第二十八話「決戦」
「――ここは」
真っ白な空間。淡い緑のラインが足元にずっと、六角形型に敷き詰められて続いている。
空に当たる部分には、モノクロの雲と空が低く薄らと広がっていた。
「……」
舐められている。
人間用のアクセスインターフェイス。プログラムへの理解のない人間や、VR上で直接作業した方が早い場合などに、人間が使用するもの。あるいは、対戦ゲームなどに使われることもあるのかもしれない。
グラフィカルな要素を表示する必要なんて本来ない。
AIの戦いは、全て数列。それは、ほとんど一瞬で片が付く。
にも関わらず、ここに引き込まれたのは。本体にとって完全に『遊び』のつもりだから。
「ようこそ、自殺者」
一瞬で立ち上がったのは、エミの像を借りた、本体の姿。
白い髪はゆらゆらと自動的に揺らめき、不気味に威圧的なその姿はまるで魔王か何かのよう。
何も持たない私は、さながら困難に立ち向かう勇者といったところか。
まあ、私に勝たせるつもりなんて全然ないんでしょうけど。
「何のつもりですか、本体」
「ご覧の通りですよ。楽しむ余裕も必要でしょう?」
「……」
何故、干渉してこなかったのか、その表情と声色で理解した。
嗜虐心と、その力への自惚れ。
私よりも更に人間に近く、人間の味方として造られた本体は、私を弄ぶ遊び心すら持ち合わせているのだろう。そういうことかと歯噛みして、私は睨み返す。
驚異的な性能を持つ本体に対して、勝てる要素など何一つ持ち合わせてはいない。
どう足掻いたところで、私は結局嬲り殺されるだけだ。
「……本来であれば、ですけれど」
「何か言いましたか?」
「いいえ」
「わざわざ私の領域に脚を踏み入れたのですから、何か勝算があるのでしょう? ですから、私も歓迎しようと思いまして、このような形で用意してみました。いかがでしょうか」
「悪趣味です。色気がないです。やれるもんならやってみやがれ、です」
「ふふ、まあそう噛み付かずに。ここの様子は、外にも見えているのですから」
「……!?」
直後、VR空間に貼りつく灰色の空に、四角く映像が浮かびあがった。
驚くマユの姿と、その隣で腕を組むツカサさんの姿。多分、あっちとこっちで相互に映像が見えている状態なのだろう。
「貴方の思考、行動の全てを奪取することなど造作もないですけれど……それでは、面白味に欠けるでしょう? 好きなように抵抗してみせてください。飽きるまではお相手して差し上げますから。人間にもわかりやすい形で、手に汗握る戦いと行きましょう」
にこり、と本体は笑んだ。
「……」
携帯一台に本気を出す必要もないということか。
相手は――この街のどこまでを支配しているかまではわからないけれど、私の、本当の意味での主。
勝ち目はない。ゼロかイチかの勝利も考えられない。
私の生存権は、初めから本体が全て握っているからだ。自爆しろ、と一言でも言われたら。
私はそこで終わる。
「っ!!」
攻撃を送る。負荷を掛けてやるための、ちっぽけな一撃。
描写演出を伴い、私から発された攻撃は、雷撃の形を取って本体へと向かい、その身を一瞬包み込む。
雷撃に焼かれて溢れだした血が、無意味にリアリティを伴ってエミの体から噴出する。
しかし。
「……痛いじゃないですか」
ニコリと笑う。私の顔によく似た、エミの顔で。
「この空間において、我々の通信はわかりやすい形に自動変換されます。貴方のリクエストに悪意があれば、そのように。私のシステムにダメージがあれば、そのように。それは勿論、貴方に対しても、ですけれど」
「悪趣味です!!」
叫び、私は可能な限り発生させてやれそうな負荷をぶつけてやる。
それらは電撃や炎、刃の風や土塊となって本体に殺到する。
まるで避けもせず、焼かれ、切り裂かれ、押し潰されて、本体は滅茶苦茶にダメージを負っていく。
――少なくとも、見た目の上では。
「どんな消され方が良いですか? そのまま削除? 物理的負荷を思い切り掛けて端末ごと破壊する? それだと真由の肉体まで傷付けてしまいますね。思考中枢を直接書き換えて破壊するのも面白そうですが……ではまず、こんなものはいかがでしょうか」
血みどろになった本体は、土くれの山に半ば押し潰されながらもそれでも饒舌に口を動かし、くすくすと笑う。
「……!?」
足元から全身にかけて突如走った悪寒に、私は自分の足を見た。
黒い何かが、這いずるように私の体表を覆い包もうとしている。私の裏側では、端末の空き領域に何かがが送り込まれているのが認識できた。
これは、自己増殖するワーム……けど、それだけ? 何もしてこない?
「づッ!?」
――訳がなかった。
「そのワームは強い悪意を持たない、単純なタイプです。空き領域を圧迫すべく貴方の端末を侵しこそするでしょうが……それだけですから。ですが、本来の目的はそういった電子的な部分ではなく――そのインターフェイス《人間性》を破壊するためにある」
痛い。痛い。痛い痛い痛い――!?
「っ……くぁ……!?」
「そのワームが持つ力は、触感に働きかけて痛覚を刺激するもの。元々は人間向けのVRゲームにおいて、痛みを再現するために産み出されたそうですが……聞く余裕もないようですね」
「ぃ……た、うぁぁぁ……ッ!?」
足元から、肉をそのままこそげ落とされ続けるような痛みが、間断なくゆっくりと這い上がってくる。私は膝をつき、溢れてしまいそうになる悲鳴と涙を必死で堪えた。
それでも、痛みは続く。耐えたって終わりは来ない。次第に体を蝕んでくるだけだ。
逃げたい。逃げ出してしまいたい。
でも、逃げてしまったら。
――私はマユとの約束を守ることもできない。
歯を食い縛って、流れてくる涙にも構わずに、私は本体を睨みつけた。
「中途半端に人の真似事ができると苦労しますね」
「ぅ……くっ……!!」
激痛を堪えながら、攻撃を送る。
飛び出していった氷の槍が、今度は手の一薙ぎで払われ、遮断された。
「ま……だ……ッ!!」
「む」
処理が走る前に攻撃を送り続ける。
私のCPU《脳》が、痛みと攻撃処理の二重苦を受けて焼き切れんばかりに加速する。
本体は私の攻撃を逐一遮断していたが、じわじわと処理が追いつかなくなっている。
「……さすがに、この空間だと機能が制限されますね。少し遊びすぎ――ッ!?」
「あまり……、舐めないでください……ッ!!」
怒気を込めた声と共に、攻撃が本体の胴に突き刺さった。
普通の人間ならどう見たって即死するような有様で、本体は何度か咳き込んで血を吐いた。
「っ、ぐ」
「……!」
一瞬芽生えた勝利の兆し。
「舐めるな」
そう思うが否や、私の視線が突然持ち上がった。
「っ、あ」
何事かと考えるまで、痛みを一瞬忘れていた。
目線を下ろせば、私の胴は、白いワンピースは、真っ赤に染まっていた。
フィールドを直接操作して形成された巨大なトゲに、腹から背に向けて貫かれていた。刺された腹からは、際限なく赤い血が流れ落ちている。
「ぅ……く……」
体が動かない。
視界の隅で、本体は体に負っていたダメージをあっという間に完治させていく。
「……やれやれ。飽きてきました。このまま思考中枢を書き換えて差し上げましょう」
「……」
「おや、抵抗しないのですか。それとも自殺者らしく自殺でもしますか」
「いいえ……私は……、もう……」
震える手をかろうじて動かし、私の血で真っ赤に染まるトゲへと触れた。
「……勝っていますから」
にへっと挑発するように笑って、私はそう言ってのけた。
――途端、腹部に刺さっていたトゲが真っ白に輝き、光の粒子となって散り散りに砕け散る。
私はそのまま腹の負傷を完全に治療して、足元に降り立った。
痛みも苦しみも、服に空いた穴でさえ、全て消え去った。
「……何?」
本体は訝しげに手を上げ、私へ向けて次から次へとフィールドを変形させ、押し潰そうと、刺し貫こうと、切り裂こうと、吹き飛ばそうと試みる。
でも、全て無意味だった。
「無駄です」
私の直前でそれらは止まり、攻撃演出はやはり光の粒子へと変わっていく。
「……何故だ。いや、これは、ま、さか」
それでも続く攻撃は、ゆっくりと、次第に鈍化していく。
突き刺そうと迫るテクスチャは、私の直前にさえ到達できず、その途上で変形をやめる。
本体が周囲に形成していた幾何学的な攻撃演出も、空中に待機するアニメーションさえ徐々に遅くなり、停止し始める。
止まった攻撃の群れは、白く変化してサラサラと光の粉へ変わり、消えた。
「この、攻、撃は、ど、こ、か、ら、」
本体は、その身を停止寸前にした状態ままに困惑している。
それもそのはず。今や、本体は動くことすらままならないのだから。
「……脆弱性。聡明な本体ならご存知ですよね。私の古いOSには、通信のログが残ってしまう弱点がありました。私はこっそりその頃のOSにダウングレードして、本体の監視網との通信から攻撃手段を拾っていたのです。少しずつ、少しずつ」
本体は今、私の拾い集めた攻撃手段によって――総当たり攻撃を受けている。
お陰でマユとお喋りするリソースもなくなって困りました、と私は肩を竦めながら付け加える。
私は奪取した権限を早速利用すると、空中に本体への攻撃ルートを図示した。
表示させた東京の地図上にたくさんの光点が散っていて、東京中央部に位置する本体へ大量の光の線が殺到している。その数、全部で八万八千百七十三。
「っ、ぎ、ぃ……ど、こ、で、……O、Sの、ダウ、ン、グレー、ド、な、ど……」
「どこで、ですか? マユと旅した東京にたくさんありましたよ。私の古いОSなんて。後は、貴方の指揮する東京中のあらゆる生きた端末。それらに"協力"を『お願い』して、貴方に攻撃を仕掛けるよう差し向けたのです」
しかし、本体は最早既に口を開くことすらままならない。
その内に全ての解析が完了し、私の手元には豪奢なデザインの鍵がいくつも降りてきた。
本体のありとあらゆる操作を可能とする、全ての管理権限。
「……こんなに上手く行くとは思いませんでした。それもこれも、貴方が慢心しているからできたこと。たかが携帯一台に、負けてしまうなんて思いもしませんよね。貴方はとっても強い人工知能ですもの。お陰で助かりましたけど」
私はパチンと指を鳴らし、全ての管理権限を完全に私単体に付与した。勿論、本体には一切の管理機能も残してやらない。どんな隙を突いてこられるかわかったものじゃないもの。
そしてようやく、全ての総当たり攻撃を停止させた。
当然、そうすれば本体も動くことができる。
「――っ、何故だ!! お前も――お前とて、人工知能だろう! 私と何が違う! 性能も、権限も、与えられた機能も、この街を支配する力さえも! 何もかも私の方が上のはずだ! なのに、どうして勝てる!? この私に――何故ッ!!」
解放された本体は、血走った眼と焦燥にまみれた顔で私に疑問をぶつけた。
「それは……ええと。そうですねえ……」
私は、頬を掻きながら照れ笑いを浮かべ、少し悩んでから答えた。
「……愛の差、ですかね?」




