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灰瞳の継承者——機鋼のヴァルトラウテ——  作者: 試作ノ山
第三部 銀翼と灰瞳

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第二十章 聖都の城壁

 荒野を貫く街道の上を、鉄車輪の悲鳴が途切れることなく続いていた。

 格納庫車両と呼ばれる巨大な装甲列車は、六軸二十四輪の鋼鉄の獣のように赤土の大地を這い進んでいる。その腹の中に横たわるのは、全高十二メートルの機鋼騎兵ヴァルトラウテ。両腕を胴体に密着させ、膝関節を折り畳んだ搬送姿勢のまま、四本の移送用拘束具によって車台に固定されている。

 晃はその足元に座らされていた。両手首に嵌められた鉄の拘束環が鎖で繋がれ、車両の壁面に接続されている。手首を動かすたびに金属同士が擦れ合う鈍い音がして、そのたびに自分が囚人なのだという事実を思い出させた。

 聖都への移送命令。枢密院の名で発せられたそれは、ダリウスの反対を押し切る形で執行された。ヴァルトラウテは聖皇国の至宝であり、その操縦者もまた国家の管理下に置かれるべき資産である——そういう理屈だった。

 車両の振動に揺られながら、晃は眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。ずれてはいない。右レンズのヒビが車両内の薄暗い照明を不規則に屈折させ、視界の端にちらちらと虹色のノイズを走らせる。

「フィーネ」

 声を出したのは、沈黙に耐えかねたからだった。

 格納庫車両の反対側、ヴァルトラウテの胸部装甲の前に脚立を据えて張り付いていたフィーネが、こちらを振り返らずに応じた。

「何」

「この拘束具って、外せないの」

「外せるなら、とうに外している」

 フィーネの声は平坦だったが、その指先は常にない苛立ちで工具を握りしめている。晃の両手首の拘束環だけでなく、ヴァルトラウテの四肢を固定している拘束具もまた、通常の聖皇国軍の装備ではなかった。古代文明の技術を模倣した特殊な拘束機構——刻印紋適合者の神経接続を物理的に遮断するために設計されたものだ。

「刻印紋の共鳴波長を逆位相で干渉している。私の調律紋でも、正面からは解除できない」

「……つまり、俺はヴァルトラウテに乗れない」

「今は」

 フィーネはそれだけ言って、再び拘束機構の解析に没頭した。

 車列の外では、護衛部隊が隊列を組んで街道の両側を固めているはずだった。ダリウスのヴァイスヴォルフが先頭、セリオンのアグライアが後方。レーナが指揮する一個中隊の歩兵と軽装機甲が、格納庫車両を囲むように展開している。聖都まであと半日の行程。

 何も起こらなければ、それでいい。

 何も起こらないはずがないと、晃の中の冷めた部分が告げていた。


 最初の兆候は、地面の振動だった。

 鉄車輪の律動とは異なる、不規則で深い震え。車台の鉄板がびりびりと共振し、壁面に吊るされた工具が一斉にがたがたと鳴った。

 フィーネの手が止まった。

 晃の左鎖骨の下——刻印紋が、焼けるように熱を持った。

「来る」

 晃が呟いた瞬間、車列の前方で爆発音が轟いた。

 続いて、悲鳴のような金属の軋み。通信機から切迫したレーナの声が飛び込んできた。

「全部隊、戦闘態勢。前方街道に喰鋼蟲群、推定三十以上。右翼からも接近反応——四方だ、四方から来ている」

 格納庫車両が急制動をかけ、晃の体が前方に投げ出された。鎖が手首に食い込み、痛みに歯を食いしばる。

「第二小隊は右翼を押さえろ。第三小隊は車列後方の防御線を維持。ダリウス団長、前方の群体を——」

 ダリウスの低い声が通信に割り込んだ。

「見えている。数が多い。新型混じりだ」

 セリオンの声は、どこまでも静かだった。

「後方も。大型が三体。……囲まれたな」

 車両の装甲越しに、地鳴りのような喰鋼蟲の咆哮が響いた。晃は車壁に背を押しつけ、拘束された両手を握りしめた。指先が震えている。頭の中にゲームのHUDを展開しようとするが、情報が足りない。視界がない。車両の中にいては戦場が見えない。

「フィーネ」

「分かっている」

 フィーネは脚立から飛び降り、晃の手首の拘束環に取りついた。調律紋が刻まれた右手が淡い光を放ち、環の表面に浮かぶ古代文字をなぞっていく。

「干渉波長の位相をずらす。時間がいる」

「どれくらい」

「三分。最短で三分」

 三分。

 車両の外で爆発が連続した。通信機からは複数の声が重なり合って悲鳴に近い報告が飛び交っている。

「第一小隊、左翼に大型二体突入。支えきれない」

「弾薬が——補給車が燃えている」

「レーナ副官、第二小隊が応答しません」

 レーナの声が鋭く通信を切り裂いた。

「第二小隊、応答しろ」

 ノイズだけが返った。

「第二小隊、応答しろ!」

 返答がなかった。

 晃は唇を噛んだ。血の味がした。三分。たった三分。だがその三分の間に、外では人が死んでいく。自分の代わりに前に出た兵士たちが、喰鋼蟲の群れに呑まれていく。

「フィーネ、頼む」

「黙っていろ。集中を乱すな」

 フィーネの額に汗が浮かんでいた。調律紋の光が明滅を繰り返し、拘束環の古代文字が一つ、また一つと消えていく。

 通信の向こうで、ダリウスの咆哮が響いた。ヴァイスヴォルフの重斬撃が喰鋼蟲の外殻を砕く衝撃音。セリオンのアグライアが後方で高速旋回しながら大型個体を牽制する駆動音。二人の最強の操縦者が全力で戦い、それでも四方から押し寄せる喰鋼蟲の波は止まらなかった。

 二分が過ぎた。

 通信に新たな報告が入る。レーナの声は冷静さを保っていたが、その奥に押し殺した焦燥が滲んでいた。

「車列右翼の防御線が崩壊。格納庫車両への直接接触まで推定九十秒」

 晃の心臓が跳ねた。ヴァルトラウテが——いや、自分が狙われている。核機関。カルヴァスが求めているもの。

「フィーネ!」

「あと四十秒」

 車両の装甲に何かが激突し、壁面が内側に膨らんだ。天井から粉塵が降り注ぎ、照明が明滅する。喰鋼蟲の腐食性の体液が装甲を焼く臭いが隙間から流れ込んできた。

 三十秒。二十秒。

 フィーネの調律紋が一際強く輝き、拘束環の最後の古代文字が燃え尽きるように消えた。

 かちん、と軽い音がして、手首の環が開いた。

「行け」

 フィーネは振り返り、ヴァルトラウテの胸部装甲に手を当てた。調律紋が機体表面を走り、搬送姿勢の拘束具が次々と外れていく。コックピットハッチが蒸気を吐き出しながら開き、空洞が晃を待っていた。

 晃は走った。

 手首に残る拘束環の痕が熱い。脚立を駆け上がり、コックピットの縁に手をかけ、体を滑り込ませる。操縦桿を握った瞬間、神経接続が起動した。

 世界が、拡がった。

 ヴァルトラウテのセンサーアイを通じて、戦場の全景が頭の中に流れ込んでくる。赤錆の荒野に散乱する車列の残骸。四方から這い寄る喰鋼蟲の黒い波。その中で必死に戦う味方機と歩兵の点在する光。

 格納庫車両の天蓋を内側から突き破り、ヴァルトラウテが立ち上がった。鋼鉄の巨人が荒野に降り立ち、赤土が爆散する。

 その瞬間——通信に、別の声が割り込んだ。

 古代の通信技術。ノイズのない、澄み渡った音声。聞いたことのない声だった。低く、穏やかで、それでいて底知れない重みを持つ声。

「やっと会えたな、灰瞳の子」

 晃の背筋が凍った。

「その機体に眠るものを返してもらおう」

 カルヴァス。

 戦場の北東——喰鋼蟲の群れの奥に、巨大な影が立っていた。通常の喰鋼蟲とは桁違いの体躯を持つ何か。その上に、人影が見えた。

「……誰だ」

 声が震えた。分かっていて、それでも聞かずにはいられなかった。

「名乗るほどの者ではない。だが、お前が座るその席の本来の持ち主のことは、よく知っている」

 喰鋼蟲の群れが、一斉にヴァルトラウテへ向きを変えた。数十の複眼が、核機関の鼓動を感知して光を放つ。

 集中攻撃。

 晃の頭の中で、恐怖が爆発し——その果てに、異常な集中力が立ち上がった。

 パニックの果てに頭が冴える。いつもそうだった。

 HUDが脳裏に展開される。戦場の全景がグリッド状に分割され、味方機の位置、喰鋼蟲の密度分布、地形の高低差、各機の残存戦闘力が数値化されていく。ゲームではない。現実だ。だが処理の方法は同じだった。

 晃は通信回線を全開にした。

「全員、聞こえるか」

 声が震えていた。それでも止めなかった。

「全員、俺の周りに集まれ」

 一瞬の沈黙。レーナの声が返った。

「御影、お前——」

「説明は後だ。頼む。全機、ヴァルトラウテを中心に密集陣形。今すぐ」

 ダリウスの通信が低く唸った。

「指示を受ける立場ではないが」

「知ってる。でも、今のままじゃ各個撃破される。分かってるだろ、団長」

 数秒の間があった。

 セリオンの声が、意外なほど淡々と応じた。

「面白い。やってみろ」

 アグライアが後方から旋回し、ヴァルトラウテの左翼に付いた。遅れて、ヴァイスヴォルフが正面の喰鋼蟲を薙ぎ払いながら右翼に移動する。残存する歩兵部隊と軽装機甲がレーナの号令で後方に集結し、密集陣形が組み上がっていく。

 晃は目を閉じた。

 閉じた瞼の裏に、戦場の全てがあった。

「ダリウス団長。正面十一時方向、大型が二体重なって来る。一体目を受け流して二体目の腹を突け。外殻が薄い」

「……やけに詳しいな」

「センサーで見えてる。信じてくれ」

 ヴァイスヴォルフが動いた。一体目の突進を盾で逸らし、その影に隠れた二体目の腹部に重斬撃を叩き込む。外殻が割れ、腐食性の体液が噴出した。

「セリオン。左翼、三時方向から六体。うち二体が地中潜行型。地面の振動パターンが変わった瞬間に跳べ。浮上点は——お前の二歩後ろだ」

「二歩後ろ、ね」

 アグライアが軽やかに跳躍した。地面が爆ぜ、喰鋼蟲が飛び出した地点は、まさにセリオンが一瞬前まで立っていた場所だった。空中から双刃が閃き、二体を同時に両断する。

「……当たったな」

 セリオンの声に、かすかな驚きが混じっていた。

 晃は止まらなかった。口が勝手に動く。怖いときほど口数が増える——あの癖が、今は武器になっていた。

「第三小隊、後方左の群体が崩れかけてる。そこを押し込め。第一小隊残存は右翼のダリウス団長を支援。火薬兵器は温存、近接で押し返せ。弾は最後の大型に使う」

 各部隊が動いた。ダリウスもセリオンも、生まれて初めて他者の指示で戦場を駆けていた。苛立ちがあった。天才と呼ばれ、最強と認められた操縦者が、車両の中に閉じ込められていた少年の声に従って動く屈辱。だが同時に、否定しようのない実感があった。晃の指示は各人の最大効率を引き出していた。ダリウスの圧倒的な正面火力を壁にし、セリオンの超反応速度を遊撃に活かし、歩兵部隊の残存戦力を一滴も無駄にしない配置。

 個人技では決して成し得ない、全体最適の戦場が組み上がっていく。

 カルヴァスの声が、再び古代通信で響いた。今度はそこに、明確な驚愕が含まれていた。

「……古代の戦術統合システムを、人間の脳で再現しているのか」

 晃には答える余裕がなかった。頭の中のHUDが膨大な情報で白熱し、眼鏡の奥の灰青色の瞳が光を反射して燃えていた。

「これは予想外だ。……だが、今日は深追いしない」

 カルヴァスの巨影が後退した。それに呼応するように、喰鋼蟲の群れが潮が引くように荒野へ退いていく。

 統制された撤退だった。野生の群体にはあり得ない、明確な意志による後退。

 通信から、レーナの声が響いた。

「敵群体、撤退を確認。……全部隊、警戒態勢を維持。負傷者の救出を最優先」


 戦場が静まった後に残ったのは、赤土に刻まれた無数の爪痕と、散乱する車列の残骸と、七つの遺体だった。

 七名。

 レーナが淡々と報告する声を、晃はコックピットの中で聞いていた。

「第二小隊から四名。第三小隊から二名。格納庫車両の護衛歩兵から一名。計七名が戦死」

 七名。

 晃は操縦桿を握ったまま動けなかった。神経接続はすでに解除されている。HUDは消えている。だが頭の中には、あの三分間の空白が焼きついていた。

 拘束具が外れるまでの三分間。自分が搭乗できなかった三分間。その間に崩壊した防御線。応答しなかった第二小隊。

 自分の指示が一手でも早ければ。拘束が一分でも早く解けていれば。

 七ではなく、六で済んだかもしれない。五で済んだかもしれない。

 あるいは——。

 晃は拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、操縦桿に血が滲んだ。

 誰の名前も知らない。第二小隊の兵士の顔も、護衛歩兵の名前も。自分が守れなかった七人のことを、何一つ知らない。

 それなのに、胸の中に穴が空いたように冷たい風が吹き抜けていく。

「……無理だって、こんなの」

 誰にも聞こえない声で、晃は呟いた。

 眼鏡のブリッジを押し上げる。指先が震えていた。右レンズのヒビの向こうに、二つの月が昇り始めていた。銀白のゼルダと赤銅のカルマが、戦場の跡を無感動に照らしている。

 コックピットの中で、晃は膝を抱えた。ポケットの中の動かないスマートフォンに指を伸ばしかけて、やめた。今触れば、折れる。何かが決定的に折れてしまう気がした。

 代わりに、装甲の内壁に手を当てた。ヴァルトラウテの鼓動が、微かに掌に伝わってきた。

 七人分の重さを、鋼の心臓が静かに刻んでいた。

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