城下町の看板娘
ここは大陸の東の国。
かつては魔法で栄えたこの国は、今ではその特性や景観を生かして観光客を集める世界屈指の観光地だ。
名所のひとつである港町には、今日も大海原を越えてたくさんの船がやってくる。
そのうちのひとつ、一際大きな船から降りてきたのは大きな荷物を持った沢山の旅人や観光客。客達は皆一様に、船の上から見える活気溢れる人々と立ち並ぶ露店や屋台に目を輝かせる。
露店では貿易の玄関口たる港町らしく、色々な国の装飾品や雑貨などの品々を店ごとに特色を変えて並べていて見ていて飽きない仕様になっている。
一方屋台では、郷土料理から異国の料理、食事系からデザート系までありとあらゆる店がならんでいる。その中でも特に目を引くのが、店先に立ち手から出した炎で肉の串を炙る店、手で持つ事なく棒を浮かせ砂糖の雲を巻きつけている店、魚の泳ぐ水を浮かせ形を変化させる店だ。
他国では見ることの難しい、巷で言うところの魔法を使いみなこれみよがしに客を集めていた。
立ち並ぶ店々に目を奪われつつ、港からいくつも続く道の中で真正面に伸びる大きな通りを抜けると乗合馬車の停留所が見えてくる。
馬車に乗り途中休憩を挟んで半日ほど。
街道をいくつかの村を横目に進み、木々の茂る森を抜けた先、人々の目的の景色が顔を出す。
白い城壁に青い尖り屋根の城は緑の木々の茂る風景によく映えた。
乗合馬車の中で感嘆の声が漏れる中、1人の観光客の子供が親に言う。
「王様のお城が見えてきたね!」
そんな声に、乗り合わせた人々はにこにこと微笑ましく顔を緩める。そしてその子の親が城を見ながら教えるのだ。
「あのお城には王様はいないんだよ。その代わりに、この国を大切に思う人達があのお城にはたくさんいるんだ」
そう。あの城には王様もいなければ、謁見の間には玉座も無い。謁見の間にあるのは椅子が10個並んだ円卓だけ。
今から十数年前、王政から民主政になったこの国では、城は王族の住まいではなく、国の観光名所 兼 国民の憧れの職場なのだ。
城に近づくと城下町があり、港町とは違う賑わいを見せる。
城下町の真ん中にある広場で乗合馬車を降り、そこから少しだけ城の方に歩くと一軒の宿屋が見えてくる。
長い船旅と決して乗り心地の良く無い馬車に揺られ、クタクタになったひとりの旅人がその宿屋のドアを開けると、カウンターで1人の少女が微笑んだ。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
夜空のような紺碧の瞳を向ければ、旅人は固まって少女を見つめる他なくなる。動かなくなった客に首を傾げつつ、宿泊予約の表に視線を落とすと艶やかな髪が背から前に落ちる。瞳と同じ紺の髪は毛先に行くにつれ色素が抜けたような金髪に変わっているが、それすらも夜空の星を連想させる美しさがある。
前に落ちてきた髪を耳にかけ直し、固まったまま動かない旅人へ愛想の混じった笑顔を向ければ、旅人の疲れはどこかへ吹き飛んでしまったようだ。
「あ、あの!今夜良ければ食事でー」
「ご宿泊ですか?」
変わらぬ愛想笑いを貼り付けて、食い気味に旅人の言葉に被せる少女。
笑顔は変わらないはずなのに、背後になにか黒いものを感じて旅人は前のめりになっていた体をしおしおと元に戻す。
少女は貼り付けた笑顔のままテキパキと宿泊手続きをこなし旅人を案内係に引き渡す。誘導されるまま案内係の後について行き名残惜しそうに振り向いた旅人だったが、その頃にはもう次の客の宿泊手続きをしている少女を見て更に項垂れるのだった。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
次に来たのは両親と幼い子供の3人家族、おそらく観光客だろう。
少女は今度こそ影のない笑顔で出迎える。宿泊ではなく食事に来た客だと分かれば、カウンターの横にある入り口から食堂に案内する。
一階が食堂、2階と3階に客室があるこの宿屋は城下町の中でも大きい部類に入る。
特に食堂は人気で、わいわい賑わっているが治安の悪さは感じられない。お子様連れでも安心と評判の食堂だ。
「ごゆっくりどうぞ」
家族を席まで案内すると、子供が笑顔で手を振ってくれたので少女も同じようににっこりと手を振りかえす。ただ子供に笑顔を向けただけなのに周りからの視線が刺さり、居心地が悪くなった少女はスタスタと食堂を後にした。
再びカウンターに戻ると、食堂の入り口から少女を覗くように中年の男が3人顔を出した。
樽ジョッキや料理を持って立ちながら飲み食いしている3人は、お世辞にも行儀が良いとは言えない。
隠れる気もない3人を横目に、少女も隠すことなくため息をつく。
「食べこぼしたら承知しませよ」
視線も向けずに声をかければ、男たちも「なんだなんだ」と言葉を返す。彼らは食堂の常連で、たまにこうして彼女に絡みにくるのだ。
「久しぶりにリリエッタがいるかと思や、相変わらずの男嫌いだなぁ」
「いくら顔が良くてもその性格はいただけねぇわな」
「子供への対応ははなまるなのにもったいねぇ」
「うっさい黙れ酔っ払い。毎日入り浸ってるって奥さんに言いつけるぞ」
口々に少女、リリエッタに悪態をついてくるがそれに負けるリリエッタではない。丁寧だった言葉はどこへ行ったのか、看板娘にあるまじき言葉遣いで反撃する。
相手の弱みは理解しているので、的確にそこをつけば蜘蛛の子を散らすように逃げていくのだった。
邪魔者がいなくなり客が途切れたところで、ここ1週間の宿泊者名簿や帳簿に目を向ける。
客足は落ちていないか。宿も食堂も人手不足なく回っているか。事細かにチェックしていると、目の前に突然影が落ちた。
見覚えがあり過ぎるその熊みたいな影に、リリエッタは恐る恐る顔を上げる。
「……父さん、厨房から出てきていいの?」
目の前に腕組みをする大男を見上げ、リリエッタは内心焦る。バンダナを付けたこの大男はリリエッタの父であり、この宿屋の主人であり、厨房を取り仕切る厨房長だ。
陽が沈みかけたこの時間、食堂は目の回る忙しさのはずなのだが、何故か目の前にはその厨房の長が立っている。
「なぁに。可愛い娘が帰ってきていると聞いちゃぁ一目会いたいと思うのが親心ってもんだろ?なぁリリィ」
ニッコリ笑っているが、笑顔がドス黒い。自分もさっき旅人に対してこんなだったのかな。とリリエッタは少しだけ反省する。
実はリリエッタがこの宿屋の看板娘だったのは1週間前までの話で、今は違うところに勤めていたりする。
父親の怒りの原因はそこにあり、直訳すれば『自分の仕事を放ったらかしてこんな所で何やってやがる』と言う所だろう。
空いた時間にわざわざ帰ってきて、実家の家業の手伝いをしているのだ。褒められはしても怒られる筋合いはないと思うのだが、そう返せばこの熊のような父親からゲンコツが落ちてくるのは目に見えていた。
(父さんのゲンコツは本気で痛いのよね)
リリエッタは余計な言い訳をせず、帳簿をさっと閉じカウンター作業を近くの従業員に引き継ぐ。1週間ぶりに会った父親と一言二言話したいのはやまやまだが、お互い仕事に戻らなければならない。
「とりあえず店が傾いてなくて安心した。また来るね父さん!」
「1週間やそこらで傾いてたまるか!今度はちゃんと暇な時間に帰って来い」
何だかんだで帰ってくるなとは言わないのが父親と言うものだ。
リリエッタは少し寂しい気持ちを押し殺して宿屋を後にした。
ガヤガヤと騒がしい宿屋を出ると、夕暮れの街も十分騒がしかった。家に帰る人がほとんどだろう中、職場に向かう自分は何なんだろうとやるせない気持ちになる。
ため息をついた時、前を歩く大工らしき2人の会話が耳に入ってきた。
「俺も魔法が使えればなぁ」
なんとなく見てみれば、前の男達の視線の先には街を警備して回っている兵達がいた。
「大工が魔法使えた所で何になんだよ」
「ばぁか。魔法が使えるなら大工なんてやるわけねぇだろ。王城勤めしたいって話だよ!」
かつては魔法大国だと言われたこの国だがそれはリリエッタが生まれるよりも前の話で、最後の王の悪政以降魔法の使える人口は急激に減少してしまった。かつては人口に占める魔法使いの人数は8割を超えていたが、今ではでは1割、10人に1人ほどになってしまった。それも単純に火・水・風のいずれかを少し操れる程度の者がほとんどだ。
それでも魔法使いのほとんどいない他国は、なんとか魔法使いを自分の国にも欲しいと、拉致したり高給で釣って監禁したりが後を絶たなかった。
国はこれ以上魔法使いが減らないように、魔法使いを積極的に王城で雇い保護する取り組みを行っているのだ。
王城勤務は高給で、その上国を守ると言う栄誉もある仕事。前途の通り魔法使いが積極的に採用される仕組みのため、一般人は残りの少ない枠に憧れを持っているのだ。
(私にはそんな憧れなかったんだけどなぁ)
何がどうしてこうなったのか。そんな無駄なことを考えるのも面倒だと、リリエッタは首を振り夕陽で染まる王城を眺めながら歩みをはやめた。