第二十二話「準備」
雨が上がると、異様なほど空気が澄んだように見えた。
ビルの向こう側、柱との間ほどに大きな虹が見える。なんだか落ち着かない。無機質に見える。
空はいつの間にか完全に雲を散らしたというのに、雨降りの方がまだ落ち着く気がする。
とは言え、時刻はもう昼過ぎを回っていた。あと数時間もしたらまた暗くなってしまう。その前に、軽く外に出てヨウタ君を探しておきたい。
「燃費が良くてよかったよ、っと……」
ペットボトルに少し残った水を飲み干して立ち上がる。朝から何も食べてないけど、体は別に不満を訴えてこない。強いて言うなら喉が少し渇いたくらいで、それは今ので潤した。
「マユ」
「んー? なにー?」
ストレッチをしてたら、目の前にスイの像が現れた。
泣き腫らしたように目の周りがほんのり赤い。
イマドキの人工知能っていうのは凄いな、ちゃんと泣けるのか。
「泣いてたの?」
「泣いてないです」
「泣いてたんでしょ?」
「泣いてないです! 煽らないでください、このばかちんマユ!」
「えー酷いー。主にそんなこと言うNSなんているー?」
「ここにいますっ! このばかちん!」
「あはは」
笑って答えてやると、スイは目元を手でぐしぐしとこすってから、俯いたまましばらく黙る。
「……どうしたの?」
「……なんでも、ないのです」
そっか、とだけ応えて私は端末をそっとポケットの上から撫でてやった。
外に出る。
晴れ晴れとした陽気だ。洗濯物を干したらよく乾きそうだが、足元はなんだか黒ずんでて気色悪い。とは言え、そんなに水溜まりがあるようにも見えないので、水捌けは良いらしい。下水道とかは生きてるんだろうか。
「うーん」
相変わらず、この街に人影はない。
薄汚れたビルの側面に青空が映りこんで、不思議と空がとても広く見えた。けれど、その下を歩くのは私一人だ。
ヨウタ君は、どこにいるんだろう。
それにユキコは、無事に駐車場へ戻れたろうか。こんな時、ユキコが携帯を持っていれば連絡も簡単なのに。
――ああ、そうだ。その手があった。なぜ今まで思いつかなかったのだろう。
「スイ。あのさ、電池……減らないんだよね?」
「え? はい、まあ、減ってないようですけど」
「それならちょっと……試したいことがあるんだけど、いい?」
そう言って、私はニヤリと笑った。
ビルの群れから少し離れて、東京から上野の近くまで歩いた。
時間が掛かるかもしれないな、と予想していたけど、そうでもなかった。
東京の繁華街同士は、歩いてみると思ったより近いものだ。
「どこを目指してるんですか? マユ」
「ん。電気屋さん。それか……携帯ショップ?」
「ふぅん?」
気のない返事をするスイを尻目に、苔生して植物が這い回る、居酒屋ばかりが立ち並んだ通りの中に、携帯ショップを見つけた。
店内は携帯とかも展示されたままがらんとしていて、人の気配なんてありはしない。
ナイフを取り出す。改めて周りを見渡しても当然誰もいない。分かってるんだけど、悪いことをしているようで気が引ける。
「あの、何を?」
「ん? んー……」
私は鍵の掛かった自動ドアに、ナイフを押し当てた。トリガーを引くと、強烈な光と高音、それと物凄く嫌な臭いと一緒に鍵の部分のガラスが溶けていく。ついでに、薄っぺらい鍵の部分までをまとめて溶断した。
「げほっ、酷い臭い。これで開く……はずっ」
「うわあ、不法侵入ですマユ」
「いま、……さらっ、でしょっ」
ぎぎぎぎぎ、とホームセンターに入った時のように自動ドアを引き開ける。
あの場所ほどではないが、結構立て付けが悪くて苦労した。
盛大にドアを開けると、室内の埃が風でふわりと浮かびあがった。昼間に体育倉庫に入った時がこんな感じだったかな――と、私の中の断片的な記憶がそんな情景を思い浮かべる。
「……さて。ケーブルと、適当な端末と……パソコン動いたりしないかなあ。電源ないから無理か。一応試してみるか」
「あの、マユ。何をするつもりなんですか?」
「当ててみて」
「……携帯、使ってみるんですか?」
「そう。スイの端末から電力を分け与えて、動かすことができないかなって」
「……なるほど。そう上手く行きますかね?」
「まあダメでも、カンテラに繋いで手回し充電とかね」
「発想がアナクロです、マユ」
「どうせ私は三十年前の人間だからいーの。さ、試してみるよ」
私は、埃まみれになった応対机に、バックヤードに置いてあった新品の携帯電話を何台か並べて置いた。そこにスイの端末を置いて、これまた店内にあったケーブルで端末同士を繋げてみる。
やってることが古臭い。
今時、携帯なんか無線電源で充電できるのが当たり前だったはずなのに。
「んっ……」
「ちょっと、変な声あげないでよ」
「つ、通電する時って何だかこそばゆいんですもの」
「こそばゆ……くすぐったいって言わない?」
「どっちでも合ってますよ、ひいい」
「ふーん」
ケーブルを繋げて、しばらく待つ。
カウンターに備え付けてあったモフモフとした日焼けだらけの椅子に座り、ぶわわと舞う埃に私は咳き込む。窓の外から差す日差しが、舞い上がった塵をキラキラと照らした。
空気が流れて動き回る中、私はカウンターに肘をついて外を眺めた。
人の声はしない。今日は風も穏やかだし、竜の姿も見ない。
ゆっくりと埃が店内に再び積もるのを、穏やかな明かりの下で私はただのんびり眺めていた。
これで、人の往来があればただの東京なのに。いや、ちょっと色々と汚れすぎてるか。
……まったりコーヒーが飲みたいなあ。いや、苦いの好きじゃないしカフェラテとかが……。
「……あふっ?」
「もー、その変な声やめなさいって。せっかくいい気分で過ごしてたのに」
「し、知りませんよう。な、なんか。ふふ、ふふふ。くすぐられてるような感じで」
「……おや」
スイに繋いであった携帯の一つに光が灯った。
しばらく起動画面で停止していたが、すぐに操作可能になる。
「行けるもんじゃない! スイ、よくやった」
「え、えへへへへ。く、くすぐったい。いやあ、ますたっ、早く抜いてぇえ」
「あんたから電源引っ張ってんだから抜くわけにもいかないでしょーが。我慢しててよ」
「ふへええ」
身悶えするスイを横目に、私は携帯電話の操作を始めた。
時刻設定はデフォルトが二千五十二年。なるほど、これは食べ物とかと一緒みたい。あれ、何だかこの端末、私の携帯とUIデザインが似てるな。一昔前の型番とかなのかも。
「あっ」
「え?」
不意にスイが声を上げた。
「どうしたのよ」
見れば、スイの端末の画面が真っ暗になっている。
「……あれ? スイ? ちょっと?」
返事がない。
「ちょ、ちょっと? スイ? 返事してよ、スイ!?」
まずい、ちょっとやらかしちゃったかも。
慌ててケーブルを抜こうとして――いやでもダメなんだっけと思い留まって――直後にスイの画面が再度表示された。
「う、わふっ? 再起動していたみたいです。マユ、何したんですか?」
「あっ良かった……って、いや私は何も……うん?」
見れば、差していた方の端末に何やらウィンドウが表示されている。
『付属メモリにコピー、バックアップ完了。ОSのアップデート完了』
「……こっちの端末が、あんたの端末から最新のОSをダウンロードしたのかな?」
「ちょっと、不用意に触らないでくださいよマユ」
「まあ、普通に動いたんだし良いんじゃない? さて、電波は……」
電源の入った端末を触る。もちろん回線状況を見るため。
通常回線……なし。
Li-Fi……なし。いや、あった。スイの端末が表示されてる……Sui-079?
「あんたの端末でテザリングはできるみたいよ」
「つまり、使えないってことですね?」
「……そういうことみたいね」
期待して損した。って言うか、街が死んでるんだから電波なんてなくて当たり前だ。
じゃあ、何でスイの端末は部分的にでも動いてるんだろう……って言うのも今更か。
とりあえず持っていこうと思って、私は念のため二台目の端末をポケットに突っ込むのだった。
さて、パソコンはどうかしら。
そう思い、事務用か何かだろう何台かのパソコンに触れてみる。当たり前だけど、電源は入らない。
「やっぱダメかあ……」
「……最新の……OS……いや、マユ。ちょっと試させてください」
「へ? でも電源入らないよ?」
「気になることがあるので」
「そ、そう? じゃあ……」
私はスイの端末をパソコンのポートに繋いで、隣に置く。
パソコンの液晶に電源は入らない。お決まりの立体投射映像のOSロゴだって出てこない。けど、スイの端末側では、読み込みのインジケーターがくるくると回ってる。
「……何してるの?」
「内緒です」
「内緒」
それからまた、しばらくボーッと外を眺めていた。思いの外、時間が掛かっている。
「ちょっと、まだかかるの?」
言うと、直後にスイの像が立ち上がった。
スイは、何かを確かめるように自分の外見を見回している。
ぴょんびょん飛んだり、体を捻って足元をチェックしてみたり。
「よし、問題なしです。マユ、行きましょう」
「うん? うん。よくわかんないけど、もういいの?」
「はい。これで大丈夫です。……きっと」
「そう? よくわかんないけど、満足したならいいや」
「はい」
返事をすると、スイは微笑んだ。




