トイレットペーパーは恋の架け橋:後編
あっという間に過ぎ去る時間に、ふうと重いため息を吐き出す。
目の前の席は空いたままで手には描き終えた『あおいくん』の肖像画。天使をイメージしただけありどこか神々しい雰囲気のそれは、自分でも中々の傑作品だったので是非とも見て欲しかったのに。
机に肘をついて掌に顎を乗せる。
普段ならこの体勢で前に居る彼女の背中を見詰めつつトイレットペーパーを投げるのが日課なのに、昼時間から帰ってこないお陰で化学の禿の顔が見える。
横にすだれてる髪を未練がましくポマードでがちがちに塗り固めてる往生際の悪さを見ると、イラっときて毟り取りたい衝動に駆られるがそんな気力も沸かず代わりにもう一度ため息を吐いた。
目の前のぽつりと空いた席がもの悲しい。
あの時追いかければ良かったと思ったときは時遅し、俊足の彼女の姿は何処にも見えず教室で待っても帰ってこなかった。
二年生になって登校するたびに目にした背中がなくなるなど違和感を感じてしまう。
自分がサボるならともかく、真面目な彼女が授業をサボるなど信じられなかった。
となると考えられるのは何らかの不確定要素により授業に参加できなくなったということだが、まさか学内で危険があるとも思えない。
体調が悪くて早退したのだろうか。それともまた保健室で横になっているのだろうか。
もしかして向坂藍は体が弱いのだろうか。
大いに有り得る想像に、どうして今まで気がつかなかったのかと悔やみながら机をぶん殴る。
何故今までその可能性を考えなかったのか。
迂闊過ぎる自分に奥歯を噛んで激しい感情の揺れを堪えた。
向坂藍は二年生全体で考えても前から数えた方が早いだろうと思えるくらい身長が低い。
そして見るからに体重は軽く、スタイルはいいが風が吹けば飛んで行きそうな勢いで華奢だ。
俺が手首を掴んだら一回り半は余裕で出来そうな細い体で、クールだが淑やかで大人しい。
運動神経抜群で体育の授業でも伸びやかに動き回っているから気がつかなかった。
先週から男女合同でバレーの授業だが、全身のバネを使って伸び上がりながら打つスパイクは素晴らしい。
あの身長でスパイクを打つなど普通なら無理だろうに、まるで背中に羽が生えているのではないかと思った。
ちなみに男女合同とは言ってもきっちりとコートは二面に分けられてるので、俺は彼女と同じチームに参加できない。
変わりにちらりと見えた項とか、細く白い足に見惚れた輩にバレーで鉄槌を下しておいた。
俺も運動は苦手じゃないので顔面狙いのスパイクはほぼ命中。
その際ちらりと隣のコートを見たとき、俺がスパイクを決めた瞬間を彼女が見ていてくれて嬉しくてひっそりと笑ってしまった。
思えばあの時も顔色が悪かった気がする。
きっとチームメイトに迷惑をかけると思って、体調が悪いのを我慢していたのだろう。
考えれば考えるほど嫌な方向に想像が働き、こうしてはいられないと席を立つ。
黒板に文字を書いていた禿が大袈裟に体をびくつかせ、ゆっくりとこちらを振り返った。
「・・・気分が悪いんで早退します」
返事を待たずに教室を出ると、保健室に向けてダッシュした。
保健室に入ると保険医は留守中だったらしく、そのままカーテンで仕切られている一角を見つけそろそろと近づく。
そして気を使いながらそっと顔を覗かせ、そこにある顔を認めた瞬間に無駄な気遣いをした自分に苛立った。
「・・・なんでテメェがここに居る?あぁん?」
だらしなく爆睡する男の襟首をぐっと掴み持ち上げると、遠慮なくがくがくと前後に振ってやる。
途中で悲鳴か奇声かを上げていたが完全に無視だ。
彼女を見つけたと思った瞬間の喜びを返せ。
こっそりと寝顔が見れるかもと喜んだ気持ちを返せ。
壊れかけの人形のように首をがっくんがっくんと揺らす男を乱暴にベッドに投げ捨てると、変な体勢で落ちた所為でうめき声を上げて蹲った。
「いってぇー、何だ?何が起こった?どうしたんだ、俺?」
「こんなとこでグーグー寝てんじゃねえよ。今は授業中だろうが」
「あれ?お前佐倉じゃん。何してんのこんなとこで?授業は?」
「サボった」
「どうして?」
「彼女が虚弱体質で倒れているかと思ったからだ」
「彼女?───ああ、向坂藍か。そいや今年は同じクラスなんだったな」
がりがりと自前の栗色の髪を掻きながら身を起こした男は、中学時代からの腐れ縁の悪友、木戸竜也だった。
垂れ目がちな瞳をしょぼしょぼと眠そうに瞬きしながら大あくびした木戸の頭をぶん殴る。
頭を押さえて悶絶した彼は、涙目になりながら睨んできた。
「いってぇな!何だよお前さっきから」
「彼女は何処だ?」
「向坂?ここには居ないだろ」
「居ない?だが体が弱い彼女は保健室に来たはずだ。そうじゃなければ今頃授業を受けているだろう?」
「はぁ?向坂藍の体が弱い?そんな噂聞いたことないぞ?」
「噂にならないのも当然だ。俺とてさっき気がついたばかりだからな。彼女を見つけ出し、俺が作った体調回復祈願の想いを篭めたこれを渡さねば」
「何それ?」
「『あおいくん』の絵だ。俺が世の中で彼女の次に癒される我が家のアイドル、ミニロップだ」
「ああ・・・あのウサギか。確かに可愛いよなー。お前絵だけは上手いし、アピールにはいいんじゃない?見せてみろよ」
「・・・仕方ないな」
いいアピール方法だと褒められたので渋々握り締めていたトイレットペーパーを渡す。
だが俺が丹精篭めて描いた絵を見た瞬間、木戸は鮮やかに動きを止めた。
指先で摘んだトイレットペーパーに目を丸め、真っ青になり汗を掻く。
もしやこいつが保健室に居たのもあながちサボりではなかったのだろうか。
だとしたら悪かったと思わないこともない。ミジンコの心臓並みに罪悪感が沸く。
「どうだ?」
「どうだって・・・お前向坂が好きなんだよな?嫌いとか憎んでるとか呪ってやりたいとかそんな感情は持ってないんだよな?」
「何を今更」
問われて頬が熱くなる。
どう考えても今の俺は真っ赤になっているだろうから、照れている様を見られないようそっと俯いた。
俺の片思い暦は三年と長い方だが、やはり面と向かって誰かに想いを吐露するなど恥ずかしい。
軽々しく好きと口に出来る奴も居るだろうが、奥手の俺には明らかに無理だ。
そりゃ向坂藍は可愛いし美人だし頭良いし運動神経抜群だし大よそ欠点など見つけれない片思いの相手だが、それとこれとは別だ。
こうノリや勢いがなければ想いを赤裸々に告げられるはずがない。
そうでなければ長々と三年も片思いしていないし、とうに度胸よく告白している。
「っつーかもじもじするな気持ち悪い。お前の見た目で照れて恥じ入るとかアウトだから。無理、純粋に女の子が好きな俺には受け入れられない」
「んだとコラァ!俺だって恥じらいたい時くらいあるんだよ!好きな相手の話題とかこっぱずかしいもんだろうが!テメェみたいに吹けば飛ぶような薄っぺらい人間性してねぇんだよ!奥手を馬鹿にすんな!」
「奥手を馬鹿にしてんじゃない。お前を馬鹿にしてるんだ」
「喧嘩売ってるのか?買うぞ?三倍にしてきっちり支払ってやるぞ?」
「・・・そうじゃなくてさ、だからお前は向坂藍が好きなんだよな?」
「───・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・当然だ」
「好きな相手にこれ?このウサギ目からビーム出てるぞ?羽は生えてわっかもあるし、どっかに昇天しようとしてるぞ?今まさに召される瞬間?それとも今まさに滅する瞬間?」
「阿呆。これだから芸術的センスのない男は・・・。これはな、俺の『あおいくん』が天使になり癒しのオーラを放出しているさまを描いたものだ。見ろ、この神々しいまでの『あおいくん』の羽ばたきを。点描を利用した癒しのオーラなんて特に手間が掛かった部分だ」
「・・・・・・佐倉」
「ん?」
「今度また少女マンガを貸してやるから、もう一度勉強しなおして来い」
ぽんと肩を叩く悪友は、どこか疲れたように重いため息を吐き出した。
彼の妹が恋愛バイブルとして愛読している少女マンガは中々面白いが、どうしていきなりその話題になったのか。
首を捻る俺にトイレットペーパーを返すと、彼は芋虫のように布団に包まり背を向けた。
結局その日一日向坂藍が教室に戻ることはなく、俺は不安と心配で胃が痛くなる思いをしながら帰路についた。
明日には絶対にこの絵を渡そう。
少しでも彼女が元気になってくれるよう、俺も及ばずながら協力せねば。
普段より重たく感じる体を引き摺り家に帰った俺は、トイレットペーパーのあまりが鞄に入ってるのを見て驚いた。
彼女にアピールを始めてから、トイレットペーパーが芯に残ったままなど、初めての経験だった。