第三十話「友達」
注射器、消毒用アルコール、腕を縛って血管を見えやすくさせるやつ……なんて言うんだろう、アレ。
「駆血帯って言うんですよ、ソレ」
「……そうかい」
しかめっ面で駆血帯を見ていたら、隣に立っていたスイがわざわざ名前を教えてくれた。よくご存知ですね。
何にしても、私の目の前に、私が苦手な状況が形成されつつあることに間違いはなかった。
私は簡素な椅子に座り、拷問を待つ虜囚のような気分で貧乏揺すりをしていた。
「彼らは、黒い雨――龍の体液ですね。その影響で、まず人体表層部の組織が侵されます。これは、龍宮の使い……人工ドラグナーである真由、貴方にも適応はされています」
エミが何やら説明をしている。耳に入らない。ツカサが準備を進めている。
「ここにストックされた出来損ない、失敗作の彼女たちには、龍の体液への抗体がありません。何故なら、体液に接触していないからです。もちろん、接触させることで抗体を得られる個体とてあるでしょう。しかし、大半は竜でなしにもなれず死ぬ上、基本的にどの個体も精神構造が正常ではありません。言っている意味が分かりますね?」
エミは、私の前を往復しながら講釈を垂れている。
私は、とりあえず頷いていた。
目線は、アルコールで濡れ、キラキラと光るそれに向いている。
「つまり。貴方は精神構造が正常であり、加えて体液への抗体をも持つ、ドラグナーとして完璧かつ最高の個体、人類の悲願たる完成体なのです。聞いていますか真由」
「はいはいエミ、準備できたわよ。それで、真由の血をどうすればいいわけ?」
隣にツカサが来た。手には注射器。私の目線はその先端から離れない。
エミは咳払いして、話を続ける。
「簡単なことです。彼らに、その抗体を分け与えれば良い。ツカサに試行したプロセスの逆を行うわけです。ツカサには、彼らから頂戴した抗体に成り得る体液を少しずつ摂取させましたが、これを戻したところで意味はありません。元より彼らの中にあったものですので。しかし、ここには完璧な抗体と血液を持つ真由がいるわけです。この抗体を打ち込めば、変化初期段階にある彼らであれば救える――かもしれません」
「……かもしれませんって、絶対に救う方法はないの?」
「そんな都合の良いものはありません。何より、変化が進み過ぎていては手遅れになる。すぐに治療できるとも限らない。これは一種の賭けです」
まあ、私としては完璧なドラグナーがいればいいのですが、と余計なことを言うエミ。
スイが突如エミの真後ろに現れ、ハリセンで盛大にエミを叩いた。
「……賭け、か。良いじゃない。上等よ、乗ってやろうじゃないの」
「わわわわわたし乗ったなんて言ってないんだけどどど」
「いいでしょ。ちょっとチクっとして、しばらくフラフラするかもしれないだけよ」
「さ、さ、刺されないからって勝手なー!!」
「体は頑丈なくせに何でちょいちょい変なところで弱点多いのよ……ほら、動かないで」
「ひいぃーッ!?」
目を閉じて、私は血を取られる腕から思い切り目を逸らしてできる限り身をよじる。
それから間を置かずに、腕に小さな痛みと異物感。
私はぶんぶんと首を振って悲鳴を上げる。
「わああああああ」
「真由、うるさい。ズレたら痛い思いするのは貴方なんだから、おとなしくしてなさい」
「大丈夫、完全なドラグナーは頑強に出来ているもの。ツカサ、思う存分取りなさい」
「ちょ、ちょっとー!?」
「冗談です。必要な分だけ取ったら、それぞれの個体に注射して回ると良いでしょう」
「……何でもいいけど早くしてぇ~……」
結局何度も何度もグサグサやられ、たっぷりと血を持って行かれた。
「フラフラはしないけど……うう、針が、針が……」
「マユ、注射苦手なんですねえ」
「注射が得意な人なんているの……?」
「私されたことないからわからないです」
そんな風に軽口を叩くスイを伴って、私はツカサに付いて第二隔壁と第三隔壁の間に戻ってきた。竜でなしたちが通り過ぎた後だけど、彼ら――蛹のようになった子供たちに、触れられた様子はない。
エミは、ツカサの隣に現れ、忠告するように言う。
「すぐに、治るわけではないでしょう。注射したところでこのまま目覚めないかもしれません。結局竜でなしになってしまうやもしれません。それはお分かりですね?」
「わかってるわよ」
「ならば躊躇うことはありません。彼らに、それを」
「……」
ツカサは、それぞれの蛹の前にひざまずき、俯いたまま小さく呟く。
「……ごめんね。あの時、ユキコに会わせてやれなくて」
一人一人、丁寧に、膝をついては何かを囁いて、ツカサは彼らに注射していく。祈るように。
もちろん、すぐに変化なんて現れない。けれど、注射をしていくツカサの横顔は、ほんの僅かだけれど、晴れやかではあった。
最後の一人の前に屈み、注射を済ませる。
全てが片付いて、ツカサは戻ってきた。頬がほんのり、涙の痕で濡れてていた。
「……これで、後は待つだけ?」
「そうです」
「……」
ぐしぐしと腕で目元を拭って、ツカサは顔を上げた。
「……真由。その……、ね。ええと」
「……うん?」
私の前に立ち、ツカサはツカサらしくもなく、もじもじと目線を泳がせている。
「初めて会った時は、ごめん。今もだけど、その……迷惑かけて」
「ううん、いいよ。結果的には……こういう形に落ちついたわけだし」
とは言え、下手したら私も死んでたかもしれないわけだけど。
なんて、言ったら台無しだろうし黙ってる。
「許してもらえるなんて思ってないし、私、妹にも散々酷いことしたし、みんなもまだ助けられたかわからないし、こんなだけど……」
「うん」
「あのね、真由。私と……その、友達になって、ほしいわ」
意地悪したい気持ちになるくらい、ツカサは真っ赤に染まって消え入るようにそう言った。
「……嫌って言ったら?」
「その時は……こっそり隠れて、どこかで寂しく泣くことにする。……エミと一緒に」
「ちょっと、ツカサ。私はもう、貴方と主従と言う訳でもないでしょうに」
「はいはーい。エミちゃんはスイ命令でツカサ付きの下僕ですよー」
「自殺者、何を勝手な」
「命令ならいいんですよね? それじゃあ、そうあって貰おうじゃないですか」
「お断りします。それなら私に指示を出し続ければ良いでしょう。その間はおとなしく従って差し上げますから」
「面倒臭いですねエミは!」
「私からすれば貴方の方がよっぽど面倒ですよ、自殺者。早くその名の通りになるべきです」
隣で騒がしく喧嘩する二人を横目に、私は苦笑いしてツカサに向き直った。
「うん……こんな、白蛇女で良ければ」
「……まだ気にしてたの? それ」
「気、気にするよっ! こ、このウサギ女!」
「……なんでウサギ? 目が赤いから?」
「う……うん」
「単純って言うか、何て言うか……まあ、ともかくよろしくね、真由」
「……うん。よろしくね、ツカサ」




