怪狸(かいり)と陰陽師その①
怪狸は出されたお茶を一口飲むとふーっと一息吐き、晴明の前世での出来事を淡々と語り始めた。
出会いは前世での晴明が幼少の頃である。
当時の晴明は『ドウジ』と呼ばれていた。
怪狸は都で人々を騙し、悪さをする悪鬼として検非違使に追われていた。
人に化けるのが得意な怪狸は捕まるなど思ってもいなかったのだが、ある夜に出会ったドウジに、呆気なく捕縛されてしまうのだった。
まだ小さな子どもと侮ったのもあるが、当時から類稀な才能により天才と称されていたドウジに挑んだことが運の尽きであった。
自分が怪異になったのも、人によりイジメられて殺された事による。
また人により殺されるのかと思うと、正直泣けてくる。
そう思うと尚の事死にたくはない。
「もう悪さは致しません。どうか命ばかりはお助けいただけないでしょうか。」
必死に頼み込む。それしか方法がないからだ。
命乞いする怪狸に対して、ドウジは2つ返事で了承するのだった。
「父上が白キツネであるならば、わたしは黒タヌキにしよう。」
と笑いながら。
それからは心を入れ替えてドウジに尽くした。
私生活での世話役はもちろん、使役する妖も徐々に増えていき、先輩というその一点でのみ取りまとめ役まで仰せつかった。まさに右腕と言われる活躍でドウジに貢献できることが喜びへと変わっていったのだった。
ドウジは出世に対する意欲はない人物であったが、仕事はしっかりとこなした。
天皇からの信頼も厚く、ついには陰陽師となり尊敬と畏怖を同時に浴びる存在へと成長したのだ。
そんな平和に過ごしていたある夜の出来事であった。
その日は満月、怪狸はドウジのとなりで一緒に月見をしていた。
怪狸はどんな姿にも化けることが出来るが、本来人型に化けるときは13歳くらいの町娘となる。怪異は歳を取らないが、怪狸は妖となった時点で生前の年齢を引き継ぎこの姿であったのだ。
対してドウジは年齢的にはすでに50を超えていたが、自身の呪術と怪狸の能力を借り、見た目は20代の青年であった。
歳を感じない主人の隣で、今後もずっとこんな生活が続くと本気で思っていたのだが、その夜を境に状況が一変する。
目の前にある塀の上に、小柄で茶色く長い髪を風になびかせたかわいらしい少女が現れた。歳の頃は怪狸の見た目から推察すると15,6くらいだろうか。
怪狸は警戒してドウジの前に一歩出たのだが、それをドウジが左手で制止する。
代わりに少女がこちらをみて驚いた顔をすると、塀からふわりと降りてきて話しかけてきたのである。
「ヌシの敷地に無遠慮に跨いだ事を詫びよう。だが、何故その化け狸とともにおるのだ?怪異を使役しておるのか?」
顔は微笑んでいるように見えるが、声は冷たく、愛想はない。
化け狸と呼ばれたが、今の姿は人の姿である。それを一瞬のうちに見破られたわけだ。
少女を目の前にして、怪狸はその異質な光景に言葉が出ずに恐怖を覚えた。
この少女は怪狸如き一瞬にして消し炭にできるだけの力を持っている。
震える身体を奮い立たせ、なんとか正対するのが限界であった。
ドウジはその状況でも全く動せず、ニコリと笑いかけると一口お猪口に口をつけてから話したのである。
「この者は幼少の頃からの友人である。」と。
そのひと言を聞き、また驚いた顔を見せた少女に対して、ドウジは饅頭を出してきて振る舞うのだった。
少女は先ほどよりも警戒心を解き、饅頭に頬張る。
美味しそうに饅頭を食べる姿は、まだ幼さが残る少女そのものであったが、滲み出る妖気のような力は完全に大妖怪のものに匹敵する。
ドウジは月を観ながら酒をちびちびと楽しんでいて、特に何も語らない。
警戒しているのは自分だけというこの状態が、怪狸には不思議でならない。
少女は饅頭を食べ終わるとお茶を啜り、ふーっと息を吐いてから礼を言う。
「わたし自身が警戒しすぎていて先ほどは無礼な態度を取ってしまい申し訳なかった。わたしはすでに1000年を生きて過ごしてきた、其方らに言わせれば妖怪の類で間違いない。今まで50年ほど小さな村に世話になり共存していたのだが、わたしの持つ力を欲した貴族の者たちが検非違使を使い村を襲わせた。平和に暮らしていただけなのに、わたしがいたせいで村人に死人が出てしまった。…こんなはずではなかったのに、なぜわたしは人々から襲われなければならないのか?」
淡々と話しながら、少女の目からは大粒の涙が落ちてきていた。
今まで恐怖を感じていた怪狸も、少女の様子から敵意の無さ、そして迫害されてきた事実を知り、自分のドウジに出会うまでに生い立ちを思い出して涙が溢れてくるのだった。
ドウジは懐から白い布を取り出して少女に渡す。
少女は無言で受け取り涙を拭き、笑顔で立ち去ろうとした時であった。
「これからはここが其方の棲家となる。住み込みでわたしの世話役として働く事になるが、異議ないか?」
ドウジの言葉にキョトンとした顔を見せた少女だが、悲しそうに首を横に振る。
「わたしは追われる身。ここにいては今度は其方らが村の二の舞となろう。わたしがいて良い場所など、この世界には何処もないのだ。」
怪狸とて、その気持ちは分かる。
今まで虐げられてきた少女は心を壊しかけていて、限界に近いことも。
しかし、ドウジはハハハと笑いながら、今までに使役してきた魑魅魍魎を全て呼び出してみせたのだ。
その数は数百になるだろうか?怪狸とてわからない。
しかし少女に見せるには十分なパフォーマンスであった事だろう。
「キミは1000年を生きる怪異と言うが、わたしは1000の怪異を使役する陰陽師である。わたしの使役する怪異と名乗れば、この都において安全は保障されよう。」
少女は空を見上げて涙を流しながら笑うのだった。
これにより、怪狸の同僚にかわいらしい西洋系怪異が加わった。
また、この日にドウジが全使役怪異を出したところを見た者が、その当時の状況を百鬼夜行と呼び、しばらく都で噂になっていたのだった。
少女の名前は『アリス・ド・ポエロト』と言うらしい。
本人もいつから名乗っているのかなど記憶にないそうだが、外海の国においても畏怖の対象にされてしまい、旅をするうちにこの国に辿り着いたのだと言う。
非常に心根が優しい少女であり、なぜ忌避されるのかがわからない。
怪狸としては滲み出る妖気のようなものに恐怖がないと言えば嘘になるが、自分に危害を加えることは絶対にない事は信じられる。
アリスは使役されているわけではない。利害の一致により生活を共にしているに過ぎない。しかし、ドウジに対して甲斐甲斐しく尽くしている。
怪狸に対しても親しい友人のように接し、2人は休日に甘味を楽しむために出かけるようになった。
5年が過ぎた頃にはアリスも生活に慣れて、安心して眠れるようになった。
ドウジと一緒に天狗退治に行って自分の活躍を自慢げに帰ってきたときは、一晩中みんなで騒ぎ明かした。
ドウジには養子にとった2人の子どもがいたのだが、その子どもからはアリスと怪狸のどちらが本妻なんだと言われるほど馴染んでいたのであった。
今に思えばこの頃からだろうか、アリスのドウジに対する対応が主従のそれではなかったように思う。
ドウジはもちろん、アリスも怪狸も見た目が変わらない。
不老に気がついた近所の人の中には気味悪がる者もいたが、天皇から厚い信頼を受けるドウジは常に都で高い地位を確立していたためさほど問題にはならなかったのである。…しかし周囲の貴族はドウジのことを良くは思わなかったのだ。
共に暮らし始めてから30年が経った頃に事件は突如として起こる。
ドウジが東奥へと出張が告げられ、1年ほど家を空けることとなった。アリスはもちろん付いて行きたがったが、家守りも立派な仕事だとドウジに言われて渋々居残っていた。
この頃のアリスは変幻の妖術を習得し、スラリとした身長と大人な身体つきになっていた。もちろんドウジへのアピールのためなのだが、ドウジはそれを知ってか知らずか褒めるだけで食指は伸びないのだった。
怪狸はいつもそれを微笑ましく見ていた。怪狸にとってはドウジは命の恩人であり、尊き方である。恋焦がれる対象ではないため、正妻戦争が起こることもない。それにアリスの気持ちにも早期に気付き、陰ながら応援してきた。
(主人様はアリスの事をどう思っているのだろう?すでに一緒に暮らして長い。食客の関係にしては長すぎる。でも主従関係にしては対等な関係を築いているし、なんだかんだでアリスに対してあまいんだよね。)
まあ自分にもあまいよなぁ、と付け足しておく。
そんな事を考えながらいつものようにアリスと一緒に部屋の畳を吹き上げていたときであった。
ふと見ると、玄関先に一人の従者が立っていた。
「ご主人は御在宅か?」
目深くかぶった笠を上にくいっと上げながら聞いてきた。
客人に対して怪狸は失礼のないように応対する。あと半年程は留守にしている件を告げると、笑みを浮かべながら頭を下げて帰っていったのだ。
「結局要件はなんだったのだ?」
アリスに言われて、確かに要件を聞くのを忘れた事に気がついたが、半年も留守にする主人に対して報告することもできないためそれほど重要には考えなかったのである。
それから三日後の晩である…。
周囲も寝静まった頃に、どかどかと荒々しい足音とともに抜き身の刀を持った男たちが襲撃してきたのである。その数約30名ほどであった。
主人がいないこの屋敷には怪狸とアリス、従者として暮らす数名の妖である。怪狸はもちろん、従者も非戦闘員である。
襲撃犯は情報をしっかり持って踏み込んできているにだろう。
怪狸が気づいた時にはすでに数名、従者が斬り捨てられていた。
震える足を殴りつけて立ち上がり、仲間の無事を確認するために縁側のある庭園に向かったのだが、そこにはアリスが月明かりに照らされて美しい少女の姿で襲撃犯に囲まれていた。
「面妖な妖め。この場で斬り伏せてやる。」
アリスに一斉に斬りかかった襲撃犯。怪狸にはアリスの絶対的不利な状況に為す術がなく見守るしかない。
そのときである。
アリスが上空に向かって右手を挙げた直後、巨大な氷の塊が10メートルほど頭上にできあがったのである。その異常な光景を目の当たりにして、斬りかかろうとした者は恐怖を覚えて後退り始めた。
「ヌシ等が誰に雇われ、どのような大義のもとにこの場に訪れたかはわからぬ。だが、平和に暮らす我らの生活を脅かす事は何人たりとて許すなと家守りとして仰せつかっている。この屋敷の主人の命により、蛮行を行う賊どもを生きて帰すわけにはいかぬ。」
その一言にゾクリと背中に寒気を覚えた。襲撃者達はなおさら命の危機を察した事だろう。先手必勝で攻撃をするしかないと焦った様子がみてとれた。
「き、斬れー!!」
そう襲撃者が叫んだ瞬間、アリスの手が襲撃者に向かって振り下ろされた。
巨大な氷の塊から、無数の氷柱のように先端が鋭い氷が飛び出していった。瞬く間に襲撃犯に散弾銃のように降りそそぎ、その場に崩れ落ちていく。先ほどまで囲まれていたアリスの周りには、身体中に氷柱が突き刺さって動かなくなった襲撃者が倒れているだけである。
怪狸はアリスの無事にホッと胸を撫で下ろした。よく見ると、指示役と思われる残党が1名腰から崩れるように座り込んでいる。完全に腰を抜かしているようだ。
「貴殿には、上役への報告役として二日間の猶予を与える。上役に対し今から述べる事を一字一句違えぬように報告せよ。」
アリスがそう告げると、首をブンブンと縦に振りながら頷いている。それを確認すると,アリスは要件を伝えた。
『襲撃を行なった事を宣戦布告とみなし、制裁するものとする。我が主人が留守であろうと不当な襲撃は断じて許せず、万死に値する。まして、我が主君に対し直接無礼を働くならば、1000年を生きる不死のバンパイアであるこのわたし、アリス・ド・ポエロトが死よりも恐ろしい罰を与えよう。』
そう言い終えると、襲撃者の頭に直接触れてから追い返したのだった。
バンパイアとは吸血鬼と言われる西洋では有名な怪異である。
まさかそれがアリスの事だったとは。通りでアリスが強いわけだ。日の本の大妖怪である天狗退治でイキイキしていた理由がいまさら分かった怪狸であった。