第二十一話「信じる」
外に出ると、雨が降りそうなくらい空の色が黒く染まり、夜のように暗くなっていた。一度浴びたとはいえ、もう一回あの雨を浴びてまた体調を崩したりしたら笑えない。
「どうしよう。雨降りそうだな……」
「……なる、べく、地下を移動、するか、止むまで、待つ?」
「……」
この空模様だとすぐにでも降ってくるだろう。外に出るのは多分危険だ。
かと言って地下を移動すると言っても、ビルから出て地下街の階段まで行きつくまでに降ってきたら笑えない。
「ごめん、ユキコ。雨が降ってきたら怖いし、ちょっとだけ雨宿りしてもいいかな」
「……うん、しょうが、ないよね」
そう応えるユキコの顔は、やはり少し暗かった。
案の定、それから十分もしない内に猛烈な雨が降ってきた。
窓の外を伝う真っ黒な強い雨をオフィスフロアから眺めながら、窓が溶けちゃわないかと不安になる。と言っても、ここら辺の建物はみんなそんなに汚れてなかったし、この一帯にはあんまり降ってないのかも。
そう言えば東京にはゲリラ豪雨が降るんだっけ、なんて思い出す。
雨の中、人通りの多い交差点の中を歩く自分の姿が浮かんだ。
次第に、自分が取り戻されつつあるような、そんな感覚があった。そして、自分の知る東京の姿と、この街の姿との差異が大きすぎて、なんだかとてつもなく落ち着かない。
私が知っている街は、私が失くした時間の間に、どんな出来事が起きていたのだろうか。
後ろを振り返ると、ユキコがソファの隅で自身を抱くように座り込んでいる。細められた目は、外の光が反射してうっすら湿って見えた。
「……その、ごめんね。私のせいで」
そう言いながら、私はユキコの隣に腰掛けた。
「うう、ん。しょうが、ないこと、だから」
ユキコはそのまま、自分の膝に顎を埋めるように縮こまる。
ヨウタのことだけじゃない。もう、あの場所を出てきてから丸一日近く経っている。置いてきた子供たちが心配になるのだって無理もない。
「もし、もしその……心配だったら、いいよ。ユキコだけ戻っても」
「……」
答えはない。ユキコ自身迷っているのだろう。
「私、ほら、雨さえ降ってなきゃそこそこ動けるし。心配いらないよ。ちゃんとヨウタ君も見つけて、私も無事で、帰ってくる。何だったらツカサちゃんだって止めてくるよ。……それこそ、殴ってでも」
「……そう、いうの、漫画で読んだこと、あるよ」
「え?」
「死亡、フラグって、言うんだって」
「……あ、あはは」
頬をかく。
とはいえ私自身、私一人をなんとか生かすくらいならできるような……そんな気はする。
けど、後の二つはわからない。もし、ツカサがヨウタの行方を知らなかったら? 何より、ツカサが私の話を聞いてくれるかだってわからない。
二人ならまだ説得の糸口があるかもしれないけど、私一人でできることは多分、限られてる。
やれる限りを尽くすことは、できるけど。
「でも、……もしね、もし。私が死んでも。ユキコがいれば子供たちは助かるから。ヨウタ君だって、待ってたら帰ってきてくれるかもしれない。だから――むぐっ」
「――そんな、こと、言わないで」
両手で口を塞がれた。急に手が伸びてきたから、何をされるのかと焦ってしまった。
「私、私は、マユにも、いて、ほしい。だから、マユを、置いてくこと、なんて、できない。私。また一人に。なんて、なりたくない、よ。せっかくできた、友達なのに、なくしたく、ない」
「……ありがとう。でも、私は私を自分で守れる。けど、子供たちは? そりゃ、ユキコみたいに凄い力をみんな持ってるのかもしれないけど、それでもみんなは私たちよりずっと幼い子供でしょ? 子供は、誰かが守ってあげなきゃ。見てあげなきゃ。それができるのは私じゃなくてユキコ。みんなのママの貴方だけだよ」
「…………」
ユキコは私の言葉を聞いてハッとしたように目を見開き、それから頭を下げた。私はしばらくユキコの両手を握っていたが、その内離して、窓辺に立った。
雨は降り続いている。雨脚は変わらないまま。
「……マユ」
「うん?」
「必ず、帰って来なきゃ、ダメだよ」
「大丈夫、帰ってくるって約束するよ」
できない約束はしたくないけど、言っておかないといけない台詞っていうのもある。
念の為、後でスイに遺言頼んじゃおうかな。
……縁起でもないか。やめとこ。
雨が降り出してから一時間くらいして、ユキコは駐車場へと帰っていった。
視界が悪い状態とは言え、今の東京を歩くのは私なんかよりよっぽど慣れているだろうから、心配いらないはずだ。
問題なのは、どちらかと言えば私の方。
依然、空は真っ暗でどしゃ降りのままだ。窓から下を覗くと、黒い水溜まりが方々にできていて気持ちが悪い。石油か何かが降ってるみたいだ。
ソファに座ったままボーッと外を眺めてたら、前触れなくスイの姿が現れ、隣に腰掛けた。
「マユ」
「ん?」
「雨、止みませんね」
「そうだね」
ざあざあと雨の音がする。
外の風景はともかく、その断続的な雨音はどこか心が落ち着く響きだった。
隣でスイが体育座りに体を折りたたんで、おもむろに口を開いた。さっきまでユキコも似たような体勢でいたから、真似してるのかなあなんて何となく思った。
「……マユは、どうして私を信じてくれたんですか?」
「え? そりゃ……うーん。心底信じられるってわけじゃないけど……」
「でも、信じるんですか?」
「うん。信じるよ。信じるって言うか……信じたい、かな?」
「信じたい、ですか」
「そう、信じたい。スイとはまだ二週間ちょっとしか一緒にいないけど、それでも一緒にいた時間は楽しかったし、私の味方だってしてくれたし、励ましてだってくれた。そりゃそんな相手だし、信じたいじゃん?」
「そう、ですか……」
沈黙。
屋根やガラスを叩く小さな音は続いている。
スイの横顔には、映像なのに不思議と、そこにいるような存在感があった。
「……何か、話せないことでもあるって感じ? いいよ、私何でも聞くよ。これでも聞き上手で有名なんですよ貴方のマユは。そんな記憶があったような気がするし」
「気がするって。もう、何言ってるんですか。……私は、マユがわからないです」
「ふぅん? まあ、心読まれてわかるわかるなんて言われたら、そりゃ気持ち悪いけどさ」
「そういうことじゃなくって。……何故、信じられるのかなって」
「何故って、今言ったばかりじゃない」
「……私には、その、理解できない、と言いますか……いえ、マユを馬鹿にしてる訳じゃなくて、その。うーん……」
「そこは、人工知能と人間の差とかじゃない? まあ、私と同じ立場で、ユキコだったら別のことを言うかもしれないし、ツカサなんかだったらやだー信じない―とか言うかもしれないし、人それぞれでしょ。スイは、私以外の人間のことは知らないし」
「……はい。私はマユのことしか知りません」
「でしょ? だから、そういうものなんだよ。従者を信じる良い主で良かったね、スイ」
「……そう、ですね。私は幸せ者です」
「幸せ者ってテンションじゃないんだけど。幸せならもっと楽しそうにして見せてよー」
「……」
スイは、なんだか今にも消えてしまいそうな儚い笑みを見せた。
「あの、ですね。マユ。私…………ううん、ごめんなさい。言いたいけど、言えないんです。知ってるけど、伝えられないんです。全部、ロックされてるから。私じゃ、開けられないから。だから……ごめんなさい。マユ、私からも、マユにお願いがあるんです」
「……お願い?」
気になることをいくつか言ってるけど、それよりも。
必死にそう言うスイのお願いの方がよっぽど気になって、私は聞き返す。
「どうか……どうか、死なないでください。生きてください。もっと、もっと一緒にいましょう。一緒にいて、もっと色んなところに行きましょう。私は、ずっとマユと旅がしたいです。私、マユと一緒にいたいです」
「へ? そりゃ一緒にいられるならずっと一緒にいるよ。失くしたりしない限り」
「失くさないでください」
「失くさないよ。冗談冗談。……どうしたの? 何かあったの?」
「いいえ。何も。何も……ないんです」
「それならいいけど……」
スイは堰を切ったように言い終わると、私に視線を合わせないまま、再び窓の外を見始めた。
「……マユ。私も、マユに触れられたら良かったのですが」
「どうして?」
「それは、その……ううん、なんでもないです」
「……?」
スイは泣きそうな顔をしていたけど、不意に立ち上がると、私の目の前に立った。
「ふぇっ? な、何?」
「……」
無言のまま、スイは私を抱きつくような挙動で向かってきて――
――私の体をすり抜ける。ソファと、私と、両方にめり込んでるような形だ。はたから見たら凄い絵だろう。
「……スイ?」
「……え、へへ。やっぱり、触れないですよね。当たり前ですけど」
スイは姿勢を元に戻すと、照れ隠すように、けれど寂しそうに笑った。
「……スイ。こっちおいで。座って」
「え?」
ぽんぽんと、私は自分の座るソファの隣を叩く。
「おすわり!」
「マユ、私犬じゃないです」
「いーからー。おーすーわーりー」
「……わう」
犬の鳴き真似なんかして、スイは隣に座ってくれた。
こっちを見て、スイはもう一つ鳴き声を上げる。
「わう」
「犬はもういいから……ほら、膝。手、置いて」
「置いてって言っても……私、映像ですもの。置けないです」
「貴方は端末にいるんでしょ? だから、ここにこれを置けば手を結んでるのと一緒! 違う?」
「……えっと、違うと思います」
「合わせろよ! そこは合わせておいてよ!」
「ふふ……ありがとうございます。マユ」
スイはそっと、私の膝の上、自分自身の上に手を置く。
それからしばらくそのままで、二人で雨が上がるのを待っていた。




