに目を通します。
『アリスお姉ちゃんのおかげで、冬景色を最後まで描けそうです。僕はこの絵を絶対に完成させます』
「あなたは、私とは違う方法で、アデルの力になってくれたのですね」
「アデルは弟のような存在です。私だって、彼の願いは叶えてあげたかったから」
「ありがとう。アリス」
抱擁を交わす二人の顔には、涙が浮かんでいました。
それは悲しい涙ではなく、嬉しさから来る前向きな涙でした。
この日のうちに冬の女王は塔を離れ、春の女王が塔へと入りました。
一週間が経つ頃には順調に雪解けが進み、春の訪れはもうすぐそこです。
二か月が経ちました。国は暖かな春の日差しに包まれています。
アデルはアリスから受け取った冬景色を映した写真を元に絵を完成させました。
美しい四季を描いた風景画は高く評価され、王宮へ飾られることが決定したそうです。
彼の描いた四季の中でも、遺作でもある冬景色を描いた作品は特に評価が高く、名画として後世まで語り継がれました。
『二人のお姉ちゃんへの感謝を込めて』
絵の裏には、アデルの直筆でそう書かれていたそうです。
お終い
冬の童話祭2017用に一作品書き上げてみました。
一応は、目標であったハッピーエンドに導けたかなと思っています。
童話は初挑戦でしたが、色々と新発見があって楽しかったです。
童話ジャンルの作品には、これからも挑戦してみたいと思います。