青髭と冷静な娘
私はエリーシア・コールド。何の変哲もない、ただの町娘だ。裁縫が得意な母と、大柄だが気の優しい木工細工師の父、そして双子である二人の兄とこのアルハドの町に住んでいる。
少し他人より誇れる点は、私が前世の記憶を持っていてそこいらの16歳の少女よりもずっと大人の思考ができることだろうか。両親も二人の兄もエリーは賢いねと褒めてくれるが、同世代の子よりも少しだけ聞き分けのいい子なだけで、他の子を圧倒するような才能や知識は持ち合わせてはいなかった。
お隣のレイラは私よりもずっと美しい刺繍を縫えるし、三軒先のジャンは手先が器用で15歳なのにもうお店に出しても恥ずかしくない銀細工が作れる。裁縫は苦手だし細やかな細工なんてしたこともない私には、前世の記憶とやらはまったく役に立つ代物ではなかった。
せいぜい、日本で培った接客技術で父の作った家具を売るくらいだ。教えられれば誰でもできそうなことを、やや退屈に感じながら惰性で続けていた。
そんなある日、私の元に一通の招待状が届いた。差出人はジル・レイヴァンス。この街で一等お金持ちと名高い、青い豊かな髭を蓄えた青髭と呼ばれる人物だった。
「なんか、お金持ちから手紙が来たんですけど」
招待状にざっくりと目を通すと、そこには私の美しさを称える言葉が紡がれていた。木を削って家具の飾り部品を作っていた長男であるアルフにそれを見せると、兄は今にも吹き出しそうな顔でその手紙の一部を読み上げた。
「エリーシア、君の美しさはアルハドを離れていた私の耳にまで届いている……だってよ。おい、そいつはどこのエリーシアなんだ?」
「少なくとも俺が知っているエリーシアではなさそうだな」
いつの間にか、次男のイーサンまでもが面白おかしそうに青髭からの手紙を覗き込んでいる。二人の態度はあんまりなものだった。
「手紙の宛先が間違ってなければ、兄さんたちの前にいるエリーシアのはずだけど?」
「おいおい正気かよ青髭のおっさん。お前が行く前にいい医者紹介した方がいいんじゃないか?」
「また俺たちからしたらエリーはかわいい妹だが、それはあくまで身内の欲目って奴だからなあ……」
兄たちの言う通り、私の容姿は十人並み程度だった。
たまに日に透ける金髪が美しいと褒められることもあるが、それもあくまで社交辞令。屋外で働いている人よりかは日には焼けていないので白い肌ではあるが、貴族のご令嬢と比較したら容姿も、気品も、教養さえも比べるのが烏滸がましい程度だった。
「まあまあ、そんなことより青髭が俺たち家族をもてなしてくれるらしいぞ」
「タダ?」
「そりゃあもてなしって言うくらいだから金は取らんだろうよ。これで行って料金を請求されたら、青髭の屋敷はいつから高級ホテルになったんだ?」
「タダ飯かー。あの家すっげぇ金持ってんだろ?」
「手紙にも最高級のもてなしをするって書いてある。最高級と言えば肉だ。これは行くしかないだろう」
主賓であるはずの私の意見など聞かずに、兄さんたちの中ではお食事会の参加が決定されたらしい。
着ていく服から始まり手土産は何にするかなど、どんどん話が進んでいく双子を私は必死に止めようとした。
「ちょっと待って、話ができすぎてると思わない?」
「エリーの顔が一周回って気に入ったんだろ」
「そうじゃないにしろ、あれだけの豪邸を持っている青髭からしたら俺たちの食費なんてはした金だよ、はした金」
「もしかして私たち家族に、何か良からぬことをしようとしてるかもしれないのよ」
「いやー青髭が俺たちをハメようと殺そうとあいつに1ペンスの得もないだろ」
「そ、それに、あの屋敷には妙な噂があるのよ? 6人も嫁いでる人がいて、それ以降は誰も姿を見てないって言うじゃない……」
「あれだけ金持ちなら別荘も何個も持ってるって。各地域に一人ずつ現地妻でもいるんだろうなーうらやましい!」
イーサンが大げさな仕草でハンカチを噛む。相変わらずこの兄たちはごきげんな脳回路をしてやがる。握りしめた拳がプルプルと震えるのを横目に、ふと私はあることに気づいた。
これって、童話の青髭そのままじゃない?
私は、それはもうはるか遠い昔の記憶を掘り起こした。
確か青髭はどこかの国の童話で、美しい少女が青髭と呼ばれるお金持ちの何番目かの妻になる話だ。嫁いだ少女は青髭が留守の際、入ってはいけないと言われた部屋を開き何人もの女性の死体を見てしまう。そのことを青髭に見つかり、少女は――忘れた。殺されたのか助かったのか、さっぱり覚えていなかった。
◻︎
私の説得も虚しく家族で青髭――ジル・レイヴァンスの屋敷へと出向くことになった。両親も兄もなんともまあ楽観的で、タダで贅沢できるのならそれに乗っかろうという魂胆が見え見えだ。
大きな屋敷を見上げたイーサンは、青髭と結婚しろよ、と私の脇腹をつつく始末だった。
「本日は、お招きいただきありがとうございます」
青髭と社交辞令を交わし食卓へと着く。大きなテーブルには既に豪華な食事の数々が並べられていた。
私たちが訪れたときも家主自ら出迎えるくらいだ、もしかしたら青髭の屋敷には使用人はいないのかもしれない。
食事の後、青髭は私たちを寝室に案内して言った。ここにあるものはすべてが好きに使っていいし、必要なものがあるなら揃えよう。あなた方が望む限り滞在してくれ。
その太っ腹な青髭の言葉に能天気な兄二人は喜んだが、私の懐疑はどんどんと深まっていった。
青髭の屋敷に滞在して三日目の夜、私は青髭の寝室を訪ねていた。
もしかしたら豹変して襲いかかるかもしれないと不安はあったが、しばらくして私が戻ってこない場合には兄に迎えを頼んである。私たち家族が青髭の屋敷へと行くことは町のほとんどの人が知っているし、自衛団など、いくつか保険もかけてあった。さすがの青髭も一家が揃って消えることの不自然さがわからないほど頭は悪くないだろう。
緊張しながら青髭の部屋のドアをノックすると、ドアを開いた青髭は食事の時よりも幾分かラフな服装だった。私の訪れを予想すらしていなかったであろう彼は、少し戸惑いながらも紳士らしいエスコートで私を部屋に招き入れる。彼は窓辺で酒を嗜んでいたらしく、私もその隣へと腰掛けた。
「夜分に突然すみません」
「いえ、少し驚きましたが、こんな可愛らしいお嬢さんが私を訪ねてくれるならいつだって大歓迎です」
青髭はふふと人のいい笑みを浮かべる。よくよく考えてみると、青髭の顔をまじまじと見る機会は初めてだったりする。
私よりも一回りくらい年上だろうか。大柄な体に彫りの深い顔立ち、そして青い髪に顔を覆う髭。一見すると強面ではあるが、一つ一つのパーツは整っている。上品な仕草は大人の気品が漂い、落ち着きのないうちの兄とは大違いだ。
果てしない財力がある上にイケメンとは、天は二物を与えるんだなと独り言ちた。
「えっと……レイヴァンスさんは」
「ジルで結構ですよ」
「……ジルさんは、どうして私を呼んだんですか?」
「美しいと評判のお嬢さんを、この目で見てみたかったからです」
「いやいや、明らかに嘘でしょう。私より可愛い子なんて、この町にいくらでもいますよ」
艶やかな黒髪を持つエルザや、男の子みたいな風貌をしていてもかわいらしいアイリーン、水の精霊みたいな青い目を持つコース。
この街には、私よりも綺麗な人なんてありふれている。
「エリーシア、あなたには外見には囚われない美しさを持っています」
「それってブスに対するていのいい褒め言葉ですよね? そもそも初対面のあなたが、私の何を知っているんです?」
「見ていればわかります。今までの娘たちは私の前にくると借りてきた猫のように厚い皮を被った。何故だかわかりますか?」
「……あなたがお金持ちだから?」
私がそう答えると、ジルは意味深に微笑んだ。
◻︎
結局、7日の滞在ののち私はジルの7番目の妻になった。
兄たちは玉の輿だと囃し立てたが、私自身はそう贅沢な生活をする気にはなれない。お金が目当てという訳でもなかったが、ジルのことが好きかと聞かれると素直に頷ける訳でもなかった。
このまま実家で過ごしても、顔見知りの誰かと結婚するのだろう。知らない者がいない町の中での婚姻は、今までと変わりない生活が続くだけだ。
そんな退屈さに嫌気が差したのが、彼との結婚を決めた大きな要因だろうか。
結婚を機に、ジルは私のことをエリーと呼ぶようになった。
「エリー、私は王都に行く。しばらく家を空けるから、好きに過ごしてくれ。寂しいなら、君の家族を招いても構わないよ」
結婚してからわかったが、ジルは王国だけではなく世界を股にかける商人だった。類い稀なる功績ゆえ王から与えられた一代限りの男爵位を持っているが、彼の財産の多くはジルが自らの手で稼いだものらしい。てっきり、どこぞの領主でもしていて不労所得ががっぽりあるのかと思っていたが、私の旦那様は随分とやり手らしい。
私がこの家に住み始めてからひと月は一緒に過ごしてくれていたが、とうとう仕事が溜まりに溜まってしまった為渋々といった様子で働きに出た。
彼は出かける際に鍵の束を渡してこう言う。
「これは宝物庫の鍵の、これは金や銀食器の棚の鍵、これは美術品の部屋の鍵……。君が好きなように使うといい。ただし、この部屋の鍵だけは使ってはいけないよ」
いつになく恐ろしい顔ですごむジルに、私は言った。
「入って欲しくないのなら、そもそも鍵を渡さなければいいのでは?」
私の反論にジルは困ったような顔をして、しどろもどろに言い訳する。
「そ、それは……」
「見られたら困るものが置いてあるのですか?」
「そういう訳ではない……ただ、見せたくはないがエリーに持っていてほしい。君を試すようですまないが、預かってくれるか。そして約束してくれ、この鍵は使わないと」
「わかりました。私は約束は守る女です」
小さな鍵を受け取りながら私は頷いた。
□
ジルが家を空けている間、私はその小さな鍵を使おうとはしなかった。ジルが童話の青髭のように妻を殺しているかもしれないとも考えたが、それを見つけたところで私はどうしようもない。そもそも今まで一緒に過ごしたジルという男に、人殺しだなんて大それたことができるとも思えなかった。
私が思う限り、ジルは優しく臆病な男だ。繊細さゆえ傷ついたことも多いだろう。しかしその感性が彼を爵位を賜るほどの商人に押し上げたのだと思った。
ジルが私に贈るものはすべて繊細で、どこか温かみを感じるものばかりだ。その繊細さゆえ、平民でありながら貴族や王族を虜にするものを見極めることができるのだろう。今は王都で貴族を相手に商売をしている旦那様を、私は誇らしげに思った。
ジルはひと月もしないうちに屋敷へと戻ってきた。久々に見る顔にほっとして抱きしめると、彼も弱弱しくも抱きしめてくれた。長旅でくたびれた体を休ませようと、暖炉の前のソファーに座らせて暖かい飲み物を用意する。そんなことは使用人にさせればいい、と彼は言うけれど、私は自分の手で彼に安らぎを与えてあげたかった。
「そういえば、君に管理を任せていた鍵があっただろう? 今、持っているか?」
暖かいココアを飲んでのんびりしていると、ジルがそんなことを言い出したので私は思わず黙りこくってしまった。そもそも、宝石や金や美術品など、普段の生活で使うことがない。高いものを眺めてにやける趣味もなかったので、どこかの引き出しにしまいこんでしまっていた。
「……あー、多分私の部屋の引き出しのどこかにあると思います。何せあなたから受け取ってからずっとそこに入れてたから、場所はあいまいで」
「使っていないのかい?」
「お金は十分ジルからもらっているし、金銀財宝なんて火事でもなけりゃ持ち出しませんよ」
□
それから数年、ジルは屋敷を空けることはあったができる限り私の傍にいれるよう努力してくれた。
一年も経てば私の腹も膨れ、息子が産まれた。兄さんたちは二十歳を過ぎても結婚する気配がないし、初孫の誕生にうちの両親は浮かれきってジルの屋敷に住み始めてしまった。店は兄さんたちに任せるそうだ。両親が住むことも、ジルは嫌な顔ひとつせずに了承してくれた。使用人が3人と私とジル、5人には広すぎた家も、新しい命のおかげで随分とにぎやかになった。ジルが家を空けていても、息子や母さんたちに囲まれていたので寂しさは和らいだ。
そんなある日、ジルはひとつの鍵を私に握らせた。あの、決して使ってはいけないと言われた部屋の鍵だった。
「エリー、この鍵を覚えているか?」
「ええ、あなたに入っていけないと言われていた鍵ですね」
ジルは少しだけしわの増えた顔でほほ笑んだ。
「君にお願いがある。この鍵の部屋に、一緒に入ってくれないか?」
私は一も二もなくうなずいた。
その部屋は廊下の一番突き当りにあった。小さな部屋だ。鍵穴に鍵を差し込むと、少しだけ引っかかりながらもカチャリと音を立てて開く。ジルが視線で促すので、私はその扉を勢いよく開け放った。
「……ケホッ」
部屋から漏れた埃に、思わず堰が出る。どうやらジル自身も最近はあまりこの部屋を開いていなかったようで、部屋の中はほこりまみれだった。しかしながら見回してみると、本棚とベッドと、小さな机があるだけの普通の部屋だ。ジルは懐かしそうにつぶやいた。
「ここは私が幼いころに使っていた部屋だ」
「ということは、生家なんですか?」
「ああ、そうだ。私はこの家で生まれた。貴族の妾腹の息子として」
ジルは壁に掛けられた美しい女性の肖像画を見つめる。
「正妻が嫉妬深い人で、私は存在しない者として扱われていた。私と母は、この狭い部屋で一日を過ごしたものだよ。母が亡くなり、父から手切れ金としてこの屋敷を受け取ったが、内装は全部変えてしまったんだ。だけど、この部屋に手を入れることはできなかった。……唯一私に優しかった、母との思い出そのものだから」
「どうして、この部屋には入るなと?」
「最初の妻は、この部屋を改装しようと言い出してね。私はそれが許せなかった、だから離縁したよ。離縁するとき彼女は私をこう罵ったんだ、いつまでも古い思い出に縋りついていて女々しい男だとね。なるほど、私の懐古趣味は他者にとっては不快なものなのだと知った」
「私は、そう思いませんけど」
「大きな金を動かす前に、この部屋に来て母の記憶に抱かれながら己を奮い立たせているとしても?」
「まあ、何から力を得るのかは人それぞれですから。それに、私だって家族は大事だと思いますよ」
「そうか……君は私を受け入れてくれるのか。今までの妻たちは、私が隠し事をしていると誰もが薄気味悪がって逃げてしまったよ。おかげで、おかしな噂までたってしまった」
ジルは自嘲するように声を上げて笑った。今日の彼はなんだか、自分で自分を傷つけようとしているみたいだ。私はそれが耐えられなくて、彼の胸に抱き着く。
「ジル、私はあなたに隠し事があったって、母への思いを昇華しきれていなくったって変わりません。私は繊細で、臆病なあなたを愛しています」
「エリー……」
「私では、あなたの家族になれませんか?」
「エリー、違う。違うんだ。……君はもうとっくに私の家族だった。君と暮らすうちに、いつの間にかこの部屋にも足を運ばなくなっていた。今ではもう、鍵をどこにしまったか忘れていたくらいだ」
ジルが力強く抱き返してくる。私はその力に息が詰まりそうになったが、彼の頭を抱えながら囁く。
「では、この部屋の鍵は捨ててしまいましょう。ここはあなたが懐古の念を抱く場所ではなく、私のお義母様と息子のおばあさまの思い出の部屋です。お義母様があなたに読んだ本を、私が息子に読み聞かせするのです」
「……そうか、そうだな。だったら掃除をさせねばな」
「空気もしっかり入れ替えてくださいね。家具だって、少し手を入れなければならないかもしれません」
「わかった。この部屋を、私たち家族の思い出の部屋にしよう」
ジルは私を抱きかかえたまま、泣いているようだった。その涙を胸に受けながら、私は彼の髪を解く。
遠くで、息子の泣き声と私を呼ぶ声が聞こえたが、私はそっと部屋の扉を閉じて少しだけ聞こえないふりをした。