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第十四話「黒い雨」

 「……ねーちゃん、いつの間にそいつらと仲良くなったの?」

 「ん? んふふ、秘密」


 助けた二人にまとわりつかれて、頭の上と腰にくっつかれる形でそれぞれ引っ付かれている。

 やっぱり、私力ある気がする。二人を抱えてもそんなにつらくない。リュックに体重掛けられるとつらいし、頭バシバシやられるとさすがに……さすがに……。


 「っておいコラ、ショウぅ!! 頭叩くのやめんかァ!!」

 「へーへへへー行けー白マユ号だー」

 「白マユ言うなって、リリちゃん重い重い腰側に体重掛けるなコラコラコラー!!」

 「ふふ、ふ、マユも、すっかり、仲良しだね」

 「あんまり笑える状態じゃないんですけど!!」


 子供たちにぐらんぐらんぶら下がられながら、私達は地下へと戻ってきた。


 「あ、っていうかシャワーのとちゅ……ちょ、ちょっとショウどこ触ってんの! だめ!」

 「ほら、みんな、マユに、シャワー浴びさせて、あげて」

 「はーい」

 「やっこかった」


 ヨウタに似た雰囲気の子がショウ、二つ結びの女の子がリリだそうだ。自己紹介してもらった。しかし、どの子も苗字がないのが気にかかる。後でユキコにどうしてか聞いてみようかな。


 二人に降りてもらい、シャワー室に入る。一個しかないので、他の濡れた子たちは順番にユキコが洗うそうだ。


 ワイシャツを脱衣籠に入れて、それから二秒ほどして気づく。

 ……私、下着着けないで動き回ってたのか。


 あ、でも下は履いてた。よかった。


 シャツは黒く薄汚れていて、まるで空気の汚れた場所の雨を浴びたみたいになってる。いや、ひょっとして実際に汚れてるのだろうか。それが雨になって……。


 ――そんなはずないか。東京の空は、私が見る限りでは綺麗だし。


 「……なんとも、ないですか?」

 「ん?」


 脱衣籠の隣に置いた携帯から声がする。


 「雨、浴びたじゃないですか」

 「え? あー、そういえばそうだね。でも、なんともなかったみたい」


 顔をこする。白い肌が、あからさまに黒く汚れているのがわかる。煤か何かみたい。


 「いづっ」


 シャワーを出し、冷たい水が体を覆うと遅れて痛みがやってきた。

 頬に触れると、わずかに腫れている。さっき竜の尾に叩かれた場所だ。血くらい出てるかと思ったけど、軽い腫れで済んだらしい。我ながら幸運だ。

 じゃばじゃばと水を浴びながら、自分の表面を覆っていた汚れが落ちていくのを感じる。黒い汚れ。皮膚を滑って、足元の排水溝に流れていく。黒い、水たまり。


 「あ……あれ……?」


 黒い。とても黒い。

 足元、全部が真っ黒に見える。


 ……違う、暗いんだ。電気は元々ないけど、外の光が入ってたはずなのに。

 ――水の音が遠のく。頬の痛みを中心に、全身が熱を持つように鈍い痛みが走る。心臓の鼓動に合わせて、痛みが次第に体中に回っていく。


 ちょっ、と、待って。何、が、起きてるの。


 「ぁ、うぁ……っ」


 シャワールームの壁にもたれかかる。その内、体を支えることができなくなって、私はずるずると座り込んでしまった。血の気が引いていく感覚がする。何も見えない。寒い。


 「……マユ?」


 その声が酷くうっすら聞こえた。


 「……ぅ、く」


 返事が、できない。喉が腫れてるみたいに、息が詰まって目が回る。

 もう、何も見えない。


 「――ぁ、……り、……で……たか」


 スイの声が、遥か遠くから聴こえたような気がした。







 「――マユ?」

 「っ、ぅああ!? ……ぁ、えっ?」


 目が覚めた。柔らかな明かりがぼんりと浮かぶ空間にいる。とても静かだ。

 視線を上げれば、涙を浮かべたユキコの顔が目の前にある。


 「――っ、良かっ、た。良かった、マユ」


 はたはたと私の頬に涙が落ちる。体温が上がっているらしい体に、その冷たさは心地よかった。


 「……なっ、え……? 私、どうし、ちゃったの……?」

 「ま、だ、ダメ。寝て、なきゃ」

 「ふうぅ」


 起き上がろうとしたら肩を掴まれて無理矢理寝かされた。ユキコの目はとてつもなく心配そうな色をしている。その肩を私も掴み、弱く押し返す。


 「だ、大丈夫だってばユキコ。っていうか、私どうしたの? 何があったの……?」

 「何も、覚えてない、の……?」

 「う、うん。あ、いや、なんか気分が悪くなったような記憶はあるけど……」

 「マユ! 良かった、意識が戻ったのですね」

 「スイ」


 ユキコの隣にスイの像が立ち上がる。こっちもユキコに負けず劣らず心配そうな顔をしていた。


 「マユ、シャワーを浴びてる時、急に倒れてしまったんです……」

 「そう、なの。スイ、ちゃんが、すごい、アラーム、鳴らしてくれて。それで、私、たちも、気付いたの。マユ、ホントに、おかしなところ、ない?」

 「えっと、うん。平気……」


 起き上がろうとするとユキコが凄い顔をするから、おとなしく寝ておいた。


 改めて、自分の体を確認する。

 腕、付いてる。足、付いてる。気分、悪くない。どこもおかしくない。強いて言うなら、目覚める前よりもむしろ体調が良いような気がするところくらい。


 「……あれ」


 頬に触れると、痛みがなかった。腫れも引いてる。


 「怪我が治ってる……くらいかな?」


 頬をかきながら、誤魔化すようにそう言う。


 「……そう。何も、なさそうで、よかった」

 「うん、だからもう寝てなくてだいじょう」

 「寝て、なさい」

 「……はい」


 やっぱり止められた。もう、平気だって言ってるのに……。


 「そういえば、ここは?」

 「私達の、寝床の、上の階、だよ。みんなは、下にいる、から、安心して」

 「えぇっ、じゃあ私担ぎ込まれたってこと? ユキコが運んでくれたの?」

 「……」


 無言で力こぶを見せる素振り。何だこの子、可愛いぞ。


 「えと、ありがとう……ごめんね、迷惑かけて」

 「ううん、無事で、良かった。本当に」

 「こんな所あったんだね」

 「うん。元々は、私の、お姉ちゃんの、部屋だったの」

 「お姉ちゃん、いたんだ」

 「うん。二つ、上の、お姉ちゃん。でも、出てった、みんなと、一緒に、いなくなっちゃった」


 懐かしむようにそう言うユキコの横顔は寂しげだった。


 ほとんど目と首だけで見回してみると、なんだか壁中に色んなポスターが貼ってある。アニメかゲームか、暗いからよくわからないけど。

 点々と置かれた蝋燭で照らされる室内には、漫画や、オモチャのようなガラクタ、人形からぬいぐるみまで節操なく様々な物が置いてある。まるで男女兄弟の共同部屋みたい。


 「お姉ちゃん、漫画も、かわいいものも、かっこいいものも、全部好きだったの。ゲームなんて、電気がないから、やれないのに、ゲームの本、取ってきて、やったつもりに、なってた。とっても、楽しそうだった」

 「そうなんだ。なんか、やんちゃそうなお姉さんだね」

 「うん……まあ、そう、かも。男、勝り? って、言うのかな……姉妹、なのに、全然、似てない、し。おかしい、よね」


 ユキコがこんな性格の子だからか、なんだか姉の想像がつかない。高笑いしてテンションも高く男の子を引っ張り回したりするんだろうか。そんなイメージが浮かぶ。


 「そうだ。マユ。私、下にいる、けど、時々、見に、来るから。ちゃんと、休んで、ね?」

 「あっ、うん。わかった」

 「……ちゃんと、休むん、だよ?」

 「わ、わかってるよう。信用ないなあ」


 私の返事に微笑むユキコを見送ると、私は布団に戻った。

 ふと見れば、横になっている布団も随分質の良さそうな感じだ。えらくモフモフしている。これも、ユキコのお姉さんが使っていた物なのだろうか。まあ、今は有難く使わせてもらおう。

 枕に後頭部を埋めたまま、天井を眺める。暗くて見えない。


 「……」


 沈黙。蝋燭の炎のせいか、ほんの僅かに空気が揺らいでいる気がした。派手な色合いのカーテンが陽光を遮っていて日も当たらず、涼しい。心が落ち着く。――だけど、


 「……暇!」


 起き上がろうとする。


 「ダメですよ、寝てないと」

 「わぁっ。きゅ、急に出てくるなよ」


 遮るようにスイの像が突然真正面に立ち上がった。


 「ユキコさんに『ちゃんと見てて』ってお願いされたので、マユもちゃんと寝ててください」

 「ええぇぇ。だって、こんなに元気だし……」

 「また倒れたらどうするんですか。ほら横になって」

 「ぶー」


 不満をあからさまに顔に出しながら横になる。スイは腰に手を当てて見張りモードだ。


 「……そういえばさぁ、スイ?」

 「はい、どうしました?」

 「私が倒れた時、何か言わなかった?」

 「私がですか? 心配して声は掛けましたけど……」

 「んー、そっか。私、どうなっちゃってたの?」

 「……えと。マユ、倒れちゃって、シャワー室から引っ張り出されたのです。声をかけても起きなくて、ぐったりしてて。でも、息はしてたそうなので、ユキコさんが服を着せて、雨が止むのと一緒にこっちへ帰ってきたんです」

 「そっか……帰る途中は何も起きなかったの?」

 「はい。ユキコさん曰く、『あの辺には、マユがやっつけたアレしかいなかったから』だそうで……」

 「ふーん……」


 あいつら、実はそんなに数がいないのかな。

 まあ、確かにたくさんいたら私も道中無事で済んじゃいないか。


 「……マユ。あんまり無茶しないでくださいね。私も心配してるんですから」


 布団の横に座り込んで、ため息をつくスイ。

 この子も、なんだかんだでよく心配してくれる。口は微妙に悪い時もあるけど、私のかわいい大事な味方だ。


 「うん。ありがとう。……けど、さっきの……」


 毛布を口元まで被りながら、シャワー室での出来事を思い出そうとする。


 「いづっ!?」


 ずきり、と頭が痛む。目を覚まして初めて記憶を掘り起こそうとした時と似た痛みだ。


 「……思い出すな、ってこと?」

 「……ゆっくりで良いのですよ、きっと。あんまり慌てると追っつかなくなっちゃいます、マユ」

 「そう、なのかもね」


 鼻から肺にいっぱい息を吸い込んで、吐き出した。

 薄くしっとりとした手触りの毛布は、埃臭さと、なんだか少し甘い匂いがする気がした。


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