第二話「探索」
出てきた部屋に一度戻ってみたけど、暗くて何も見えなかった。
手探りで調べてみたけど、私の寝ていたものと同じようなのが何個か並んでたように思う。
なんだか薄気味悪くなって、私はそそくさと表に出ると、スクランブル交差点を抜け、道玄坂の方へと足を進めていた。
歩く最中に見た景色はどこもかしこも似たり寄ったりだった。
白かったはずのビルは、茶色とか灰色で薄汚れて見る影もない。ガラスは所々歯抜けに割れていて、屋上の辺りから伸びた植物がカーテンみたいに垂れ下がっている。
壁面やビルの天辺に飾られた広告は、どれも剥がれたり、赤く錆び切って看板部分しか残っていなかったり。折れて下に落ちているものもある。
アスファルトは反り返って剥がれてしまっていて、下に見える土からは植物が顔を出している。
綺麗な石畳の床も、デコボコに外れて歩きづらい。
見渡す限り、廃墟。都会の死体だった。
「……何が起こったんだろう」
店先のショーウィンドウで横倒しになったマネキンは、服の代わりに白い埃で化粧している。
ビルの中を覗くと、明かりがほとんど差さないせいか真っ暗だ。昼なのに、そこだけ夜を切り取って持ってきたみたいに。
ビルの合間にいるのが落ち着かなくて、私は足早に通りへと抜けた。
道路に据え付けられた赤く錆びた青い標識が、かろうじて行先を示している。
「……あっちが渋谷で、ここ、道玄坂を登っていくと世田谷の方に出る。反対に、下ってくと表参道とか六本木があって、それを抜けると港区とか千代田区の方に着く。……なんで私、こんなに詳しいんだろう?」
「……マユ、私要らないんじゃないでしょうか」
元気なく言うスイに、そんなことないよ、と否定しながら歩く。
どうしてこんなに東京の地理に詳しいんだろうか。歩く風景はどこもかしこも見覚えがあるし、その全てが廃墟になっていることを除けば、頭の中に地図さえ浮かぶ。そこに溢れる人の姿はイメージできるのに、私は誰一人他人の顔を覚えていないけれど。
「えーと……スイ?」
「はい、何でしょうかマユ」
「……機械に名前呼ばれるのって落ち着かないな。まあいいや、今は、西暦何年の何時何分?」
「はい。今は二千八十二年、九月一日のちょうど正午を回ったところです」
「ふむ」
腕を組む。
私が知っている年で間違いない。年だけ知ってるのも妙な話だけど。
ただ、目を覚ます前がどんな季節だったか、いつ頃だったかはさっぱり思い出せないので、自分がどんな場所でどんな風に過ごしていたかもわからない。けど、暑さがつらいってほどではないし、北国や寒いところにいたわけではないんだろう。たぶん。
九月。その割には涼しい気がするけれど。
しばらくこめかみに指を当てて考えていたけど、私が今どこに行くべきか全く思いつかない。
「……目的地がないね。ねえ、スイ。廃墟になっていない所はどこ?」
「はい。検索しています。検索結果が出ました。その、言いづらいのですが」
「言いづらいのですが?」
「えっと。東京近郊、至る所、私の目の届く範囲全て――」
「……そっ、か」
登りかけていたボロボロの階段に座り込む。
お尻が汚れちゃう気もするけど、まっ平らなところに座り込むよか多分マシ。
自分の膝に肘をついて、私はスイに続けて質問する。
「東京以外は?」
「申し訳ありません。どうにも、東京以外の地図を読み出せないのです。インターネットにも酷く限られたアクセスしか認められていないようで、それ以外の情報は……」
「ふーん……」
返事をしながら首を反らせて背後を見上げた。
清々しいほどの青い空。そして、その清々しさにそぐわないほど壊れ切った建造物。
後ろにそびえる大きなビルは、ミサイルか何かでも喰らったみたいに、中ほどに大きな穴が空いていた。私の腰掛けた階段も、竜巻でも通ったのか、敷き詰められていたはずの石がほとんど引き剥がされて、そこかしこから雑草が生え始めている。
空も空気もひたすらに穏やかなのに、その下に広がる街並みは完全に死んでいた。
「じゃあもう……アレくらいしかないかなあ」
飛び跳ねるように立ち上がり、手のひらで屋根を作りながら「それ」を見つめる。
それ――見上げた青空を裂くように、あからさまに目立つおかしなものが突き立っている。
黒い。光すら反射しないほど異様に黒い、大きな大きな柱――のようなもの。
信じられないほど大きい。ここからじゃ見えないけど、多分スカイツリーよりもっと大きいんじゃないだろうか。平気で1キロくらいの高さはありそう。
どうやら、このまま坂を下っていった先、たぶん……千代田区くらいに刺さっているのだろうか。東京駅とか、その辺りかもしれない。
「何だろうね、アレ」
「何でしょうか。正体不明です。ちなみに、あそこに立つ以外にも何本か存在することを確認しました。全部で……私に観測可能な範囲では、七本ほど……」
「マジ? ミサイルとか核爆弾の残骸だったらどうしよう」
「ミサイルかはわかりませんが、核爆弾でしたらもっと酷いことになっているのでは」
「それは……そうかも。詳しくないからわかんないけど。うーん、行くアテもないし、まずはアレを目指して歩いてみよう」
「はい、マユ」
よいしょ、と立ち上がって伸びをする。
センター街からここまで、そこそこ歩き続けてきたつもりだけど、あまり疲労を感じない。お腹も空かない。
知らないうちに改造でもされちゃったのかな、と怖がりながら、私はまた歩き始める。
「まさか、マジでタイムスリップしちゃったとか、ないよね」
「西暦は二千八十二年。先程も確認はしましたが」
「うん。それは覚えてる。年だけ覚えてるってのも不思議な感じだなあ。なんか、憶えてることだけは確信みたいなのがあるっていうか」
確信。それが本当かどうかすら私には判断する材料がないけれど。
私は、私を保証してくれるものがほしい。
そう思いながらずっと歩き回ったけれど、日が傾くまで、ただただ廃れた街並みが広がっているばかりだった。
「……ちょっと、歩き疲れた」
「その、マユ。あまり気を落とさないで」
「落としてないよ。そもそも、落とすものも持ち合わせてないっていうか」
頭を掻く。ボロボロになったホームセンターの自動ドアに寄りかかりながら、スイにぼやく。
気を落とすも何も、私は私に覚えがないものだから、不安になる理由もあんまりない。
いや、本当にそうなのかな。私、身寄りも思いつかないし、行くアテもほとんどないし、もし、このまま何も見つからなくて、それで……。
……やめやめ。考えない。憂鬱になるだけだし。
正直不安な気持ちはある。けど、考え込むと動けなくなりそうで怖い。
「もう日が傾いてきてる」
大きな柱の向こうに夕焼け空が見える。空が澄んでて綺麗だ。
そういえば歩いてる時に二本目の柱を見つけたけど、どこに刺さってるかまできちんとは確認してないな。
人がいなくなっても、この景色は変わらないみたい。空気は良くなったかも。見通しが良くて、どこにも光が灯っていないせいか、空の終端の暗い部分にはもう星が瞬き始めていた。
星を眺めるのも久しぶりな気がする。いつも真っ暗なばかりで、見えても満月くらいで――
「――やばい。感傷に浸ってる場合じゃない。さすがに真っ暗の中で夜を過ごすのは嫌だ。行こう、スイ」
「えっと、はい。寝具店でも探しましょうか?」
「それもどうだろ……いや、アリかな。最高級の布団で幸せに眠るのは悪くないかもね」
よいしょ、と立ち上がる。目的地にはまだ距離があるし、ここいらで休んでもいいだろう。それに、お腹こそ空かないけど、何か食べておいた方が良い気もする。
「ふむ。不法侵入は不本意なんじゃが」
「……何ですか、その喋り方?」
「余裕は大事だよねって。茶目っ気がないと疲れちゃうでしょ、こんな状況なんだし」
「はぁ」
機械だからユーモアは通じないのかな、と振り返る。
電気ひとつ点いていない、ホームセンターの中が見えた。
店内に放ったらかしの自転車が、赤い西日に照らされてきらきらしている。
「よし、入ってみよう」
ぱしん、と拳を手のひらに叩き付けて気合を入れる。
「……ふっ!」
手動ドアになった自動ドアの間に指を突っ込んで、無理やりこじ開ける。
「うぐぎぎぎ……」
ざりざり、がりがり。物凄い音がする。ドアレールが砂や小石を噛んでいるのかもしれない。
ていうか、重い。恐らく、放置されていたことで錆びついてしまったり、汚れてしまったこともそれに拍車をかけているんだと思う。通電していない自動ドアとはこんなに開けづらいのか。
ぎぎぎぎぎ、と耳に刺さるような歪な高音を立てながら、ゆっくりとドアが開いていく。
「あ、開いたー……」
全開に開き切ってから、私は両腕を上げて喜んだ。思ったよりしんどかった。
「力持ちですね、マユ」
「まあ、このくらいは……うーん」
肩を回したり、力こぶを作ってみたり。わからないけど、きっと腕の細さは変わってない……たぶん。私、こんなに力あったっけ。
ホームセンターの中を見る。風が通ったせいか、中に向けて、後ろから冷たい風が吹き抜ける。
「……夜、冷えそう」
日が暮れてきて、空気が冷えてきたみたいだ。相変わらず中は真っ暗だけど、このまま外にいる訳にもいかない。これからどんどん暗くなるのだから。
「……よし、急いで明かりになるものを探そう」
「気を付けてくださいね、マユ。暗いですし」
「うん……何も、出ないといいけど」
幽霊とか出たらどうしよう。曖昧な不安を抱えながら、私はホームセンターの中へと入っていった。