第九話「青い眼」
ゴオォ、と空気の動く大きな音がしている。
空調が生きているとは思えないので、トンネルに据え付けられたファンが自然の風で勝手に動いてるだけだと思う。かなり薄気味悪い。
どこからか水の流れてる音はするし、足元のアスファルトはヒビが入ってガタガタだし、うっすら苔まで生えてまるで洞窟のようだ。
自然に飲み込まれてダンジョンになってしまったトンネルの遺跡。
前に進む度、突然大きなモンスターが出てきて食べられてしまわないかと鼓動が不安定に高まる。
「いでっ、なん――」
何かにつまずき、バランスを崩して手元のカンテラが自然とそちらへ向いた。
「ひィッ!?」
――恐竜。
驚きすぎて完全に固まってしまっても、それは襲ってこなかった。死骸だ。
既に表面に土が積もっていて、茶色くなった口や目の周りから青々とした植物の芽がぽつぽつと出ている。
「……し、死んでた。よかった」
ホッと胸を撫で下ろす。ここ二日、本当に心臓に悪いことばかりで疲れてくる。
「マユ。アレ」
「え?」
スイの呼び掛けに顔を上げる。
「ッ……!?
赤い光点が。
闇の中に二つ。
手で押さえて、飛び出しそうになった悲鳴を必死に押し殺した。
が、ぼんやり浮かんでいるその二つの玉は、何やらパチパチと瞬きしているように時折暗くなる。
よくよく見てみればそれは人間の目の形をしていて、黒目の部分が赤々と光っている。
「ひ、人……?」
おっかなびっくりカンテラの光を向けると、赤い光はきゅっと細くなった。まるで爬虫類の目みたいに。
「こっち」
赤い二つの玉はそう喋ると、振り返ってパタパタと闇の中に消えていく。
「あ、ちょっ、ちょっと待っ――ひゃあ!?」
行くか行くまいか少しだけ悩んで、不意に響く空洞音に背中を押された。怖くなって、この場にいるよりも前に進むことを選んでしまった。
「へぶっ」
と、自然と足が動いた直後にガシャリと何かにぶつかった。鼻先を押さえながら見れば、金網で出来たドアが目の前にあった。鍵は掛かっていない。
「……付いてかなきゃ、ダメ?」
「マユがここで寝たくないのなら、その方が良いのでは」
スイがさらりと言う。頼まれたってここじゃ寝たくない。
ウウゥゥ、と不意に響いた獣の唸り声にも似た風の音に、私は慌てて扉を開けて赤い目の持ち主を追いかける。
しばらく歩くと、扉の外よりは狭い空間になってきたことが感じられてきた。風の音も遠くからするだけで、こもった音ばかりが遠くから聞こえる。
「明るく……なってきた?」
奥へ、奥へと進むごとに、足元に広がる苔の量が減っていく。なんだかきちんと手入れされているようにも見える。
そして、壁に灯った非常灯の群れ。ほとんどは非常灯だけど、ちゃんとした蛍光LEDも混じっていて、ようやく見つけられた普通の明かりに私は心底ホッとする。この先には、文明を持った人間がいるという確信が持てた。
曲がり角になった所を過ぎた辺りで、広間に行き当たった。小さな焚火と、テントが幾つか張られている。奥には車らしい影が幾つかある。
「……何もいない?」
カンテラを掲げる。
ついさっきまで誰かがいたような、そんな雰囲気だけがあった。
「誰か――」
「ねえ」
「ひィぃッ!?」
突然後ろから掛けられた声に、私は悲鳴を上げて飛び退いてしまった。
行く手には焚き火。
「あっ、や、やばっ」
「あぶ、ない」
やばい、そう思った次の瞬間には、転びかけた私の手を誰かが握り、引き寄せられていた。
「……!」
ダンスの途中で半ば倒れかけたような体勢になった私を、とても澄んだ青い瞳がじっと見ている。
ぱちぱちと、お互いごく至近距離で向き合ったまま瞬きをする。
青い。青く、とても澄んだ、水面のような瞳。
「だい、じょうぶ?」
「あ……えと、はい……」
「そう……よかった」
抱きすくめられるみたいに、私はその青い瞳の誰かに支え起こしてもらった。
「……平気? 火傷、してない?」
「は、はい。あり……がとうございます」
ち、近い。目の前で、青いまつ毛が揺れている。私は慌てて距離をとった。
「……」
何もかもが真っ青な、背の高い少女だった。
青い髪、青い瞳に白い肌、淡い水色のワンピースの上に緩く簡素な白いパーカーを着て、無表情に私を見つめている。いや、ほんの少しだけ、心配そうな色が目元に見えた。
「あの……」
「……」
無言のまま、見つめ合う。
背の高さに、私は少々見上げる形で、相手は見下ろす形で。
バツが悪くなって、私は目をそらしてしまう。
凄い美少女。どうしよう。言葉が出てこない
「どこから、来たの?」
「あ……えと」
視線が泳ぐ。ふと見れば、その青い髪の少女の周りに、少女より幾らか背丈の小さな子供たちが何人か寄り添っている。私と目が合った男の子は、慌てて少女の影に隠れた。
その子もやっぱり少女と同じく青い髪をしていたけど、目の色だけが違う。その赤い目には、闇の中で見た覚えがあった。
「……あなたのこと、教えて」
青い眼の少女は、子供たちに囲まれながら、私へ向かって真っ直ぐにそう言った。
「――そう。あなた、記憶も、身寄りも、ないのね」
「えっと、はい。それで、どこかに人がいないかって探してたら……」
これまでに辿った経緯を話す。
青髪に青い目、途切れ途切れの不思議な喋り方をする少女――ユキコと名乗るその人は、無表情だけど、親身になって話を聞いてくれた。
「私達も、似たような、ものよ。私達、親がいなくて、私達だけで、生きてるの」
「……あの、聞いていいのかわからないんですけど」
ユキコは首を傾げる。
「何でも、聞いて」
「……東京で一体、何があったんですか……?」
ほんの僅かに、ユキコの青い瞳孔が細くなった気がした。
「……私達も、全部、わかる訳じゃないの」
そう言って、ユキコは知っている限りの全てを話してくれた。
自分たちが生まれた時点で、街はこうなっていたこと。
東京の外がどうなっているかは全く分からないこと。
大人たちの数が極端に少なくなっていたこと。
もうずいぶん前に、ここに住んでいた最後の大人が亡くなったこと。
大人たちを殺す、黒い雨が降るということ。
この青い髪や瞳は、みんな黒い雨を浴びてそうなったということ。
「どうして、東京がこうなったのか、私達にも、わからない。大人たちは、きっと私達を守るために、秘密にして、くれてたんだと、思う。だけど、みんな、いなく、なってしまった。だから、私達にも、『何が起きた』かは、わからないの」
「そう、なんですか……」
――思ったより、大変なことになっているのかもしれない。
それに、大人たちを殺すという、黒い雨。
私は遭遇しなかったけれど、ひょっとして、私が浴びたら死んでしまうんじゃ……と不安になる。
それを察したのか、ユキコは口元を少し緩めて、笑んでみせた。
「大丈夫よ。子供は、平気だから。どうしてか、わからないけど」
「でも、私、あの」
「……この髪と、目、気に……なる?」
「え、と」
気になる、とは言いづらい。けど、咄嗟になんて返せばいいかわからなくて、私は頬をかく。
「だい、じょうぶ。その、私も、他の子たちも、見た目は、変わってるかもしれない、けど。それ以外は……その、普通……だから。……信じ、られない?」
「……信じ、られないわけじゃない、けど」
「これから、信じてもらえるように、がんばる、から。それじゃ……ダメ?」
「……」
そんな風に言われたら、首を横に振ることはできない。
私の手を取り、ユキコはすっと近づいてくる。
「……あのね、マユ。私たち、見ての通り、私たちしかいないから。あなたが、私達の、友達に、なって、くれたら、とても……嬉しいわ」
それは、心の底からそう思ってくれている声色だった。私にはそう聞こえた。
ユキコの青く澄んだ目が、私をじっと見据える。少しも揺らぎない、その真っ直ぐすぎる目に、私は思わず頷きそうになってしまう。
「い、いやっ、でも。私……」
「ママ」
私達の会話を遮って、下から幼い声がした。
「ママ、お腹すいたよ」
青い髪の少女が、ユキコの裾を掴んで引っ張っている。
見れば、焚火の周りに集まった少年少女たちの視線は、私たち二人の元に集まっていた。
「……ごめんね。ごはん、食べよっか」
ユキコは私にも謝るようにそう言うと、子供たちの元へと向かっていった。