ベルさん
アリシアの兄の突然の訪問から少し経っただろうか。
アリシアは俺の傍に座り込み、ずっと俺を撫で続けている。
こんな女の子に撫でられて、少し恥ずかしい気もするが、今はこの子のテイムモンスターなので、この子のやりたい様にさせる。
というよりも、元の世界での犬や猫って、撫でられている時、こんな感じだったのだろうか。なんて思っていると、扉がノックされる音が聞こえてくる。
「あ、ハイ」
「アリシア、余だ。ベルだ」
「ベルさん!」
扉をノックした人物が誰かわかると、嬉しそうに扉へと駆け寄って、開ける。
そこから姿を現したのは人の姿ではあるのだが、人とは違う特徴を持つ女性。
頭に虫を思わせる触覚を持ち、背中には髑髏のマークが描かれた虫———蝿の様な羽を持つ女性。
首に首輪の様なものを身に着けているのが気になったが、ファッションだろうか?
アリシアがベルさん、と言っていたところを考えると、彼女の話でちょくちょく出てきていた人物で間違いなさそうだ。
アリシアの嬉しそうな顔を見る限り、悪い人ではないのは確かだ。
「アリシアよ、ここのあのクソガキが来たと聞いたが、大丈夫だったか? 何もされておらぬか?」
「う、うん。大丈夫だよ。酷いことなんてされてないから」
「本当か? あのクソのことだ。お主を罵倒したに違いない。下衆な奴らめ。首輪さえなければ、余がお前のために、奴らを酷い目に遭わせてやると言うのに……!」
「だ、ダメだよ! ベルさんはお父さんの……て、テイムモンスターなんだから、そんなことしたら」
「誰があんなクズのテイムモンスターだ。もし、なるならお前の様な心優しく、純粋な……む?」
なんかアリシアの家族に対して、辛辣というよりも、罵倒しながらしゃべっているベルさんという人は俺の存在に気が付く。
その瞬間、なんだろうか。
目と目が合った瞬間、体に悪寒に近い何かが走る。
魔物の本能? 元人間の本能? まぁ、どちらでもいい。
俺の中にある本能が彼女は危険だと叫んでくる。
規格外の相手が目の前にいるのだと感じて、その場で固まっていると。
「アリシアよ、まさかこの魔物はお主があの時連れ帰ってきた?」
「うん、そうだよ。この子の名前はピョンちゃん。ボクの初めてのテイムモンスターで、友達なんだ!」
「ほほぉ、グラスホッパーがか?」
「うん! あ、ピョンちゃん。紹介するね。この人はベルさん。ウチのお父さんの……テイムモンスターで、魔族の一つ、魔物が人型に進化した魔人なんだ」
「よろしくな、ピョンとやら。それよりも」
ベルさんは俺の元へと近づいてくると、屈みこんで、目と鼻の先と言えるほどまでに顔を近づけて、こちらを覗き込んでくる。
こんな時になんだが、覗き込んでくる彼女の目をよく見ると、赤い瞳は複眼で出来ているのがわかる。
一体、俺に何の用があって。
そう思っていると、ベルさんはいきなり笑みを浮かべる。
「そうか。アリシアの友達か。首輪もないのを見るところ、真の契約は結べたと言うことか?」
「うん! それに凄いんだよ! ピョンちゃん、ボクがクルス兄さんに酷いことを言われてる時に助けてくれて……あ」
「ほほぉ、やはりあのクズめ、可愛いアリシアにそんなことを」
「で、でも、さっきも言ったけど、ピョンちゃんがボクのために怒って、助けてくれたんだよ! だから、ベルさんは気にしなくて大丈夫だから!」
「グラスホッパーが怒って……?」
アリシアの言葉に驚いた様にこちらを見てくるベルさん。
やはり、感情的な行動をとることは、この魔物にはあり得ないのだろうか?
思考するほどの知能は持たないって言っていたし、そうなんだろうな。
ベルさんが少し考える様な素振りを見せていると、再び扉をノックする音が聞こえてくる。
「アリシア様、旦那様方がお呼びです。今すぐ来る様に、とのことなので、よろしくお願いします。貴方がテイムした魔物と一緒に、ともおっしゃっていました」
「あ、ハイ」
扉を開けるまでもなく、伝えられる伝言。
それにアリシアは頷くことしかできず、扉の前にいたであろう人物は立ち去る様な気配を感じた。
今のは声からして、男性の様だが、気になることを言っていた。
アリシアのことを様付けに、恐らくアリシアの父親であろう人のことを旦那様と。
思い返してみれば、クルスの身なりがよかった覚えがある。
まさかとは思うが、アリシアの家ってお金持ち?
ファンタジーの路線で考えるなら、貴族かもしれない。
いや、家族がテイマーと言っていた辺り、名門の可能性もあるかもしれない。
ベルさんの言い方からして、名門かどうなのか怪しいところだけど。
「ピョンちゃん」
「ギ?」
「呼ばれたし、お父さんたちに会いに行こうか? もしかしたら、ボクがピョンちゃんをテイムしたから、きっと呼んでくれてるんだよ。もしかしたら……やっと認めてもらえるかな」
最後、なんて言ったのだろうか?
気になることを言っていた気がするけど。
「……余も戻るとしよう。アリシア、あのクソ共に期待するのはやめておけ。きっとお主の期待する様なことで呼んだわけではないぞ」
「もう、ベルさん。いくらなんでも、お父さんたちに冷たすぎるよ。今までボクがテイムできなかったのが悪いんだし、ピョンちゃんをテイムできた今ならきっと」
「……ならよいがな」
ベルさんはそういって、俺へと一瞥して。
【オイ、ピョン】
【頭にいきなり声が!?】
いきなり聞こえてきた声に驚き、反応する。
声からして、ベルさんなのは確かだが。
【『念話』だ。焦るな。というより、会話ができる、ということは知能がある様だな。珍しいどころではないな……。特殊個体か?】
【えっと……それは……まぁ、その、ハイ。そういう感じですかね】
【今の間はなんだ。それに『念話』を飛ばして気付いたが、お主の魂、グラスホッパーにしては少しおかしいところがある気が。いや、今は本題だな】
『念話』というのが存在するのには驚いたけど、知能があるなら、誰でもできることなのだろうか?
それとも、ベルさんが飛ばしてくれてるから、それによってネットワーク的なものが構築されて、俺も出来ている状態なのか。
【グラスホッパーでは頼りないと思ったが、会話するほどの知能があるなら大丈夫か。ピョンよ、頼み事がある。アリシアのことを頼みたい。何があっても、ずっと一緒にいて、守ると】
【何を言うかと思えば。当たり前じゃないですか。彼女は俺の命の恩人で、マスターです。俺が力尽きるその時まで、一緒にいるって決めてるんですから】
【ハハハ、お主は面白いな。義理堅い……。まるで昔の人間を見てる様だ】
【え?】
【いや、気にするな。では、任せたぞ】
そういうと、彼女の声は聞こえなくなり、いつの間にかベルさんはその場から消えていた。
代わりに心配そうに俺の顔を覗き込むアリシアの顔が目に入る。
「大丈夫? ボーっとしてたけど」
「……ギギ!」
「大丈夫って言ったのかな。それならよかった」
大丈夫! という様に鳴き声を上げ、アリシアは安堵した様な表情を浮かべる。
どうやら、『念話』という慣れないことをしていたために、意識を手放していた様だ。
ベルさんは俺との会話中に出ていった様だ。
俺を一瞥したのは、恐らく『念話』を飛ばすためだろう。
「フフフ、ピョンちゃんを紹介するのが楽しみだよ。さぁ、行こう? ピョンちゃん」
「ギギ!」
この後に起きるであろうイベントを想像してか、嬉しそうに笑みを浮かべながら言うアリシアに、俺は了解! と答え、アリシアと共に外へと出た。