メイドの土産にアップルパイはいかが? 冷遇王女の暗殺を依頼されましたが、俺は彼女を救いたい。
この作品は『誰にも愛されず生涯を終えると思っていた冷遇王女ですが、暗殺にきた侯爵様が私を救ってくれるようです。(URL:https://ncode.syosetu.com/n6893hq/)』のヒーローサイドのお話です。
どちらを先に読んでも楽しめる内容となっております。
「はぁ? 無能で有名なニーナ姫を暗殺するように依頼が来た? それも依頼人はニーナ姫本人だと!?」
王都にある、シードル侯爵家邸。
夕暮れ色に染まる執務室で、執事から報告を受けたヴィクターは大声を上げた。
ヴィクターは二十歳という若さでシードル侯爵家の当主となった、眉目秀麗な男だ。
今日も彼は執務机に向かい、大量の書類の山と格闘していた。
そろそろ仕事を切り上げ、独身貴族らしく一人で晩酌を楽しもうかと思った矢先、とんでもないトラブルが舞い込んできた。
「はい。第二王女のニーナ様から、我がシードル侯爵家の注文書を用いたオーダーがされております。……つまりは、正規の依頼ですな」
「そんな馬鹿な!!」
ヴィクターは執事のセバスが遂にボケたのかと、胡乱な目を向けた。
しかし老齢ながらも背筋のピンと伸びた彼の佇まいとハキハキとした言動を見る限り、そうではないようだ。
「どうして姫はそんな馬鹿げた依頼を……」
「さぁ。依頼の理由は聞かないのが当家のルールですので」
隣で控えていたセバスは何食わぬ顔で、主の目の前に件の注文書を置いた。
それはシードル家だけが製法を知る、林檎の香りのする特殊な用紙だった。
注文の内容は、最高級の林檎を使用したアップルパイ。
宛先はニーナ姫から、ニーナ姫へ。
この国の限られた人間しか知らないはずの隠語で、ニーナ姫を殺すようにとオーダーがなされている。記載の不備はどこにも見当たらない。
だが誤りがないからと言って、これでは何の解決にもなっていない。むしろ何かの間違いであってほしかったぐらいだ。
ヴィクターは思わず頭を抱え、深い溜め息を吐いた。
「セバス、カルヴァドスを持ってこい。セラーにある一番上等の奴だ」
「……よろしいので?」
「かまわん。どのみちマトモな頭では対処しきれん。この件は飲みながら考える」
カルヴァドスとは、林檎の蒸留酒だ。
セバスからボトルを受け取ると、用意したグラスに濃い琥珀色の液体をトクトクと注ぐ。同時に芳醇な林檎の香りが部屋に広がる。
ヴィクターはなみなみに注がれたそれを、ストレートで一気に呷った。
「なぁ、セバス。こういう場合、我らシードル家はどうするべきなんだ? 父上たちなら、これをどう処理していたと思う?」
シードル侯爵家。
このモンドール王国が生まれてから続く、由緒正しき名家である。
領地には広大な農地を持ち、林檎の栽培が有名。
長いこと政治にはかかわらず、中央の出世を狙う貴族たちからは、今の地位にあぐらをかく怠惰な貴族だと侮られている。
だが実際のシードル家は、敢えて無欲だと演じているに過ぎない。
国の行く末を案じる一部の優秀な貴族だけは、シードル家の本当の顔を知っていた。
彼らは悪徳貴族の暗殺を生業とする裏の一族。
当主の座は代々、凄腕の暗殺術を持つ者だけが受け継いでいる。もちろん、ヴィクターもその一人。
国益を損なう悪事を働けば、注文書ひとつで殺しにやってくる。
シードル家は決して敵に回してはいけない、モンドール王国最強の番犬なのである。
そんな優秀な番犬も、今日は酒に溺れていた。
今まで大物の貴族を何人も殺してきたが、まさかこの国の王女を殺す依頼が来るとは思いもしなかった。
「無能ゆえ社交界にも出せず、行き遅れているとの噂があったが……ついに気でも狂ったのか?」
「おや、無能で行き遅れの噂があるのは、旦那様とて同じなのでは?」
「それは……言うなセバス……」
先代の頃からシードル家に仕え、さらには自身も暗殺の技能を持つセバス。
主に対しても日頃から厳格な態度をとる有能な執事だが、珍しく弱音を吐くヴィクターの姿を見て今回ばかりは彼も眉を下げた。
「旦那様。私が知る限りでは、王家の者が自身を暗殺させたという事例は一度もございません。後世が喜ぶ、貴重な前例となるでしょうな」
「あのなぁ、そんな事を言われたって何の慰めにもならんぞ……」
「もちろん、皮肉でございます」
「お前……笑えない冗談はよせ」
判断を誤れば、この一件でシードル家がお取り潰しになる可能性だってあるのだ。
自分の代でそんなことになったら、この家を代々護ってきた先祖たちに申し訳が立たない。
セバスも今回ばかりは頼りにならず、ガックリと項垂れるヴィクター。
「仕方ない。明日、俺が直々に王城へ行って姫の真意を聞いてくる」
「……依頼人との交渉は御法度ですぞ」
「そんなことも言ってはいられんだろう。間違いで姫を殺した方が大問題になるぞ」
どう転ぶにせよ、ロクな展開にはならない予感がする。
その日は結局、セバスがボトルを取り上げるまでヴィクターの深酒は続いた。
◇
「ようこそシードル侯爵! お会いしたかったですわ。さぁ、どうぞ中へ!」
ニーナ姫の元を訪れたヴィクターは、玄関のドアを開けた彼女に満面の笑顔で迎えられた。
歓迎は嬉しいが、明るく楽しそうな彼女の声がヴィクターの二日酔いの頭に響く。
思わず額を押さえそうになりながら、彼女の後に続いて中へと入っていった。
「ここが姫の居城……?」
案内されたリビングで、ヴィクターは首を傾げた。
先ほどヴィクターが王城へ訪れた時、案内の者からここにニーナ姫は居ないと言われた。
ではどこに、とさらに訊ねると、面倒くさそうな顔で渋々案内されたのが……ヴィクターが今いる、この離れの居城だった。
居城といっても、王城の敷地の端っこにある小さな一軒家だ。普通なら居るはずの衛兵や侍女もいない。
彼女自身も平民が着るような粗末なワンピースを身に纏っているし、家の中を覗いてみれば最低限の家具しかなく、随分と質素な暮らしをしているようだ。
信じられないことに、目の前ではニーナ姫が自らの手で客人にお茶を淹れている。所作や見た目の美しさは母譲りなのかもしれないが、それ以外はどう考えても王女のそれではない。
どうやら事前に聞いていた情報よりも、彼女に対する扱いの酷さは上だったようだ。
「この度は急な訪問をお許しください、殿下」
「そんな殿下だなんて。私のことはニーナと、名前で呼んでください」
「いや、そういうわけには……」
一般的な貴族の令嬢は、お淑やかさが是とされている。
そんな風潮の中で、今まで出逢ったことの無いタイプの令嬢に、ヴィクターはやや押され気味になっていた。
そもそもニーナ姫は虐げられているとはいえ、この国の第二王女である。不敬な態度が許されるはずもない。
「あ、ごめんなさい……久しぶりのお客様で、私ったら浮かれちゃって……」
「いえ……はぁ。ニーナ様が良ければ、この場はこれで。私のことも、ヴィクターと」
「嬉しい! ありがとうございます!」
テーブル越しに手を掴まれ、ヴィクターの腕がブンブンと上下に振られた。
暗殺対象に気付かれず忍び寄るのは得意な彼だが、ニーナ姫との距離はどうにも掴みきれない。
だがニーナ姫のその言葉と態度で、彼女がこれまでどういう扱いをされてきたのかを確信することができた。
ニーナ姫の母は、数年前に逝去した元王妃……国王の第一夫人だった。
国王には何人かの妾……公妾がおり、一番最初に子を身ごもったのも公妾だった。
国王は公妾の懐妊を大変喜んだ。
一方で、王妃であるはずの第一夫人は数年後にニーナ姫を授かったものの、ついぞ男児を産むことはできなかった。
寵愛を失い、やがて気を病むようになってしまった第一夫人は、離れの居城で静養という名目で捨てられた。
彼女はさらに体調を悪化させ、まだ幼いニーナ姫を残してこの世を去ってしまった。
それからというもの、ニーナ姫に対する王城の者たちの態度はあからさまに冷たくなった。
第一夫人が小国の姫だったこともあり、国内に後ろ盾が居なかったことも災いしたのだろう。
さらには王が公妾を正妃に据えたことにより、ニーナ姫に対する冷遇は加速する。
その後のニーナ姫がどうなったのかは……目の前の彼女を見れば分かるだろう。
だがこの離れの小さな家に住めたのは、彼女にとっては幸運だったのかもしれない。
少なくとも、悪意のある視線に囲まれながら過ごさなくて済むのだから。
ここまでの扱いをされておいて彼女が明るい性格をしているのは、もはや奇跡に近いと言っていいだろう。
「……ヴィクター様?」
「え? あ、あぁ。申し訳ない、少しボーッとしていました」
ヴィクターの考えていることを察したのか、ニーナ姫はシュンと肩を落とす。
「すみません。大したおもてなしもできず……」
「いえ……というより、ここではニーナ様が家事を?」
王女が身の回りのことを自分でやるなんて、聞いたこともない。
だが彼女は花の咲いたような笑顔を見せる。
「ふふふ、意外でしたか? 掃除や洗濯、料理なんかも得意なんですよ!……あっ、そうだ。実は今日、アップルパイを焼いたんです。ヴィクター様も良かったら食べてみませんか?」
「姫が……アップルパイを!?」
「はい! 大好きなんです、アップルパイ!」
信じられないことの連続だ。
狂った自殺願望者なのかと覚悟してここへやって来たが、とんでもない。実際のニーナ姫は、ヴィクターが今まで見てきたどの令嬢よりも生気にあふれた女性だった。
それが王族や貴族らしいかといえば間違いなくノーなのだが、少なくとも彼にとっては好ましいとしか思えなかった。
ヴィクターがポカンとしているうちに、ニーナ姫がキッチンから戻ってきた。そして彼の前に、熱々の湯気を上げる茶色のパイを置いた。
「ヴィクター様のお口に合えば良いのですが……」
「これは……」
見た目はそのまま、アップルパイだ。
シナモンが使われているのか、湯気と一緒に独特な清涼感と甘みのある香りが漂ってきた。
手元にあったナイフでザクザクと切り分けていくと、中から熱でトロトロになった林檎が顔を出す。
それをフォークで丁寧に刺してから口へと運べば、林檎の優しい甘さがジュワっと舌の上に広がった。
――非常に美味しい。
林檎農園を営むヴィクターにとっても馴染み深く、そして懐かしい味でもあった。
「すみません……林檎のパイなんて、ヴィクター様は食べ飽きてましたよね……?」
しばし無言で食べていたら、不安げな表情を浮かべたニーナ姫が顔を覗き込んでいた。
「――いえ。とても美味しくて、夢中になっていました。死んだ母上が作ってくれた味に、何だかよく似ています」
「良かった……実はこのパイ、私の母から教えてもらったレシピなんです」
「ニーナ様の母上が……?」
偶然にも、二人ともすでに母を亡くしている身だ。そして互いに似た味のパイを食べて育った者同士。
ヴィクターとニーナは不思議な共通点もあり、ポンポンと会話が弾んだ。
そうして暫くの間、二人は楽しいお茶の時間を過ごした。
「そういえば、ヴィクター様はどうして我が家へ?」
「あー……、そういえば」
ヴィクターはあの暗殺依頼についての真意を尋ねるために、ここへとやって来た。
だが、どう考えたって目の前の明るい少女が死にたがっているとは思えない。
「実は、ご依頼の林檎に少々お時間が掛かりそうでして。そのご連絡のために伺わせていただきました」
「まぁ、それはご丁寧にありがとうございます! 平気ですよ。ただ、またアップルパイが食べたいので……」
「おっと、それは大変だ。なるべく早くご用意させていただきますね」
すっかり意気投合した二人はクスクスと笑い合う。
当然、これはヴィクターが咄嗟に考えた嘘である。しかしあのように正式な依頼がなされるのは、あまりにも偶然が過ぎる。
不審に思ったヴィクターはもう少し、彼女とその周辺について調査する必要があると考えた。
「さて、今日のところはこの辺で……」
「そうですか……」
寂しそうな表情を浮かべるニーナ姫。
「ヴィクター様……我儘なお願いなのは、重々承知なのですが……」
「……はい。どうしました?」
「私と……お友達になってくれませんでしょうか!?」
◇
「……まいったな。セバスになんて言い訳をしよう」
小屋から出たヴィクターはぶり返した頭痛に悩まされていた。
帰り際、彼は暗殺のターゲットであるニーナ姫から、お友達になってくれるよう頼まれてしまったのだ。
どう答えるべきか迷ったものの、結局は曖昧に頷いてしまった。
「また遊びに来てくださいね……って、完全に死ぬ気が無いじゃねぇか。やっぱりあの依頼は……」
今までの経験上、これは何者かが悪意を持って仕組んだとしか思えなかった。
その黒幕を調査するべく、彼は先ほど案内をしてくれた王城の侍女を探していた。
「ねぇ、アンタ。さっき誰かにあの無能姫の場所を聞かれてなかった?」
「えぇ~見てたの!? だったら助けてよ、意地悪!!」
使用人たちの仕事場をうろついていると、シーツなどを洗う洗濯場で、愚痴を言い合う侍女たちを見付けた。
さっきの無愛想な侍女だ。それに丁度、ニーナ姫のことについて喋っていたようだ。
「国王陛下もあの姫の扱いに困っているみたいよ~?」
「馬鹿ね、困ってるのは国王陛下だけじゃないわ。なんでも、今の王妃陛下が何度かここから追い出そうとしたんだって。だけど、なぜか毎回邪魔が入って上手くいかないんだとか……あの人、悪運だけは強いのね~」
本人に聞かれたら、不敬どころじゃない会話をしている。
「そういえばアンタ。ついこの前も王妃陛下に頼まれて、何かコソコソとやってなかった?」
「あ~、なんかお姫様を唆して書類を書かせろって言っていたわね。でもアレって、ただの林檎のお菓子の発注書だったわよ?」
「林檎のお菓子?」
「えぇ。あの昼行燈な貴族のシードル家宛で」
ヴィクターは拳を握りしめ、その場をあとにする。
これ以上ここに居たら、あの侍女たちを自分の手で葬ってやりたくなってしまいそうだったから。
――だが、大体の事情はこれで分かった。
現在の王妃がニーナ姫を亡き者とするために、シードル家を利用したのだと。
そういうことならば、話は早い。依頼は当然破棄。暗殺なんてするわけがない。
これまで何度も手を血に染めてこようとも、すべては国の為。
くだらない私怨のために、暗殺の技術を磨いてきたわけではないのだから。
しかし帰宅したヴィクターを迎えたのは、新たな人物によるニーナ姫殺害の依頼だった。
◇
「シードル家当主、ヴィクター。貴殿には来週行なわれるトリノ共和国のアンドレア王子との婚約パーティにて、我が国のニーナを毒殺してほしい」
ヴィクターが王城より帰宅すると、執事のセバスが“代理人を名乗る来客”があったと告げた。
仕方なく客人が待つ応接室へ向かうと、挨拶も無しに告げられたのがこの依頼だった。
「それは……いったいどうして……」
「依頼理由ですか? おかしいですね、いつからシードル家は依頼の理由を訊ねるようになったのですか!?」
代理人は黒のスーツにシルクハットを被った、背の高い紳士風の男だった。
いかにも過ぎて、逆に胡散臭い。
だが彼の放つ雰囲気は、暗殺者であるヴィクターですら迂闊に近寄れない妖しさがあった。
「殺しの動機じゃない!! どうして国王陛下がそんなクソなことをぬかしたと訊いているんだ!!」
どうしても言わずにはいられなかった。
隣で聞いていたセバスは、諦めたように首を横に振っているが、覆水盆に返らず。口から出てしまったものは、もう帰ってはこない。
「今の不敬な発言は、敢えて聞かなかったことにしましょう。シードル卿の疑問にお答えするならば……そうですね。私から言えるのは、陛下は戦争を望んでいる……ということぐらいでしょうか。戦争の口火を切るために、彼女の犠牲が必要なのでしょう」
「それは自分の娘を殺すほど重要なのか?」
「さぁ……私はあくまでも代理人。国王陛下のお言葉を、そのままお伝えしたまでですので」
女子供であれば泣き出してしまいそうな怖い顔で、殺意の篭もった威圧を放つヴィクター。
だが代理人は怯まず、顔色一つ変わらない。涼しい顔のまま胸ポケットから一枚の紙切れを出すと、ヴィクターに手渡した。
「……なんだこれは」
「今回の注文書です」
「そんな事は分かっている。こちらはまだ依頼を受けるとは言ってねぇぞ」
「ヴィクター様、そろそろ抑えてください……」
敵意剥き出しで突っぱねようとしたヴィクターをセバスが止めに入る。
相手は国王の代理人だ。本来ならば、国王と同等の扱いをせねばならない。
これ以上の会話は無理だと判断した代理人はふぅ、と小さく息を吐いた。
「……言わばこれは王命です。モンドール王国の番犬なら、この国のために動くと信じておりますよ。では、私はこれで失礼」
「お、おい!!」
これで用件はすべて済んだということなのだろう。
シルクハットを右手に持って流麗なお辞儀をすると、つかつかと応接室から去っていった。
「それで、どうされますか?」
セバスはストン、と脱力したようにソファーへ崩れ落ちたヴィクターを見下ろした。
深い皺の刻まれた顔には、主に対する若干の哀れみが見て取れた。
「注文書を見てみろ。林檎のカラメルバター焼きだとよ」
「最優先で実行せよ、との命令ですか。……現国王は乱心しているのでしょうか」
以前からあまり賢い王とは思えなかったが、愚かなりに無難な政治をしていたはずである。
「今の王妃になってからというもの、浪費が激しいという噂がありますからな」
「国庫を脅かすほどであれば、普通は周りの誰かが止めるだろうが!?」
「王弟の公爵閣下なら、あるいは……」
「あの方か。しかしお二人は仲が悪いからな。貴族連中は揃って国王陛下の味方だ」
口だけは達者な貴族たちを脳裏に浮かべて、ヴィクターは悪態をついた。
「しかしトリノ共和国のアンドレア王子との婚約パーティですか……その王子も、良くない噂ばかり立つお方でしたね。ニーナ姫にとっては災難続きですな」
「罪を着せるにはもってこいの存在だったんだろうな。あぁ、だが今回のことは使えるかもしれないぞ?」
「……なにか案があるのですね?」
ヴィクターは頷くと、今しがた思い付いた案をセバスに伝えた。
「たしかにそれならば、すべてが丸く収まるかもしれません……ですが」
「あぁ。この際、俺も多少の犠牲は覚悟の上だ。……この依頼、シードル家は受けることにする」
これがただの依頼だったのなら、ヴィクターも乗り気ではなかっただろう。
だが、どうしてもニーナ姫の顔が脳裏にチラついて仕方がないのだ。
何だかんだ言って、ヴィクターは優しい。
非情になり切れないのは暗殺者としては失格かもしれない……が、仕える相手としては好ましい。
セバスは、主にバレないように口角を上げた。
「俺は準備ができ次第、もう一度ニーナ姫のところへ行ってくる。アレを使うぞ」
「分かりました。手配は済ませておきましょう」
「頼んだぞ……それと、セバス。お前にひとつ、頼み事がある」
普段は怠けた言動が目立つが、こうなったヴィクターは当主としての顔を見せる。
なにも彼は暗殺の腕だけで今の座に居るわけではない。
暗殺を確実に実行させる用意周到さ。そして策案においても、非常に優秀な男であった。
あの世に行った時は先代に自慢できるなと、セバスは内心で喜んだ。
「えぇ、なんなりと」
「あの嘘まみれな代理人の素性を調べてくれ。アイツの本当の雇い主を調べてほしい」
「かしこまりました」
セバスは一礼すると、部屋から出ていった。
「……さて、こっちも仕事に取り掛かるとするかな」
ヴィクターは立ち上がり、一度伸びをしてから応接室を出た。
◇
「あら? どうしたのですか、ヴィクター様……」
代理人の依頼を受けてから三日後、ヴィクターはニーナ姫の住む小屋を再び訪れていた。
「連日の無礼をお許しください、ニーナ様。実は少々、お話したいことがありまして……」
手土産のリンゴチップスを手渡しながら、簡単な挨拶を告げる。
ニーナ姫は少しやつれた表情だったが、すぐに笑顔になった。
「お気になさらないで、ヴィクター様。私もお会いできて嬉しいですわ」
「それはよかったです。なにかお変わりは無いですか?」
「えぇ、おかげさまで。……ところで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
ニーナ姫は先日と同じようにお茶を淹れながらヴィクターに訊ねる。
今日はミントを使ったハーブティーのようだ。清涼感のある香りが部屋に漂った。
「単刀直入に言えば、トリノ共和国との婚約パーティについてです……その、ニーナ様はどうお考えなのでしょうか」
「……あぁ、ヴィクター様の耳にも入ってしまわれたのですか」
ニーナは一瞬だけ顔を強張らせたが、すぐに元の表情に戻った。
「はい、もちろん。……すみません、不躾なことを申しました」
「いえ、そういうわけでは……ただ、あまりにも急に決まったことでしたので」
そう言ってニーナ姫は様変わりした部屋に視線を向けた。
前回訪れた時には無かったドレスなどが、部屋のそこかしこに飾られていた。
「でも私、母との思い出の残るこの家を離れたくありません。誰かの都合の良い人形にされるぐらいなら、私はここで静かに死にたいのです」
「やはり貴方は……」
「――えぇ。あの注文書の件は知っていました。もちろん、シードル家がどんなことをしているのかも」
ヴィクターは何かがおかしいと思っていた。
ニーナ姫がただの無能なら、とっくに今の王妃に亡き者にされていたはずだ。
そうならなかったのは、ひとえに彼女が情報戦に長け、人を操る術を得ているということ。
そしてヴィクターを騙すほどに演技が上手い。
「しかし何故、そんな無茶苦茶なことを……」
「ふふ。王子よりも暗殺者さんの方がずっと紳士的でしょう?」
そう言って彼女は無邪気に笑った。
その暗殺者は何とも言えず、苦笑いを浮かべる。
「王子との縁談話はおそらく、王妃陛下が提案されたのでしょうね。これまでの嫌がらせ程度でしたら、どうにか躱せたのですが――」
「今回だけは防げなかったと」
「はい。まさかお父様まで一緒になって私を追い出そうとするなんて……あはは、遂にしてやられちゃいました」
おどけたように肩を竦ませるニーナ姫だったが、その目には疲労の色が見えていた。
そろそろ彼女も孤独で戦い続けるのは限界だったのだろう。
「まぁ、それでもあの王子とは結婚せずに済みそうで良かったですわ。私の夢は叶いそうもありませんが、代わりに素敵な殿方と出逢えましたし」
「夢、ですか?」
「えぇ。私はこの家で、素敵な男性と結婚して幸せな家庭を築きたかったのです。……でも、それはもう無理でしょう」
ニーナ姫は家の中をグルリと見渡す。
たとえ叶わなくとも、夢は彼女にとって慰めの一つだったのだろう。
「……悔しくは、ないのですか?」
「そりゃあ、当然悔しいですよ。でも誰かの恨みごとを口にするのは、母が死んだ時に止めましたから。憎しみを糧に生きるよりも、母との思い出に浸りながらここで朽ちた方が幸せだと悟ったので」
「思い出、ですか……」
「はい。……ねぇ、ヴィクター様。もし私の夢が叶って、誰かと結婚できるとしたら……どんな相手が良いと思いますか?」
夢の話の続きだろうか。
ヴィクターは少しだけ逡巡してから口を開いた。
「結婚相手ですか。ニーナ様のように、芯のある強い男性なら良いかもしれませんね。加えて林檎のパイが好きな相手ならば最高でしょう」
「……ふふ、それは良いですね。ヴィクター様は私のことをとても良く分かっていらっしゃいますわ」
「いえいえ、思ったことを言ったまでです」
お互いにクスクスと笑い合う。
だがそんな和やかな時間はもう終わりだ。
「……さて、お喋りはこの辺にしておきましょう。依頼はこの家で済ませますか?」
「いや、実は……」
ヴィクターはここへやってきた理由を正直に話すことにした。
「私を助けたい……ですか?」
ヴィクターは彼女が驚く顔は初めて見たが、とても可愛らしいと思った。
「そ、それはどうして……」
「それは……」
「だって! 私を助けたところで、ヴィクター様には何の得もないではありませんか!!」
ニーナ姫は珍しく声を荒げた。
どうにもヴィクターの言うことが信じられない様子だ。
「……貴方は、私の大切な友人だからです」
「~っ!? そんな理由だけで!!」
「それに貴方は、今までずっと一人で戦ってきたのでしょう? もう孤独に耐える必要なんてない。辛くて苦しい時こそ、友人である私を頼るべきです!」
ヴィクターは席から立ち上がり、狼狽えるニーナ姫の両手をそっと握りしめる。
「それに俺が先代から受け継いだのは、殺す技術だけじゃない。この国の未来を思う心、民を護るための力だ。俺がこの家業をしているのは、断じてクソな野郎どもの欲望を満たすためなんかじゃない!!」
「で、ですが……王家に背いたりなんかすれば、シードル家が……」
「悪党の犬に成り下がるぐらいならいっそ、侯爵家は私の代で無くなった方が良い」
確固たる意思を瞳に宿らせ、ヴィクターは語気を強めて断言した。
これまで汚れ仕事をしながらも、国の為という信条の元やってきた。彼なりに譲れないプライドがあるのだろう。
「それでも……私には、母との思い出だけしかありません。生きる理由も、私の価値も……」
「ニーナ様。過去の美しい記憶を大切にすることは良いことだと思います。ですが、思い出というのはいつか色褪せるものです。それよりも、これから新たに思い出を作ることも大事なのではないでしょうか?」
「新たに思い出を……作る……」
今まで、過去しか見てこなかった。
そんなニーナ姫にとって、これが未来を向いた初めての瞬間だった。
「私と一緒に、楽しい思い出を作って欲しい。私はこの国で、貴方と歩む未来を作りたい」
真っ直ぐに、ニーナ姫を見つめる。
「私が貴方の夢を叶えましょう。そして貴方のことは、私が必ず守りきってみせる」
「ヴィクター様……」
何かを告げようとしたニーナ姫の口が、ヴィクターによって塞がれた。
有無を言わせぬ説得をされ続け、遂にニーナ姫は陥落した。
「……ヴィクター様」
ニーナ姫は瞑っていた目をゆっくりと開く。
「何ですか?」
「私を……助けてくださいますか?」
「……えぇ、喜んで」
それ以上の言葉は不要だった。
誰にも頼らず、自分だけを信じてきた。
ヴィクターによって、ニーナの凍り付いていた心が溶かされていく。
ずっと張り詰め続けてきた感情が、緊張が、我慢がすべてはじけ飛ぶ。
「あぁ……ああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ニーナ姫はヴィクターの腕の中で、初めて本当の自分をさらけ出した。
次の日、モンドール王国に訃報が流れた。
王城の外れにある小屋が不審火により延焼し、そこに住んでいた第二王女が亡くなった、と。
速やかに葬儀が執り行われたが、棺桶には亡骸はなく。代わりに真っ白なドレスが入れられていた。
火災の現場に合った彼女は、とてもじゃないが表に出せるものではなかったからだ。
数人の参列者が見送る中。
ゆっくりと棺桶が運び出され、王家の墓場へと向かっていく。
その列に、王や王妃の姿は無かったという。
◇
「どういうことだ、シードル侯爵! 貴様、依頼を失敗しておいて、ただで済むと思っておるのか!!」
王城の一角にある、王族だけが使用できる小部屋。
そこに呼び出されたヴィクターは、国王から叱責を受けていた。
「恐れながら申し上げます、陛下。シードル家の仕事は暗殺であって、警護ではありません」
「なにを……」
「聞いたところ、姫の住む家には警備や侍女をつけていなかったそうではないですか。他国の王子との婚約を控えた姫にもかかわらず」
床に跪くヴィクターはあくまでも冷静に、事実だけを述べていく。
だが国王はそれが癪にさわったようだ。目の前にあった机に、拳をバァンと叩きつけた。
「ふっ、ふざけるな!! そんな言い訳が通用すると思っているのか!!」
「しかし、それが事実です。まさか陛下は自身の娘の様子を、御存知なかったので?」
警備の目を付けていなかったのは、完全に国王側の手落ちだ。
とはいえ、放ったらかしにした娘が、自分達以外の者に殺されるとは思いもしなかっただろうが。
それでも国王は納得がいかず、激しい剣幕でまくし立てる。
「知るか! どうにかしろ!! これでは計画がすべて台無しではないか!」
「申し訳ありません。我がシードル家は殺すことはできても、死者を生き返らせる術は持ち合わせておりませぬゆえ……」
怯まず嫌味の応酬をするヴィクターに、国王の怒りは頂点に達した。
「黙れ!! 使えぬ犬め! この場で貴様を殺してやってもいいんだぞ!!」
「どちらにせよ、もう手遅れですよ。陛下も駄犬に構うより、外交のやり直しに気を割いた方がよろしいかと」
「この……!!」
怒りのあまり立ち上がるも、ヴィクターはギロリと国王を睨み返す。
圧倒的に修羅場をくぐってきた数が違う。
本物の殺気にあてられ、国王はすごすごと席へと戻った。
「今回のことは覚えておけ。事が済んだら、貴様のその舐めた口を一生利けなくしてやるからな……!!」
ヴィクターはそれ以上は何も言わなかった。
ゆっくりと立ち上がると、一礼をして部屋を退室していった。
「おい! なにか甘味をもて! 酒もだ!!」
部屋からはそんな声が上がった。
直後にメイド服を着た少女が部屋から飛び出し、半泣きになりながら調理場の方へと駆けて行った。
そしてすぐに別のメイドがトレーを持ってやって来ると、王の待つ部屋へ入っていく。
「どうぞ。焼きたてのパイでございます」
「ちっ、アップルパイか。林檎なぞ忌々しい……が、パイには罪はないか」
湯気が立っているアップルパイは見るからに美味しそうだ。
ナイフを入れればパイ生地がサクサクと音を立て、口に入れれば砂糖と林檎の甘みが王の舌を満足させた。
「ん? メッセージカード?」
ふと、王はパイの横に小さな紙切れが添えてある事に気が付いた。
「なになに? 『さようなら、お父様。このパイはお別れの印です』……ま、まさか!?」
「お待たせいたしました。急いで焼き菓子を作らせて……あれ? 誰がアップルパイなんて……」
「お、お前! さっきのメイドは……待て、アップルパイだと!?」
アップルパイ。
それはある家が絡むと、全く別の意味となる魅惑のスイーツだ。
「う、うーん……」
「陛下!? た、大変……お医者様ぁあ!!」
そうしてこの日以来、モンドール王国の国王は床に臥すようになった。
何も知らぬ民は、第二王女が亡くなったことで心を痛めたのだろうと、心優しい王を憐れんだ。
やがて体調不良を理由に、王弟だった公爵に王の座を渡し、王妃と共に王城を去った。
そしてどこか静かな場所で、残りの人生を穏やかに過ごしたという。
◇
「はぁ……」
「溜め息なんて吐いてどうしたんですか、旦那様」
王が倒れた次の日。
シードル侯爵邸にて、当主のヴィクターは執務室の椅子にもたれ掛かりながら溜め息を吐いた。
「育てていた豚を潰したことを、まだ悔やんでおられるのですか」
「だってさぁ……酒のツマミにしようと、楽しみにしていたんだぞ?」
ニーナ姫の死を偽装するため、代わりの死体が必要だった。
そのためにヴィクターはセバスに言って肉や骨を用意させていたのだ。
「しかし、ニーナ様の変装と演技には舌を巻きましたな」
「あれには俺も冷や汗を掻いたが……いや、あの胆力には恐れ入ったよ。惚れ直した」
ニーナ姫が国王に釘を刺しに行くと言った時には、二人とも驚かされた。
だが彼女なりにケジメをつけたかったのだろう。
実際、それは上手くいったようだった。
「あとは公爵閣下が上手くやってくれるだろう」
「閣下も旦那様には感謝しておりましたよ。今後ともよろしくと」
「それはいいが、今度からはあの無礼な代理人以外の奴を使って欲しいな」
ヴィクターは失礼な代理人の本当の雇い主を思い浮かべて笑った。
――コンコン。
ノックの音の後に、執務室のドアが開かれる。
思い出のアップルパイと同じ甘い香りが、執務室に漂ってきた。
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ヒロインサイドが気になる方は↓のリンクにあります『誰にも愛されず生涯を終えると思っていた冷遇王女ですが、暗殺にきた侯爵様が私を救ってくれるようです。』もどうぞ!