代償
最初に失われたのは、時間感覚だった。
昼と夜の境目が、曖昧になる。
朝日を見ているはずなのに、胸の奥では夜が鳴っている。
「……大丈夫?」
眠らない魔女の声が、少し遠い。
レイは頷こうとして、気づいた。
首を動かすより先に、答えが世界に滲んだ。
彼が「大丈夫だ」と思った瞬間、
周囲の空気が“そうであるべき形”に落ち着く。
傷は開かず、
疲労は深まらず、
だが回復もしない。
星は、レイを守っているのではない。
世界を、先送りにしている。
「これは……」
魔女が息を呑む。
「君の中で、時間が“保留”になってる」
星を宿した代償。
それは力でも呪いでもない。
進まないこと。
レイは怪我をしない。
だが、治らない。
老いない。
だが、若くもならない。
感情も同じだった。
怒りは湧き上がる寸前で止まり、
悲しみは溢れる前に形を失う。
喜びは確かにあるのに、
終わりがない。
「……僕、ちゃんと笑えてる?」
魔女は答えなかった。
代わりに、彼の胸に手を当てる。
そこから聞こえるのは、心臓の音ではない。
鐘の音。
問いかけの音。
「星がね」
彼女は静かに言う。
「君を“生かしている”んじゃない。
君を結論にさせないようにしている」
星を体内に宿した者は、
世界にとっての未決定事項になる。
殺せない。
救えない。
終わらせられない。
観測者協会が恐れる理由が、ここにあった。
レイが存在する限り、
世界は“次のページ”をめくれない。
その夜、レイは初めて眠りかけた。
だが夢は見ない。
代わりに、無数の「もしも」が流れ込む。
もし、星を受け入れていたら
もし、終わらせていたら
もし、拒まなかったら
どれも起こらない未来。
どれも、確定しない可能性。
目を開けると、夜明け前だった。
眠らない魔女が、彼を見ている。
「……ねえ、レイ」
彼女は、ほんの少しだけ震えた声で言う。
「このままだと君は、
世界の外側に立ち続けることになる」
「人として生きる時間も、
物語の登場人物である時間も、
どちらも失う」
レイは、星片を握る。
光らなかったそれは、
今も光らないまま、確かに重い。
「それでも」
レイは言う。
「誰かが、すぐに答えを出す世界より、
迷い続ける世界の方が……」
言葉は、最後まで形にならなかった。
星が、静かに鳴る。
問いは、まだ続いている。




