第三話「翌朝」
結論から言うと、お化けを怖がる必要なんてどこにもなかった。
むしろ、私はこの状況を楽しんでしまっていた。
たくさんの『お土産』を抱えて、私は寝床と決めたフロアへと戻ってきた。
「バケツに固形燃料、テントもあるし寝袋もあるし、割れてた窓にはカーテンもかけたし、もう至れり尽くせりだね!」
「マユ、楽しそう」
「へへへ。なんか、こういうのって少年心がくすぐられちゃうよね。私女だけど」
機嫌良く金属のバケツにガランガランと固形燃料を放り込み、見つけてきたガスライターで火を点ける。ほとんど真っ暗になりかけていた辺りに柔らかな光が灯り、少し心が落ち着いた。
一仕事終えた感慨に私はため息をついて、そうだ、と再び辺りを見回す。
「カンテラとかあるかも。ランプとかローソクもあるし、できるだけ周りを明るくしてみよう」
自分の言葉に後押しされ、ホームセンターの中を駆け回って私は明かりになるものを集めた。
ランプにローソク、手回し発電のカンテラ型ライトまで。バッテリー式のものを店内のコンセントに繋いでみたり。
ないだろうかと無線電源のポイントを探してみたけど、予想通り反応するものはなかった。 まあ、有線の電気が死んでるんだから無線が生きてるわけもないか。
最近はコンセントも減ってきてたイメージだけど……このイメージもどこから来たのやら。
「……大分明るくなった」
ともあれ、店内はサプライズパーティもかくやと言わんばかりの暖かな様子に変わっていた。
外はもう真っ暗だけど、ここにいればそんなに怖くない。
「ふぅ……高級ベッドでフカフカは明日かな」
引っ張ってきた毛布や寝袋の束に座り込んで、もうひとつ私はため息をついた。
そんなに座り心地も悪くない。じりじり、と目の前でたくさんのロウソクが揺れている。
バケツの中では炎がゆらゆら揺らめいていて、眺めているとぼんやり眠くなってくる。
あくびをひとつして、ウトウトと瞬きを幾つか、重くなる瞼に従いそうになったところで、
「マユ、お腹、空きませんか?」
半分寝入りかけていたところをスイに起こされた。
「んん……そうだね。ごはん、探そっか」
立ち上がり、目尻をこすって伸びをする。相変わらずお腹の空く感じはないけど、食べられないような気分ってわけじゃない。
階下に下りる。
もう随分暗いけど、店内は荒れているわけでもなく、物を探すにもさして困らなかった。
食料品やキャンプグッズの売り場に向かい、非常食や缶詰なんかを漁る。
幾つかをレジにあった大きな袋に入れて、まとめて寝袋の辺りに持ってきて撒き散らした。
「わぁ、みっともないですよマユ」
「あはは、だって誰もいないし……いな、い、えっ?」
思わず二度見してしまった。
ランプのそばに、困った顔をした白い長髪の女の子が一人、体育座りで座り込んでいる。今まさに飛んできた缶詰を避けるように身を引いていて、その子はスイと同じ声色で喋って――。
「……えと、スイ?」
「はい、マユ。スイです」
目を丸くする私とは対照的に、白い少女はニコッと笑った。
「へ……ど、どうなってんのそれ。え、化けて出たの?」
「化けて出たって。マユ、私は幽霊じゃないです」
「じゃ、じゃあ何なのさ。守護霊?」
「そういうのからは離れてくださいってば!」
困った顔でぷりぷり怒るその子を見て、私は何度か目をこする。その度、何だかスイの像が歪むというか、揺れる気がする。
「ポケット。ポケットですよマユ」
「む、むむむ」
白い少女は、私の方を指さしてから胸元の辺りをぽんぽんと叩いた。
見れば、私の胸ポケットから覗く携帯のライトみたいなところから、空間を歪ませる不思議な雰囲気のレーザー光が出ている。指で遮ってみると、スイは心底嫌そうに変な声を上げた。
「うえええ。やめてくださいい、気持ち悪いい」
「ええ、何。触っちゃダメなやつなのコレ」
「ううう、触っちゃダメなやつです。できればやめてくださいい」
胸ポケットから伸びる光線を遮るのをやめると、スイはぐったりと姿勢を傾けた。一挙一動が変に人間臭い。
「……えと、どういう仕組み?」
「ふぐ。レーザーを当てた位置と持ち主の眼の焦点の距離や、相対距離を自動計算して、その上で私の描画された位置からの視点を私は取得することが……」
「ごめん、なんか聞いてもわかんなそ……えっ、てことはスイは私を、そこから見ることができてるってこと?」
「そうなりますね」
レーザーを当てた位置から、持ち主との距離を……よくわからないが、そういうことらしい。
いや、どういうこと?
まあ要するに、彼女は私を見ることができるし、私も彼女を見ることができるということなのだろう。
「だから、そのレーザーを遮るのはやめてくださいね。私、視界が揺さぶられて混乱しちゃいますから」
「へー……SFみたいだ」
今この状況が一番SFしているのだけど。記憶をなくし、廃墟になった東京の街にただ一人。
改めて考えるとゾッとしてくる。しかし、考え込んでみても私の頭の中には何もない。
カラッポなりに、考えるより動いた方がいい……のかなあ。
何にしても。
「……明日は、誰かに会えるといいなあ」
窓の外は真っ暗なまま、ただ星だけが瞬いている。明かりはきっと、ここにしかない。
その夜はずっと、バケツの中で踊る火を眺めていた。
いつの間にか横になっていた。目にかかる柔らかい朝陽で目を覚ました。
寝袋に突っ込んだ体は、思ったより硬くなっていて痛い。
うんと伸びをして、ふと首を傾けたら。
――枕元で体育座りしたまま眠るスイにぎょっとした。近くに置かれた携帯が、ずっとスイの像を映していたらしい。ていうか、寝てるんだろうかこれって。
「ス、スイ? えと……おはよう」
「ふぇ……ふわあ。おはようございます」
おっかなびっくり声を掛けたら、眠たげな眼をこすって返事をしてくれた。
「まさか、ずっとそこにいたの?」
「そうですね、多分、そうなります」
「……今更かもしんないけどさ、電池とか切れないわけ?」
「はい。よくわからないですけど、バッテリーは減ってませんよ」
「ええ……その辺は曖昧なのかよ。まあ、寂しい思いしなくていいけど……」
よ、と寝袋から抜け出す。
伸びをすると、スイも真似するように立ち上がってうーんと伸びをした。
スイの方が少し小さいから、妹ができたようで面白い。こんな髪も目も不思議な色をした妹はいなかったとは思うけど。
カーテンの隙間から外を覗く。今日は、大きな入道雲が空の遠くに浮かんでいた。
今は九月のはずだけど、暑いという感じはしない。むしろ涼しいくらいに思う。人がいないからなのだろうか。
そういえば、人がいないだけで街の気温というのは一度も二度も下がるとか聞いたことがあった気がする。どこで聞いたか思い出せなくて違和感があるけど。
「私の記憶のカギだったりして。こういう雑学」
「え?」
「いや、こっちの話。さて……」
寝袋の上に撒き散らした缶詰がそのままだった。取っ手を引っ張れば開く簡単なタイプなので、用意してきた箸やらフォークやらスプーンやらを使えば、缶からそのまま食べられる。
「……お米食べたい」
そういえば玄米のパックみたいなのも置いてあったけど、アレは電子レンジかお湯がないとダメだったかな、後でお湯を沸かしてみようかな、などと思いながら缶を開けようとして、手を止める。
「……賞味期限って大丈夫なのかな」
「正確には消費期限ではないでしょうか」
「どっちでもいいよ、お腹壊さなきゃ」
未開封の缶を回して、数字の羅列を見つける。
「え」
驚きに声が出た。消費ではなく、賞味期限は――とっくに切れていた。
しかし、その切れた日付がおかしい。
「二千……五十五年? 待って、そんな。今、二千八十二年だよ?」
他の缶も漁る。でも、どれも一緒だった。大体、五十六年から一年とか二年とか、せいぜいそのくらいの差しかなくて、それより後の年が刻まれた缶詰はほとんどなかった。
「三十年近く経ってるってこと? 私が……私が目覚めるまでに? スイ、これってどういうことかわかる?」
「い、いいえ。私の中のあらゆる年月日に関わるデータは、現在が二千八十二年の九月二日だと示しています。それにあの、その頃に何かあったなんて記録も、私の中にはありません……」
「……わけわかんない」
缶を投げ出した。正体不明すぎて食欲が失せてしまった。
幸いそこまでお腹は空いてないけど、ずっと食べないわけにもいかない。本当につらくなってきたら――あんまり考えたくないけど、食べるしかないだろう。
「ねえ、何が起こってるのかな。これ」
誰に問うわけでもなく、私は漠然とした不安をただ呟いた。