怪狸(かいり)と陰陽師その②
少し長くなりましたが過去回想編最後です。
夜のうちに襲撃者であったものを片付ける。
もちろん片付けるのは怪狸と従者数人だ。
功労者にはゆっくりお風呂にでも浸かって血を洗い流してもらっている。
片付けながら改めてよく見ると、全てが急所に刺さっており即死だったことがうかがえる。きっとアリスなりの優しさなんだろう。
しかしこれほどアリスが強いとはさすがに怪狸でも思ってはいなかった。普段の彼女は甘味を愛し、誰にでも慈愛を振り撒くような天使だからだ。この酷い惨状とは真逆である。
(…少し様子を見に行こうかな。)
湯浴み中に覗くのも悪いなと思うが、心優しい彼女が全ての襲撃者の命を奪ったのだ。もしかすると苦しんでいるかもしれない。
怪狸は従者に残りの片付けるをお願いすると、風呂場に向かったのである。
アリスは思い悩んでいた。
(…やってしまった。いくら攻撃を受けたからといって、相手も命令に逆らえなかっただけなのかもしれない。逃げたくても逃げることさえ許されなかった者達だったかもしれない。その者の命を一瞬にして奪ってしまった。子どもがいたかもしれない。何も知らずに今も帰りを待つ人がいるかもしれない。わたしはどうすればよかったのか?でもあそこで反撃しなければ従者ももっと殺されていただろうし、怪狸が殺されていたかもしれない。…でも…、やっぱり人を殺したくはなかった…。)
全て『かも知れない』話であるのに、結果自分の行いを悪く考えてしまう。湯船に腰まで浸かり、体育座りの状態で悶々(もんもん)と考え込んでしまった。
どうすることが正解だったのだろうか。いくら自問しても答えなど見つかるわけがない。
前に村が襲撃された時もそうであった。検非違使を殺した事を今でも昨日のように覚えている。
またこの手を汚してしまった。せっかくドウジが握ってくれたのに、忘れさせてくれていたのに。
そう思うと泣きそうになる。半年も会えていない想いが爆発しそうだ。今度会ったら今までの分文句を言ってやろう。三日は腕を離してやらない。困る顔を間近でみてやる。
そう思っていると入り口の扉がガラリと開き、一匹のタヌキが入ってきた。
タヌキはそのままアリスの浸かる湯船に飛び込むと、何も言わずに左肩にしがみついてきた。しばしの沈黙。
アリスはそっとタヌキを抱きしめながら聞いてくる。
「なぐさめてくれてるの?」
タヌキは何も言わない。代わりにぎゅっと強く抱きつく。
しばらくそのまま2人で湯船に浸かっていたのだった。
怪狸が水に濡れて重たくなったしっぱをブンブン振って乾かしている頃、外が白みがかってきた。
姿を戻し、朝ごはんでも作ろうかとかまどに火を入れる。
薪が燃えるパチパチという音と共に、焚き火のいい匂いが眠くなりかけた頭を覚ましてくれているようだ。
鍋で湯を沸かしていたところにアリスも髪を拭きながら戻ってきた。
朝食の準備をしながら2人は今後について相談する。
もちろん内容は今回の件をどう処理するべきか?という点である。
2人の案はおおむね同じく、ドウジに知らせる事で一致した。
しかしここで問題が生じる。東奥への出張という事しか2人は知らないのである。さらに問題は、ドウジの居場所がわかったとしてどのように知らせるのかという事であった。
今のように携帯電話があるわけではなく、都から何日かかって着くかもわからない東奥の地である。
できた汁を啜りながら2人でウンウン頭を捻っていた。
その時である、怪狸は重要な事を思い出した。自分が管である事を。通信の手段があったはずである。前にドウジの父親の管であった白狐が使っていた。やれるはずだ!…やった事ないけど。
ドウジに対してメッセージを送ろう。とにかくやってみるしかない。
ドウジへのメッセージである『襲撃された。早よ帰れ。』と頭に思い浮かべながらむむむ、とか、おりゃーなどと気合を入れている。送れているのかさえわからないので小一時間ほどずっとやり続けていた。
一向に返事もないため、待っているだけのアリスは日が出て暖かくなった縁側で完全に寝てしまった。
怪狸はそれでの頑張ってメッセージを送り続ける。
太陽の角度が真上になり、小腹が空いてきたそのときである。
怪狸に頭にメッセージが飛んできた。
『ヘタクソ!雑念が多くて何が言いたいのか分かるまで時間がかかったわ。そっちに戻りたいのだが、こっちは開いた地獄の蓋を閉じなければならない。思念で場所を伝える。家は従者に任せ、こちらに合流せよ。それまでアリスに判断は任せる。』
そのメッセージを最後に通信が途切れてしまった。アリスの奮闘も伝えていれば労ってもらえたのになあと後悔してしまう。
しかし怪狸には分かる。今のアリスにはその一言で十分だ。
まだ寝ているアリスを揺すり起こしてメッセージを伝える。
初めは寝ぼけ眼だったアリスの目が元気に輝いてきたのだ。
「そうだろうそうだろう!ドウジもこのアリス様の力を必要としているんだろう!はっはっはー!」
完全にいつもの調子を取り戻して元気よく庭に飛び降りてそのまま顔を洗いに行ってしまった。怪狸は部屋に戻り、従者に指示を出してから荷物をまとめ始めたのであった。
ドウジからの思念で伝えられた場所はどうやら陸地での最北端であるようだ。
2人はとにかく北上する。
幾度となく道に迷い、寝る場所もなかなか確保できない旅を続けて数ヶ月。
怪狸に届いた思念が発せられたところまで、もう間も無くというところまで来た。火山地帯のようで辺りは硫黄の匂いがプンプンと漂っている。
珍しくアリスが近場の温泉地で休憩する事を提案してきた。
いつもなら『ドウジがわたしを待っている!』と言って走って向かって行きそうなものだが、神妙な面持ちであった事もあり、反対する理由もないため一泊する事にした。
温泉に浸かり、夕食を食べて一息ついていると、、アリスが正対して話しかけてくる。改まって何を話し出すのかと、こちらもえりを正す。
「ドウジが話した『地獄』とは、異界への扉のことだと思う。」
異界…。聞いたことがない言葉に怪狸はごくりとツバを飲み込む。そして次の一言でさらなる衝撃を受けることとなった。
「わたしは遠い昔、異界の地に住んでいた。」
アリスが自分の生い立ちについて今までに話した事はない。仲間であるし信頼もしているため、生い立ちなど些細なことである。異界について深くは話さなかったが、こちらの世界とは表裏の関係にあり、向こうにも国があり治める国主がいる。その国主は強大な『魔力』で一帯を制圧して国を成しているため魔王と呼ばれ、アリスがいた頃には5つの国と5人の魔王が存在していたらしい。
怪狸からすれば突拍子もない話であり、にわかには信じられない話だが、アリスが真剣に話す姿から事実なのだと確信できる。アリスから感じた力の源が妖気ではなく魔力なるものだという事も腑に落ちた。
「この地域は磁場が不安定で通路が開きやすい環境ではあると思うけど、誰かが無理やり開けない限り、異界の門は開かないはず。ドウジが閉じるために術を行使していないはずがないから、きっとまだ近くで門を開け続けるために力を使っている術者がいるはずだよ。」
つまり、誰かが故意にこの事件を引き起こしているというわけだ。
そうなると心配なのはドウジである。この事件を引き起こせば、依頼を受けたドウジが派遣される事になる。ドウジのことなので全ては予想の範疇だろうが、まんまと引き摺り出された形なのだ。
「ドウジは誰かから命を狙われているけど、誰にもあの人を殺すことなんてできない。だから異界の門を開いて何かを呼び出そうとしているんじゃないかと思うんだよね。」
その何かとは魔王かも知れないし、準じた強さを持つ者かもわからないが、いつ現れてもおかしくはないということなのだろう。最強の陰陽師を殺すために、最強の刺客を呼び出そうということなのだ。
「だったらなおさらここで休息を取らずに合流すれば良かったんじゃないの?」
怪狸は主人である、ドウジの身の安全を優先すべきだろうと思うのだが、アリスは成すべきことが先であるという。
「先に門を開く術師を始末しなければ、閉じる事もできないわけ。術師がいなくなれば3日程で強者は門を通れなくなるはずなの。術師は安全のために少し離れた場所にいるはずだから、ここを捜索の拠点にしましょう。」
きっとドウジは門から出てくる妖に対応しなくてはならないため、術師捜索はできないだろう。アリスの判断は間違いなく的確であると言える。もしかするとドウジの思念での『アリスに任せる』はこれを見越してのことだったのではないか?と思わされる。
2人はこの火山地帯の山周辺を捜索し始めた。
徐々に捜索範囲を絞り、探し始めて3日後遂に烏帽子を被り、護摩行のように火を焚き囲みながら呪術を行う集団を見つけたのだった。
離れた場所だと考えていたが、門から1キロ程しか離れていない場所であったのだ。怪狸がアリスに声を掛けようとしたときには、数人の烏帽子が吹き飛んだ後だった。見つけてしまえば一瞬で制圧してしまうのだから流石である。むしろドウジとアリスがセットになっているこの布陣は最強なのではないだろうか。
見つかり縛り上げられた者たちを調べると、皆陰陽師なのだろう。烏帽子に五芒星が描かれている。アリスが尋問しようとしたときである。
「ぐっ、あがっぐ!?」
苦悶の表情をしながら苦しみ、そして次々に死んでいったのである。
「酷いことをする。捕縛されたときに尋問を受けないように呪術をかけられていたのだろう。口封じにしては悪趣味な呪術だが。」
苦しまずに殺す事はできなかったのかとアリスは悲しい表情を浮かべている。
だがこれにより騒動は一つの決着を見せたはずだ。
大手を振ってドウジに合流できる。
門の収束まではまだ時間がかかるが、結界で封じ込めれば大丈夫だろう。
明日にでもドウジと合流して後片付けをしよう。
怪狸はそう考えていたのだった。
その夜、ドウジの正確な居場所を探すためどうするかと思案していたのだが、アリスの一言で解決した。
「わたしの式神にさがさせれば良い!」
そういうと、3人?の小さな精霊が現れた。1人は水色の髪で白色に水色のアクセントの入った着物を纏う少女で、さらにもう1人は緑色の袴を着て烏帽子をかぶった少年である。もう1人?は見た目が山椒魚で背ビレが赤く色付いた小型の珍獣と言った方が良いだろう。タヌキである怪狸が言うのもなんだが、ペット枠である。それぞれが30センチほどの身長で、出てきてからもわちゃわちゃしていてまとまりがない。
「これこれ!何をそんなに騒いでおる?」
アリスが困り顔で聞くと、水色の少女が右手を挙手してくる。
「ニンフさん、お答えください。」
アリスが発言を許可するとてを下げてから答えだした。
しっかり教育はされているらしい。
「ヴァルカンがみんなのお菓子を食べちゃったから文句を言っていたの!」
ヴァルカンと呼ばれた山椒魚が狼狽える。
隣で緑の袴の少年も、うんうんと頷いていた。
お菓子などどこから仕入れた?と怪狸は不思議に思ったが、アリスが昨日饅頭を買っていたことを思い出した。差入れしているのかと納得したが、今まで長い間一緒にいて見たことがない。普通に出てくれば良いものの何か事情があるのだろうか?気になる怪狸はアリスに聞いてみる。すると別段気にする必要もない話が返ってくるのだった。
「こいつらは自由すぎて、呼び出したとき以外は好き勝手やっているから逆に最近は出てこないんだよなあ。」
この3人は見た目が可愛いだけではない。ものすごく偉い、上位の精霊なのだ。
『ニンフ』と呼ばれる水色の着物の少女は、水の精霊ウンディーネである。緑の袴の少年はノームと呼ばれる地の精霊であり、ヴァルカンと呼ばれた山椒魚は火の精霊である。四大精霊のうち3名もアリスの下に集まっている。正直、怪狸としてはこの場にいる誰に対しても頭が上がらない相手なのだ。
「饅頭はまた買ってきてやるから。今は探し人を見つけてきて欲しい!」
アリスがそう告げると全力で散って行ったのだった。
しばらくするとニンフが飛んできた。発見したのだろうが、どうにも怪しい雰囲気でアリスに報告している。報告を聞いているアリスの表情が厳しいものに変わった。
「怪狸!わたしは先に行く!ニンフを託すから後について来い!」
言い終える前にものすごいスピードでニンフが来た道をかけて行ってしまった。
いつもおっとりしているアリスがあんなに慌てて飛び出して行った姿をみて、怪狸も心にモヤがかかったように不安が押し寄せてきた。
「ニンフ様。主人は見つかったということでよろしいのですよね?」
道案内を申しつけられたニンフの後についていきながら、不安な気持ちを素直に聞いてみた。ニンフは少し曇った顔をしながら、一言だけ返してくれた。
「何者かと交戦中のドウジ様を発見いたしました。」
歩くこと数分、身体にビリビリと強い力同士がぶつかる衝撃を受ける。これは…アリスが放つ魔力だろう。主人の放つ呪術のそれではない。魔力同士のぶつかる戦いがこれほどまでに強いのかと尻込みしてしまう。
しかし折れそうな心をもう一度奮い立たせる。
(主人の下に向かわなくては。わたしは怪狸。ドウジ様の右腕なのだから!)
激しい戦闘が繰り広げられる場所にどんどん近づいていく。ついに遠くにアリスの存在を目視で確認した。表情は遠くてよく見えないが、これほど激しい炎や岩が飛び交っているのに先ほどと全く変わらない姿が見てとれる。
「我が主人はバンパイアの王です。この程度の相手、遅れを取らなければどうということもありません。わたしが先ほどドウジ様を発見したとき、ドウジ様は負傷しておられました。そのことを告げた瞬間飛んでいかれたわけですから、そろそろ戦闘は終わると予想しますよ。」
ニンフが真面目な口調で状況を説明してくれる。しかし、あの最強の陰陽師であるドウジが負傷するなど全く想像ができない。どんな相手にも、一度たりとて後ずさった事もなかった人である。怪狸には冗談にしか聞こえない。
すると目の前に何か巨大なモノがすっ飛んできた。ギョッとしてみると、頭に日本のツノを生やし、背中に翼を持った怪異が岩にもたれ掛かるようにして倒れている。まだ生きているようだが時間の問題だろう。左腕を失い、左足の腿から下もない。出血も激しくまさに虫の息だ。
「ニンフ、トドメを刺して参れ。」
初めて会った時のように冷たい視線で冷酷な命令を下すと、アリスはすぐさまどこかへ行ってしまった。
目の前の怪異はゼーゼーと肩で呼吸をしながらブルブルと震えながら何かを呟いている。
「ま……さま…副将…して、…ける……にはいかな…。」
(ま?副将??もしかしてアリスの話してくれた異界からの強者がこちら側に来たという事!?)
怪狸は胸騒ぎを覚える。負傷したという主人はどこにいるのか?そう考えると自分でも驚くほど早く足が動いていた。アリスのかけて行った方向にガムシャラに走る。いつのまにか二足歩行から四足歩行のタヌキへと姿が変わり、転びそうになりながらも必死に走った。そして見えてきた光景に足がすくむ。
そこにはアリスに抱きかかえられて横たわるドウジの姿があったのだ。
アリスの長い綺麗な髪が、ドウジの顔をカーテンのように遮っていて表情が見えない。周囲は静まり返り、まるで舞台の照明に照らされたように2人だけの時間が流れているようであった。気が付けばその光景に怪狸の足は止まってしまっていたが、すぐさま主人の下に駆け寄っていく。怪狸が来たことに気がついたアリスが顔を上げた。目は涙が溢れ、真っ赤に腫れ上がっていた。
「怪狸、寄れ。」
主人に声をかけられて近寄る。弱々しい声で主人は怪狸に話しかける。
「わたしは元々病を患っていた。今回は弱ったこの身体がついては来られなかったということだ。」
ドウジはゴホゴホと咳き込む。みると胸から岩のような物が突き出ており、肺に血が溜まっているようで呼吸をするたびにコポコポと音が聞こえる。
「わたしがもっと治癒術に詳しければ…。」
アリスが悔しそうに下唇を噛んでいる。1000年を生きる不死のバンパイアに治癒など不要であろう。習得している方が不思議である。
「良いんだ。晩年わたしはとても楽しかった。アリスが来てくれて家も華やいだ。わたしがいなくなっても、自棄など起こさず生きて行って欲しい。」
優しくアリスに話す声が徐々に小さくなっていくのがわかる。
「怪狸、わたしはまた同じ力を持ってこの世に生まれ落ちる。そのときわたしに前世の記憶を伝えて欲しい。力と記憶を引き継げるように呪詛を説いた。しかし脳に記憶された記憶までは引き継げるかわからないのだ。長く寂しい時間を過ごすことになるかも知れない。だがこれは今世を共に歩んだお前にだから頼みたい。」
その言葉に怪狸は溜まっていた涙がこぼれ落ちた。共に歩んだ約70年程が一気に駆け巡ってきた。怪狸は言葉が出ず、何度も頷くだけであった。
ドウジは抱きかかえてくれる愛らしい少女に向かって約束をする。
「アリス、君の願いは後世のわたしに託す。そのときわたしはお前を愛し、共に歩むことを誓おう。」
そう話してアリスの頬に触れようとした手は、わずかに届かず地に落ちていったのだった。
いつまでも続くと思われた幸せな時間はこうして幕を閉じた。
ドウジの身体は、『アリスのなるべくこの場所から離したい』との希望でしばらく南下してから葬ることにした。寂しくないようにと村近くに場所を決め、墓守を村人に託した。この墓の主人は神の使いである。今後も丁重に守っていくように!と。力を見せつけて脅したような気もするが、村人は目の前で起こった奇跡のみわざにこうべを垂れて従順を示した。
アリスは埋葬を済ませると、怪狸に別れを告げて去っていった。アリスはドウジとの約束を胸に、ドウジが転生するまでの時間を過ごすのだろう。
怪狸は主人の最後の遺言を胸に、管として長い眠りにつくのだった……。