第二十六話「私」
『私』は、行く手を塞ぐように闇の中から現れた。
帽子と、結ばれていない長い髪以外は、生き写し。
白い、とても白い肌。色のない瞳の黒。
無表情で、機械のようにさえ見えるスタンプみたいな顔。
鏡越しでなく自分を見ると、こんなゾッとした気持ちになるのか。
自分が今、きっと酷い顔をしているだろうことを思う。
考えるのを諦めて膝をついてしまいたくなる心を、最悪の気分を腹の中身と一緒に吐き出すことを、足を動かすことで打ち消した。
『私』が歩き出す前に、その脇を駆け抜けた。
「……っ」
ツカサが目に入る。
このまま、放っておいてもいい。でも、あいつらはツカサをどうするだろうか。
少なくとも、まるで用無しのようにエミから扱われていたツカサが、無事のまま済むなんてとても思えない。だから。
私は全力で走り、そのままツカサを担ぐように背負って、闇の中へと走った。
「……マユ。ごめんなさい、ずっと黙ってて」
「スイ。……いいよ、何か理由があったんでしょ?」
「はい。マユ、このまま奥へ。開放されたままの制御室があるので、そこに隠れましょう」
どうして知ってる、とは聞かなかった。
何にしても、スイは私を救おうとしていてくれるはずだ。……多分。
言われた通りに奥へ進むと、真っ暗闇の中で足元だけが非常灯で照らされた部屋が一つあった。
明かりがほとんどないからわかりにくいが、部屋の出入り口脇にはシンプルなデザインの煤けたネームプレートがあって、「第七研究制御室」と刻まれている。
カンテラの明かりを絞って通路の奥を覗くと、似たようなデザインのプレートが一定間隔で掲げられていた。どうやら扉が開いているのはここだけらしい。
どれだけ広い空間なのだろう。龍があのサイズ感だと、ここ自体途方もない大きさなのは間違いない。
私はとりあえず開いていたその部屋に駆け込むと、ツカサを背から下ろして一息ついた。
「はぁ……ぁい、っててて……」
体中痛い。擦り傷、切り傷、打撲。動けるだけマシか。さっきから痛がってばかりだ。
壁に背をもたれて、そのまま座り込んで辺りを見回す。
床中黒ずんだ何かで汚れていて、ファイルやコピー用紙みたいなのもたくさん転がっている。多分、私の知りたかった情報の幾らかは書いてあるんじゃなかろうか。
重い腰を上げて立ち、汚れてない部屋の隅にツカサを移動させる。それから、中央にあったテーブルに携帯と落ちてた資料を載せ、カンテラをかざした。
「……」
資料はすっかり土埃や足跡で汚れていて、正直触るのが嫌になるくらい汚れている。踏んだのは多分ツカサとか、あの『私』か、元々ここにいた誰かとか。
見ないわけにもいかない。私は明かりをかざすと、資料に目を通そうとする。
「……スイ? どうしたの?」
一向に喋らないスイに、私は心配になって声を掛けた。
「……マユ。私、今――」
その言葉を遮るように、足音が響く。
入口の方に向き直れば、そこにいたのはやはり『私』
「まあ、ゆっくりするような時間はくれないよね……」
「……気をつけて、マユ」
「うん」
どうにも音量の小さいスイの声に不安になりながらも、私は『私』と向き合う。
瓜二つ。ドっベルゲンガーに出会うと死ぬ、って話を思い出した。
カラッポの目をした『私』は、私と目が合った瞬間に何の事前動作もなく異様な速さで腕を伸ばした。
「い……っ!?」
ゾンビのように伸びてきた手に、私は底の見えない崖を覗いたみたいな気持ちになって、慌てて後ずさる。
――どうしたらいい? 殴り飛ばせばいいのか、蹴っ飛ばせばいいのか、それとも……この腰のナイフで斬りつける? それとも話しかけて止める?
「ちょっ……寄るな! やめて!」
腕を掴まれる。
必死で身をよじり、振り払う。
けれど、向こうがそれっぽっちで諦めるわけもない。捕まった勢いで引っ張られ――、
「っう……!?」
腹部に圧迫感のある痛み。相手の白い膝が、私の腹にめり込んでいた。
「うあっ!」
そのまま振り回されるように投げられ、受け身も取れずに私は床を転がった。
「かっ……げほっ、殺す、気かっての」
そう呟いた矢先、いつの間にか移動してきた『私』は、私の上で足を振り上げる。
「いっ!?」
体全体で避けて、顔面を踏み抜こうとしたローファーの靴底から逃れた。
やばい。完全に殺す気だ。って言うか、全く手加減とかそういう色が見えない。
無感情な『私』を睨みつけながら立ち上がろうとするが、その間も向こうは遠慮なんて一切してくれない。
「ぎッ!? うあっ、ぐっ、やめっ」
思い切り脇腹を蹴られ、間抜けな声を上げてしまう。
しかも、それは一発じゃ止まらない。二発、三発。四発目が来る前に、私は腹を守るように腕で覆って立ち上がり、追撃が来る前に部屋の隅へと逃れる。
「はっ――、はぁっ、はっ……」
蹴られたところが鋭く痛んでズキズキする。死ぬほどの痛みじゃないけど、あの遠慮のなさで何度も何度もやられたら普通に殺される。冗談じゃない。
息を荒げながら、向かってくる『私』を見つめる。その歩みが止まる気配はない。
「――っ」
私は、咄嗟に伸ばした腕で制止するように、『私』の首を掴んだ。
「お願い……だからっ、止まってよ……っ!!」
懇願するように、私の口からはそんな言葉が出る。
絞まる首に、『私』は私の腕へと手を伸ばし、圧力をかけてくる。
体勢のせいで高さが上がった『私』の目は、私をじっと見下ろしている。そこには何の感情も感じられない。機械のように、ただ見返してくる。ぞっとするほどに。
「い、づッ」
腕にかかり始めた圧迫感に、思わず私は手の力を緩めてしまう。
その直後、腕ではなく、私の首に『私』の手がぬるりと伸びてきた。
「ぁ――」
首を掴まれたと同時に、急激な圧迫感。
そのままバランスを崩して、目を閉じている内に背中に鈍い痛み。いつの間にか私は床へと組み伏せられていた。
「ぅ……っづ……」
思い切り体重をかけられ、抵抗もできない。
いや、腕はまだ動かせる。
私は咄嗟に、体の下敷きになった腰のナイフへと手を伸ばし掴む。
――けど。
このままトリガーを引いてしまえば、止めてやることもできるかもしれない。
簡単だ。相手は武器も持ってないし、密着してる。刺して少し切り裂いてやれば多分すぐに終わってしまうだろう。
でも、でも嫌だ。
私は、私は例え――『もう一人の私』でも、人を殺したくなんてない。
それを踏み越えてしまったら、私は――。
「……マユ! ダメですマユ、そのままじゃ、マユ……!」
今更のように、スイの声が聞こえる。
声は既に遠い。
目の前がチカチカする。なのに、ゆっくりと目の前は黒く塗り潰され始める。
死ぬ――?
ぼんやりと、暗くなっていく視界に『私』の顔を眺めていた。
「何諦めてんのよ、この白蛇女」
「っ――!?」
『私』の肩に手が置かれたと思ったら、その顔面に何かが飛んできた。
『私』は吹き飛ばされ、私は私で急速に戻って来た血液と酸素に、思い切り咳き込む。
涙目で顔を上げれば、ツカサが――『私』の首を掴んで、絞めあげていた。
「それ、貸しなさい」
「……!?」
「貴方の持ってるそのナイフ。貸せってのよ」
「……え、う、うん!」
慌てて、私はツカサにナイフを投げ渡す。
「悪いわね。何人目か」
そう呟くと、ツカサは何の遠慮もなく『私』の首を跳ね飛ばした。
血飛沫が、天井から床の室内中に撒き散らかされ、おまけにツカサを白く汚す。
呆然と、私はその様子を見ていることしかできなかった。
「ふん。出来損ない風情に殺られかけてるんじゃないわよ」
「……ツカ、サ。何で?」
「何で? 察しなさいよ。私だって、操られてる間に私が裏切られたってことくらい理解したわよ。耳くらいは聴こえてたの。私はアイツに――エミにまだやってもらうことがあるの」
「――じゃあ、さっきも……意識があったんだ」
「そうよ。勝手に私を操って、そのくせ私よりまともに動けないなんて、腹が立つったらありゃしない。あと、貴方もちょっとは加減してよ。責任取ってよね」
「あう……それは、ごめんなさい」
「ま、貴方もボロボロだから引き分けね。――おっと」
外から、二体目、三体目が続いて入り込もうとしていた。
が、侵入される直前、ツカサは扉の横にあった非常ボタンのようなものを思い切り叩いた。
アラートが鳴り響き、重い音と共に二人目の『私』がへし潰れた。
「うげっ」
「まったく。貴方も少しは慣れなさいよ。死にたいの?」
「い、嫌だよ! 自分殺しなんて絶対に嫌っ」
「これまでたくさんの人間を殺しといて、何言ってんのよ」
「……は?」
「気付いてなかったの? おめでたいわね。貴方が殺したたくさんの竜でなし、アレは元々みーんな人間よ? 私、そう伝えたつもりだったけど。わかりにくかったかしら」
「……あ、う」
唖然としてしまう。
そうだ。そういうことなのだ。
アレは全て、元々人間だったもの。あまりにもかけ離れた姿をしていて、繋がらなかった。
「だからって、竜でなしとも戦えないなんて言うのはやめてよね。ホントに死にたいなら構わないけど」
「……言わ、ないけど。せめて、気持ちの整理くらい……」
「うるさい。こちとら時間がないのよ。エミを縛り上げて、私はあの子たちを……みんなを、早く救わなきゃいけないのよ……!! このままじゃ……!!」
「ツカサ……えっと、どういうこと……?」
血走った目が、ギロリと私を射抜く。
思わず縮み上がりそうになったが、私は怯えず、真っ直ぐツカサの目を見つめ返した。
「……ふん。あの場所、貴方が入ってきたエリアに、黒い塊が置いてあったでしょう」
「う、うん」
「アレは……蛹なの。人間が、竜でなしになる前の状態。そして、唯一救える可能性がある最後の段階。言ってる意味、わかる?」
「わかる……けど、でもそれって……まさか」
ハッとする。
ツカサは、一人であの場所を――ユキコの側を離れたわけではなかった。
確か、もっとたくさん仲間がいたはずだと聞いていた。けど、今ツカサは一人でここにいる。
それは、つまり――。
「……ご理解頂けたかしら。そういうことよ。アレは、私の仲間。そして、竜でなしになるのを何とか押し留めてる状態なの。だから、早く聞かなきゃいけないのよ。エミに、それを止める方法を」
ツカサはそれだけ言い切ると、落ち着きなく部屋のコンソールに向かう。
「ツカサ、何を」
「何って、部屋のロックを開けるに決まってるでしょ。埒が明かない、直接本体に会いに行って、みんなを元に戻す方法を聞き出す。壊してでも」
「落ち着きなよ。またあいつらが雪崩れ込んで来たら、二人じゃ勝ち目が」
「――じゃあ、どうしろってのよ!」
狭い部屋に、ツカサの怒鳴り声が響く。
「どうしろ、ってのよ……」
震える手が、コンソールを弱々しく叩く。
涙が、ぽたぽたとその手の上に滴った。
「これまで、エミの言うことを聞いて、酷いことだってやった。たくさんの竜でなしを殺した。みんなの血を貰って、私自身がドラグナーになるための実験にだって、付き合った。みんなが、ああなっていくのを、笑って、誤魔化すみたいに笑って、見送るしかなかった。それを、それをアイツは――ふざけんな……ふざけんじゃないわよ……っ!!」
振り返ったツカサの拳が、思い切りテーブルに叩きつけられる。血と、砕けた木片が辺りに散らばる。
頬を、幾筋もの涙が伝う。肌に付いた血と混じって、薄赤い液体が散る。
「私だって、信じてたのに……」
「……ツカサ」
彼女も、一人で戦っていたのだろう。
エミに騙され、良いように扱われて。
そうして得たものが、自分自身の元に何一つ返ってこなかった。それどころか――役にも立たないと切って捨てられた。
あの時、携帯が爆発したことからも、結局彼女は捨て駒でしかなかったのか。
私は、腕を組む。
このまま放っておいたら、ツカサは飛び出していってエミに立ち向かってしまう。どんな形になるかはわからないけど。でも、そんなの絶対勝てるわけがない。
今さっきは『私』一人だったけど、それがあと何人いるかだってわからないし、下手したらまた操られてしまうことだって考えられる。
このまま行かせるわけにはいかない。
どうやって止めたものかと悩んでいたら、急に胸元の携帯が振動し、スイの声がした。
「待ってください、ツカサさん。私の話を聞いて」
その声にツカサは向き直り、不機嫌そうに目を細める。
「……エミ、いえ。スイって言ったかしら」
「はい」
変に疲れた顔をしたスイの像が現れた。
心配して声を掛ける間もなく、スイはツカサに向かい合って話を続ける。
「ここを、無事に出るために協力してもらえませんか。その為には、ツカサさん。貴方の力が必要なんです」
「……そう。それは良いけれど、貴方に協力して、それでみんなを助けられるのかしら」
「保証はできません。でも、本体……私たちの本体が持つ情報は、残らず手に入れてツカサさんにもお教えします。それじゃダメでしょうか」
「……まあ、エミに仕返しできるってんなら何でもいいわ。そうね、手伝ってあげる。もしダメだったら、貴方の持ち主も巻き込んで一緒に死んでやるわ」
「ちょっ」
冗談じゃない、と言う間もなく。スイは遮るように私に向き直った。
「マユ」
「……スイ?」
酷く、やつれたように元気のない顔をしている。
けれど、その目の奥には、確かな自信のようなものが感じられた。
「大丈夫です。信じてください」
「……わかった。信じるよ、スイ」
「ありがとうございます。必ず……勝ちます」




