魔女と竜
季節は冬。というか暖炉をこさえて冬の一時を楽しんだ日の翌日。魔女の元に来客が訪れていた。
訪れた客は竜。客というには語弊があるのかもしれない。何故なら竜は、大口を開けて魔女を害さんと火を吹いているからだ。
魔女の住む小屋を焼き尽くさんと放たれる炎。しかしその炎は、竜と小屋の間にある見えない壁によって阻まれていた。見えない壁によって逸らされた炎の残滓が周囲の木々に燃え移る事はなく、見た目から受ける印象に反して、被害は全くない。
見えない壁は、炎を防いでいるのではなく、炎を取り込んで霧散させていた。
兎は怯えて小屋の奥で震えているが、魔女は小屋と竜の間に身を晒しており、どこから出したもわからない机と椅子に腰かけ、竜の吐く炎を眺めて何かの書き物をしている。
しばらくそうしていると、書くべき事も書き終わったのか、その場を動く事もなく小屋の中から飛んで来たティーセットで竜を尻目に優雅にお茶を嗜んでいると、竜の方に変化が生じた。
『おい』
竜は炎を吐くのを止め、魔女に話しかける。
『おい!』
しかし魔女が反応しなかった為、語気を強くして再度語り掛けた。
「なに?」
『なにじゃないが』
両者の間に流れる剣呑な雰囲気。竜側の事情はともかく、魔女も多少は腹を立てていた。
魔女は今朝、乱暴な竜のノックによってたたき起こされた。ノックと言うか、魔女の張った結界に竜が頭をぶつけた時の音なのだが。何事かと外に出てみれば、魔女の姿を見た竜は間髪入れずに炎を浴びせて来た。
これで怒るなという方が無理があるだろう。
『あけろ』
「なんで?」
『いいからあけろ!』
開けろ。とは、魔女の張った結界の事だろう。害意や敵意を阻む結界は、魔女が自身の安全を確保する為に張った物であり、それを通れないという事は魔女を害する意思があるという事だ。
実を言うと、森全体にも似たような結界は張られており、魔女が受け入れない限りは魔女の小屋まで辿り着けないようになっているのだが、こちらは魔法に関する知識が高い者にはあまり効果を発揮しない物になっている。
魔法に対して耐性がある者にも効果を発揮する物になると、魔法に耐性のない者にとっては文字通り毒となる程の強さになってしまうので、偶然森に迷い込んだ生き物を無差別に害さない魔女なりの配慮である。
わざわざこのような辺鄙な所まで魔女に会わんと訪ねて来る者は知り合い、もしくは本当に困窮している者、または魔女を利用するか、害しようとしている者であり、割合としては圧倒的に後者が多い。
要は手間なのだ。人里を離れて暮らす理由の一つがこれである。
「というか、何しに来たの?」
さっさと諦めてどこかに行けばいいのに。そんな事を思いながら、魔女は竜に問いかける。
『腕試しに来た』
「じゃあ、もう終わってるじゃん」
『終わってない!』
魔女の結界を破れなった時点で八割がた勝負はついているのだが、どうやら竜は納得していないらしい。生来竜という生き物は、基本的には粗暴である。粗暴と言うか、単純な生き物だ。彼らの中にある判断基準は【強いか、弱いか】の二択しかなく、強さこそ正義という価値観が種族全体を通して一貫している。
歳をとると自然と引きこもり、挑んでくる者を待つというスタンスに変わるので、世界規模では左程被害を及ぼさない生き物ではあるのだが、若い個体は時折こうして力を誇示するために人前に現れる。
弱者を嬲るのが好きなのではなく、戦う事が好きなので死ぬ前に降参する事が出来れば、命までは取られない。
尤も、竜の縄張りに足を踏み入れた場合はその限りではないが。
「あー……じゃあ、私の負けでいいよ」
『ふざけるな!』
魔女もその辺の事情は理解しているので、自ら勝ちを譲ろうとしたのだが、負けたとも勝ったとも思っていない竜がそれですんなり下がる訳もなく、当然のように食い下がってきた。
「…………。」
『あーけーろー!』
さてどうしたものかと魔女が思案していると、竜が結界を尻尾でバンバンと叩き出す。いくら若い個体とはいえ、自分の攻撃を防ぐのも強さという認識がある筈なので、目の前にいる竜はその中でもとりわけ粗暴らしい。粗暴というか、馬鹿なのだろう。
「そもそもさ、急に訪ねて来ていきなり炎を吐いて来るなんて失礼じゃない?」
『あれはただの挨拶だろうが』
「そんな挨拶された事ないけど」
竜のブレスが、竜にとって挨拶替わりである事は事実である。ただそれは、相手が同じ竜である時に限った話でもあるので、他種族に対して初手ブレスをかます竜は珍しい。世間知らずとも言える。
「クソガキ」
『あ゛あ゛ん!?』
それらの事から、目の前にいる竜が竜の中でも特に若い、竜の子供であると察した魔女は思った事を率直に口にした。図体がデカイだけのクソガキであると。それは竜の逆鱗に触れたようだが、子供が怒ったところで怖がる必要もない。
「取りあえず、どうすれば納得するのかだけ先に教えて」
『我と戦えと言っておろうが!』
「戦うって、どこまですれば決着なの? どちらかが死ぬまで? それとも降参するまで?」
『それは……』
「降参するならさっきしたよね? 死ぬまでならその結界を破らない限りあなたに勝ち目はないよ? 魔力も解析したから、万が一もありえない。だって、さっき吐いてた炎が全力でしょ?」
竜のブレスは、竜の魔法なのだ。魔法という事は魔力がある。魔力には波長がある。魔女がお茶を飲み始める前にせっせと書いていたのは、竜の観察記録だ。結界を通じて感じ取れる竜の魔力を、魔女は既に解析していた。波長を読まれた相手を打ち破るには、それ以上の力の差が必要となる。
読まれる前から破れなかった結界を、読まれた後で破れる道理はない。
『ひ、卑怯だぞ!』
「卑怯とか言い出す竜、初めて見たわ。情けない奴」
戦いにおいて卑怯という手段は存在しない。これは竜の哲学である。寝込みを襲われようが、数で攻めて来ようが、勝ちは勝ち。それで死ぬならそいつが弱かっただけ。以上。と、大変分かりやすい考え方だ。ちなみに逃げ切れるのも強さの一つと見なしているので、分が悪ければ普通に逃げる。最終的に勝てばいい。寿命の長さも強さの一部なので、あらゆる面で徹底している。
『うぐぐぐぐ……』
弱者の負け惜しみを口に出してしまった事で、竜は酷く狼狽えていた。いくら若いとはいえ、自分は竜なのだ。それを他種族に指摘されてはぐうの音もでない。ただ負けただけならまだしも、負けた上に種としての矜持まで手放してしまった。端的に言って心が折れた。全身の力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
「…………。」
『…………。』
こうなると困ったのは魔女だ。家の前に家よりもデカイ図体をした生き物が鎮座しているのだ。邪魔でしかない。処分しようと思えばいくらでも方法はあるのだが、それどれもが割と手間のかかる。自分からどこか遠くへ飛び立ってくれるのが、手間もかからず後腐れもない。
心の中で悪態を吐きつつも、今すぐにどうにかする必要もないと思考を切り替えた魔女は、今の状況を楽しむ事にした。
竜の生態は、未だに多くが謎に包まれている。数自体が少ないのもそうであるし、竜の巣に足を踏み入れるという事は敵対する事を意味する。そんな危険を冒すのも、自分の知的好奇心を満たす為に他者を傷つけるのもごめんこうむる。
誰かが仕留めた竜はその誰かの物であって、竜の死骸は鱗一つとっても非常に高価な品となる。実物を目にした事もあるが、死骸からは死骸以上の事は読み取れない。
生きた個体はとても貴重なのだ。その上相手は喧嘩を吹っかけて来た側、いくら調べようとも良心は痛まない。
痛みを伴わなわなければ何をしてもいい相手。こんな機会をみすみす見逃す選択肢はない。
へたり込む竜とは裏腹に、魔女のやる気はぐんぐんと膨れ上がっていった。先程までの状況とは、まるで正反対である。
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「ふむふむ……へぇー……」
竜の身体をまさぐりながら、魔女は感じた事を本に書き記す。かつて読んだ竜に関する本に書かれてあった知識を裏付けするものもあれば、記述とは違った性質をもつ点もあったりと、得られた情報は極めて興味深い物があった。
先ず、竜の鱗。やはりこれは死骸と生きている個体では性質が異なる。鱗には血管に流れる血のように魔力が流れており、それが魔法に対する耐性や、物理的な強度を何倍にも高めていると予想される。
ただでさえ堅固な素材として名高い竜の鱗が、生前は更に強靭であると知っている者は世界でもごく限られた人数しかいないだろう。
これは実際に対峙した者でも気付けるかは難しい。動き回る物を斬るよりも、動かない物を斬る方がずっと楽だからだ。わざわざ戦闘中の状況を再現してまで試す物好きはいないだろう。
鱗の材質も気になる点だ。竜と見た目が酷似している爬虫類の鱗は、性質的には皮膚が硬質化した物が多い。人間で例えるなら爪のような物だ。ただ、見た目が爬虫類だからといって、爬虫類と同じに考えるのはいささか短絡的である。
爬虫類の中にも鱗の性質が骨由来のモノがいたりと多様性に溢れている。そもそも竜は爬虫類なのかすら疑問がある。竜は竜なのだ。竜の卵なる物が市場に出回る事もあるが、そのすべてが偽物であるとされてきた。竜の生態はそれ程謎に満ちている。卵はあれど、竜の幼生を見つけたという話は聞いた事がない。
竜の皮膚も鱗のように硬い。本来鱗とは、柔らかい皮膚を守る為に発達した器官であるのだが、皮膚もこのように硬いとなると鱗が竜にとってどのような存在なのかは非常に気に掛かる。傷つけるつもりはないので、その硬さを正確に比べる事はできないが、少なくとも触った感じでは違いがあるとは思えない。
爪は更に硬く、鋭利だ。試しに人参を当ててみれば、力を全く入れていないにも関わらず容易く切断する事ができた。切れ味を維持する為に爪を研いだりはしているのだろうか? 猫のように爪を研ぐ竜の姿を想像して、少し笑いが込み上げた。研ぐにしても、竜の爪を研ぐに足る素材がそう易々と転がっているとは思えない。爪にも魔力が流れているので、そこに答えが隠されていそうではある。
竜の尻尾は先端に近づくにつれ細くなっていく。最先端でも人の腕よりは太いのだが、中に骨は通っているのだろうか? 風の魔法を使って軽く持ち上げてみると、それなりに柔軟性がある事がわかった。トカゲのように切れても再び生えて来るのか等興味は尽きない。長さにも個体差はあるのだろうか? 尻尾の切れた個体や、異常なまでに尾が伸びた竜の話は聞いた事がない。
竜が脱皮するのかも非常に興味深い。皮の性質から見るに、古い角質が幾層にも重なっている様にも見えるし、竜の抜け殻が見つかったという話も聞かない。人間のように古くなった角質が徐々に剥がれていくのだとすれば、それは爬虫類とは違った性質を持つという事だ。人間も爬虫類も古い皮が剥がれるのは代謝の為だが、人間と違い爬虫類の脱皮にはある程度の周期がある。特に蛇が顕著ではあるが、爬虫類の脱皮殻が見つかるのは全身の皮がほぼ同時期に剥かれる為だろう。
人間のようにまとまって皮が剥けないのか、トカゲのように脱皮した皮を食べているのか、そもそも脱皮自体しないのか、キチンと調べるには長期的に生態を観察する必要があるので、現時点では何も言えない。
牙を調べようとして、竜の眼前に回る。ここまで時間を掛けていると、竜の身体には何羽もの鳥が止まったりもしていた。少し前まで小屋の奥で怯えていた兎も、今は外で先程実験に使った人参を齧っている。野生動物にすら危険がないと思われているとは、おお哀れ哀れ。
『どうして貴様はそんなにも強いのだ』
どうやって竜の口をこじ開けるのかを考えていると、竜が話しかけて来た。口が開いていない事を鑑みるに、先程までのやり取りを含めて、竜の言葉は音として発せられたモノではなく、魔力を使った思念であると考えられる。竜の言葉が理解出来たのも、それが思念という形で伝わって来たからだろう。
「私が強いんじゃなくて、あなたが弱いんでしょ」
そうなると、魔女の言葉が竜に理解出来ている事に疑問が残る。とは言っても、魔女も動物の言葉を理解する事は可能であるし、他種族と話す際には似たような魔法を使っているだけなのかもしれない。竜のブレスが魔法であるように、大抵の魔法は竜にも扱う事が出来る。竜の扱う言語はとても古い物であるらしい。古の時代の言葉は、言葉自体が力を持つ。魔女が扱う呪文とて、そのルーツは古い言葉に他ならない。
『弱くとも我は竜だ。その我が手も足も出ないとは、普通ではあるまい』
「他の魔女と会った事あるの?」
『……ない』
「世間知らず」
にべもなく、素っ気ない態度で竜に切り返す。強さの物差しは簡単には測れない物だ。竜の攻撃を防げたからといって、竜を屠れる攻撃が出来るとは限らない。目の前にいる竜の攻撃を防げたのも、それが単調であったからに他ならない。真っ直ぐ向かってくる力は、受け流すのも容易いと、かつて師から教わった。
『否定はできない。我は巣立ってまだ日が浅い。強者と対峙したのも、貴様が初めてだ』
「というか、なんで私の所に来たのよ」
口を開けさせるのは後回しにして、先に目を観察する事にした。見た感じ、まぶたは存在せずに瞳の横から水平に膜が出入りしている。これは瞬膜と呼ばれる器官で、爬虫類の他に魚類や鳥類にもみられる器官だ。虹彩と瞳孔は縦に細長く、爬虫類が持つ目と酷似しているようにも見えなくはないが、白目の部分がある事が異彩を放っている。白目が見える程大きい動物は、人間を除けばほぼ存在しない。人間の瞳と言ってもいい程の特徴である。
人間しか白目をもっていない理由の学説は諸説あるが、竜も同じ特徴を持つとすればその内のいくらかはひっくり返る事になるだろう。
『この辺りで大規模な魔力が使われたのを感じとった。腕試しに丁度いいと思い、寄ってみる事にした』
あぁ、アレが原因か。と、魔女は何故突然竜がやって来たのかを察した。
部屋の模様替えは言わば収納魔法の連続使用でもある。一々家具を配置する手間を惜しんだのが仇となった。面倒臭くなってそれなりな攻撃魔法を行使した記憶もある。続けざまに氷魔法で暖炉も造り上げた。
その魔力の奔流を、たまたま近くを通りかかった血気逸る若い竜が感じ取ったのだろう。なんて運のない……いや、こうして竜のあれこれを調べる事が出来たのは、運がいいのだろうか? 何とも言えない、微妙な塩梅ではある。
『それで、我をどうするつもりだ? 先程からいやらしい手つきで我の身体をまさぐってはいるが、敗者が勝者に逆らう道理もない。煮るなり焼くなり好きにするがいい……』
「人聞きの悪い事を言わないでくれる? それよりほら、口開けて」
自分の知的好奇心をいやらしいと揶揄された事に遺憾を覚えはしたが、相手の身体をまさぐっている事に変わりはないので強く反論はできない。ダメ元で口を開けてとお願いしたら、竜はすんなりと口を開いた。勝手に自滅しただけなのに、相当堪えてるらしい。この繊細さも若さ故だろう。
「舌はこれ以上伸びないの? この形状に近いのは何かしら……見た目で判別するのは難しい……か。この歯は肉食獣のソレねー、普段は何を食べてるの? そんなに身体が大きいと食事を探すのも大変でしょうに」
『楽しむ為に食べる事はあるが、生きるのに何かを食べる必要はない。我は甘い物が好きだ。果物は好んで食べるが、木から毟り取るのは中々に難しい。木を傷つけると、その木から果物が取れなくなってしまうからな』
「こんな歯じゃ、果物なんて碌に噛めないでしょ」
『舌で潰して食べるのだ。一つでは味気ないので、一度に沢山口に含む必要がある。上手い者は、木に丸ごと齧りつき、果物だけを器用に毟り取る。練習はしているのだが、中々上手くはいかん』
予想だにしなかった答えに、少し愕然とする魔女。こんな図体で、こんな凶暴そうな歯を生やして、好物が甘い果物だなんて誰が想像できようか。食べ物を必要としていないのも驚きではあるが、それは魔女もさして変わらない。多くの魔女が師から初めて習う魔法は、代謝を極端に遅くする魔法だ。その次が眠らずに済む魔法。魔法というよりは、魔力を使った技術に近いのだが、それを使えずして魔女への道は拓けない。
つまる所、魔女は最低限の魔力さえ有していれば寿命で死ぬ事も、食事を取る必要もない。正確には、代謝を完全に止める事は魔女の中でも特筆した才能を有する者でなければできないので、不老ではないのだが。
魔女が寝たり物を食べたりするのは、人間であった頃の名残だ。魔女も人間も変わりはないのだが、数百年も生きていれば、自分を人間と名乗るのもおこがましくなってくる。
竜も、似たような物なのだろう。尤も、竜は生まれ持った特性なので、後天的に獲得する魔女とは出自が異なるが。魔力を糧に生を得ている点は変わりない。
思わぬ共通点に、いくらか親近感が湧く。原初の魔女が何を以ってそのような技術を生み出したのかは想像する他ないが、もしかすれば竜に倣って編み出したのかもしれない。
ともなれば、目の前の竜に対して些か敬意が足りていないのではないかと自問する。
好奇心を満たす為とは言え、本人の了承を得た訳ではない。存分にいじくりまわした後ではあるが、途端に罪悪感も目覚めて来るものだ。
「ごめんね」
『……? 何故謝る?』
取りあえず、謝っておいた。意図は伝わっていないが、それは大した問題でもない。人の住処を襲う等、本来であれば殺されても文句は言えない立場だ。謝ったのは、自分の為であり竜の為ではない。
「とにかくさ、何時までもそうしていられないでしょ。私はあなたの命を奪うつもりはないし、そこに居られても迷惑なんだよね。死ななきゃ安いが竜の哲学なんだし、いい加減元気だしなよ」
『去れと言うのであれば去るが、我はもう駄目だ。竜失格だ。空飛ぶトカゲなのだ……』
「まぁまぁそう言わずに、弱いんなら強くなればいいでしょ? ほら、頑張ってー」
投げやりな魔女の激励で竜が奮起する筈もなく、両者の間には軽い沈黙が流れた。応援する以上に責任を負いたくない魔女は、竜が再度口を開くまで沈黙を貫くつもりだ。幸い、先程まで書き記していた本を読み返すという大切な作業もある。
しばらくそうしていると、何かを決意したような口調で、竜が語り掛けて来た。
『また、ここへ立ち寄ってもよいか?』
「……何しに?」
『一先ずは、貴様を強さの指針としたいのだ。力を付けた折には我の強さを測って貰いたい。倒すとまでは言わんが、貴様に認められる事で、我は初めて前を向ける気がするのだ』
「認める。あなたは強い」
『そういうんじゃない!』
自信をつける踏み台にされては溜まったものではないので、適当に流してお茶を濁そうとした魔女だが、やっぱり駄目らしい。勝手な事ばかり言う竜に辟易とした感情が芽生えた事も確かだが、竜の提案はなにも魔女にとって悪い事ばかりではない。
「はぁ……条件次第で、飲んであげてもいいよ」
『条件?』
「ここへ来る代わりに、竜の事を色々と教えて。後、私はここに永住するつもりはないから、急に居なくなっても文句を言わない事」
竜の生態を知る事は、魔女にとっても有意義な時間になるだろう。知りたい事を全て調べるには、かなりの時を要する筈だ。聞くだけならば今でもできるが、竜が去った後に新たな疑問が浮かぶ可能性もある。なにより、他者の弱味に付け込まなくて済むのならそれに越した事はない。永く生きていれば、目的を達するにしても、手段を選ぶ必要がある。後ろめたさは、生きていくには邪魔な思い出だ。
それに、情報が対価だとすれば、竜も真面目に答えるだろう。言いにくいような事も、仲良くなれれば引き出す事が出来るかもしれない。ギブアンドテイクこそ、自由に生きるのに最も大切な事だと魔女は信じている。
『匂いは覚えた。貴様が何処へ行こうとも、必ず見つけ出せる。我が名はレヴァク クオスティド ヴァーディン。貴様の名は?』
「辺境の魔女」
『ヘンキョウか。ではさらばだ! ヘンキョウ!』
竜が上体を起こすのと同時に、竜に止まっていた鳥たちも一斉に羽ばたいた。
竜の羽ばたきに合わせて、周辺の木々も大きく揺れる。葉のない冬の今だからこそ気にならないが、他の季節では周囲が散らかりそうだと魔女は思った。
竜が去った後は、出していた椅子と机、ティーセットを片付け、小屋の中へと帰っていく。
小屋の中では、机の下で兎が震えていた。次来るときは、動物たちに配慮するように。そう竜に抗議しようと、魔女は心に決めるのであった。