第八話「追跡」
結局、びたびたになったリュックサックを抱えてホームセンターへ戻った。
荷物に足を引っ張られる状況で、またあの恐竜が出ないかとおっかなびっくり歩いたけど、無事に辿り着くことができた。中の荷物もびしょびしょ。もうサイアク。
「あーもー。なんで私がこんな目に遭わなきゃならないんだ」
「日頃の行いが悪いとか……」
「……私、記憶を失くす前は不良だったのだろうか」
「いや、真面目に受け取らないでくださいよ」
このNS、冗談が通じるんだか通じないんだか。
正面口に入る。中は当然ながら壊されたままだけど、その原因は見当たらない。いたら困るんだけど。
「自転車で移動すんのも悪くないかなあ……」
転がった中でも無事だった一台を起こして眺める。
黄色いフレームをした高そうなロードバイクだ。値札はすっ飛んでどこに行ったか分からないけど、こういう状況でもないと乗ることはなさそうな高級感。
「よ」
またがり、漕ぎ出そうとして、
「うわっ!」
ガシャーン。盛大にこけた。床についた手が痛い。転ぶなんて全く思ってなかったから完全に油断していた。手のひらをちょっとだけガラスで切った気がする。ずきずき痛い。
「……くっ」
「おいこら笑うな。聞こえてるぞ」
「わああ、あんまり叩かないでくださいー! 壊れちゃいますー!」
胸元で震える声を上げるスイをごんごん叩く。
「いっづづ……てか私、ひょっとして自転車乗れないの?」
痛む手のひらを振るってから、もう一度乗ってみる。
漕ぎ出そうとして、バランスを崩した。頭の中には、顔の見えない誰かが自転車に乗っている姿が思い浮かぶのに、私自身が乗ろうとするとどうしても転んでしまう。
……情けないことに、どうやら私は自転車に乗る技能を持ち合わせてないようだ。
「う、嘘でしょ。だってその、これって当たり前に乗れるもんじゃないの?」
「よくわからないけど、そんな気はします。でも、乗ったことがなければ乗れないのでは」
「うーん。そうなのかなあ……」
その後も何回かチャレンジしてみたけど、やっぱり結果は同じだった。悔しい。普通は当たり前にできるはずのことができないのはつらい。私、自転車乗れなかったのか……。
「くそー……」
5。
私は自転車に乗れない。
状況が落ち着いたら必ずリベンジしてやると誓って、私は上の階へと向かった。
「結局ナイフ以外は全部取り替えちゃった。まあ、ちょうどいいかな」
パンパンと少しだけ埃っぽい手を払って、腰に手を当てる。背中に吊り下げたナイフポーチもそんなに悪くない。腰元に手を回す必要があるから慣れるまで抜くのに手間取りそうだけど、そもそも一回も抜かないで済むことを祈りたい。
「マユ、髪縛ったんですか?」
「ん? あ、うん。動き回る時、邪魔になったら危ないかなーって」
見つけた髪ゴムで、緩く髪をまとめたハーフアップ。ちょっとだけ遊びを残してしまった感じがある。ホントはポニーテールなりにしてしっかり縛った方が良いような気もするけど。
「あとこれ。そこの前にある服屋で見つけたキャスケット。ほら、可愛くない?」
「緊張感ないですね、マユ」
「余裕がないと疲れちゃうもん」
寝室代わりにしていたフロアに戻ってきて、姿見の前でくるくる回る。
ライトグレーのキャスケットを被っただけで、ちょっとは洒落っ気が出たような気がして嬉しい。缶バッジとか付けたいな。
今の格好は軽装で動きやすいけど、せっかくならちょっとはオシャレがしたいよね。後でちゃんとした百貨店とかも覗きたいところだ。
……何の遠慮もなく色々使わせてもらってるけど、ちゃんとお礼は言わなきゃ。
ありがとう、ここにあるものを作った人たち。
鏡の前で手を合わせて拝む。
「何してるんですか?」
「ん? 遅めのお礼……みたいなものかな」
「ふむ? よく、わからないです」
「まあ、気持ちの問題だから。スイは気にしないで」
なんだか、拝むのも違う気がするけど。
ここにいた人達はどこへ行ったのだろう。街は完全に壊滅していると言ってもいい。
スクランブル交差点はボロボロだし、穴の開いたビルなんかはあるし、変な柱が立ってたり。
避難した人もきっといるだろうけど、そこかしこがこの有様ならどう考えても無事じゃ済まないだろう。だからって、みんながみんな死んでしまったものだと冥福を祈るのも何か間違ってる気がして、ただ私は手を合わせていた。
私の両親。私の友達。私の――記憶。
一体どこにあるんだろう。
「……うん。お祈りもしたし。ごはん、食べよっかな」
振り返り、私はリュックサックから出して並べておいた缶詰の群れへと向き合う。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……せいぜいお腹を壊さないことを祈る!」
そう宣言して手を合わせると、私は初めの缶に手を伸ばし――た。ところで、
「……え?」
姿見の向こうの何かと目が合った。
そこは窓を背にしていて、向こう側はもう外になってるだけのはずの空間だった。
ここは五階。
赤い瞳の輝き。そして青い髪。
現実離れをした姿の誰かが、窓の向こうから私を見つめていた。
赤い目と私の目が合った瞬間、その誰かはビクリと身を震わせて――なんと、飛び降りた。
「ま、待って!」
声が届いたかはわからない。
窓から飛び出しかねない勢いで駆け寄り、下を覗く。
「う、嘘でしょ……!?」
信じられないことに、五階の高さであるここから飛び降りて、青い人は平気だったらしい。 怪我した様子もなく、本屋のあった方へと走っていく。こっちに見向きもしない。
慌てて携帯を手に取ると、近くで座って欠伸をしていたスイの像がぐしゃぐしゃと掻き消える。
「行くよ、スイ!」
「うわわわわっ、どうしたんですかマユ」
「説明は追いかけながらする!」
新しくしたリュックを背負い、腰元のナイフホルスターをぷらんぷらんさせながら、私は一気に下まで降りる。
あんなに頑丈なんだし、走るのも速そう。
もう既にいなくなったろうことを予期しながらも、私は通りへと飛び出した。
「……まだ、いた」
青い髪の誰かは、通りの奥でこちらを見つめたまま固まっている。
「……説明不要でしたね。あの人を追いかけたんですか?」
スイの像が立ち上がる。両手で屋根を作って目を細めてるけど、携帯についてるカメラから直接見た方が早いんじゃないかな。
青い髪の誰かは動く気配がない。待ってくれているのだろうか、それとも私をおびき出して、恐竜の餌にでもするつもりなんだろうか。何にしても、せっかく現れた初めての人間……? なのだから、追いかけないわけにもいかない。
「荷物置いて走ったら追いつけないかな」
「あの人がどこまで行くかわからないのに、ですか?」
「……このまま行こうか」
青い髪の背を追う。
私との距離が近づき始めると、その人はどんどん離れていく。けれど、見失うほどの距離まで離れることはなかった。
付かず離れず、私は青い髪の誰かに先導されて、街並みを進む。本屋を通り過ぎ、ボロボロのビルの横を幾つも通り、ついには朽ちかけた橋を越えて、柱の麓からは離れていく。
「日が落ちてきましたよ」
空気を歪ませて、スイの像が現れた。並走して歩いている。酔うんじゃなかったのか。
「……結構歩いたね。っていうか、スイは姿を現して大丈夫なの?」
「ええ。暗くなってきたので、描画する必要のあるテクスチャ数が減ってきましたから」
「よくわかんないけど、それは良かった」
スイの言う通り、通りに掛かる日差しはオレンジ色に変わり、薄暗くなり始めている。なんだか長かった気がする。ここで目が覚めてからようやく二度目の夜の訪れだ。
幸いあの恐竜には出くわさなかったけど、ひょっとしたらあの青い髪も私を何かに利用しようとしてる可能性があるし、信用はしきれない。
日が更に落ちて暗くなる直前、大きなトンネルに辿り着く。
見れば、柱は反対方向だ。ホームセンターの辺り、渋谷近くにいた時よりは近くなったけど、散々連れ回されて今どこにいるのかあまりよくわからない。とは言え、それ自体はスイに聞けば何とかなる話だし、私自身も地図があればすぐ把握できる。
青い髪の誰かはトンネルの前で私たちを待っていたが、距離が縮むと、トンネルの中へと消えていった。中は真っ暗で、明かりがなければ何も見えない。
付いて行くか、行かないか。
ここは道路の真っ只中。中が恐竜の巣だったら一巻の終わりだけど、夜が近い以上、どこか身を隠せるところにいないとまずい。次に目を覚ますのが恐竜のお腹の中だったら笑えない。
「スイ」
「はい、マユ」
「遺言って残せるかな」
「……録音くらいなら、しておきますけど」
「冗談だよ」
深呼吸して、心臓の高鳴りを抑える。
リュックから取り出したカンテラを左手に、右手には拾い物のナイフを構えて。
私は、覚悟を決めて暗がりへと足を進めていった。




