宙樹、妹に会う
祝日にしたい日のアンケートを取ったら絶対に第一位になるのに、いまだ祝日になっていない七月七日。その放課後、俺はたまたま立ち寄った中古ゲーム屋で、一学期のはじめ頃にはやっていたゲームを発見した。こうも品薄ではもはや手に入れる機会もなかろうと財布を底まではたいて購入し、うきうきしながら帰宅する。これは織姫と彦星のお導きか、いや、あれは旧暦の話だ、などとやくたいもないことをつぶやきながら居間の床にすわり、ほこりや雑誌をかきわけて新古品のゲーム機を発掘、久方ぶりに電気を通す。
『シスター・コンストラクト』という題が、ホームシアター用のテレビ画面にうかびあがる。軽快なテーマ音楽。魅力的なキャラクターイラスト。アファイン変換ばりばりのオープニング。
莫大な遺産を相続した男子高校生が主人公で、いきなりあらわれた四人の義妹に囲まれてうはうはの性春を謳歌する――ところまではいかない、十五禁な萌え萌えゲームだ。相続した離れ小島を出ようとするとなぜか妹からの執拗な妨害工作にあって引き戻される、という謎がついているのだが、それをだしぬくのが楽しいのだとか。義妹には、「あにい、兄上、兄貴、兄者、あにくん、あにちゃま、あにやん、おにいたま、おにいさま、おにいちゃん、くそあにき、にいにい、にいさん、にいさま」といったかなり癖のある呼び方(ちなみに五十音順)を選ぶことができ、接し方や与える物によって性格がかわっていく、という複雑なシステムになっている。噂では、つぶれたプロダクションの元アイドル、斡旋所がよこした養子、サイボーグ、生き霊、化けオコジョ、超能力者、未来人、天使、宇宙人、スパイ、メイド、魔法少女、女神、といった義妹設定が用意されていて、百年間プレイしても全てのエンディングをを見ることは不可能なのだとか。まあ、そんな中から男の子っぽい貧乳の三女に「あにい」と呼ばせて集中的になつかせてみたところ、これがもう重度のブラコン、せつなさムルロア環礁級のラブストーリーを展開して酔わせてくれた。
……泣いたよ。全俺が泣いたよ!
そんないいシーンで背後に気配を感じた俺は、ホラー映画よろしく油の切れたギヤ音を発しつつ首を回す。
「あにい、こんなの、ぼく恥ずかしくってできないよ」
ボタンに触れてしまったのだろう、画面中の〈妹〉がこっ恥ずかしいセリフをはいた。けど、現実の人間の方は、「あにいのバカッ!」とか叫んでパンチラ覚悟の後ろ回し蹴りを仕かけてくるわけでもなく、いや、そもそもそこにいたのは女でも年下でもないただの親爺なわけで、その粗大ゴミ人間はたばこの煙をくゆらせながら眠そうにほざいたのだった。
「宙樹、妹、ほしいか」
しけた中年男の典型のようなおやじは、もう何年も床屋で整えたことのないシルバーグレイの長髪をかきあげて、画面の中の架空の妹をながめていた。
「ほしいもなにも、おやじ、離婚して何年だ? 妹なんて、生物学的に望めないだろう」
おやじは、ぼけた頭をなんとかするように、眉間をこぶしで叩いている。
「ま、まさか! 再婚するのか」
「いや」
「誰か、知り合いの娘でも引き取るのか」
「いや」
「なんだ、驚かせやがって。たまに家に帰ってきたと思ったらそれか。寝れ、寝れ。どうせ、研究ばかりして寝てないんだろ」
「ああ」
おやじは、ソファーに腰を落とすと、背後の流しを灰皿代わりにして新しいタバコに火をつける。
「まあ落ち着いて聞いてくれ。今から言うことは、神かけて真実だ。実は、お前には腹違いの妹がいる」
「はあっ……?」
さすがに、驚いた。そんな話、親戚の誰からもきいたことがなかったからだ。
「研究所の、赤沢さんの娘さんだ。赤沢夢。なかなかいい娘だぞ」
「む、む、む、娘さんって、腹違いって、おやじの遺伝子をひいた子か?」
「ああ」
年がいもなく、おやじは照れている。今まで隠し通した秘密を告白する気になったのは、母の七回忌がすんでようやく心の整理がついたということか。それとも、俺が感涙にむせいでいる隙をついて、既成事実をねじ込もうという算段か。
このおやじ、しけた外見に反してノーベル賞級の頭脳の持ち主と来ている。そして、赤沢さんというのはおやじの助手の一人だ。母さんが生きていたころは、我が陋屋にもよく研究所の若人が遊びに来たものだが、その中に一人、標準よりはややふくよかめの、髪の長い眼鏡のお姉さんがいた。この人が赤沢さんで、たしか名前は茜さんといったはずだ。そのころ小学生だった俺は、茜さんにひそかにあこがれて、よく甘えていたものだ。
――けっ、親子の血は争えないってことか。純情な男子高校生が久しぶりにあったお姉さんに勇気だして告白してみたら、そいつは親父様の内縁の奥様でした、てパターンか。
俺は、とりあえず妹に関心を向けようと気持を切りかえる。
おやじは、三本目のタバコに火をつけた。
「夢は、お前の二個下だ。今年、中三になる」
「てことは何か。おやじ、ずっと不倫してたのか! 母さんが事故で入院して、ずっと寝込んでいたときに」
おやじはうなずく。
さすがに驚いた。
たしかに人並みはずれて家に寄りつかない男だとは思っていたが、それに、言うことなすこと世間の常識にとらわれない男だとは知っていたが、まさかそこまで甲斐性があったとは! てか、俺、中三の義妹ができるのか。同じ屋根の下に住むのか。夕立に降られて家の風呂に飛び込んだら先に妹が入っていて「きゃー、お兄ちゃんの変態!」とか言って石鹸とかシャンプーを投げつけられるのか?
「いや、それはない」
おやじは、俺の心を読むと断言した。どうやら、俺の妄想は漏れているらしい。あとで配管工を呼んでおこう。
けど、そんなうきうき気分は、おやじの次の言葉でぶっとんでしまった。
「夢は、重い病気なんだ。もう、今日明日の命かもしれない。だから、話したんだ」
「で、この俺にどうしろと?」
「夢と、会ってやってほしい」
「それだけか」
「できるなら、夢の〈おにいちゃん〉としてふるまってほしい。夢は、ずっと腹違いの兄がいると聞かされて育ってきた。あこがれの存在だな。お前には突然でつらいことかもしれんが……」
いや、俺は気にせん。というか、願ったりかなったりだ。
「気にするな。大いに結構。会ってやるぜ」
俺は、何も考えずに返事した。
病院は、研究所の敷地内にあった。ベッド数が少ないので、正確には療養所だろう。周囲には芝生が広がり、警備用のロボットがうろうろしている。俺は、そんな中をかいくぐって病棟に向かう。
妹は、小さな電子要塞におさまっていた。廊下の窓からは、その姿はほとんどうかがえない。見えるのは、体の各所に突きささっているらしい中の液体の色がわかるチューブ。廊下に向けて並べられた、心搏、血圧、脳波その他をモニターする計器類。MRI装置のような巨大ベッドからは、たばねられたケーブルが隣室にのびている。
おやじが俺をうながした。
ひとりで病室に入る。
といっても、一度裸になって、シャワーと紫外線の照射で全身を滅菌し、洗いたての木綿の服に着替えてからだが。
エアーロックがひらき、夢が呼吸している空気にふれる。それは、機械の酸っぱさと、薬品の滅入るようなにおいが混在する、非人間的な気体だった。
――もし、妹が見るも無残な姿をしていたら。
その思いが歩みをにぶらせる。
けど。
「おにいちゃん」
その弱々しくも美しい声に、全ての邪念がふっとんだ。
「夢、夢だな」
ベッドに近づき、のぞきこむ。
「ヒロキおにいちゃん、なんだよね」
夢は、妖精のような、細くて折れんばかりの腕をさしだす。一度も日光にあたったことのない白い肌。美しく長いまつげ。黒目勝ちで、涙にうるんだ瞳。艶のない長い髪が、夢の症状の重さと入院期間の長さを物語っていた。
俺はただ、純粋にその子がいとおしく思えた。そのときの俺なら、核戦争のボタンを起こすことだってできたろう。その代償として、夢が健康な体を取り戻せるのだとしたら。
けど、そんなことをする必要はなく、俺は夢の痩せ細った手をそっと握り、夢のほほ笑みに見入ったのだった。
その後、数日間。
俺は懸命につきそった。
なんでこんなに惹かれるんだろう。昨日まで見ず知らずだった遺伝的な片割れに、俺はどうしてここまで尽くせるのか。そう思うくらい甲斐甲斐しく世話をやいた。学校から病院に直行し、滅菌室をぬけ、機械の塊のようなベッドの横にすわる。喉が渇いたといえば飲み物を、お腹が空いたといえば甘いゼリーを調達し(それらは本来許されない行為だった。けど、くそくらえ。夢はずっと、機械につながれたまま、味もそっけもない人生を生きてきたのだ)、退屈しないようにと話をする。けど、夢は最初の感動が薄れると、急速に俺への興味を失っていったようだった。
「お兄ちゃん、うざいよ」
学校の話をしているときだった。突然、夢は弱々しくもきつい声を出した。そういえば、最近はこれといった話題もなく、俺は無理して話をしているきらいがあった。
「悪かった。夢には関係ない話だったな」
「あたし、寝る。お兄ちゃん、出ていって」
舌たらずの声が、きつい要求をつきつけた。
夢はそのまま、横向きになって目をつむる。
俺は、滅菌室をぬけてもとの服を着る。
――なんだよなんだよ、もうじき死ぬって言うからやさしくしてやってるのにさ。くそっ、うざいはねえだろ、うざいは。
夢の言葉が脳の中を反響する。このまま病院の中にいたら、鬱病になっちまいそうだ。
俺は、研究所へと足を向ける。病院からは、ゆるい登り坂を歩いてすぐ。向かう先は図書室だ。
最近は、家ではなくここで宿題をすませることが多くなった。広い窓からは太平洋のきらきらと輝く波が見え、やたら眠くなることもない。薬のにおいもなく、勉強向きの環境だ。理系の資料はそろっているし、インターネットも使える。ときどき訪れる研究員をのぞくと、孤独に割り込むお邪魔虫もいない。というわけで、夢の体調が悪いときや、検査を受けている最中は、よくここにしけこんでいたのだ。
図書室で宿題を広げる。ここでは、ちょっとだけ夢のことが忘れられる。
「宙樹くん、ごめんなさいね。夢がわがままを言っちゃって」
声をかけてきたのは、茜さんだった。研究者の鑑のような格好をしている。どういう格好かというと、白衣を着て、白いセーターに黒いスカート、ひっつめ髪に大きめの眼鏡、化粧っ気はほとんどなし、という隙のない姿だ。
「いいんですよ。誰だって虫の居所が悪いことはあります」
俺はきっと、もっと話し上手で、病人の気持ちを察して、かゆいところに手が届く兄貴であるべきなのだ。大型のバイクでも乗り回して、ツーリングに行ったらヤマクジラの一頭くらいは仕留めてくるようなごつい兄貴。あるいは、バックパック一つで旅をして、世界各国に友人がいる兄貴。ただの平凡な高校生では、夢に与えられるものが足りなすぎる。
「これにこりないで、また来てあげて。夢は、宙樹くんと会ってずいぶんとかわったのよ」
茜さんの話では、俺と出会う前の夢は、今よりずっと暗く、歪んだ性格だったという。看護師泣かせの意地悪なだだっ子。癇癪持ちでわがまま。保護されているという立場を利用しての罵詈雑言。生きる希望をなくして自暴自棄になっていたのだろう。そんな少女を、両親も、スタッフも、腫物にさわるように扱ってきたという。
「夢ちゃん、一生あの機械の部屋から出られないんですか。病気が治る可能性は、絶対にないんですか」
「ええ」
茜さんはうなだれる。
「シュタイフナー・ヴィニッケル症候群。発症率は百万人に一人。原因は不明。遺伝性でも、ウィルス性でもないと言われている病気」
「知ってます。思春期に入るとともに発病して、変異細胞が全身の組織にまんべんなく広がっていくんでしょう。今までの抗癌剤はきかず、放射線治療も逆効果、免疫賦活剤や鎮痛剤を使った対症療法はあっても根本的な治療法はないって。……おやじから、きいています」
「なら、わかるでしょう。治療法なんて、この世のどこにもないんだから」
茜さんの、突然の怒りに言葉を失う。
そして、沈黙。
でも、茜さんなら知っているはずだ。夢に残された唯一の治療法のことを。
「おやじは言ってました。この研究所には、唯一、治療の可能性が残されているって。けど、それってなんなんです。そんな魔法みたいな方法って、あるんですか」
「ええ。神経系は、いまだおかされてないから」
「神経系? でも、ものすごい痛みなんですよね。神経ブロックなんて、末期癌の患者にも使われている、ありふれた手法じゃないですか。それで、どうにかなるっていうんですか」
「……だから、脳と脊髄を切り離して、ロボットの筐体に移植するのよ」
今度こそ、真の沈黙が続いた。
静けさをやぶるのが罪に思えるほどの静寂だった。
「そんなこと、できるんですか」
茜さんは、窓際に行くと広い窓を開け放した。
「見て」
「はあ」
まだ夕暮の気配すらない夏の日ざしは、青々とした芝生をきらめかせている。スブリンクラーが作動しはじめた庭は、夢とは違って生気に満ちあふれていた。
「わからない? あの子たちが」
目をこらす。
何もみつからない。
茜さんは、心労のあまり幻覚でも見ているのだろうか。
「ロボットがいるでしょ」
茜さんが指さしたのは、四角い、住宅街で見かける変電装置ほどの機械だった。外側に四個のタイヤがついているが、ぴくりとも動かない。あまりにも動かないものだから、固定されていると思ったほどだ。
「あれが、ジョン。あっちにいるのが、ポピー。木陰のが、ライカ。呼んだら、きっと飛んでくるわ」
茜さんは、犬のものらしい名前を告げた。
「まさか。冗談でしょう。あれが、犬、なんですか」
「ええ。ジョンはシェパード。ポピーはボックステリア。ライカはレトリーバー。だんだんと小さくなってるでしょ。ライカはついこのあいだ手術したんだけど、うまく行っているみたいね」
木陰にある機械は、犬らしい気配はすこしも感じさせない。ただ棒立ちになって、碑文か墓標のように見える。これで、成功と言えるのだろうか。
「技術的には、完璧なんですね」
「ほぼ、完成されたといっていいわ。あとは、執刀するだけ。それで、夢は自由に歩き回れる体を手に入れられる」
けど、茜さんはその〈治療法〉には何の期待も抱いていないようだった。おやじなら、法的な問題がなければ迷うことなく執刀することだろう。嬉々として、とまではいかなくとも、研究者としての本能がそうさせるはずだ。
俺の脳裏に架空の問答が響く。
「なぜ、山にのぼるの?」
「それは、そこに山があるから」
「なぜ、原爆を作ったの?」
「それは、核爆発が技術的に可能だったから」
人はときに、それができるからというだけでとんでもないことをしでかす。そして、後悔をするのはその後と決まっている。
――夢自身の思いはどうなんだろう?
茜さんにきくことはできた。けど、俺は本人の口からじかに聞きたいと思った。
「今の体に未練はあるかって? そんなものないって。ないない」
今日の夢は上機嫌だった。昨日の荒れ具合が嘘のようだ。
「そんなに、嫌いか。自分の体」
「うん。……お兄ちゃんは好き? あたしの体」
「う、うん。可愛い、から」
ちょっと考えてから答える。
最初、武骨な機械のついたベッドを見たとき、俺は最悪の光景を想像していた。骨と皮だけのミイラ、あるいは、蛆虫のようなぶよぶよした肉塊。けど、夢はそこまでひどくはなかった。しいて言うなら、鉄人レースを走り終えたあとの女子選手くらいだろうか。栄養の管理が行き届いているため、年相応の可愛らしさはあった。
「なんだったら、お兄ちゃんにあたしの体をあげてもいいよ。どうせ、脳や脊髄をとったら、あとは脱け殻なんだし。エッチなことに使ってもいいし、焼肉にして食べてもいいし。好きに使って」
「おいおい、俺、屍姦の趣味なんてねえぞ。保存の仕方もわかんねえし。そんな脱け殻もらっても使い道ねえよ」
二人だけの会話。けっこう、きわどい話をしたりする。夢の外見にだまされちゃいけない。こいつはかなりのセクハラ魔王だ。
「じゃ、あたしとしたいんだ」艶っぽく、にやりとする。「お兄ちゃん、シスコンの変態だね」
「あたりまえだろ。夢と会ったのはつい先週なんだから。お前みたいな可愛い子がいたら、放っておけるわけねえだろうが。惚れる。絶対にほれる」
「ありがとう、お兄ちゃん。嘘でもうれしいよ」
俺は、夢の手をつかんで自分の胸にあてる。それから、ふと思いついて、細くて折れそうなその手にキスする。隣室の死角をついての行為。俺は、お兄ちゃんから半分恋人になりつつある。
「はいー、宙樹君、そこまで。夢ちゃんの心搏数があがってるよー」
スピーカーから、やぼな警告が聞こえる。夢の心臓は、変異細胞に置き換えられていてまともな機能は果たせないのだ。けど、俺は夢の黒目勝ちの瞳を見つめ続ける。
――夢。夢。世界でいちばん可愛いやつ。
ついに、モニターが警告音を発しはじめた。
スタッフが、ざわめきはじめる。
俺は、後ろ髪を引かれる思いで病室をあとにする。
また明日も会うためだ。今日はここでさようなら。