第十六話「歌」
「……ん」
その夜。
スイが涙目になって私がホクホクになるまでずっと着せ替えを楽しみ、ご飯を食べて。
焚火の側でいつの間にか私は寝入っていた。格好が格好なので子供たちにも随分とからかわれたけど、最早後半は慣れてそのままボードゲームやトランプなんかをやったりしていた。
ふと目が覚めて、喉の渇きを感じた。
「……またあの部屋、使わせてもらおうかな」
備蓄してあるペットボトルから水を飲みながら、辺りを見る。
私の座っていた近くで像を立ち上げたまま眠るスイ。相変わらずどうなってるのか不思議だけど、遠慮なく近場の端末を持ち上げて睡眠妨害してやる。猫みたいなフニャフニャした声を上げてから、像を消して端末は私のポケットに収まった。
「まゆ……」
「機械なのに寝ぼけるんかい……」
起きる様子もないスイをポケットに入れたまま、私は上の階へと向かう。
暗く明かりもないそこは、ライトでも持っていないとまともに歩くこともできない。が、今日に限っては満天の星月夜で、月の光が窓から差し込んでいた。
窓辺に近寄って、外を眺める。
ついでに夜風に当たろうと思い、古びた窓をちょっと開ける。
ひゅぅ、と冷たい風が私の横顔を撫でて吹き抜けていった。
「……?」
何か、聞こえる。
風に乗ってほんの僅かに響いているこれは――歌声?
耳を澄ませても何を歌っているか聞き取れないほどの小さなものが、どこかから流れてきている。
「……誰の声だろう」
ユキコは近くで寝ていたし、見覚えのある子たちもみんな近くで眠っていた。
となると、歌の主はここの住民以外になる。
「ねぇスイ。起きてよスイ」
「むぇ……どうしました、マユ」
寝ぼけた声が端末から聴こえてくる。
「この歌声。どこかから聴こえてくるんだ。聴こえない?」
「うたごえ……?」
「ほら、この声だよ」
むにゃむにゃと眠たそうな応対をするスイ。窓から端末を突き出して、耳に入るようにしてやる。
「……何も聞こえないですよう。落っことさないでくださいね……」
「マジ? 耳の性能だってそっちのが良いでしょうに」
「んー……」
ダメだ。役に立たない。
相変わらず歌声は聴こえている。さっきよりは風が弱まったせいか、少しだけ聞き取りやすくなったような。
澄んだ声は、静かな夜を彩るように冷たく、不思議と寂しげに聴こえていた。
「……外に出るのは、危ないか」
一度下に戻って、望遠鏡を取ってきた。
が、望遠鏡で外を眺めても、それらしい人影なんかは見当たらなかった。
「……あれ」
遥か遠くの通りの合間に、あの黒い竜がいた。月明かりの下とはいえ、元が黒いのもあってその形に切り抜かれた影にしか見えない。
どうやら竜は、その歌声に聴き入っている――ように見えた。身動きする様子もなく、竜は姿勢を固定したまま歌のしている方をただぼんやりと眺めている。動き出す気配もない。
私も、呆然とその歌声を聴いていた。
なんだか、どうしようもなく寂しい気持ちになってくる。ただ聴き入って、立ち尽くしていたくなるような。一人でいるのが苦しくなるような。
――急に、ガラガラと小さな金属音が下から響いた。
驚いて窓から顔を出して下を覗くと、シャッターが少しだけ開いていて、青い髪が風に揺らめいているのが見えた。あの背丈は――子供たちの誰か。ユキコではないだろうけど、こんな夜更けに急に出て行くなんて。
そう思った直後に、
「――!?」
青い髪の誰かは、人間離れした跳躍力で飛び上がった。
下に広がる平屋の低い建物の屋上に着地することを繰り返し、誰かは段々と離れていく。止めることも声を掛けることも叶わないくらい、あっという間の速度で。
暗い闇の中に消えていく誰かは、呆然としている内に完全に見えなくなった。
――けれど私は、月明かりにこちらを見たその人物の顔を見てしまった。
「あれ……あの子だった」
そう――あの子。
青い髪の誰かは、私をこの場所に引き入れた口数の少ない少年――ヨウタの顔をしていた。
翌朝。
私は夜中にユキコを起こし、事の顛末を詳しく聞かせた。
ユキコは初めこそ驚いていたものの、夜に動くのは危険だから、明日の朝に探しに行こうと提案してくれた。
朝起きて下に降りると、子供たちはいなかった。それぞれ任せられた仕事をしに行っているか、ユキコに遊んでいるように言われたのだろう。
ユキコは、焚火の前に座ったまま身を抱いて固まっていた。まるで何かに怯えるように。
「ユキコ?」
「……マユ」
後ろから声を掛けると、警戒するように振り返って私の方を見る。酷く不安げな顔をして。
「どうしたの、ユキコ。そんな顔して」
「……」
目を伏せて、ユキコは押し黙る。
「マユ、は……ううん。マユ。私、私たち、マユに話してない、秘密が、あるの」
「……うん」
わかっていて、私もあえて触れていなかったことではある。
「私、たち、が、雨を浴びたことで、変わったこと、は。この、目と、髪だけじゃ、ない」
「……」
目の色、髪の色。それだけでも、私の知る人間と比べてみれば十分に異様なものではあった。
そして、私を背負って長時間の行程を休まずに歩いたユキコの体力。
それだけならまだいい。あの少年が二度も見せた異常なまでの身体能力。
「マユ。あのね、怖がらないで、聞いて。私たちの、こと」
そう言うと、ユキは私の両の手を包むように握る。思わず私はドキリとしてしまったが、彼女の目は真剣そのものだ。
私が黙って頷くと、ユキコは浮かない顔のまま私の手を引いて外へと連れ出した。あの少年が外へと飛び出した、小さなシャッターを開けて。
「……その、マユ。驚かないで……ね? ううん、驚いちゃうと、思うけど」
「……? うん」
扉の前に立ち、後ろには屋上を背にして。
ユキコは深呼吸して、軽く腰を落としたかと思った直後――視界から消えた。
……いや、私の目は微妙に追えていた。
彼女は、身長の何倍もある屋上へと向けて、軽々と跳躍して見せたのだ。しかも、後ろを見ることさえなく、バク転の要領で。
驚いた。いや、恐怖は抜きにして、素で唖然としてしまった。
見上げれば、ユキコは恥ずかしそうに屋上の縁から顔を覗かせている。多分、あそこまでの高さは十メートルくらいある。
ユキコは、やはり何の躊躇もなく、その高さから平然と私の近くに降り立った。着地寸前で一回転までしてみせて。当たり前だけど、怪我の一つさえしていない。
普通の人間の曲芸師やサーカスの演者だって、こんな真似は絶対にできっこない。
「……驚いた、って、顔、してるね」
無言で何度も頷いてしまった。私は相当間抜けな顔をしているに違いない。
「……これが、私たち、の、力。子供たちも、みんな、同じ力を、持ってる」
個人差はあるけど、と最後に付け加えて。
「力も、視力も、脚力とか、他の、色んな力も。多分、普通の人間とは、比べものに、ならない。……怪物に、して、しまうの。あの、黒い雨は。これが、子供しかいない、私たちが、今も、生き残ることができてる、理由の、一つ……やっ、ぱり、怖かった?」
「ううん。さすがにちょっとビックリしちゃったけど……その、凄い力だと思うよ」
もうちょっとマシな言葉選びはできなかったものかと思う。それでも、ユキコはほんのり笑みを浮かべてくれた。
「……あり、がとう。でもね、マユ。私たちも、この力に、良いことだけあるとは、思ってないの。何か、あるかもしれない。悪い、こと。ひょっとしたら、大人みたいに、なってしまうかも。……そう考えて、お姉ちゃんは、いなくなったんだと、私は、思うの」
「そっ……か」
話だけ聞けば、とてつもなく便利な力。
人より早く動けるし、力もあるし、目もいいし。
まるで、野生動物みたいに体が強化されて。でも、果たして本当にそれだけなんだろうか。目の色は変わり、髪も染まり、変わったのはそれだけか。
誰も答えられる者はいない。それに何らかの危惧を抱いて、ユキコのお姉ちゃんは出て行ったのかもしれない。まあ、ユキコに対しての色々は――理由がわからないままだけど。
「……私も、そうなる可能性は否めないわけだ」
身をかき抱く。
この妙に調子が良いのも、気分がいいのも、全部雨のせいかもしれない。
「私も、飛べたりして」
「……まさか」
そうだよね、と肩を竦める。
私はそのまましゃがみ込んで、全力で上に飛んでみる――が、
「わと」
普通にジャンプした程度に収まった。
「まあ、そりゃそっか」
「……マユは、お願い、そのままで、いて」
ユキコに、再び両手を掴まれて、心底真剣な顔でそう言われた。
「心配しなくても、私はこのままだよ。……たぶんね」
とは言え、何の保障もできない現状にあることは間違いなかった。
「多分、あっちだったと思う。暗くてよく見えなかったけど……」
昨晩見かけた竜は、既にあの場を去っていたようだった。用心して日が昇ってからもう一度あの場所を観察してみたが、何もいる様子はない。
「あんだけデカイと身を隠すのも大変そうだし、ね……と」
くるくると周りを観察して、何もいないことを確かめる。屋上から覗く範囲に脅威はなさそうだ。
下に降りて、ユキコと合流する。
今日は、いつものワンピースと緩いパーカーの組み合わせではなく、動きやすそうなホットパンツにシャツと薄手のパーカーの組み合わせだ。短い髪が快活そうな雰囲気を際立たせていて、ちょっとボーイッシュな感じ。薄着なせいで胸が強調されてるのが気になるけど。
ていうか、背丈があるせいでスタイルがめっちゃ良い。ずるい。ずるい。
対して私は洗ってもらったシャツにスカートだ。スパッツを貰ってスカートの下に履いてるけど、女の子しかいないし履いててもしょうがない気も。 いや、恥じらいは大事か……。
改めてユキコを見る。
十センチくらいは違う。うーん、身長が欲しい。
「……そうだ、子供たちは大丈夫なの?」
いや、まあ、そんなことより。みんなを置いていって問題ないのかと聞いてみる。
「うん。今日、一日くらい、なら、大丈夫」
そっか、と頷いて、私はユキコと一緒に歩き出した。




