第七話「武器」
「……期待してたわけでもないけど、こうも人がいないとさすがに不安になってくるね」
本屋の中の最上階、喫茶店みたいなスペースだったところ。椅子の埃を払って座り込んで、適当な棚にあった本をめくる。
国内外の情勢が書かれた雑誌……で良いんだろうか。日付は二千五十二年。それより前のバックナンバーは二年くらい前まであったけど、そこから先のナンバーは見つからなかった。
「でもマユ、誰かいた形跡はあったじゃないですか。気を落とさないで」
「それはまあ、そうだけどね。希望はあるか」
向かいの席にはスイが座っている――ように見える。
テーブルの上に置いた携帯から放たれる光が、向かいの席にスイの像を結んでいるだけだ。とは言え、誰もいないよりはずっといい。スイを携帯に入れてくれたどこかの誰かに、ちょっとくらいは感謝したくなる。どうせなら記憶も残しておいてほしかったけど。
「ふむ、当時の情勢が書いてあるけど、今その三十年後だし。読む意味あるのかなー」
何冊か持ってきた本をテーブルに投げ出す。
「私も読めれば良いのですけど、あいにくと近すぎるとピントが合わなくて」
目を細めるスイ。眼鏡が必要なんだろうか。
「……目が悪いわけじゃないですよ。目の性能上、近すぎるものにはピントが合わないんです。あ、でも遠くのものなら任せてください!」
「老眼?」
「違いますー!! おばあちゃんじゃないですー!!」
「はいはい」
話半分にツッコミながら、雑誌を流し読む。
ぱらぱらとめくる限り、日本も、日本以外も、この場所がこうなるに値するような出来事があったようには思えない。
日常の裏で何か起こっていたのかもしれないけど、各国の経済状況とか国際支援がどうこうとか、表面上はいかにも平和な感じの内容ばかりで、ヒントになりそうなものは一切なかった。仮にあったとしても、私の頭程度じゃわからないかもしれない……。
海の向こう側はどうなっているのだろう。日本がこうなのだから、海外がどうなってるのかなんて想像もつかない。
「むむむむむ。記憶がないなんてハンデがあるんだから、もっとこう天才設定とか載せてほしかったー! これじゃ私ただの色白美少女じゃない」
「何言ってるんですかマユ」
「こういう状況だとありがちじゃない? そうか、そういうことだったのかー! って、天才キャラが気づくやつ。私が探偵とかだったらなー」
「探偵でも三十年前のことはわからないと思いますが……」
「うぎー! わかんねー!」
頭の上で雑誌を振り回して喚いていたら、不意に下の方で猛烈な轟音。
「っ!? な、何っ!?」
慌てて立ち上がって辺りを見回す。ぱらぱらと本棚や天井から埃が落ちてくる。更に続けて何かが砕けるような音と、重い音が振動を伴って繰り返された。
「……見に行ってみよう」
「えっ。で、でもマユ、危険かもしれませんよ?」
「だって、このまま隠れててもお話が進まないじゃない」
「お話って。マユが怪我したらどうするんですか」
「怪我しないようにするから平気。ほら、行くよ!」
携帯を手に取って、エスカレーターを一気に駆け降りる。速度はつけるけど、なるべく足音は立てずに。
下りていく最中にも、下では大きな音が断続的に続いていた。が、残り数階といったところでその音が急に止んだ。
「あれ、静かになった……?」
交差するエスカレーターの合間から下を覗く。さすがにまだ一階は見えないが、覗いているエスカレーターの足場が、土埃で盛大に汚れている。大騒ぎの元凶は一番下で間違いないらしい。
「気を付けてくださいね、マユ」
「うん、わかってる」
返事と一緒に胸ポケットの携帯を指で軽く小突いて、私は下の階へと下りて行った。
「……なんじゃこりゃ」
大乱闘でもあったのだろうか、というくらい、本棚は倒れ、カウンターやらキャッシャーは破壊し尽され、酷い有様になっていた。
出入り口の自動ドアは無事なのに、外に面するガラス窓の半分ほどが割れて床に落ちていた。 辺りには血痕みたいなものも散らばっている。源を辿ってみれば、そこにいたのは、
「……これ、さっきの」
大量の血液――のような液体を撒き散らしたまま、あの恐竜が横になっていた。
血の匂いはしない。首元に焦げ目付きの切り傷や穴みたいなのがたくさんあって、頭の横に大振りなナイフが突き立っていた。未だに血が噴き出してるところもあって、私は思わず目をそらす。
「うぇ……す、すぷらった」
「ま、マユ。死んでないかもしれません。気をつけて」
「う、うん」
手の甲で口元を覆い、顔をしかめながらゆっくり近寄る。
足元に落ちていた、ベストセラーの帯が掛かった分厚めの本を投げつけてみた。恐竜は反応しない。本の雪崩と砕けた棚をベッドにしたまま、赤い目と口を大きく開けて死んでいる。
「……これ、血じゃないのかな?」
足元に来ていた赤い液体の水たまりを爪先でこすると、ほんの少しだけ粘性があった。
よく見ると血よりは少し黒い気がして、なんとなくだけど車とかみたいな匂いがする。血の鉄臭さとは少し違う。
ギリギリまで近寄る。恐竜は起きない。爪先で蹴る。硬い音。やっぱり動かない。
ホラー映画だと、私が目をそらした瞬間にパクッとやってくるシーンかもしれない。
傷のない体表に触れてみると、その感触は冷たくて、金属みたいだった。ノックしてみると、薄く甲高い音がする。生き物の体って感じはしない。
「ひょっとして……ロボットとか?」
訝しみながら離れる。パッと見は生き物だけど、よく見れば恐竜型に金属コーティングされているように見えなくもない。錆びに錆びて、赤黒くなってしまっているけど。
死体を観察してる内、首に深々と突き刺さっているナイフに視線が行った。
長さは……抜いてみないとわからないけど、短刀? くらいのサイズだ。長い。
全体が黒くマットな質感をしていて、SF映画に出てきたらそれっぽい。持ち手も、少しだけ見える刃も、シンプルだけど洗練された構造に見える。
「……抜いてみるか」
「ちょ、ちょっとマユ。危ないかもしれませんよ」
スイの言葉に構わず、私は恐竜の体を軽く足場にしてナイフに手をかけた。
ついさっきまで誰かが握っていたのだろうか。ほんの少しだけ、体温が感じられる気がする。
急に怖くなって抜く直前に振り返ったけど、店内には相変わらず心配そうな顔のスイしかいなかった。割れた窓の向こうにも誰もいない。
今度こそ、と引き抜く。その瞬間、ナイフの持ち手、引き金みたいになっていたところに指がかかった。直後、
「う、うわっ。何?」
ジジジ、と空気を焼くような音がして、一瞬でナイフの刃が赤くなった。同時に、刺さっていた傷口から嫌な臭いがして、黒煙が吹き上がる。
慌てて抜いて、引き金から指を離すとその音は止まった。刃の赤さも消えていく。
「これ……熱を持ってるのかな」
刃に触れるのはおっかないからやめておいた。指から煙が出たら笑えないし。
「それ、持っていくんですか?」
「……そうだね。持っていこうか。いざって時の武器になりそうだし」
恐竜から飛び降りて、ナイフを構えてみる。
「……せいっ」
微妙な掛け声と共に振り下ろしてみる。ヒュッ、と良い音がした。
刃渡りは……正確にはわからないけど、三十センチくらいだろうか。すごく大きくて分厚い割には、思ったより軽くて振りやすかった。
正しい持ち方なんか知らないし、武術の心得なんかないけど、なんだかちょっと強くなった気がする。指を軽く引き金に掛けると、ちょっとの圧力ですぐに赤い光が灯った。周囲が少しだけ暖かく、明るくなる。気をつけないと危ないかも。
「ライト代わりになりそう」
「随分危なっかしい明かりですね……」
「冗談だよ。とにかく何かに使えそうだし、有難く頂戴しておこっか」
――が、一つ問題があった。
剥き身だ。見られる心配はほとんどないとはいえ、刃物を持った女が一人、フラフラ東京の街をうろついてるって、傍から見たら怖すぎる。後で収まりのいいホルスターみたいなものを用意しよう。
仕舞う場所を探して、とりあえずリュックの後ろにロープで縛って吊るしておくことにした。
これもあんまり見られたくないなあ。一旦ホームセンターに戻って、何か見繕おうかな?
「けど……」
恐竜の死体を振り返る。
大きさは、たぶん私の三倍強くらい。全長四メートルから五メートルってところかな。
尻尾まで入れたらもっと大きいと思う。爪で引っ掻かれただけで私の首なんか切り落とされてしまいそうだし、体当たりされたら車にぶつかられるより酷いことになるかもしれない。
なのに、それが今こうして死んでいる。
これを倒す人がいるのか、と思う。あるいは、人ではないのかもしれない。サイボーグとかアンドロイドとか、そういうのと出くわしたらどうしよう。
……自分で考えてて全く現実感がない。
何にしても、私に敵意を向けてくるような相手じゃないといいけど。そう思いながら、カウンターごと吹っ飛ばされて転がったリュックサックを拾い上げた。
「……ん?」
リュックサックのお尻から、ぽたぽたと何かが零れている。
「何これ……ってうわー!? ペットボトル破けてるー!?」