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「今出来る処置はこれぐらいですが、大丈夫でしょうか?」
丁寧にドレスに着いた汚れを拭きとってくれた侍女が心配そうに聞いて来た。
葡萄ジュースを溢したことすら分からなくなっているドレスを見てアンリエットは微笑む。
「ありがとう、十分綺麗になったわ」
アンリエットがお礼を言うと侍女達も安心したのか頭を下げて仕事へと戻いって行った。
ウィリアムを待たせているために、会場へ戻ろうと薄暗い廊下を歩く。
廊下の突き当りのバルコニーにウィリアムの姿が見えアンリエットは足を止めた。
目を凝らして見ていると、バルコニーにウィリアムが立っておりその横にはクリスティナの姿があった。
薄暗いバルコニーで何をしているのだろうか。
そばに寄ろうとすると、慌てた様子の侍女に止められる。
「アンリ姫様、会場はこちらですよ」
「でも、ウィルがバルコニーに居るのよ。何をしているのかしら」
必死に行き先を止める侍女に違和感を感じてアンリエットが近づくと、クリスティナがウィリアムに抱き着くところが見えた。
「えっ?」
驚いているとクリスティナはあっという間にウィリアムの唇を奪う。
頭を殴られたような衝撃がアンリエットを襲い、酒屋でクリフが多数の女性と口づけをしている姿が走馬灯のようによみがえって来た。
(ウィルもクリフと同じように女性と平気でキスができるっていうこと?)
抱き合っているように見えるウィリアムとクリスティナを見てアンリエットの呼吸が荒くなる。
急にお腹が痛くなり、呻きながらしゃがみこんだ。
「大丈夫ですか?」
急激に体調が悪くなった様子のアンリエットを傍に居た侍女がおろおろしながら支えてくれるが、腹痛が限界に達してアンリエットの呼吸も苦しくなる。
荒く息を繰り返しながら腹痛と戦っているとカランと音がした。
ゆっくりと視線を向けると、どうしても外れなかった王家の指輪が廊下に落ちている。
怪しい光を発していた赤い石だったがなぜか曇って見えた。
自分の体調が悪いせいか目まで可笑しくなったかと落ちた指輪に手を伸ばすが痛みで届かない。
痛みで呻いているアンリエットの元にいつの間にか来たウィリアムがしゃがみこんで様子を伺う。
「どうした?」
「それが、急に体調が悪くなったようでして」
おろおろと侍女が説明を聞いてアンリエットは頷く。
「急にお腹が痛くて、呼吸も苦しい……」
「なにがあった?やっぱり変なものでも食ったのか」
「わからないわ」
アンリエットは痛み耐えながら、思考を巡らす。
変なものを食べたか、それともウィリアムのキスを見たからストレスとショックで体調が悪くなったことも考えられる。
痛みに耐えているアンリエットをウィリアムが抱き上げた。
「すぐに帰って休もう。馬車の用意をしてくれ」
「は、はい」
侍女が慌てて準備に向かった。
痛みで意識が遠くなる中でアンリエットはクリスティナが薄っすらと微笑んでいるのが見た。
(私が体調悪くて嬉しいのかしら。それとも、ウィルとキスをしたから勝ったって感じかしら)
「大丈夫か」
心配そうな顔をしているウィリアムにアンリエットは首を振る。
(あなた達のキスを見たからこんなに体調が悪くなったのよ)
そう言ってやりたいが、元気が出ない。
「ちゃんと運ぶから、そのまま寝てしまって構わない。その方が痛みに耐えられるだろう」
ウィリアムに言われて確かにそうだと思いアンリエットは考えるのをやめて目を閉じた。
「あー良く寝た」
パーティの翌日アンリエットはスッキリした気分でベッドの上で両手を上げて伸びをした。
昨晩はショックで体調が悪くなったが一晩寝たらすっかり良くなった。
控えていた侍女はアンリエットの様子を見てすぐ医者を呼びに部屋を出て行った。
ウィリアムの城に帰ってきたことを確認してアンリエットは息を吐く。
ウィリアムに抱きかかえられたところまでは覚えているがその後の記憶は無い。
それほど体調が悪化していたのだ。
「とんでもない目にあったわ。ストレスって良くないわね」
ウィリアムとクリスティナがキスをしているところを見たせいだと納得しそうになりアンリエットはもう一度自分の体に起こった変化を考える。
ショックを受けて体調が悪くなるほど自分は精神的に弱かっただろうか。
(確かにショックだったけれど、それで気が遠くなるほど悪くなったりはしないはずだわ)
考えているとウィリアムと医者が部屋を訪れた。
元気そうなアンリエットの様子を見てウィリアムはホッとした様子だ。
「具合は?」
「一晩寝たら元気になったわ」
ベッドの上で呑気に言うアンリエットをウィリアムは複雑な顔をして見つめた。
「なぜ、体調が悪くなったか分かるか?」
ウィリアムに聞かれてアンリエットは口ごもった。
「色々原因は考えられるんだけれど、1つ思い当たるのはクリスティナ様に渡された飲み物かしら」
ウィリアムは飲まなかったシャンパン。
それを指摘するとウィリアムも考えながら頷く。
「それは俺も考えたんだ。しかし、急激に体調が悪くなるような毒を入れるなんてことするだろうかってね。もし俺が飲んで、死んだらどうするんだと」
「死ぬほどの毒ではないってことかもしれないわよ」
アンリエットが言うと、ウィリアムは頷いた。
「以前レモンもどきで体調が悪くなっただろう」
ウィリアムの言葉にアンリエットはハッとする。
「そうね。あれと同じような症状だわ。という事は何かのアレルギーかしら。他にも体調不良の人は出ていないの?」
アンリエットが聞くとウィリアムは首を振った。
「アンリ姫一人だ。もしかしたらと思って、医師に伝えてレモンもどきと同じ処置をしてもらったが……元気になって良かった」
「かなり体調が悪かったから全然覚えていないわ。薬を処方されたの?」
驚くアンリエットにウィリアムは呆れている。
「半分寝たまま薬を飲んでいたが覚えていないのか?」
「全く。でもおかげですっかり元気になったわ。ありがとう」
大きく伸びをするアンリエットを見てウィリアムは診察に来ている医者と顔を合わせる。
白髭を蓄えた老人の医者も驚きながら頷いた。
「これだけ元気なら問題ないでしょう。毒性のある薬物で急劇に気を失うぐらい摂取したのに回復するのが早すぎる。通常は数日寝込みますよ、今悪い所は無いですか?」
医者に聞かれてアンリエットは少し考えて頷いた。
「大丈夫です。私、元気だけが取り柄だから」
「どうやらそのようですな」
医者はそう言うと、ウィリアムを振り返った。
「ウィリアム王子、アンリ姫はもう問題ないでしょう」
そう言うと医者は信じられないとぶつぶつと呟きながら部屋を出て行った。
「はぁ、良く寝たからお腹が空いちゃったわ」
アンリエットが言うとウィリアムは白い目で見てくる。
「あれだけ体調が悪かったのに、胃に負担を掛けない方がいいんじゃないか」
「大丈夫よー。何か軽い物でも頂こうかしら」
ウィルが煩いからとアンリエットは付け加えると、控えていた侍女が頭を下げた。
「フルーツをご用意いたしましょう」
「そうね。お願いするわ」
アンリエットはそう言ってまた大きく欠伸をした。
まだ心配そうなウィリアムを見てアンリエットは昨晩の事を思い出す。
(てっきりウィルとクリスティナ様のキスを見たからストレスで体調が悪くなったと思ったわ)
それを言おうかと思ったが、自分が二人に嫉妬していると言っているようなものだ。
それを言うのもしゃくな気がしてアンリエットは口をモゴモゴさせた。




