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トイレットペーパーに想いを乗せて

先回の葵君視点です。

 俺の名前は佐倉葵さくらあおい



 県内でも進学校と呼ばれる高校に通ういたって普通の男子高校生だ。少しばかり普通と違うのは、俺が学校で番長と呼ばれていることだろうか。降りかかる火の粉を遠慮なく振り払っていただけだが、気が付けば不動の地位を確保してしまった。


 もっともそれは中学時代も同じだったので慣れた展開だ。厳つすぎる顔や、でかすぎる体、そうして発するオーラが気に入らないと因縁をつけられるのだが、そんなものどうしようもない。

 下らない因縁をつけてきた奴らは、二度とそんな口が聞けないよう丁重に相手をしてやっている。おかげで今ではどんなに混んでいる昼の購買も姿を現すだけで人が避けてくれる。顔面神経痛かと聞きたくなるくらいに引きつった顔をした奴らを尻目に、最高峰と名高い焼き蕎麦パンを手にするのが最近の密かなブームの一つだ。


 高校も二年に入り心機一転、最近の俺は新たな気持ちで学園生活に挑んでいる。

 去年まではサボりがちだった授業も毎回きちんと出席している。授業に出ろと説教を垂れていた教師があまりの真面目っぷりに病気かと問いかけてくるくらいに。


 だが教えてやるつもりは欠片もないが、それにもきちんと理由がある。

 そもそも俺がいかにも肌に合いそうに無いこんな進学校を選んだのは、俺の野望を達成するためだ。校風が自由とか進学先が有名大学とか、就職率の高さとか、そんなのは始めから歯牙に掛けていない。

 県内屈指と名高いこの高校のその自由度の高さのために狭き門だ。勉強さえ出来ればある程度の自由が認められ、髪を染めたり制服をアレンジしても口煩く言われない。


 さすがに俺みたいに出席率ギリギリまでサボったり、喧嘩上等と片っ端から受けて立つと呼び出しの憂き目にあうが、それでもまだ退学に至ってないのは偏に俺の成績が上位に食い込んでいるからだろう。この学校で上位ということは、将来有名大学へ進学は保障されたようなものだ。多少の問題があっても、将来性を買われ不問となる。


 一年の時は学力を平等に伸ばすためと称してランダムにクラス分けされるが、二年に上がると学力別にクラス分けがされる。俺が選んだのは理系。そして成績から自動的に理系の特進クラスへ割り振られた俺は、今年漸く密やかな野望を達成した。



 視線をすっと斜め下にやる。俺よりも四十センチ以上身長が低い彼女・・はそうしないと視界に全てを収められない。


 今時染められていない腰を超える豊かな黒髪に姿勢よく伸ばされた背筋。髪の間から覗く耳は雪白で、触れれば折れてしまうんじゃないかと思えるくらいに華奢な体型をしている。体つき同様顔も小さく、小作りなそこには長い睫毛に装飾されたオニキスの瞳が存在する。ちょこんとした鼻に貪りつきたくなるふっくらとした唇。

 男であれば誰もが庇護欲を掻き立てられる。そんな全てを体現した理想の女がそこに居る。



 彼女の名前は向坂藍さきさかあい

 子ウサギのように警戒心が強く、無口でとても大人しい性格をしている。その声を聞く機会は教師に指名されたときくらいしかなく、たまにそれ以外で発言しても三言以上は話さない。

 彼女の基本スペックは『はい』『いいえ』のYES/NO枕のような二択だ。


 表情も大きく動かず、僅かに眉をしかめた顔か、もしくは無表情で俯いているか。楚々とした仕草でのんびりと行動し、独特のペースのおかげか彼女に自分から声を掛ける猛者は中々居ない。

 ちなみに抱きしめたくなるような愛くるしさを持つ彼女に懸想する男は中々の数が存在するが、互いに牽制しあって結局親しくなれないのが現状だ。女どもは並んで比較されるのが嫌だとか普通に憧れるとかで遠巻きにしているし、とにかく彼女を別格と見ていた。


 それも仕方ないかもしれない。


 見た目もいいが、スペックも凄いのが向坂藍だ。試験を受ければ常に首位。スポーツをすればぶっち切り。ならば料理が苦手とか裁縫が苦手とか何かあるだろうと思うが、家庭科の授業の成果を噂で聞くとそれもなさそうだった。


 さらに解剖の授業では男ですらびびる蛙の解剖を表情一つ変えずにこなした伝説もある。男よりも男らしいとある意味名を馳せていた。



 可愛くて格好よくて頭良くて運動神経抜群。

 どれだけ超人なんだと突っ込みたい彼女は、実は俺の三年越しの片想いの相手だったりもする。




 実は同じ中学校出身だった俺と向坂藍なのだ。

 中学二年の初めに転校してきた彼女は、今も小さいが今よりももう少し小さかった。

 真正面から顔を合わせたのも話をしたのも一度だけ。

 けれど俺は、その一度でどうしようもなく彼女に恋してしまったのだ。



 その日も懲りもせずに喧嘩を吹っかけてきた相手を血祭りにしている最中だった。

 まだ成長期だった俺の体はその当時180前後しかなかったが、それでも喧嘩相手の自称先輩方に苦戦というほど梃子摺りはしなかった。


 売られた喧嘩は徹底的に、反撃する気もしないくらいにボコるが俺のモットーだ。逆らう気が起きないくらい、訴える気を萎えさせるくらいにとことん嬲り尽くしていると、不意に背後から視線を感じた。

 襟首を掴み先輩Aを持ち上げ、足の下に呻いている先輩Bを踏みつけながら振り返ると、そこには子ウサギを髣髴とさせる小柄な美少女が立っていた。


 黒々とした大きな瞳をより大きく見開く様は、零れ落ちてしまうのではないかと心配してしまうくらいで、真っ白な肌は僅かに青褪めている。鞄を胸に抱き堪えるように唇を噛み締めた彼女は、思わず手を伸ばして抱きしめたくなるほど俺の中の何かを擽った。


 唐突な感情の到来に目を見開いて固まっていると、我に返ったらしい彼女は凄い勢いでポケットを探るとハンカチを取り出した。



『これ、使ってください!!』

『は?』



 無理やりに押し付けられたハンカチはウサギのワンポイントの刺繍がしてあり、それに気を取られた瞬間に素晴らしい勢いで彼女は走り去っていた。翻るスカートから覗く白い肌がとても眩しかったのを覚えている。


 俺としては怪我をするのは日常茶飯事だったし、その際怯えて逃げられてもハンカチを差し出すなんて優しさに触れた事はない。

 喧嘩中の俺は悪友すら怯む凶悪面をしているという。それなのに、ふるふると震えながらハンカチを差し出すなんて、どんな女神だ。


 すとんと呆気なく紐無しバンジーの勢いで恋に落ちた俺は、三年間の間ずっと彼女と親しくなるチャンスを探していた。



 そうして、ついにこの絶好のポジションを得たのだ。

 今まで佐倉葵という名にはコンプレックスしか持ってなかった。名前も苗字も女のようだ怨んでいたが、彼女と席が前後するなら、こんな僥倖は無い。


 毎日毎日登校すればすぐ前に愛しい彼女の姿。これで真面目に授業に出なくてどうするのだ。

 中学二年までは中の中をウロウロしていた成績を、死に物狂いで上げたのは、彼女と同じ高校に入るためだ。転校してからずっとオール満点に近い成績で主席を突っ走る彼女が選ぶ高校は限られていた。中学卒業と同時に縁が切れるなど耐えられず、だからこそ昼夜問わずに努力した。授業をサボって参考書を漁り、屋上で一人単語を記憶。三年になれば内申のために真面目に授業に出たり、先生の間を回ったりした。


 努力に努力を重ねて得たこの席を、俺は絶対に譲る気は無い。

 このさき席替えなどという暴挙を許す気はないし、いっそ住み込みたいくらいだ。



 だが折角の好ポジションを得たものの、同じクラスになって一月、彼女と俺の間に発展は無い。

 何故なら極めて無口な性質の彼女と、自分から話しかけるほど話題の無い俺。

 プリントの配布の時にちらりと見える横顔に焦がれるのみで、全く接触する機会が無い。



 俺は考えた。考えて考えて考えて、奥手の俺でも出来る手段を思いついた。

 それがこれ、背後の席から気がついてアピール。

 後ろの席だからこそ出来るアピール方法は至って簡単。背後から消しゴムなどを飛ばし、落ちたところを拾ってもらうという斬新なアイデアだ。


 画期的な閃きを俺はすぐさま実行した。そう、まずは何を投げるかだが、思案して消しゴムとした。

 投げる際手に力が篭り後頭部直撃してしまったが、今更あとに引けない。


 後頭部への衝撃にびくり、と体を震わせる彼女に目を細め、俺は来るべき瞬間を待った。

 何が当たったのかと視線を巡らした彼女は、床に落ちている消しゴムに目をやり暫し動きを止める。

 五分ほど考え込むようにそれを眺めていたが、徐に俺の消しゴムに手を伸ばすと、自分の席に持っていってしまった。


 予定外の行動に焦っていると、前から白くて小さい手が机に置かれる。

 戻ってきた俺の消しゴムには、律儀な文字で『落としましたよ』と書かれた手紙が巻きついていた。

 彼女そのものを表すような繊細で流麗な字体に見惚れつつ、文字も綺麗なのかとうっとりとする。宝物にしようと顔を綻ばし、そそくさと筆箱に仕舞った。


 一時間ほどぽやんと幸せに浸っていたが、不意に俺は気がつく。俺の目的は何一つ達成されていないと。

 俺は話しかけて欲しいのだ。そこから色々と膨らませ、あわよくば男女の関係になりたいのだ。

 華奢な体を思い切り抱きしめ、大きな瞳に俺の姿を映し、その愛らしい顔で微笑みかけて欲しいのだ。

 自分のふがいなさに舌打し、俺は第二段を手に取った。消しゴムは失敗したので今度は定規だ。シャープペンも考えたが、あの先っぽが刺さったら危ない。僅かでも怪我をさせたくないので、鑢で定規の角を削ぎ落としてからそれを構える。

 せいや、とばかりに投げれば、また彼女の後頭部にこん、と当たった。


 その音は思ったよりも教室に響き、何事かとクラス中の視線が集中する。目を丸くしてこちらを見る教師やクラスメイトを睨み付けると、彼らは一斉に顔を逸らした。

 一方頭に定規が当たった彼女は、静かに黙り込んでいた。身動ぎせずに黒板を向いていたかと思うと、また不意に視線を床に落とす。そうして見つけた定規を取ると、先ほどと同じようにして俺に返却した。

 ほくほくした気持ちで巻いてある紙を解くと、そこには一言『気をつけてください』。やはり綺麗な字が書かれていて、俺の宝物は二つに増える。


 そうしてまた時間が経過し、気がつけば一日が終わっていた。



 翌日から俺は考えた。万が一にも怪我をしないようにハンカチでぐるぐるに巻いたノック式のペンを投げたり、拾われるとすぐに終わってしまうので消しゴムを乱切りにして一個一個投げたりと一生懸命工夫した。


 その甲斐もあってか、毎回律儀に返却されるそれらには紙がしっかり巻きついており、俺の宝物もどんどこ増えた。

 しかし、一週間ほどたったある日、巻きついた紙に俺は目を丸くした。



『後頭部が痛いです』



 訴えに俺は動揺した。確かに投げたもの一つ一つはダメージは大きくないかもしれない。それでも蓄積すれば痛みはたまる。

 しかしながら俺としては折角得たコミュニケーションのチャンスを棒に振るのも嫌で、どうすればいいか徹夜して悩んだ。その結果俺は名案を閃いたのだ。


 翌朝、学校に登校すると同時に合鍵を使い保健室へと入り込む。そこに常備してあるはずの目当てのものを見つけると、ホクホクでそれを教室へと持っていく。


 アイテムの名はトイレットペーパー十二ロール入り。彼女に当てるので勿論新品で封が空いていないものだ。

 これなら痛くないだろうし、その上嬉しい事に長持ちだ。それに紙だから文字を書くことも出来る。今までの返事を書いたら喜んでくれるだろうか。



 機嫌よく席に着いている俺を見た隣の席の男が悲鳴を上げたが、それくらいは赦してやれる機嫌の良さだ。彼女の反応が楽しみで仕方ないと、気分よく授業の開始を待った。

 最近の彼女は授業時間すれすれまで席に着かない。何処に行っているか知らないが、親しくなった暁には教えてもらいたいものだ。



 授業が始まると俺はすぐにトイレットペーパーの封を切った。

 記念すべき最初の一ロールは、右上段の端に置いてあったものにする。手に取るとミシン目に合わせて切り、サインペンを取り出した。本当はカラフルな色ペンがいいのだろうが、俺が持っているのは赤と黒だけだ。


 少しでも好意を訴えるならやはり赤かと思い、ぽきゅんと間抜けな音を立てて蓋を取る。何を書こうか暫し迷い、文章ではなく記号にした。所謂『ハートマーク』。芯までしっかりと塗りつぶすと、少しだけ形が崩れたが中々の出来だと満足できた。

 それをくるくると丸めていつもどおりに投擲する。



 びくり、と体を震わせた彼女は、視線を彷徨わせ床の上にトイレットペーパーを見つけ目を丸めた。

 大きな瞳が驚きで見開かれる様はやっぱり可愛い。今すぐ腕にぎゅうぎゅうに抱きしめて頬擦りしたいがその衝動を必死に抑える。

 そんなことをしたら恥ずかしがり屋の彼女に嫌われてしまう。


 早く拾ってくれとワクワクしながら待っていたが、暫くじっとそれを眺めた後、彼女はノートへと向き直った。猛烈な勢いで何かを書き始めたが、どうしたのだろう。いつもなら拾って返してくれるのに。

 不思議に思いながら第二段、第三弾と投下していく。

 しかしながら望むリアクションを得れないまま、本日最後の授業へと突入してしまった。



 朝からずっと定期的に投げ続けたトイレットペーパーの残りは後わずかだ。一日一ロールなら後十一日は持つと思いながらも、返事がないならまた消しゴムや定規に変えた方がいいだろうかと僅かに悩む。

 俺の思いの丈は最早床に散乱し、休み時間に勝手にゴミと判断した挙句捨てようとした生徒を睨み倒すほどに貯まっている。報われない想いの行き場のようで何だか切ない。



 ため息を吐きつつまた新たにペーパーを取ろうとし、感触がなくなっているのに気が付いた。どうやら紙もつきてしまったらしい。

 俺の手の中にあるのは柔らかな彼女の肢体ではなく、身包み剥がされて滑稽な様のトイレットペーパーのなれはてだけだ。


 暫し指でそれを弄ぶと、もう一度サインペンを取り上げる。

 書きたいことも伝えたいことも、たった一言。



『好きです』



 トイレットペーパーの芯にこれまでと比べ物にならないくらいの小さな文字で書くと、想いよ届けと投擲した。



 こつん、からころから。



 彼女の後頭部に当たったそれは、床に落ちるのではなく奇跡的に彼女の机の上に転がる。

 教室中の視線が彼女へ集中した。誰も何も言わず、針を落としても響きそうなくらい室内は静まり返っている。

 一体何がどうしていきなり周りが動きを止めたのか知らないが、俺はただ一心に彼女がどう動くかだけに気を取られていた。

 静寂に支配される中、不意に彼女が動いた。




「先生」

「な、何だ!?」




 挙手をした彼女は流れるような動きで席を立ち上がると教師へと声をかけた。彼女から誰かに呼びかけるなど滅多にないのに、その幸福を拝した教師を睨み付ける。ぎくりと体を強張らせた教師は声を震わせやっとのことで彼女に返事をした。

 静まり返った中でも臆することなく綺麗な声を響かせる彼女にうっとりと見惚れていると。



「ちょっと失礼」

「は?」




 唖然とする周りも構わず彼女は教室から飛び出ていった。

 誰も止めることが出来ないくらいの早業で走っていった彼女は、僅かに頬を上気させ息を切らして帰ってきた。


 淡く染まる頬が何とも艶っぽく愛らしい。食べてしまいたいという望みと、他の野郎は見るんじゃねえと沸き起こる嫉妬で翻弄される。

 だが教室に戻った彼女は他の誰にも目もくれず、俺だけを一直線に見詰めていた。



 ついに想いが届いたのだろうか。

 姿勢を正してゆっくりと歩いてきた彼女は、俺の数歩前で足を止めると、それはそれは輝かしい笑顔を浮かべた。

 初めて見る笑顔は想像していたよりずっと可愛く、締め付けられる胸に呼吸困難に陥りそうだ。何も出来ずにただ見詰めていると、徐に手にした何かを彼女は振りかぶった。



「小市民舐めんな!」




 絶叫と共に投げられたのは、つい先ほどまで俺が投げていたものと同じ『トイレットペーパー』。

 柔らかな髪で出来てるくせに、顔面にヒットしたそれは中々の威力を込めていた。

 ふぐっと変な声が漏れる。この衝撃は、もしかしたら鼻血が出るかもしれない。いや、男として好きな子の前で鼻血はない。

 気力で堪えてい視線を上げると、フーフーと毛を逆立てる子猫のように煌く瞳で彼女がこちらを見詰めていた。



 あれ?これってフラグが立った状況?


 乱れた髪が頬に掛かり、それを掌で掻き上げる。ふさりと揺れる黒髪の動きすら見惚れずに居られない。

 苦節一月と一週間。

 漸く声を掛けて貰えて、俺は恋のステップを一つ上った。

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