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fluere fluorite  作者: jorotama
第二章
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渡る鳥2

 グラントと私そしてジェイドとが倉庫を出たころには、空は既に暮色に染まる時刻になっていた。

 周囲は古い倉庫がポツポツと立ち並ぶちょっとした倉庫街になっている。

 目の前には河。

 おそらく高地にあるエドーニアの湖沼地帯から流れ出る水を集めて海へと下るガリル河だろう。エドーニアから一番近い港町、エルルカの少し手前の河口付近と思われる。


 閑散とした雰囲気のこちら岸とは違い、対岸には新しい倉庫がズラリと並び、人影が動くのが見える。

 向こう岸の方が川底が深く、重い荷を積み喫水線の下がった船でも安全に行き来することが出来るのだとグラントが説明してくれた。


 向こう岸まで結構な距離がある。

 もしも誰か人間がいたら、隙を見て助けを求めようとしていた私の考えは甘かったらしい。

 私はグラントが促すままに目の前の船着場から小舟へと乗り込んだ。


 船の中には先ほどまで倉庫にあった木箱が幾つも積み込まれている。

 喫水線を見ると、中のものは箱の大きさほどの重量は無いようだ。この程度の荷物ならばこちらの浅瀬に船底を擦ることもなく海までを進めると言うわけか。


 あの後、グラントは手早く二通の手紙を書きあげて、それぞれをレシタルとダイダルへと手渡した。ダイダルはアグナダ公国へ、レシタルはリアトーマの王都へ向けて既に出発している。

 倉庫の隅でグラントと彼ら、そしてジェイドは何かの打ち合わせを行っていたけれど、私は何の説明ももらえぬままにこうして木箱の上に腰かけて船に揺られて海へと向かっていた。


 不安がないと言えばウソになる。

 何が起きているのか、どうなっているのか分からないこの状態を楽観視できるほど私はお目出度い人間ではない。

 ただ、グラントは老ラズロの死を知らされた当初の緊迫感が嘘のように、ゆったりした様子で舳先から周囲を眺めているし、ジェイドも不服そうな様子が見られないわけではないけれど、私の処分を求めた時のようなとげとげしい雰囲気を消し、目深に被っていたフードを脱いで、今は河風に金茶の髪を遊ばせていた。


 晒された顔は大人の男性と言うよりも少年の面影を残し、私が思っていた以上に若かった。

 彼らの仲間らしい船頭が、時々巧みに船尾で梶をさばく。

それだけで、ガリル河はどんどんと私達の船を海へと運ぶ。


「脚の具合はどうです?フローお嬢さん。」


 河口域を抜け海へと出たころ、グラントが木箱の中に詰められていた「私のクッション」を幾つか渡してきた。


「それで……私の処分はどうなることに決まったのかしら?」


 あまりにも読めない状況に耐えかねて言った私に、グラントが答える。


「選択肢は二つある。どうするかは君が決めたらいい」


 日が落ち、残照が世界を薄い紫色に染めて、空にはぽつぽつと星が輝き始めていた。

 波の音、船頭の漕ぐ櫂のギイギイという軋みがやけに耳に付く。

 前方に大きな船が黒々とした船影を浮かび上がらせて停泊しており、どうやらこの小舟は荷物とともにあの船に向って進んでいるらしいことがわかった。


 エルルカの漁村周辺の小さな漁港は水深が浅く、小さな漁船は出せても大きな船を着けることが出来ない。

 さっき見た倉庫群と小舟は、こうして沖合に停泊した大型船に荷を運ぶ為の物だったのだろう。


「君がどうするのかを決めるまでは詳しい話をすることは出来ないが、俺達はリアトーマとの戦争を望んでいるわけではない。むしろそれを回避したいと考えている。俺が老ラズロに会いに行ったのは、その為の情報を得るためだった。今からボルキナへ向おうとしているのも、その情報の為だ」


 船影に目を向けたまま、グラントが語る。


「それを……私に信じろと?」


 不信感も露わに唇を歪める私。

 ジェイドが何か言いたげに立ち上がりかけたところを、グラントが片手を動かして制した。


「それはお嬢さんの自由だよ。こちらには信じてもらえるに足る証拠もあるつもりだ。ただし、それすらも俺達のねつ造だ信じられないと言うのなら、君の選択肢は一つしかないことになる」


 言葉を切ってグラントは前方の船からこちらに視線を移した。

 痛いほどまっすぐな目だった。


「この場で海に沈むか、それとも俺達に協力することを前提に一緒にボルキナへ渡るか。二つに一つ、たった今この場で選んでくれ、フロー」


 海で死ぬか、それとも……?

 グラントの言葉の意味を飲み込むまでに数瞬を要したと思う。


 ……私にアグナダ公国側の間諜活動をしていた人間の、片棒を担げ……?

 何を……馬鹿なことを、ありえない。


「さっきまでと選択肢が違うんじゃないの……」


 呆然と呟く私に、グラントは片方の唇だけを上げて笑って見せたけれど、あいかわらず鋭く真剣なまなざしをそらすことなく私を強く見つめていた。


「君はエドーニアを戦火で荒らされたくないと言ったね。このままでは恐らく遠からず二つの国は戦を始めるだろう……。けれど、もしかしたら君の助けがあれば、戦争を食い止めることが出来るかもしれない」


 熱っぽくもなく、ただ淡々と話す彼の言葉を聞きながら、私はこれ以上ないくらい強く杖を両手に握りしめた。


「それに……フロー。君は死ねない理由があるんじゃないのか?」


 ごく静かに、グラントの付け加えた一言に、私の脳裏にお父様の最後の言葉が蘇る。




『フロー……ライト、君が無事で良かった』




 自分の命を掛けて、私を守ってくれたお父様の最後の言葉……。


「……卑怯だわ」


 私は涙が出てしまいそうなのを堪えるために俯いて、杖を握りしめる手に一層力を込めた。

 死を選んだとしても、彼らに協力をする道を選んだとしても、私は裏切り者になるかも知れないと言うことじゃないか。

 どちらも選ぶことが出来ず黙り込んだ私の膝に、グラントはそっと一本の短剣を乗せた。

 それは夕べ彼がアグナダ公国の間諜であり私を騙していた事を知った時、どうせ殺されるのならせめてグラントに一太刀浴びせてやろうとして使ったお父様の形見の短剣だった。


「もしも君が俺達に同行する中で、リアトーマ国に対して不利な事を行っていると思ったならば、君はその剣を俺に振っても構わない。背後からだろうが闇うちだろうが、好きにすればいい」

「グラント様……!」


 ジェイドが非難の声を上げるが、グラントは全く意に介さない様子で、ただ揺るぎなく私の瞳を見つめ、少しだけ笑った。


「まあ、俺も簡単に死ぬわけには行かないから、黙って刺されることはないだろうことは断わっておく」


 言い終えたグラントは私に背を向けて、既に間近まで迫った大型船へと数歩だけ近づくと肩越しにこちらを顧みて言う。


「どうする、お嬢さん?」


 と。

 私は大きく息を吸い込んで吐き出した。

 いろんな感情が渦巻いて混乱しかけた胸が、少しだけ落ち着いた気がする。

 とりあえず、今すぐに言うべき答えは一つだけしかなかった。


「……いいわ、私は貴方達についてゆきます」


 もしかしたらこの先、上手くすればグラント達の寝首をかいてやる事が出来るかもしれない。

 その返答を満足そうに目を細めて聞いているグラントに、私はスカートを少しだけたくし上げて自分の足元を見せながらツンとした様子で言った。


「だけど、船に着いたら私のこの恰好をどうにかさせていただけるかしら?」


 スカートの下から覗くのは汚れて痛んだ室内履き。

 身につけているものも部屋着とガウンだ。

 商人を騙っていたグラントは丁寧な口調で物腰も良く、ある程度紳士的な礼儀をわきまえた人間に見えていたけれど、この姿で大勢の人間が乗り込んでいるだろう船で旅をしろだなんて、デリカシーの欠片もないではないか。


「……これは……大変申し訳ないことを……。すまないお嬢さん」


 たっぷり五秒の沈黙を挟んだ後に、グラントがうろたえた様子で私に詫びを言う。


「ジェイド、悪いがお嬢さんの身の回りの物の手配を頼む」

「……っ……な……!?」


 成り行きを見守っていた青年はその言葉を聞いて、驚いた表情で、絶句した。



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