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fluere fluorite  作者: jorotama
第六章
20/29

踊る白鳥3

「随分と攻撃的に着飾って来たもんだな、レレイス」


 ホール正面の階段の下、グラントは公女レレイスに呆れたような視線を向けて言った。

 彼女のまとった絹と淡雪のようなレースのドレスや銀の華奢な踵の細い靴を評しての言である。

 レレイスは悪戯な笑みを浮かべ、長いまつげの縁取る両の目を瞬いてみせた。


「確かに長時間の移動には向かない出で立ちだと私も思うわ。ここに来る途中で馬車を止めて、狭い中なんとか着替えたのよ。でも、彼女に私の一番綺麗なところを見せたかったんですもの、仕方が無いわ」


 ホールに所在無さ気に佇むフローにちらりと目を向け、レレイスには悪びれる様子が見え無い。


「こんな不作法な訪問をして……どういうつもりなのか聞かせてもらいたいんだが……」


 腕組みの上からしかめ面で見降ろすグラントに、レレイスは驚いた表情をして大袈裟に瞬いて見せた。


「あら……随分と彼女には過保護なのね。うふふ。そんな怖い顔をしては嫌よ。悪気があってのことじゃないんだから。レシタルに色々とお話を伺ったの。彼女がリアトーマ国、前エドーニア領主のお嬢さんだってこととか……」


 グラントが眉間に深いしわを刻んで唸るのを聞いて、レレイスが首を竦める。


「レシタルを叱ってはいけないわ。ほら、彼は元々私やお兄様付きの人間だったんですもの。私の質問に答えずにはいられないでしょう。……だから彼女の……目にした映像に関する記憶力? それが飛びぬけて素晴らしいと言う事も、ちょっとだけお勉強したのよ。前にも言ったとおり、私は本気で彼女に私の絵を描いてもらいたいから、こうして派手に登場させてもらったと言うわけ」


 言いながらレレイスは、己の華美なドレスの裾を摘んで礼をするフリをしてみせた。


「それで良い印象を与えられたと思うんなら、キミは相当にお目出度い人間だと言うことにならないか……?」

「あら? 彼女のように実像を記憶して描き出す能力と、印象を描くのとは別物じゃないのかしら? ……それとも両方? ……まあ…どうしましょう……。そう言えば、彼女が描いてくれたと私に見せてくれた貴方の似姿……必要以上に素敵に描かれていたような気がするわ」

「前にも言ったが、彼女の絵は素晴らしいけれど彼女は職業絵描きじゃないんだ。『描かせてやる、さあ描けありがたく引き受けろ』と言って聞く、キミの周りの職業画家と同等とは思わない方がいい」

「そうね……」


 と、レレイスは呟く。


「さすがに貴方が気に入って攫ってきただけの女性ひとだと思うわ。気が付いていてグラント? さっきから彼女、一度も俯いたりうなだれたり気おくれしたそぶりを見せないのよ。私がこれだけ威圧しようとふるまっているのに。……ああ、これは褒め言葉なんだから、怒らないでね?」

「……怒るよりも呆れたよ……。キミがそんなに底意地の悪い人間だとは思わなかった」


 傲然とするグラントに、レレイスはほんのりと寂しそうな表情を浮かべて言った。


「ちょっとだけ意地悪をする権利が、私にはあると思うわ。……そうでしょう、グラント?」





 私は別段、自分の容姿が優れているとか優れていないとかを気にする人間ではなかったと思う。

 ただ、普通に見苦しくない衣装を身につけ身支度を整える。

 それをおかしいと思った事は無いし、この先、それ以上の事をするようになるとは思えないのだけれど、彼女、レレイスの圧倒的な美しさを目にすると、自分が取るに足らないつまらない人間に思えて仕方が無い。

 いや、実際、取るに足らない存在には違いない。


 それにしても、胸の中が厭な気持に満たされてたまらなかった。

 この気持ちの名前を私は知っている。


 嫉妬だ。


 嫉妬する権利など私には無いのに、なんて愚かしいことだろう……。

 つい、俯いてしまいそうになる気持ちをなんとか励まし、私は頭を上げる。


 階段の下で話をするグラントとレレイスは、どうやら話がはずんでいるようだった。

 背中をこちらに向けたグラントの表情は分からないけれど、レレイスは表情をくるくると変えて時折彼女の漏らす笑い声がこちらにまで届いていた。


 どのくらいの時間、手持無沙汰に……そして所在無く私はそこに突っ立っていたんだろうか。

 グラントがこちらに戻ってくるのが目に入り、私はほっとした。

 何をしたわけでもないのに、なんだかとても疲れてしまった気がして、早く部屋へ戻りたかった。


 部屋へ戻って……少し休もう。


 もうすぐ夕刻であったけれど、食欲なんて少しも湧かなかった。

 たとえ彼女に何と思われたとしても、今日はもう部屋へ閉じこもって過ごしたい……。


「すまない、フロー待たせてしまった」

「構わないわ。お話は終わった? グラント……私……」


 何事も無かったかのような表情を私は出来ているだろうか。

 申し訳ないけれど少し疲れてしまったので部屋で休ませてもらいたい……そう伝えようと口を開きかけた私に、いつの間にかグラントの後ろからレレイスが顔を出し、魅力的な微笑みをその顔に浮かべて言った。


「ごめんなさいねフロー。すっかりグラントをお借りしてしまって。……あのね、お食事の時に私、貴女に是非お願いしたいことがあるんだけれど、聞いて下さるかしら? それじゃグラント、私、前にも泊まった北翼の部屋へ荷物を運ばせていただいたわ。慌ただしくて申し訳ないんだけれど、片づけもあるし失礼させていただくわね。それじゃあ、食事の時にお会いしましょう」


 シュッと鮮やかな裾さばきでレレイス公女が踵をかえす。


 ……どうやら今日の私には逃げ場は用意されていなかったらしい。


 それにしても、彼女の『私へお願いしたい事』とはなんだろうか?

 首を傾げている私に、グラントが不機嫌な表情で


「フロー、キミが引き受ける必要はないよ」


 と、一言だけ言った。


 ユーシズのバルドリー家の料理長が作る料理はとても美味しい。

 それはグラントが周辺各国を歩きまわり、集めてきた食材やその国独特の調理法をコックに伝え、学ばせているからだと前に彼に聞いたことがある。

 その言の通り、ここに来てからずっと多彩なレシピで日々舌を楽しませてもらっていたけれど、今日の私にはせっかくの料理もその味が分からなかった。

 綺麗に盛りつけられ食卓に供された皿の中身を私は徒にナイフで切り刻み、食べている様を装っていた。

 それでも最初はぽつぽつとでも口に入れることが出来ていたけれど、レレイスの私へのお願い事を聞いた瞬間から、もう食べ物は絶対に喉を通らないだろう事が分かっていた。


「私が、レレイス様の絵を……ですか?」

「ああ……また。『様』なんてつけないでいただけるかしら。……ええ、そうよ。お願いしたいの。さほど大きな物でなくて構わないけれど、できれば早いうちに」


 私はレレイスの青い瞳から目を逸らす為、食事を続けるふりをして目の前に置かれた皿の上に目を落とした。

 無残に切り刻まれた食べ物が無言の抗議を私に送ってくるような気がして、いたたまれない気持になる。

 どうして彼女は私などに自分の絵を描かせたいのだろう。


「……お抱えの絵師もおられるのに、私のような者には荷が勝ち過ぎます」


 料理の皿を下げてもらい、なんとか顔の上に笑顔に似た表情を張り付けて、私は彼女に言った。


「グラントを描いた線画を拝見したわ。それに彼が見たと言う他の絵についてもお話も伺ったの。貴女には十分以上にその才がおありだろうと私は判断しました」


 きっぱりと言うレレイス。

 グラントは何も言わず、少しだけ不機嫌な様子でワインの杯に口をつけている。


「今、詳しい話をすることは出来ません。だけど、これをお引き受けいただけるまで私はここを去らない覚悟でお邪魔しているわ」


 眉間に深く皺を刻んだグラントが彼女に向って何か言おうと口を開きかけるのを、レレイスは驚くほど厳しい表情で制した。


「グラント……貴方にはこの件に関して、なにも言って欲しくないわ。私には私の立場と言うものがあるの。私が今着ている美しいドレスは誰が与えてくれたと思って?」


 激しく睨み合うグラントとレレイスを、私は茫然として見守るしか出来なかった。


「……キミの好きにすればいい」


 しばしの間を置いて、グラントが席を立った。

 きっとした表情のままに、レレイスは彼が部屋を去るのを見送っていた。

 何が彼らの間に起きているのか、私にはまったく分からない……。

 ふと、レレイスが儚げな笑みを口元に上らせた。


「やっぱり、止めて貰えないのね。……ごめんなさいフロー。不愉快な思いをさせてしまったわね」

「いえ……あの……」

「あまりにもゴリ押しが過ぎたのね。だけど……どうしても貴女に『ここで』私を描いていただきたかったの」


 ふっと溜息をついてレレイスは笑みを深めたのだけれど、何故だか私には彼女の顔が涙を我慢しているように見えた。

 お皿の上にナイフとフォークを置いて、レレイスが立ちあがる。


「少し疲れてしまったみたい……お先に失礼させていただきます。明日、お返事を聞かせてね」


 そう言い残し彼女もまた部屋を去り、何も知らず不安な気持ちのまま、私一人が取り残された。



 殆ど眠れぬままに私は夜を過ごし、夕方から降り続いた雨の音を聞いていた。

 朝方になり雨は止み、晴れた世界を青白い空気が染め始める。


 いつもなら私は朝焼けに金色に染まるフドルツ山を見にバルコニーに立つ。

 しかし、昨夜のグラントの態度が気になっていた私は、そっと廊下への扉を開けた。

 たぶん彼は中庭にいるだろうと思ったからだ。


 思ったとおり、グラントはまだ昨夜の雨に濡れた中庭の石畳の上、剣技の稽古をしている。

 私がシェンバルを暫く休むと指が上手く動かなくなってしまうのと同じく、毎日体を動かしていないと剣の腕は鈍るのだと、以前グラントが言ったことがある。


 朝まだきのうっすら白い靄の中、二本の長短の剣を巧みに操るグラントを、私は窓からそっと窺った。『amethyst rose』の船内での戦いぶりからも承知の事だけれど、グラントの動きは切れがあり、彼が強い剣士であることがその動きからだけでも十分に見てとれる。


 子供のころ脚を痛めた後、私は窓の中から外の世界を覗っていた。

 王都近くの別邸にたまに訪れる兄と、その剣術指南者の鍛練の様子を思い出す。

 彼らの姿を垣間見るうちに、私は人間がその身にそれぞれの『癖』をまとって生きていることを知ったのだ。


 武人は持つ武器によって必要な筋肉の付き方や体の使い方が違う。

 職人は毎日どんな風に動き、どんな姿勢を取っているかで身体に特徴が出る。

 指のタコや、特定の箇所についた痣…着ている服の擦り切れる場所。人それぞれ全部が違うと言うことを、私はあの頃『見る』ことによって学び、それをエドーニアで諜報員を探すよすがとしていた。


 あの頃……私は自分がアグナダ公国に来るなんて、考えもせずに生きていた。

 こうして誰かを想い、胸をおののかせる日が来るなんて思いもぜず。


 差し込む朝日に目を細めながら、グラントに声をかけようと窓枠に手を置いた時、北翼の一階奥の窓に白い人影を見つけた。

 秋咲きの巨大な噴水のような雪柳が影を落とす窓に隠れるように、グラントを見つめる……レレイス。

 暗い窓の中、ほんのり浮かび上がるような彼女の姿に、そして物恋しげな表情に、私は胸を突かれる思いがした。


 ああ……そうだ。本当は昨日、初めて彼女に会った時から私は気が付いていた。

 彼女は、グラントの事を愛している……。


 朝日を浴びたこちらの窓は朝日に反射して、私がここにいることに彼女は気づいていないだろう。

 そっと窓辺を離れ、部屋へ戻るとシェンバルの前の椅子へ腰掛けた。

 杖の柄を握りしめた拳が白くなっているのに気がついて、苦い笑いがこぼれる。


 眼の裏にレレイスの美しい表情が焼き付いて離れない……。



 セ・セペンテス別邸と同じくここの音楽室も広く明るい。

 私は部屋の隅の敷物を剥がしてそこに画材などを置き、部分的にアトリエとして使わせてもらっている。

 大きな画材入れの中には、グラントが用意してくれた色々な道具が仕舞われていた。

 レレイスは夕べ、


「なるべく早いうちに絵が欲しい」


 と私に言った。


 では乾きの遅い油彩は使えないだろう……。

 確か顔料をゴムで伸ばしたガッシュが画材入れに入っている。あれを使えば絵が乾くまでさほどかかるまい。


 ……もっとも経年劣化が酷いから、さほど長く色は持たないかも知れないけれど、それでもいいか、後でレレイスに聞いてみよう……。


 瞼を閉じると鮮やかに彼女の姿が浮かび上がる。

 生え際からくるくると渦を巻いて零れおちる金色の髪を結いあげて露わになったほっそりとした首。

 白い肌は夢見るように優しい赤みを帯びて滑らかだ。


 あの青い瞳はどうやって表現すればいいだろう……?


 きっと素敵な絵に仕上がるに違いない。

 私はゆっくりと立ち上がり、バルコニーに出て外の空気を吸い込んだ。

 朝焼けに金色に染まるフドルツ山は既にその輝きを消し、青白い山容を、既に白く透明な色になった秋の日差しの下に見せていた。



2012・9・17

 ご指摘いただきました誤字、脱字・誤変換等修正いたしました。

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