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fluere fluorite  作者: jorotama
第三章
8/29

小夜啼鳥1

 ボルキナ国のフィフリシスは近隣諸国に名の知れた芸術都市だ。

 私はその意味を教科書的知識として頭に入れていたのだが、ただ知識として知っていることと、実際に目にして実感することの違いの大きさを本当の意味で理解することが出来た。

 ほんの数日前まで私はリアトーマの国はおろか、エドーニアを出ることなど予想だにしていなかったのだから、当たり前と言えば当たり前かもしれない。


 海に近く、シェイジッド山脈からの豊富な水に恵まれたこのフィフリシス市街には水路が縦横に走っている。

 水路によって街が細かく仕切られていると言うよりは、水上に浮いた陸と陸とを橋が繋ぐ街と言った方がイメージに近いかも知れない。

 綺麗なアーチを描く橋には、水上から見上げた時に芸術的効果を上げる美しい彫刻が随所に施されていた。

 橋は街に用水を運ぶ水道橋も兼ねている。


 そう言えば移動する時に見かけたひときわ立派な橋のひとつが、中央に施されたドラゴンのレリーフの口から水を迸り出させていた事を思い出した。

 橋も街の建築物も、もともとこの土地の地盤である固い薄薔薇色の石を切り出し、削りだして作られたそうだ。

 水に溢れていながら丈夫な地盤のお陰で、高い塔を持つ建築物もそちこちに建てられていた。尖塔を持つのはたいていが宗教的建築物だと言うことだ。

 フィフリシスの芸術都市たる基盤は宗教芸術に端を発している。昔から諸国との交易の盛んだったフィフリシスにはたくさんの神々と信仰宗派が存在し、それぞれが絵画や音楽によって世に神の威光を広めようとした結果、多くのすばらしい音楽や絵画、彫刻の名作が生まれていったのだ。


 老ラズロの忘れ形見である娘メイリー・ミー・ボルディラマも、フィフリシスに数多く存在する女子修道院の一つにいる。

 宗教的理由は全くなく、修道院へ付属した学校で学びつつ行儀見習いをすることが目的であった。これは周辺国の上流階級の子女には珍しい話ではない。


 なるほど、男子禁制の女の園ではグラントやジェイドではメイリー・ミーとの隠密裏での接触は難しかろう。

 時間さえあれば誰か適任者の手配も出来ただろうが、状況がそれを許さなかったのだから私の協力を仰ぎたくなるのも理解できない話ではない。

 私としても、エドーニアを戦火に荒らされずに済む可能性があるからこそ、この件に協力しようと決めたのだ。


 ……だけれど……。


 老ラズロの娘が学ぶ修道院のミサに紛れ込んだ私は、この件への協力を約束してしまった事を心から後悔していた。


 祭壇後ろには、雅やかで繊細な文様を描き出すステンドグラスが色とりどりの影をミサに訪れた女性達に落としている。

 ミサに出席している人間のすべてがここに祭られた神を信仰しているわけではないだろう。

 フィフリシスには多くの観光客が訪れる。私も観光客になり済ましてこの場に入り込んだのだから、男性以外の出入りはかなり寛容なのだと思われる。

 祭壇に祭られているのは白い大理石から掘り出した女神像だ。脚元に炎のともる大きな車輪を踏んでいる所を見ると、天地創造神の一人だろう。

 祭壇の両脇にはこの女子修道院に学生として寄宿する女子生徒達が並び、女神を讃える歌を歌っていた。

 シェンバルの伴奏に乗せて、高く低く宗教的感動を煽るウネリに富んだ音律が響く。

 あの中に、老ラズロの娘、メイリー・ミーがいる……。


 音楽が終わろうとしていた。

 私は周囲の人間に聞こえないよう気をつけながら、大きく息を吸って吐きだした。緊張のあまり心臓が早鐘のように激しく胸の奥で踊っている。

 シェンバル奏者の女性が席を立ち、ミサの参列者に献金箱を持った女子生徒がにこやかに笑いかけながら祝福の言葉を掛けて回っている。私も周囲の人々に倣い、銀貨を一枚箱の中にそっと落とした。


 グラントと老ラズロの交わした『娘の日常話』の中に、このミサの話題があったのだと言う。

 彼の話通りだとすると、この後、ミサは散会して夕方までのこの集会場のシェンバルは一般に開放されると言う話だ。

 近くの音楽学校へ通う女子学生などが練習の為にこの楽器を使うのだそうだ。

 私は女子修道院の女学生達が寄宿舎のある奥院へと去ってしまう前に、シェンバル席に座らねばならなかった。幸い私からシェンバル席はすぐ目と鼻の先の位置だ。

 これから自分がやらねばならない事を思うと、ラウラの結婚式で突然シェンバル席に座らされた時以上の緊張と、気分の悪さを覚えずにはいられない。

 覚悟を決めたはずなのに、情けないことに手指が震えた。

 ヨロヨロと立ち上がる私に隣の席の見知らぬ老夫人が


「手を貸しましょうか?」

 と言葉を掛けてくれるのを笑顔で辞退して、シェンバル席に腰を下ろす。


 学生の何人かがシェンバル席の私に好奇に満ちた視線を向けてくる。

 音楽学校の生徒ではなく、いかにも観光客然とした華美な出で立ちの人間がシェンバル席に座るのは物珍しいことなのだろう。

 それも計算しての派手な衣装だ。

 銀と黒との鍵盤の並ぶシェンバルを前に、再び大きく息をつく。

 グラントに教えられた音階と和音を思い出しながら、私は鍵盤に指を下ろした。


「とにかく能天気な観光客を装って貰いたい」


 グラントがそう言ったのは、私達がリアトーマの漁村エルルカ付近から大型船『レディ・ダイアモンド』へ乗船した翌日のことだった。

 グラントの部屋へと呼び出されて行ってみると、そこには一本のウードを手にした彼が私を待ち構えていた。

 金の箔を使って優美な模様の施されたウードは、3年前、出会ったころに私が意匠を考えたものだ。部屋の隅にはふたを開けられた見覚えのある大きな木箱。中には油紙に何重にも包まれたウードらしき物が何本か残されている。

 どうやら私を入れた箱は、この装飾ウードを詰め込んだ箱に紛れて運び出されたらしいことに今になって気づいた。

 グラントは商人としてエドーニアへ入り込んでいるのだ。

 街を出る時、荷箱を積んだ馬車を御していることを不審に思う者はなかっただろう。


「恐らくメイリー・ミーの身近な場所に、彼女に対して監視する人間が付いていると思うんだ。警戒感を持たれないようにすることが肝要だ」


 ウードの調弦を行いながら、私に手近の椅子を勧めるグラント。

 その椅子に腰を下ろしてから私は口を開いた。


「ごもっともね。でも、私は老ラズロのお嬢さんの顔を知らないわよ。まさか大声で彼女の名前を呼ばわれとでも言うのかしら?悪目立ちすることこの上無しだと思うけれど?」


 ピン……ピンと指で弦の調子を確認しながら、グラントが私の顔を覗き込んでニヤと笑う。


「まあそれでも面白いんだけど、どうせならこの曲を弾いてもらった方が後の展開を考えると効果的かな……」


 ウードは弾けないと断わった私に、グラントは修道院でのミサとシェンバルの一般開放について説明した。


「ここにはシェンバルが無いからね。今回は俺の下手くそなウードで勘弁してもらいたい。とにかくこの曲を覚えて君にシェンバルを弾いてもらいたいんだ」


 ……と、そう言っておもむろに彼はその曲をつま弾き始めた。


 なんとも説明のしがたい不協和音が美しい影を投げかけるステンドグラスを震わせる。

 続く旋律は楽しげな躍動感を感じさせつつも、単純でどこか調子はずれ。

 鍵盤のミスタッチにしか聞こえないような装飾音があちこちにちりばめられていて、技巧的なのか稚拙なのか分からない作りになっている。

 初めて耳にした時に思ったとおり、酷い曲だ。

 一言で表現するなら『でたらめな曲』。

 オモチャとゴミ同然のガラクタを一緒にひっくり返したような響きに、奥院へと去りかけていた女学生は一瞬あっけにとられたかのように静かになり、その後あちこちからクスクスと笑う声が漏れた。

 私はあまりの恥ずかしさに内心身もだえしつつ、グラントに教えられたとおりに鍵盤をたたき続けるけれど、いつまでこんなバカバカしい曲を弾き続けねばならないのだろうかと、気が遠くなる思いがした。

 やけっぱちな気分でどんどん乱暴にシェンバルを奏でる私のもとに、女学生の群れから一人の少女が何人かの友人らしき女の子達と一緒に進み出てきた。


「あ……あの……その曲……」


 口を開いたのは小柄な可愛らしい少女だった。

 綺麗な赤褐色の髪に琥珀色の瞳の17歳くらいの、利発そうな女の子。

 恐らく彼女が……。


 私はシェンバルの鍵盤を叩く手を止めて、無理やり作った笑顔を彼女へと向けた。


「こんにちは」


 ……能天気に、なるべく呑気そうに。

 心の中で何度も繰り返しつつ、羽飾りのついた派手な帽子ごと頭を傾げて挨拶をする。


「あの……こんにちは。初めまして……ですよね?」


 多少はにかんではいるけれど、生来好奇心旺盛で活発な性格であることを伺わせるキラキラした瞳を瞬かせて、私の顔を覗き込むメイリー・ミー。


「もしかして、貴女がメイリー・ミー?」

「どうして私の名前を……? それにその曲……」

「貴女とグラントが作った曲なんですってね。そう聞いたわ」


 内心の緊張をなんとか押し隠しながら、私はニッコリと更に笑みを深くして少女へと笑いかける。


「まあ……グラント……!」


 グラントの名前を耳にしたとたん、メイリー・ミーの瞳に驚きとさらなる好奇心の輝きが宿ったようだ。


「あの、あの、貴方はグラントとどういったご関係なんですか?どうしてここでその曲を???」

「私は……」


 笑顔を張り付けたままに、私は一瞬だけ言葉に詰まる。

 だって、本当に私はグラントとはどういった『ご関係』なんだろう

 『敵対関係で拉致されてここまできた者です』とは間違っても言えない。


「グ……グラントとはお友達同士なのよ。彼からはよく貴女のお話を伺っていて、その時にこの曲を教えていただいたの。」


 我ながら苦しい言い訳と思いながら、なんとかそこまで言って笑顔の度合を限界近くまで深める私に、幸いメイリーは何の疑問も抱かなかったようだ。


「まぁ……グラントが……」


 と、嬉しそうにしている。

 私はメイリー・ミーの笑顔を見ていて、少し胸が痛んだ。

 まだ本人は知らないけれど、この娘の父は彼女を助けてくれと最後の手紙に託し、もはやこの世を去っている。

 もしかしたら、老ラズロは自分の命をカタにしてメイリー・ミーの救出をグラントに頼んだのだろうか?


「ねえ、この方メイのお知り合いなの?」


 メイリー・ミーに付き添ってやってきていた女学生の一人が、興味深そうに私を眺めながらメイリーに問いかけた。


 そうだった……いけない。

 感傷に浸っている場合じゃない。

 私はなんとか彼女と二人きりにならねばならなかったんだ。

 グラントはこういう場合にどうしろと私に指示したのだったかしら?


 そう、たしか大きな声で……。


「グラントがね、本当に色々と貴女のお話をしてくださったの。それで、フィフリシスに旅行に来ることになってたのでぜひとも一度お会いしてみたいと思ってこちらにお邪魔したのよ。直接お会いして、あの話が本当なのかどうか是非聞かせていただきたくって!」


 多少唐突で調子っぱずれな様子ではあったが、私は声を張り上げて話を始めた。


「な、なんの話ですか?」


 驚いて聞き返すメイリーに、なるべく無邪気に見えるような表情をつくって、私は問いかけた。


「花祭りの時のお話よ。グラントが言っていたけれど、貴女はあの日、本当に暖炉の灰掻きを持って庭の噴水の前にいたメリスに向って……」


 そこまで私が言いかけた時、メイリー・ミーは顔を真っ赤にして甲高い声を上げた。


「そ……それは~!! 待ってくださいっやめてぇえ~その話だけは勘弁してくださいぃ~!」

「……」


 メイリー・ミーが突然取り乱した様子で私の両手を掴んで、続きを口にするのを必死の形相で制止してきた。


「ごめんなさいリリ、パティス。先に寮に帰っていてくれる? 私はこの方とお話があるから!」


 口を挟む余地のない決然とした様子で、メイリーは友人たちに礼拝堂から出てゆくように指示したのち、再び向き合った 私をシェンバル席から立ち上がらせ、人気が引いた礼拝堂の壁際へと半ば強引に引っ張っていった。


「メイリー・ミー・ボルディラマどうなさったの?」


 かねてから様子を伺っていた、教師か宗教的な指導官と思しき初老の女性が声を掛けてきた。


「なんでもありませんシスタ。知人が遊びに来てくれたのでちょっとお話したくって。暫くしたらもどります!」


 元気な声でメイリーはその女性に答える。

 訝しげな表情でこちらを見ているその女性に、私はニッコリと笑顔を向けて象牙の柄の杖をうちふるって見せた。

 帽子の派手な羽飾りも私と一緒にゆらゆらと揺れる。

 結局、女性は奥院へ移動する女生徒達について出入り口付近まで動いたものの、やや離れたその場所から、こちらを伺っているようだった。

 おそらくあの人がメイリーに付けられた監視の目だろう。


 私は微妙に立ち位置を変えて監視とメイリーとの間に入り込み、鍔広の帽子と重ねて着こんだペチコートで膨らんだドレスとで、自分自身とメイリー・ミーの手元が見えないようにする。


「あの……グラントは…グラントは貴女にその話をしたんですか? 全部、話しちゃったんでしょうか?」


 未だ顔面をこれ以上ないくらい紅潮させて取り乱しているメイリー・ミーに、私は唇の前に一本指を立てて静かにするように合図しながら、小さな声で


「大丈夫、私の聞かされたのは『噴水の前の……』までだけよ。それよりも貴女には大切なお話があるの、声を出さないで聞いて。グラントから言付かったお手紙があるわ」


 何か言いたそうに口を開きかけたメイリーに早口にそう告げると、私は腕にかけたバッグから一枚の紙片を取り出してメイリーへと渡した。


「お願いだから、なるべく声をひそめて話してくださるかしら」

「ええ……はい……この文字、確かにグラントのだわ。……彼はフィフリシスに来ているんですか? ……緊急事態って一体……」

「声が大きいわ、メイリー。……そう、グラントはここに来ているの。質問に答えてくれるメイリー? この修道院付属学校に入学してから、貴女へ届けられた手紙や……そう、荷物に中を検められたような痕跡があったことはない?」


 何が起きたのか理解出来ず、おどおどとしていたメイリーの琥珀色の瞳が大きく見開かれた。


「ええ、ええ……あるわ……。でもどうして」

「お願いメイリー。私とグラントを信じて? ここにもう一通グラントからの手紙があるの、それを後で決して誰にも気づかれないように読んで? なるべく早いうちに。それが出来て?」


 言いながら私がもう一通の手紙をメイリーに手渡すと、メイリーはそれを受け取りながら小さく頷き、スカートのウエストに手紙をはさみこんで上着で隠す。


「私の名前はフローティア。フローと呼んで。メイリー……貴女の次の外出許可日はいつ?」

「明後日の午後に……だけど、本当に……一体……?」


 私はメイリーの手を両手で握り、真っ直ぐに彼女の目を覗き込んだ。


「メイリー、貴女を守るようにと貴女のお父様に頼まれたの、信じて。外出日は何処へ行くか、それだけ教えて」

 背後からコツコツと足音が聞こえてきた。

 さっきの監視役の女だろう。


「リツメイア記念公園とその入口近くの雑貨店…それに、カフェ・リルカ……さっきの友達もたぶん一緒に……」

「メイリー・ミー・ボルディラマ、学院側出入り口の扉の鍵を閉めます。早くお戻りなさい」


 すぐ背後から先ほどの女がメイリーに硬い口調でそう告げた。

 私は杖をつきながらニコヤカにメイリーとその女とに笑みを見せ、陽気でおバカそうな笑みを急いで貼り付けた。


「それじゃあメイリー、今日は楽しかったわ。お元気でね!」


 そう言い残し、その日は礼拝所を後にしたのだった。


2012・9・5

誤字脱字等修正いたしました。

ご報告ありがとうございます。

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