後悔と幼馴染
「……なんか、だるいな。」
ふとした瞬間、全身が鉛のように重くなった。デスクに肘をつき、額を押さえる。
(最近の疲れが溜まっているのかもしれない。)
(まさか、神崎との因縁が片付いて、気が緩んだか?)
けれど、鼓動が妙に速い。呼吸が浅い。
「社長、大丈夫ですか?」
秘書が心配そうに俺を見つめている。
「……ああ、大丈夫だ。」
そう答えながらも、視界がぼやける。胸の奥が、妙に痛む。
(……なんだ、これ。)
違和感を抱えつつも、机に置かれた書類に目を落とす。捺印待ちの契約書、進行中のプロジェクト、取引先からのメール。仕事は山のようにある。俺が止まるわけにはいかない。
気のせいだと自分に言い聞かせ、俺はペンを握った。
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夜。
ソファに倒れ込むように座る。最近、眠りが浅い。夢を見ては、汗をかいて目を覚ます。
「……俺、疲れてるのか?」
一人呟いて、天井を見上げる。けれど、その行為すら妙に重く感じた。心臓が、不規則に跳ねる。鼓動が早すぎる気がする。
(……まあ、寝れば治るだろ。)
そう思いながら、俺は目を閉じた。
けれど、胸の奥にわずかに残る違和感は、消えなかった。
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翌日。
「……っ!」
突如、激しい眩暈に襲われた。デスクにあった書類が床に散らばる。
「社長!?」
秘書の声が遠くで聞こえる。世界がぐらぐらと揺れる。
(……おいおい、どうなってるんだ。)
呼吸が浅くなる。心臓が締めつけられるように痛む。視界の端が、暗く染まっていく。頭がぼんやりする。声が遠のく。
(……マズいな。)
――次の瞬間、俺は意識を手放した。
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気がつくと、白い天井が広がっていた。
「……ここ、どこだ?」
体を起こそうとすると、腕にチューブが繋がれているのに気づく。点滴。酸素モニターの音。そして、微かに消毒液の匂い。
(病院……?)
戸惑っていると、医者が入ってきた。
「意識が戻りましたか。」
俺は混乱しながら彼を見つめる。
「俺……どうなったんですか?」
医者は淡々とした口調で告げる。
「血液検査の結果が異常です。早急に精密検査を行い、原因を特定して治療を始める必要があります。」
冷静に告げられた言葉が、鋭く頭に突き刺さる。
「……大丈夫なんですよね?」
わずかな期待を込めて問いかける。だが、返ってきたのは容赦のない現実だった。
「残念ながら、非常に危険な状態です。」
――ふざけんな。
---
俺は、俺の体は、本当に──もう駄目なのだろうか?
意識はあるのに、体はまるで別のもののように感じる。
今までの人生が、スローモーションのように脳裏をよぎる。
金。地位。女。
欲しいものは、すべて手に入れたはずだった。
なのに──
(……こんなところで終わるなんて、冗談じゃない。)
これまで必死に努力して、ようやく掴んだ成功。まだ終わるわけにはいかない。まだ、やれることがあるはずだ。
(まだやれる。これからもっと上へ行く。楽しいことだって、まだたくさんあるはずだ。)
だが、その強い意志とは裏腹に、体は言うことを聞かない。腕を上に持ち上げることすら、ままならない。
(……もし、万が一の話だ。)
(これが、本当に『終わり』だったとしたら?)
俺は、自分自身に問いかける。
(俺は、何を後悔する?)
過去の選択か?
捨てたものか?
手にしたものか?
考えがまとまらないまま、ぼんやりと天井を見ていた。
静かな病室。機械の電子音だけが、一定のリズムで響いている。
(人生を見つめ直す、いい機会かもな。)
(とはいえ、過去の後悔について考えたところで、何も変わらない。今の俺にできることを考えるべきだ。)
(例えば――もし俺が、死ぬ間際だったとしたら?)
(入院したばかりの今、やっておけばよかったと後悔することはないか?)
そんなことを考え続けていた、そのとき――。
ガラガラッ!
ドアが勢いよく開いた。
「……ハアッ、ハアッ……!」
荒い息遣いが、病室に響く。その音に引き寄せられるように、俺はゆっくりと視線を向けた。そこに立っていたのは──
柚希だった。
ピリッとしたスーツ姿の彼女。だだ、その髪は乱れ、目は焦点が定まらない。かなり急いできたようで、肩が上下している。
「……柚希。……なんでお前が。」
呆然と呟く。
柚希は、乱れた呼吸を整える余裕もなく、ただ俺を見つめていた。その瞳には、涙が滲んでいる。
彼女がここにいるはずがない。
俺が倒れて、まだそれほど時間は経っていないはず。社員たちも、俺が抜けた事を関係各所に連絡するため、一旦会社に戻っただけと聞いている。
部外者が見舞いに来るには、あまりにも早すぎる。こんなに早く、柚希が俺の入院を知るはずがない。ましてや、駆けつけられる理由もないはずだ。
(……ありえない。)
混乱する思考の中で、ふとよぎる。
(……幻覚か?)
投与された薬の副作用で、ありえないものを見ているだけなのかもしれない。そう考えれば、この妙な胸のざわつきにも説明がつく。
けれど、彼女の荒い息遣いが耳に届く。肩を激しく上下させながら、呼吸を整えることすら忘れ、ただ俺の様子をじっと伺っている。
――本物だ。
その確信と同時に、押し寄せるように次々と疑問が頭をよぎる。
(どうやって俺のことを知った?)
(誰かから聞いたのか?)
(いったい誰から?)
(それとも……)
でも、それを問い詰めるよりも先に、目の前の柚希の表情が、すべてをかき消した。
柚希は、今にも崩れ落ちそうなほど、悲痛な表情をしていた。まるで、自分の全てが壊れそうだとでも言わんばかりに。
その顔を見た瞬間、胸の奥が軋むように痛んだ。
もしかして──
(お前が、俺の”後悔”なのか?)
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