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第一話「目覚め」









 真っ暗だ。

 何も見えない。ただ、自分が今まさに意識を取り戻したのだということはわかった。

 寝起きみたいに曖昧な頭のまま、私は体を起こす。


 「……あ、あー。……う?」


 聞き覚えのない、高い声。

 酷く掠れていて、弱々しい。まるで、久々に喉を使ったようにさえ思う感覚。

 起き上がると、周りこそ暗いものの、視界の上の方に僅かに光が見えた。お陰で、じわじわ目が慣れてきて周りが見えてくる。


 「……ベッド、じゃない。これ、何だろう」


 女性の声。いや、これは自分の声か。

 自分が横になっていたものは、なんだか見慣れない形をしている。座っているところはフカフカとはしているが、周りに何か硬質でツヤツヤとした……覆いみたいな物がある。


 「ん……」


 暗い中、横になっていたそこから降りようと、爪先だけで足元を探る。

 靴が揃えて置いてあった。よく見えないけど、革靴か何かの感触。


 「よいしょ」


 長い髪がふわりと動いて、なんだか甘い匂いがした。


 「……」


 靴を履き、立ち上がる。

 自分の部屋にしては妙に埃臭い。長い間放置された場所なのだろうか。

 部屋? 自分の部屋……どんなものだったか思い出せない。

 頭に鈍い痛みが走り、私は首を振った。


 「ここは、どこ?」


 返事はない。妙に声が反響している気がした。


 「……」


 闇の中を手探りで歩く。何にも触れず、バランスを崩して転びそうになる。

 頭上に見えたあの光は、どうやら階段になったその向こう側から差していたようだ。


 光の方へ進むと壁があったので、それを支えに一番上まで上がる。


 登り切ると、扉があった。古ぼけた、廃墟の建物にでも据え付けられていそうな、赤錆びた安臭い扉。

 そっとドアノブに手を掛けると、既に少し開いていて、回さずともキィと音を立てて動いた。


 「眩し……」


 手でひさしを作って強い日差しを遮り、外に出る。

 まず見えたのは空の青。そして、夏を感じさせるような湿った空気。


 「……え?」


 それから目に入ったのは――見たことのある建物だ。

 けれど、記憶にあるものとは違う。あまりにも。


 「何、これ」


 自分の目が信じられず、私は思わず後ずさってしまう。

 高くそびえる大きな立体映像投射型液晶ホログラフィックモニター――だったはずのそれは、ヒビ割れてその大半が砕け、その下の隆起したアスファルトの道路に散らばっていた。

 それだけではなく、シャッターの降ろされた薬局は、シャッターそのものがひしゃげ、赤黒く店全体が錆に染まり、何十年も前の建物のように老朽化しきっている。

 裂けた灰色の通りは、どこからか飛んできた埃や、隙間から生えてきた植物で、まるで整備されている気配がない。いや、そもそも――。


 ――人影はおろか、往来を歩く雑踏の姿さえ、誰一人として見当たらなかった。


 「……!?」


 何が起こっているかわからず、私は今しがた出てきた扉にもたれかかってしまった。


 「……な、えっ」


 偶然に見下ろした足が――白い。


 ただ白いなんてものじゃない。日の光に照らされて、赤味すら感じられない。降ったばかりの雪みたいに、血の一滴も通ってないみたいに。

 足だけじゃない。手も、指先から腕、目で見える範囲の皮膚は全て。


 ……真っ白だ。


 「……どう、なってるの」


 心臓が、不安げな鼓動を鳴らし胸を叩き続けている。

 遥か未来の、滅亡した世界にタイムスリップしたみたいに。

 全く知らない誰かとして目覚めたみたいに。


 ――全てが、知らない世界だった。


 「……何よ、これ」


 答えはなかった。

 代わりに、気持ちの良い風が頬を撫でた。


 「っ、私……!?」


 ずきり、と痛みが走る。


 何も思い出せない。記憶をさらおうとすると、頭が痛む。


 自分が女である自覚はあるけれど、それ以上のことが出てこない。

 自分の声と、この白すぎるほどに白く細い手足の持ち主であるということしかわからない。なんとなく、大人ではないような、そんな気がした。


 何よ、これ。口にも出したその言葉が、再三、頭の中でリピートする。


 「ご無事ですか、マユ」

 「ひゃひっ!?」


 完全に不意を突く形で響いたその声に、思わず私は飛び上がるように立ち上がってしまった。


 「な、なな、なっ」


 見回してみても、声を掛けてきた主は見当たらない。

 気の抜けたファイティングポーズじみた体勢を取ったまま固まっていると、胸元に振動を感じた。

 見下ろすと、自分の着ているワイシャツの胸ポケットに、見覚えのない携帯電話が入っている。


 「……えっと、もしかして、そこにいるの?」

 「そこにいる、というとちょっと不正確かもしれませんけれど、多分、そうです」

 「あ、あなたは……?」

 「とりあえず、ここから出してくれませんか?」

 「えっと……胸ポケットから出せばいいの?」

 「そうです」


 おずおずと、ポケットから携帯電話を取り出した。確かに声はここから聞こえている。そう思うや否や、携帯電話の画面を舞台にして、ジリジリと立体映像ホログラフが立ち上がった。

 液晶上に現れたのは、私の手足みたいに白く長い髪と、同じように白いワンピースを着た、赤く大きな目を持つ可愛らしい女の子だった。


 「ありがとうございます、マユ」


 恭しく一礼して、白髪紅眼の小さな少女はにこりと笑む。


 「え、えっと。どういたしまして。……それで、あなたは?」

 「はい。私はスイと言います。この携帯端末にインストールされたNS(ナビゲイト・システム)です。ご存知ありませんか?」

 「……あなたのことは知らないけど、NSについては、たぶん、知ってる」


 NS――ナビゲイト・システム。最近の携帯電話には初めから入っている、仮想人格のこと。 簡単な道案内から、話し相手、天気予報に調べもの、料理の仕方まで、色々な用途がある。私も持っていたような気がするけど、正直思い出せない。

 今私の中にある知識や記憶は、それこそきっと、当たり前に皆が知っているものだけなんだと思う。そんな感覚があった。


 「あのね、スイ。私何も覚えてないの。あなたは私のこと知ってる?」

 「はい。マユは私の主です。名前は神代真由かみしろ まゆ。身長は百五十三センチ、体重はよんじゅ」

 「わー待ったぁー!? そういう個人情報を聞いている訳じゃないー!」


 頬に血が上るのを感じながら、それでもスイはどうやら私について知っているらしい。


 「あらら。それでは、何をお答えすればよろしいのでしょうか?」

 「意外と融通効かないんだね、きみ……それじゃあ、ええと、ここはどこ?」

 「はい。ここは渋谷です」

 「渋谷……」


 名前も、どんな場所かも知っている。私に関係あったかどうかは曖昧だ。

 巨大な交差点の真ん中。

 いくらか知らない建造物も見える。犬の像の近くにある噴水は、少なくとも私は見たことがない。


 「スクランブル交差点の真ん中……か。どうして私はこんなところにいるの?」

 「はい、それは」


 沈黙。硬直。

 質問を投げかけて数秒、指を上げ、口を開いたほんのり笑顔のままでスイは動かなくなってしまう。


 「……それは?」

 「――申し訳ありません。情報にロックが掛けられています。開示する場合、パスコードを入力してください」

 「ええぇぇ。結局なんで私がここにいるかはわからないの?」

 「うう、そのようです。お役に立てずごめんなさい」


 しょぼくれた様子で、俯き加減に答えるスイ。対応こそ機械的な部分もあるけれど、見かけが見かけなだけに、その申し訳なさそうな顔にいっそ私の方が忍びない気持ちになってきた。


 「わかった、わかったよ。質問を変える。この街には何があったの?」

 「はい。それは」


 五秒。十秒。十五秒。

 ――再び、硬直。


 「……何も分からずじまいってことか」

 「すみません……」


 眉をへの字に曲げて、スイは再び謝罪する。


 「状況はわかんないけど……スイは悪くないよ。とにかく、せめて誰かいるところに行って何が起きたのか聞かなくちゃ」

 「はい。道案内ナビゲイトならお任せください!」


 一転、元気そうに敬礼してみせるスイ。

 翻り、スイは私の目の前に立体映像ホログラフの地図を展開してみせた。


 「……なに、これ」

 「え? 何って、周辺の航空写真です。マユはいま――」

 「ちがっ、違う! そんな、嘘……!?」


 全て、知らなかった。

 頭に残る記憶を信じていいのなら、少なくとも、この街はこんな有様じゃなかった。


 「どうして、こんな……」


 私が知っていたはずの東京は、今やその全てがただの廃墟の群れと化していた。

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