「小説を読もう」を歩いて(ご挨拶に代えて)
こんにちは! 秋のひとときに軽いエッセイはいかがですか?
最近ふらりとこの「小説を読もう」にやって来た。
気鋭の小説家になってやるゾ! などといった大層な目標もなく「なんか面白い作品ないかな」と散歩気分でこのサイトを巡り歩いている一般人だ。
初めはランキングを見てみたり、PickUPや関連サイトの自分の小説を宣伝する掲示板の作品を読ませていただいたのだけれど、だんだんもっと他の作品も読みたくなってくる。
そこで、ジャンル分けされた項目ごとの検索をかけてみた。
タイトルで目を引かれる作品に満足したり、裏切られて辟易したり。玉石混交とはまさにこのことだと感心する。
検索で楽しくなってきたのは「あいうえお」だ。たとえば「あ」と入力して検索をかける。出てきた作品のタイトルやあらすじを見て、興味が沸いたものを読む。
これが意外と、ランキングやPickUPに現れず、レビューや感想も付いていない「玉」に出会うことができる。
多分ランキングやPickUPや項目検索という、多くの人が読む流れとは別に、ランダムに自分だけのお気に入りを見つけられる喜びがあるのだろう。
自分が楽しいと思う小説は自分で書く、という考え方もある。
もしもこれから小説を書くとするなら、自分の書きたいものではなく、人の読みたいものを書きたいと思う。
それにはまず自分が何故その小説を読みたくなるのかを明らかにしなければならないような気もする。
しかし、これが一番難しい。作品を好きになるのに理由は無いからだ。
無い理由に頭をひねり、なんとか面白いと思うその訳を箇条書きにしてみる。
・傾向として、あまり人が死なない作品(死ぬとしても、キャラクターである前に人としてちゃんと扱われている作品)
・テンポが良く、読みやすい作品(世界設定を書き連ねられると、申し訳ないがあくびをしてしまうようだ)
・ヒネリのきいた、一味違う作品(よく似た設定で相互に楽しむ方法もあるのかもしれないが、私は作品に斬新さを求めているようだ)
あくまで私が面白いと思う判断であり、私が興味を引かれなかった作品を誰かが拾いあげることもあるだろう。
千差万別の楽しみ方が、この「小説を読もう」には内包されている。
小説を書くにあたり、自分だけの世界を構築する喜びは何にも代えがたいものがある。それが人に伝わればなおさら嬉しい。
ノベルという言葉は新しさを意味し、未明の世の中に光を灯そうとして始まったとも伝えられる。
新しい面白さとはどういうものなのか、そして普遍の面白さとは何なのか、私にもまだ分からない。
感想やレビューを書くのも立派な「書く」作業だ。私は近頃、人知れず埋もれている作品をレビューでおすすめすることに燃えている。
自分が面白いと思ったものを広める楽しさがそこにはある。
ひとつひとつのツールを使いこなして、「なろう」と「読もう」の両方をこれからも応援していこう。
感想、ご指摘、アドバイス、ご挨拶などありましたらどうぞよろしくお願いします。