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fluere fluorite  作者: jorotama
第六章
18/29

踊る白鳥1

 エドーニアではフドルツ山が金色に染まるのは夕暮れ時だった。

 でも、アグナダ公国側から見るフドルツ山が金色に染まるのは、朝焼けの時刻だ。

 フドルツ山を境にして東西に国境を隔てる西にリアトーマ国、東にアグナダ公国が位置しているのだから、当たり前と言えば当たり前の事だけれど、よもや越えることがあると思わなかった国境を越えエドーニアから来た私には、朝焼けに黄金に染まる秀峰フドルツの姿は何度見ても新鮮なものに感じられる。


 私がグラントらとこのアグナダ公国に入ったのは春だったのに、もう夏の盛りも終わろうという程に時が経過していた。

 グラントから聞いた話によれば、老ラズロの遺した文章によってフドルツ山の金鉱における不正の証拠をつかむことが出来たらしい。

 リアトーマ側の黄金街道を通らず、また、アグナダ公国側の街道も使わずにきんを国外へ持ち出すためのルートも発見された。


 レグ二シア大陸の西端に位置するリアトーマ国と、東のアグナダ公国の国境、フドルツ山周辺は、北のホルツホルテ海と南のアリアラ海によって砂時計の中心か貴婦人のウエストのように狭く括れている。

 この南北の海岸は非常に険しい断崖絶壁が続くせいで港を作るような地形ではなく、そのせいで一見海への出口が無いように思われていた。

 しかし、考えてみれば『きん』を海へと流出させるのに道も港も必要なかったのだ。

 ただ、ポイントだけを決めて崖からそれを落としてしまえば良い。

 落下させる金にブイを付ければ断崖の下、船からだって回収することが可能になる。

 滑り台のように荷物を滑らせ落とす為の落下口も発見されたらしい。


 ただ……問題だったのはこのポイントが南北に二つ見つかったこと。

 メイリー・ミーが捕らわれていたボルキナ国が、北側のルートを使ってきんの搾取を行っていたことは恐らく間違いないだろうけれど、国家をあげて関わっていた証拠は結局みつからず。

 南には大国シズミュワレファをはじめとする幾多の野心的国家が存在し、どうやらボルキナ国一国が関わった事件とは言えない気配が濃厚にただよっているようだ。

 金の不正流出に関しても、他国の関わった可能性が高いが証拠が無い為、当事国であるリアトーマとアグナダの二国間で秘密裏に協議が持たれている。

 気持ちの悪い決着ではあるけれど、事件が公にならないのならメイリー・ミーの亡き父、老ラズロの名前にも表立った傷はつかないで済みそうだ。


 ……私をセ・セペンテスの別邸へ送り届けた後、グラントは不正に関する人的物的証拠を掴むため、しばらくの間フドルツ山周辺や『フドルツ山における聖職者的紳士的協定』を遵守する名目で作られ、結局は何者かによって不正の為に利用されることとなってしまった『監査委員』を選出する委員会員らの摘発の為、アグナダ公国各地を飛び回り、それが終わると今度はリアトーマ国とアグナダ公国の秘密裏協議の根回しに追われ、不在になることが多かった。


 体が治るまでの間を過ごしたセ・セペンテス別邸にはサラ夫人やメイリー・ミーがいて、私は寂しさなど感じず過ごすことが出来た。

 メイリーはどうやら私を姉のように慕ってくれているらしく、グラントに代わり侯爵家の実務に追われるサラ夫人が屋敷を空けた時などは、私の部屋で二人で過ごすことも多かった。


「お父様がお忙しい時、よくこちらのお屋敷に私は預けられていたの」


 体調も回復した私が鈍って動かなくなった指を馴らすためシェンバルで簡単な曲を弾くその横で、メイリーが楽しそうに昔の話をしてくれた。


「グラントがいる時には遊びの相手をしてくれたし、いない時には小母おばさまが私を外に連れ出してくれたりしたわ。サラ夫人は釣りがお上手なのよ」

「グラントが……ここでアナタとあの曲を作ったと言っていたわね」


 うふふ、とメイリーが笑う。


「どこかにあれを楽譜にしたものが仕舞ってあるわよ。人間技では到底弾けそうにない装飾音をつけた覚えがあるのだけれど。……三十二分音符とか、もう数えきれないくらい髭を生やした音符が……こう……ずら~っと、ね。はみ出しているの。どっちが主旋律か分からないくらい」


 私はリアトーマからフィフリシスへの船旅の途中、グラントに教わったあの曲のフレーズを思い出しながら少しだけ弾いてみた。

 あの後いろいろな事がありすぎて正確な旋律を覚えてはいないけれど、それに適当に無茶な装飾音をつけてみる。

 もともとの旋律が無謀と言うか、音楽としての形を成していないものだから更に滅茶苦茶な度合が上がり、私とメイリーは思わず笑ってしまった。


「これは……酷過ぎだわ!」

「本当に酷い。……でも不思議ね。フローさんが弾くとちゃんと音楽に聞こえるわ。……ほんの少しだけ……ね。私は楽器はからきしダメなの。上手に弾けるのが羨ましいわ」


 屈託なく笑うメイリーに私も笑みを返しながらも、胸に微かではあるがほろ苦い痛みを覚えてしまう。

 私は、シェンバルが上手いわけではないと思う。

 脚を痛め家へ殆ど閉じこもりきりだった私に出来ることが、絵を描く事と楽器を弾くことくらいしか無かったから、必然的にある程度弾けるようになったと言うだけだ。


 ……お父様が早くに亡くなられたせいで若いうちから家長の座を引き継がれた兄様はお忙しく、しかも、エドーニアに暮らすのが辛いと言う母と私はもっぱら王都近くのフルロギに構えた別邸に暮らしており、兄様のいるエドーニアとは離れていたのであまり親しい間柄とは言えなかった。

 話す相手と言えば、私付きの限られた使用人達と家庭教師くらい。


 母は……私を憎んでいたのかもしれない。

 何か母に褒められたくて、必死に勉強をしたし礼儀作法も学んだのだけれど……。

 いつも彼女は私に横顔だけしか見せてくれなかった。

 エドーニアの街外れに居を構えてからも、こうして今メイリー・ミーと話すような近しい会話を交わすことなどほとんどなかった。


 そのメイリーは今、自分の屋敷へ帰って身辺の整理をすすめている。

 バルドリー家が彼女の後見人を正式に引き受け、この秋から新しい学校への編入が決まったのだ。


「お休みの時は必ずこちらへ帰ってくるわ」


 明るい茶色の瞳に一杯涙を溜めて、メイリーが言った。

 私も笑ってそれを楽しみにしていると言ったけれど、また彼女と会う日が来るかしらと思う。


 私はその日まで、ここにいるだろうか……?


 ふと、心に不安が過った。


 メイリーが去って数日した頃、不在がちなグラントにかわって実質的にバルドリー家の実務をこなしているサラ夫人が、私にフドルツにほど近いユーシズ地方の本邸へ行くことを勧めてくれた。

 そこならフドルツの山が見えるし、フドルツのアグナダ公国側国領内で活動しているグラントも、セ・セペンテス別邸よりは頻繁に出入りできるだろうと言うのだ。

 別にグラントに会いたいわけではなかったけれど、サラ夫人はお忙しい方だ。

 私のような人間が近くにいては何かとお手を煩わせてしまうことだろう。


「今やっている仕事が一段落したら、ワタクシもユーシズの方へ行けると思うわ。秋の狩猟のシーズンのあの近辺は賑やかよ。日が昇らない朝靄の中、森に狩猟の笛の音が響きわたる……素敵だわ。考えただけで血が騒ぐこと……!」


 暗青色の瞳を煌めかせてサラ夫人が言った。

 馬に跨り何匹もの狩猟犬を引きつれた丈高い彼女の姿は、さぞ勇しいことだろう。


「グラントに『貴方がするべき仕事を押し付けられて向こうへ行けないことをワタクシが恨んでいる』……と、伝えておいてちょうだい」


 笑いながらそう言って、私の頬にキスをして送り出してくれたサラ夫人。

 なぜ、私のような得体のしれない女に、彼女は優しくしてくれるのだろうか……?

 エドーニアにいた時同様、私は自分の身元について何も語っていない。

 相変わらず、素性の知れぬ女だと言うのに。


 そういった一連の事柄を思い出しながら、私は朝焼けに金色に染まるフドルツの峰を眺めていた。

 エドーニアは湖沼と森の土地だったけれど、ここは広い大地と広大な森とが広がる土地だ。

 麦や亜麻の栽培と、牧羊や営林が盛んで森には獲物が多く、狩猟の季節には周辺地域から多くの貴族達が集まるらしい。

 まだ朝も早い時間だが、遥か遠くに見える丘に羊飼いが羊を率いて移動して行く姿が見える。


 森と丘と丘の作る影とが滑らかに続く景色の中、うねるように続く景色の中を縫うように続く道を、一頭の馬にまたがった人間が近づいてくるのが私の目に入った。

 屋敷の門扉をくぐり、石畳の道を来る背の高い……見慣れた姿。


「……グラント……」


 急に胸がどきどきと煽るのを感じ、私はバルコニーの手すりを強く握った。

 セ・セペンテスにいる間も、短い日数だけれどグラントとは何度か会っている。

 だけど、なるべく二人きりにならないよう、私は彼を避け続けていた。

 花や手紙が彼から届くこともあり、そんなものを貰ったことなど無かった私は内心とても嬉しかったのだけれど、礼の言葉を書いただけのそっけない返事しかしていない。


 グラントに会いたかった。

 グラントに会いたくなかった。


 食い入るように見つめる私の目線の先で、顔を上げるグラント。

 いつもの皮帽子の鍔の下、前に見た時よりも日に焼けた精悍な顔がこちらを向いて、その口元に笑みを刻むのが分かった。

 私は急いで部屋の中に入り、鏡の前に立って自分の姿におかしいところがないかを確認した。


 ……何をやっているんだろう。


 そんな自分が急に恥ずかしくなり、更には何故ユーシズになど来てしまったのかと、激しい後悔の気持ちに襲われた。


 こんなことならサラ夫人に邪魔に思われたとしても、セ・セペンテスに残れば良かったわ……。


 象牙の杖の柄を握りしめ、意味もなく部屋の中を見回す間にも、激しく私の胸は打ち続けた。

 大きく息を吸い、吐き出して、なるべく心の落着きを取り戻そうと努力するけれど、激しい鼓動は収まりそうも無い。


 グラントと会ったら、なんて挨拶するべきかしら。

 なるべくよそよそしく聞こえるよう、慇懃な態度をとる方がいいだろうか。


 『ごきげんよう、お久しぶりね。グラント』


 挨拶はこんな感じ?


 ……そうだわ……この家の当主を迎えるのだから、私も階下に降りるべきかしら……。

 それに思い至り、鏡の前を離れた時、扉がノックと同時に開かれた。


「グラント……!」


 なんだって彼はこんなに早くここまで来れたのかしら。

 玄関前に馬を乗り捨て、階段を駆け上がって……?

 大股でスタスタと歩みよるグラントの姿に、さっき頭の中で用意した『よそよそしい慇懃な挨拶』は吹き飛んでしまった。

 彼が差し出してきた腕が私の両脇をとらえ、あっと言う間に体ごとすくい上げてしまっては、『よそよそしい』も『慇懃な』も無い。

 ふつうの挨拶の言葉さえもどこかへ消え失せた。


 私の手を離れた杖が、パタリと敷物の上に倒れた。

 天井高く私を差し上げたグラントが目を細める。


「やあ、フロー。キミは早起きだね」


 そのままグラントは私ごとぐるぐるとその場で回転した。

 驚きと混乱と、こんな高い場所から落とされたら……との恐怖とでわけが分からなくなっている間に、気がつくと私は敷物の上に立ち、しっかりとグラントに抱きしめられていた。

 彼の胸は広くて暖かく、微かに汗と埃と馬の香りがする。

 自分の胸がまたドキドキと激しく鼓動を打つのを感じ、私は恥ずかしさを紛らわすためつっけんどんに言った。


「私が起きていなかったら、貴方は私の眠る部屋に侵入してくるつもりだったの?失礼な人ね」


 グラントが喉の奥でくつくつと笑うのが感じられた。


「君の横に潜り込んで眠るのも素敵だな」


 私の髪の香りを大きく吸いながら言うグラントの言葉を聞いて、恥ずかしさに耳まで真っ赤に染まるのを感じながら身もがいて、彼の腕を逃れようとしたのだけれど……。


 胸板に手をついて少しだけ身をひき剥がし、睨みつけてやろうと顔を上げたところを深く口づけられる。

 これ以上は不可能なくらいに心臓が強く激しいリズムで胸の奥を叩いた。

 抵抗する間もなく唇を割って絡むグラントの舌に翻弄され、何かを考える能力も、体中の力も、一緒にどこかへ蒸発してしまったような気がした。

 へたり込みそうになる私を支える彼の胸の奥からも、早いリズムの心音が伝わった。


 不思議な浮遊感の中を、一体どれくらい漂ったんだろうか。

 グラントの唇が離れ、吐息交じりの声が私の耳朶を打つ。


「フロー……会いたかった」


 声色の中にこもる感情の深さを感じ、胸が苦しくて……私はなんだか泣きたいような気持ちになる。

 そっと顔を上げるとグラントが困ったような、自嘲するような複雑な笑みを浮かべていた。


「こんなに長く掛かるとは思わなかったんだ」


 言いながら私の体をすくい上げるように抱きあげて、近くのカウチへと倒れこむようにグラントは腰を下ろした。


「やっと暫くはゆっくり出来そうだよ」


 大きなため息……。

 グラントの胸の上に半ば乗り上げた姿勢で、私は彼の胸郭が大きく上下するのを頬の下に感じていた。

 さっきよりは少しゆったりとした心音が広くて厚い胸の下に聞こえるのが心地よくて、私は瞼を閉じて、その音とグラントの温かな香りに浸る。


「大変だったのね……」


 目を瞑ったままの私の問いに、グラントは喉の奥でちょっとだけ笑ったようだ。


「そう……自分で進んで関わった癖にね。キミに会えないのが、辛かった」


 私の体を持ち上げ、再び彼は唇を重ねてきた。

 今度は、優しくかるい口づけ。


「……一段落したんだ。……後日、ジェイドもこっちに来て休んでもらうことになっている。彼に後の処理を任せて出てきたんだ……」


 目を閉じたまま話をするグラントの胸に私はまた身を預けて、胸郭から直接響くような彼の声を聞いていた。

 とても心地よくて、彼の言葉が終わった後も体を離すことが出来ず、暫くの間そうしていたと思う。

 気がつくと、グラントはどうやらそのまま眠ってしまったようだ。


「……グラント……?」


 小さく彼の名を呼んだけれど何の反応も無く、ただ温かな胸が上下している。

 皮の帽子を傾いだまま頭にのせ、グラントは眠っていた。

 その時になって、私はようやくこんな朝も早い時間に彼がどうしてユーシズの本邸へ辿り着いたか思い至った。


 ……夜通し、馬に乗ってきたの?

 私に会いたくて?


 帽子をそっと頭からよけると、少し疲れてこけた様に見える頬に、ハラリとほつれた前髪が落ちる。

 胸が熱くなり、唇がどうしようもなく震えた。


 どうすれば、この人を好きにならずにいられるんだろうか?

 そんな事、絶対に無理だ……。

 だって……もう、こんなに愛しているのに。


 私は固めた拳を唇に当て、途方にくれてただ肩を震わせた。



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