初めての言葉
「そういえばね、今日私トンビに助けられたの」
一通りのスキンシップを終え一息ついたところで、リリエッタは野菜や果物を食べる動物達に語りかける。動物達は食べる手を止め《《えぇ!?》》と声を揃えて反応を見せる。
トンビはリリエッタにだけでなく動物達にもイタズラをよくしているので、みんなリリエッタの言葉が信じられないのだ。
「私もびっくりしちゃった。トンビは森に来ることもあるの?」
《うーん。滅多に来ないかな?》
《家だって海の方だしね?》
《あ!俺この前木の実を食べに来てるの見たぜ》
「そうなの?もしまた会ったら、リリエッタがお礼をしたいって言ってたって伝えてくれる?」
《はいよ》
そんな話をしていると、近くの茂みからガサッガサッと落ち葉を踏みしめる規則正しい音が聞こえてきた。動物の足音にしては間隔が長い。
(……まるで人間の足音のような…?)
こんな森の奥になんで人がいるのかと、リリエッタはバッと後ろを振り向く。
振り向いた先にいたのはシルバで、なぜか眉間に皺を寄せ怒っているような顔をして、まっすぐにリリエッタに近づいてくる。
(な、なんでここに…?まさか、見られた?)
驚きで身動きできないリリエッタに対して、動物たちはシルバと一定の距離を保つためどんどんと後退して行く
なぜここにシルバがいるのか。どこから見られていたのか。何を聞かれていたのか。どの質問が来るのか。どう言い訳しようか。とリリエッタが考えている間に、シルバはリリエッタの目の前までやってきた。
座っているリリエッタに対して、ほぼ真上から見下ろすように立つシルバ。しかしリリエッタは顔を上げることができない。
「……アンタもしかして、動物と話せるのか?」
いきなりの核心をついた質問に、リリエッタの息がヒュッと止まる。
この質問をされるのはいつ以来だろうか。トラウマが蘇り全身の熱が顔と目に集中するような感覚。
適当な言い訳を探そうにも頭がうまく働かない。うまく働いたところで、こんなに決定的な現場がみられたのも初めてなわけで、言い訳が思い浮かぶかも分からないが。
「…い、いや……その…」
何も考えられないくせに、口だけは何かを言わなければと勝手に動く。
そんなリリエッタの困惑顔を見て、大柄な鹿のオスがリリエッタを守るように無理やりシルバとの間に割って入る。
いきなりの事に、シルバは驚いて一歩後退した形だ。
《リリエッタ、逃げるか?》
恐らく背中に乗れと言うことなのだろう。後ろ足を少し曲げてリリエッタに背を向けている。
離れていた他の動物達も、いつの間にかリリエッタの周りに集まり彼女の顔を覗き込んでいた。
《大丈夫?》
《顔が真っ青よ》
《鹿の旦那に乗って逃げなよ》
口々に心配してくれる優しい動物達に、リリエッタは滲む視界を拭ってから胸を押さえて深呼吸をする。
(みんなに心配かけてどうするの。しっかりしなさいリリエッタ!)
「鹿さんありがとう。大丈夫よ」
鹿の背中をポンポンと優しく叩くと、鹿はリリエッタを気にしながらもゆっくりとリリエッタの横まで下がる。
呼吸で心臓を落ち着かせ覚悟を決めて顔を上げると、それと入れ違うようにシルバがしゃがみ込んでリリエッタの視界から消える。それを再び追いかければ、上からだった視線を合わせるように片膝をついてこちらを見ている。
「そうなんだな。何で黙ってた」
言葉は責めるようなのに、シルバーの表情はそれとは真逆。まるで子どものように目をキラキラさせている。
「誰も信じない、馬鹿にされるだけだもの。逆になんであなたは信じられるの?」
今まで、馬鹿にされたり頭がおかしいんじゃないかと言われることはあっても、こんなにもあっさり信じた人は初めてで、逆にこっちが信じることができない。
「信じるも何も、この状況で疑う必要はないだろう」
「で、でも、こんなの普通じゃないし……」
「普通じゃないのの何が悪い?ほんのちょっと火や水を操れるだけで持て囃される国だぞ。それよりも希少な能力を持ってるんだ。堂々と胸を張っていればいい」
自信満々に言うシルバの言葉が、少なくとも自分はそう思っている。と主張しているようで…。
リリエッタは初めて与えられた肯定の言葉に、胸の奥でつかえていたものがスッと取れたような感覚に陥る。それと同時に、そこから今まで抑え込んできたいろいろな感情があふれ出し、体中を巡ったその感情が目から雫となって溢れる。
「わ、私、今までこの能力のせいで、いろんな人に…嘘つきだとか、頭がおかしい…ってコソコソ言われて、両親にまで迷惑かけて……この能力は、あってはいけないものだと思ってて……」
ぼろぼろと涙を流すリリエッタに、シルバが珍しく狼狽える。
こんなときはどうするべきか。泣かせた事はあっても、泣き止ませたいと思った事など今まで一度もなかったのだ。
誰かにフォローを頼もうにも、ここにいる人間はもちろん自分だけ。
(ルカかサガス、こうなったらレイかライでもいい。こんな時アイツらならどうする……?)
考えに考えた結果、戸惑いつつもゆっくりとリリエッタに手を伸ばす。
(他意はない。他意はない)
誰に言う訳でもなく、心の中で呪文のように言い訳をつぶやきながら、できるだけ優しくシルバはリリエッタを包み込む。
腕の中にすっぽり収まるリリエッタの、予想以上に小さく華奢な体にシルバの方がガチッと緊張してしまう。
一瞬何が起きたのかと固まったリリエッタだったが、いつか嗅いだお日様のような優しい匂いにすぐにほぐれ、シルバに体を預ける。
父親以外の男性に抱きしめられたのは、これが2度目。1度目は思い出したくもないがリリエッタに言い寄った挙句無理やり抱きしめてきた不躾な男だった。そのときは嫌悪感でいっぱいだったが、今はそれは影も形もない。
あるのは安心感のみで、ポロポロ涙をこぼしながらも「変なの」と笑みがこぼれる。
「……何が変だって…?」
リリエッタの呟きを聞き逃さず、背中に回っていた手がピクリと揺れる。
「だって、あんたついこの前まで人の顔が気持ち悪いだなんだって悪口言ってたくせに、今はこんなに優しいんだもん」
ムードも何もないな。と内心呆れ、シルバはリリエッタを解放する。涙はすっかり止まったようで、口元を押さえクスクス笑っている。
らしくないことをしたかと思えば、リリエッタのその姿に、またしてもらしくなく、かわいいなどと思ってしまった自分は、どこかおかしくなったのだろうか。理解したいような、したくないような初めての感情に、シルバは少し戸惑いを覚える。
「…あれはアンタが下手な作り笑いをするからだろ」
「失礼な!営業スマイルと言ってもらえるかしら?」
「下手な営業だな」
「なんですって!?これでも宿屋の看板娘なんだけど?」
(失礼なひとね!……でも、作り笑いを気づかれたのは初めてだわ。意外とこいつ人のこと見てるのね)
改めてシルバに視線をもどせば、目ざとくそれに気付き「今度は何だ」と小馬鹿にした顔で返される。
「……むっつりスケベ」
「んだとコラ」
ポロリと呟いた言葉に盗賊のような反応をされ、リリエッタはいつかのトトのように飛び退いて距離を取りたい衝動にかられた。
トトほどの反射神経は持ち合わせておらず、結果は一歩後ずさっただけだったのだが。
《リリエッタ?》
隣にいた雄鹿の旦那が心配して声をかけた。
そこでやっと、リリエッタはすっかり頭から飛んでいた動物達の存在を思い出した。
森の動物達はトトとは違い、人間の言葉を理解できない。したがって今どう言う状況になっているのかも分からず、ずっと気配を消して様子を見てくれていたのだ。
「みんな安心して。この人、悪い人ではないみたいだから」
「みたいってなんだ」
リリエッタの言葉に一番に反応したシルバは置いておき、動物達はリリエッタの言葉で少し警戒を緩めたようだった。
《この兄ちゃん、そういや森の中でリリエッタの後ろの方にいたな》
《あらそうだった?》
リリエッタを迎えに来てくれていた白兎の夫婦が、少し前に出てきて確かめるようにシルバを観察する。
「……そうなの?」
白兎夫婦の言葉を受けて、リリエッタはジトっとシルバに視線を移す。
いきなりの事に、シルバは意味がわからず少しタジろいでいる。
「な、なにがだ」
「私のこと、尾けてたんですか?」
(よくよく考えれば、適当に歩いてこのタイミングにココに来られるわけがないのよ)
シルバは少し考える素振りを見せた後、観念したように頭を掻く。
「上からの命令で、今日一日アンタを尾けてた」
「一日!?」
リリエッタは、何か恥ずかしい真似をしていなかっただろうかと今日の自分を振り返る。
(一日って寮にいる時からかしら!?外の段差で躓いたの見られた?市場で買い物する時お金の計算間違えたのとか?)
思い当たることが次々と出てくるリリエッタだが、生憎そのどれもがシルバには気付かれていない些細な事だった。