表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ひとつの夕陽[0:2]

作者: こたつ

「ひとつの夕陽」






大葉/♀大葉夕陽(おおばゆうひ)


高瀬/♂高瀬葵(たかせあおい)




__________________________










高瀬:君、ここは立ち入り禁止だよ




大葉(M):私は特別になりたかったのだと思う。




高瀬:先生はいいんだよ。




大葉(M):何者でもない誰かになぞなりたくはなかった。




高瀬:学校でビールはまずいと思うよ私も。




大葉(M):きっとそれは憧れだ。きっとそれはなによりも尊い。




高瀬:ごめんね、もう決めたことだから。




大葉(M):故に、その思いこそが平凡なのだと私は少しも知らなかった。




高瀬:あまり、意地悪なことを言わないで。




大葉(M):特別とは、痛みを伴うものだということも。






<<場面転換>>


<<夕暮れ、電車の中>>






大葉:はは、やった、やっちゃった!




大葉(M):電車の窓から燃えるような夕陽が見える。そう、夕陽だ。大空を赤く染める、強く綺麗で、おそろしいほどの夕陽。お母さんには家に帰るなり部屋に閉じ込められて、見ることのできなかった夕陽!水面に照り返すそれがたまらなく美しかった。




高瀬:ん?君、その制服はうちの生徒だよね?この線じゃ見ない子だ。




大葉(M):そんな私の興奮は、この人によって冷まされた。子供のささやかな反抗は、いつだって大人の手で阻まれるものだ。




高瀬:もしかして初めまして?えっと、国語の高瀬です、高瀬一陽(たかせあおい)。知らない?知らなそうだなぁ。




大葉(M):そうして私、大葉夕陽の家出生活は最寄駅から二駅で終わる……はずだった。




高瀬:君、さては家出だな?……まあ、嫌なことから逃げ出したい気持ちはわかるよ。




大葉(M):そう言って夕陽を眺める先生が、とても寂しそうに見えたことを覚えている。








<<場面転換>>


<<夜、高瀬の家>>




高瀬:あー!君の母さんどうなってるの?お子さんを保護しましたって電話したら誘拐だのなんだの死ぬほど焦ったよ!




大葉:あはは……やっぱり興奮してましたか……?




高瀬:してたしてた、びっくりしたよ。なんとか学校の者ってわかってもらったんだけど……。




大葉:けど?




高瀬:「家出するような子はうちの子じゃありません」だって。言ってることめちゃくちゃ。




大葉:あー、たまにあるんです。……そういうのが、なんていうか、嫌になっちゃって。




高瀬:すんごい気持ちわかる。私も疲れた。




大葉:でも……そっか、じゃあ私、今日は野宿か……。




高瀬:え、なに、さっきのお母さんマジなやつなの?




大葉:そういう時のお母さんは大体マジ。お父さんは傍観。そのくせへんなところで心配性で、この間なんか数年前の事件引っ張り出して轢かれるよって言ってきたり……。




高瀬:……想像以上。




大葉:びっくりした?




高瀬:死ぬほど。




大葉:ふふ。(ため息)じゃあ私、そろそろ行くね。




高瀬:待って待って、君マジで野宿する気?




大葉:慣れてるから。こういうの。




高瀬:(ため息)……君なぁ、学校の先生がそういうの放っとけるわけないでしょ。




大葉:え?




高瀬:泊まってきなよ。外よりマシでしょ。




大葉:……それ、なんか危ない気がする。




高瀬:え?……あ!待て!違うよ!たしかに未成年をよく知らない大人の家に置くのはめちゃくちゃやばいけどね!?




大葉:あはは!先生犯罪者だ!




高瀬:……は、は。そう見える?




大葉:あはは、先生本気にしないで──え、先生目ぇ怖いよ……?




高瀬:あ、ああ、ごめん。まあとにかく泊まっていきな。無駄に、広いから。好きな部屋使って。




大葉:え、あっ先生!どこいくの!




高瀬:たーばーこ。子供に副流煙はだめ。




大葉:もう……ありがと。




大葉(M):かくして私は、しばらくこの人の家で安息を得ることになる。私を縛るものなんてなにもない、心休まる日々。思えばもうこの時に、未来は決まっていたのだろう。






<<場面転換>>


<<数日後、高瀬家、夕食>>






高瀬:そういや君、あのとき私が見つけなかったらどうするつもりだったの?




大葉:先生こそ私がいなかったらごはんどうするつもりだったんですか。洗ってない食器が山でしたよ山!




高瀬:あ〜……いや、その、ね?ビール飲んだら全部どうでもよくなっちゃって、ね?




大葉:ダメな大人。




高瀬:あ、こら!私一応先生なんだからね!




大葉:生徒家に連れ込む先生〜?




高瀬:君!ほぼ居候の分際で……!




大葉:あはは!怒んないで先生!ほら、なんの話しようとしたの。




高瀬:ったく。私が君拾わなかったらどうしてたって話。




大葉:あ〜……なんていうか、後先考えずにやっちゃったからなぁ。




高瀬:ほんとに?春休み狙ってたからなんか考えてるのかと思ってたんだけど。




大葉:そこだけは狙いました。かしこいので!




高瀬:さては君残念なやつだな?




大葉:こんなにかしこいのに!?




高瀬:ご飯作ってもらってなかったらグーパンチだからねそれ。




大葉:ご飯って偉大なんですね!これからも頑張ろ!




高瀬:はいはいがんばんな。ごちそうさま。




<<高瀬、食器を台所に運ぶ>>




大葉:ねえ先生。




高瀬:んー?




大葉:私ね、特別になりたかったんだ。だからね、先生には感謝してるの。




高瀬:また急だな。私は何にもしてないよ。




大葉:してくれたよ。私のご飯、全部食べてくれてる。ごちそうさまもくれる。うちでの普通はこうじゃないから。




高瀬:……。




大葉:ね、だから。ありがとう先生。




高瀬:……私は、そんなこと言われる人間じゃない。てかさっきまでのアホはどこいったの。




大葉:あほの私はもういないんですよ!




高瀬:お、アホだ。よかった見つかった。(カバンを持つ)よっと。




大葉:あ、先生今日もおでかけ?




高瀬:そうだよ。ちょっといろいろね。




大葉:保険の紙なんかもってどうするの?




高瀬:いろいろだよ、いろいろ。




大葉:知ってた?公務員は副業禁止なんだよ!




高瀬:そんなにお金に困ってません〜。じゃあ行くから。




大葉:お留守番はかしこい私に任せてくださいね!




高瀬:(笑う)頼んだよ、ばか。




大葉(M):先生は料理が下手。好きなタバコはWinstonウィンストン


先生はお酒が好き。この前読んでいたのはカフカだったろうか。


畳のいぐさが香る。目が覚めても夢を見ているようだった。夕陽が差すこの家での暮らしは、まさに夢のようだったから。




<<場面転換>>


<<夕焼け、学校の屋上>>




大葉:うわぁ……人気のない学校って、なんかワクワクする……!




高瀬:勝手についてきて……。本当はここ立ち入り禁止だよ。




大葉:だってスーパーの帰りにフラフラしてる先生がいたんだもん!心配ですよこれは!




高瀬:好奇心にしか見えないけど。




大葉:それもありますけど。ねえねえ、どうして屋上来たの?




高瀬:あー……ほら、夕陽。綺麗でしょ。




大葉:えへへ!私の名前です!




高瀬:取り消そっかな。




大葉:それは失礼じゃない!?で、それだけ?




高瀬:大人にはノスタルジーに浸る時間が必要なの。




大葉:つまり寂しくなったからここに来たんだ。でも安心して先生!あなたには私がいます!




高瀬:君もう少し慎みを覚えたらどう。




大葉:先生が全然褒めてくれないからだからね!私、愛に飢えてるのに……(嘘泣き)よよよ……。




高瀬:ねえ待って、絵面、絵面がまずい!




大葉:おやおや?ここで大声で泣いて欲しい?ご新規様には「不審者だー」って叫ぶのもオマケしてますよ?




高瀬:こいつ……!




大葉:ほらほら!早く褒めて!ハリーハリー!




高瀬:いい性格してるよほんと……(咳払い)あー……家事とか、料理とか、私苦手だからほんと、いつも助かってる。その、ありがとね。




大葉:あ、えへ……。




高瀬:まじで照れてんじゃねーよ!こっちまで恥ずかしくなるでしょ!?




大葉:誤魔化すと思ったんですー!汲み取ってよ私の乙女心!!国語の先生でしょ!




高瀬:乙女心は教員試験になかったんでね!




大葉:では今から追加で試験します。問1、大葉夕陽の今のお腹の空き具合を答えよ。




高瀬:それは乙女心なの?どうせお腹すいてるでしょ。




大葉:ぶっぶー!実はさっき試食コーナーにいたので割とお腹いっぱいでした!




高瀬:乙女じゃないでしょその行動は!




大葉:(笑う)……ねえねえ高瀬先生、私と暮らして快適でしょ?




高瀬:常にうるさいおしゃべり野郎が読書の邪魔してくるのに?




大葉:そこは省いて!省いて!




高瀬:ふふ、まあ悪くないよ。夢を見ているみたい。




大葉:……!へへ。




高瀬:嬉しそうで何より。




大葉:あ、そういえば!ねぇ先生、室伏紫苑むろふししおんって人知ってる?私の先輩なんだけどね!




高瀬:っ……ああ、よく知ってる。教え子だった。




大葉:やっぱり?すごいよね!高校卒業してすぐ新人賞獲得!へへ、私サインもらっちゃった〜!次回作ももうすぐなんだって。




高瀬:ええ、そうみたい。あの子の本は一番に読みたかったな。




大葉:あとね、ペンネームが「古城深也こじょうしんや」に変わってたの!




高瀬:(息を呑む)




大葉:確か彼氏さんの名前だったよね、なんだかロマンチックじゃない!?




高瀬:(小さく)その子は死んだよ。




大葉:え、今なんて?




高瀬:……ねえ、ちょっとタバコ吸うから。先帰っててくれる?




大葉:ああ、またタバコ〜?寿命縮んじゃうよ先生。




高瀬:多少縮んだところで誤差だよ。ほら鍵。じゃあね。




大葉(M):そう言って先生は夕陽を眺める。雲を赤く燃え上がらせるあの夕陽は、強く眩く、恐ろしいほど美しかった。今でも、忘れることはない。






<<場面転換>>


<<数日後>>




高瀬(M):なぜ、人間は血の詰まったただの袋ではないのだろうか。そう問うたのはカフカだったか。


高瀬(M):全く同意だ。しかし保険が降りないのは困る。遺書を読むのがただの袋だなんて論外だ。




大葉(M):今日もスーパーの帰りに綺麗な夕陽をみた。それはあの日屋上で見たように、世界の全てを燃え上がらせている。




高瀬(M):あの子はもう家についただろうか。私なんかとの生活を、特別と言ってくれたあの子は。心残りがあるとすれば……。いいや、いいや。全てもう遅い。ただ、靴を脱いで揃える。




大葉(M):さあ、先生がお腹を空かせて帰るはずだ。だから今日もご飯を作ろう。家に帰ろう。そう思うことこそが、私には特別なのだから。




高瀬(M):あの日見たような恐ろしい夕陽が遠くの街へ落ちてゆく。そういえば、あれはあの子の名前なのかと今更のように思い出した。学校の屋上でビールを片手に、遺書をそっと足元においた。




大葉(M):先生はまだ帰らない。ご飯はもうできている。そうだ、そういえば先生の帰りが遅い日は、決まって夕陽が綺麗じゃないか。あの屋上に二つの夕陽。先生は笑ってくれるかな。ふふ、呆れられてしまうかも。




高瀬(M):そうか、私の最期はあの子に看取ってもらうのか。あの眩しい夕陽に、可哀想なあの子に。




大葉(M):電車に乗って二駅。あの屋上に、きっと先生はいる。寂しがり屋の先生が。いつもは億劫(おっくう)な階段も、いまこの時は心が弾む。




高瀬(M):それはとても残酷だ。けれどもう、どうでもよかった。私は、高瀬葵が生きていることをこれ以上許せない。ああ、なぜ人間は血の詰まったただの袋ではなかったのか。




大葉(M):ドアの前、呼吸を整える。




高瀬(M):息を吐いて、柵の向こうへ。燃える夕陽がよく見えた。




大葉:先生……?なに、してるの……?






<<場面転換>>






高瀬:どうして……。




大葉:せんせ──




高瀬:来ないで!




大葉:!




高瀬:なんで、ここに……どうして……!




大葉:先生、なんで、なんで……。




高瀬:っ……!




大葉:…………私のせい……?




高瀬:え……?




大葉:私のせいで……死にたくなったの……?私、わたし──




高瀬:ちがう!……君のせいじゃない。私が死にたいのは、私のせいだ。3年前からずっとなんだよ。昨日で免責期間が終わった、それだけなんだ。




大葉:……。




高瀬:君……うちに来た時、数年前の事件がどうのって言ってたでしょ。




大葉:う、うん。




高瀬:それ、私。男子高生の交通事故、私が原因なんだよ。




大葉:え……?どういうこと。




高瀬:祭りの日だった。私は急いでて、その時誰かを突き飛ばしちゃった。慌てて引き起こそうとしたら、その子の驚いた顔が車のヘッドライトに照らされてて……。




大葉:(言葉が出ない)




高瀬:私は、思わず逃げた。人混みのせいもあって簡単に逃げられた。ホッとしてた。そんな自分が信じられなかった。その時、その子のご両親が、紫苑の親御さんと話してた。紫苑には伝えないでくれって。




大葉:なんで、そこで室伏先輩が。




高瀬:その子なんだ、その子なんだよ古城深也は!私が突き飛ばした子が、紫苑の大切な人だった。紫苑は彼の弔いに参列することもできない。今もどこかで生きていると信じてる。




大葉:ああ、うそ……。




高瀬:ねえ、帰って。煙草が、吸いたいの。




大葉:嘘、嘘だよ。煙草、だって、家に忘れてた。




高瀬:……君、ここは立ち入り禁止だよ。




大葉:先生、先生そこ、危ないよ……!




高瀬:先生はいいんだよ。




大葉:ちがう、ちがうよ!そういうのじゃなくて……。




高瀬:学校でビールはまずいと思うよ私も。




大葉:先生……。




高瀬:ごめんね、本当に。けど、もう死にたいんだ。水の中みたいに苦しいの。おねがい……。




大葉:わたし……先生と過ごしてて、楽しかった。特別だったんだよ、今まで明日が楽しみなんてことなかったのに。




高瀬:……。




大葉:先生も、おんなじだと思ってた。




高瀬:……思ってたよ。




大葉:ねえ、今日は肉じゃがなの……自信作。私と先生、二人分。




高瀬:……ごめんね。もう決めたことだから。




大葉:ねえ、ねえ……!もうごちそうさまをくれないの……?




高瀬:っ……。




大葉:ねえ!答えてよ!いつもみたいに笑ってよ……!




高瀬:ごめん……。




大葉:(すすり泣く)




高瀬:ねえ、君。人を好きになりなよ、自分を騙してでもいいから。そしたら、いつか心から好きになってる。こんな私を特別に思えたんだから、君ならできる。




大葉:いやだ……いやだよ……!




高瀬:……誰か別の、普通のひとの特別をもらって。




大葉:……!……あなたの特別がいい。私、わたしあなたに特別に思われていたらそれでいい!他の誰にも想われなくていい、あなただけが私の顔を覚えていたら、それでいい!それだけで、いいから……!




<<間>>




高瀬:あまり、意地悪なことを言わないで。




大葉:先生?先生!?




高瀬:君は死んじゃだめだよ。




大葉:いやあああ!




高瀬(M):遠くの街に沈む夕陽が逆さに見えた。叫ぶ声も聞こえる。ああ、屋上に、ふたつの夕陽。永遠にも感じられる一瞬で、私はたしかに笑っていた。走馬灯には、ひとつの夕陽。






<<場面転換>>


<<数年後、廃ビルの屋上>>




大葉:せんせぇ。ご飯、味しなくなっちゃった……。お酒しか味わかんないの。笑っちゃう。




大葉:(酒を飲む)ああ、まずいなぁ……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ