魔女と芋
鬱蒼と生い茂る木々に覆われた森の中に、ひっそりと佇む一件の小屋があった。
外壁は蔓に覆われ、細長い円錐状の屋根には一つの小窓。煙突はない。
軒下には様々な種類の草が規則正しくぶら下げられ、時折吹く風によって微かに揺れている。
小屋の前には、一人の女性。
身体のラインがはっきりと見て取れるタイトなロングドレスは、胸より上の部分に僅かなレースが刺繍されているくらいで露出は少ない。
動きやすさを考慮してか、スカート部分には膝丈まで伸びるスリット。靴は太ももまでを覆うニーハイブーツを着用しており、肌は見えない。靴底は、森の中を歩くには適さないであろうヒールになっており、動きやすさを考慮したスリット部分と噛み合っていない。機能性よりも、デザイン性を重視しているだけなのだろうか。
その上に厚手のローブを羽織り。頭にはつばの長い三角帽。頭の先から足の先まで黒を基調とした色合いで統一されており、露骨なまでに、魔女。これぞ魔女といった出で立ちをしていた。
そんな、ザ・魔女たる女性は一人悩んでいた。
魔女の前には大量の芋。芋の前で悩む魔女。
芋は、つい先日近くの村で仕入れた物だった。近くとは言っても、地理的に魔女の住処から一番近いだけで、距離的には遠い。少なくとも、普通の人間にとっては。
芋には様々な種類があるが、今回の芋は甘藷。つまりはサツマイモである。
魔女のいる地域ではアハト芋と呼ばれ、庶民の間で親しまれていた。アハト地方でよく獲れる芋。故にアハト芋。特に意味はない。
小屋の前に魔女。魔女の前に芋。その横には落ち葉が小山のように積み上げられている。
通称、焼き芋の陣。季節は秋。アハト芋の美味しい季節である。
例によって魔女もその秋の味覚に酔いしれようとしていたのだが、今年は少し事情が異なっていた。
アハト芋は、調理者の技術によって様々な顔を見せる。適当に煮たり焼いたり蒸したりしても、それなりに甘く仕上がるだが、適切な調理を施すとその甘さは格段と増す特殊調理食材でもあった。
最も簡単な方法が、集めた落ち葉に火をおこし、その中で芋を燻す方法だ。なんせ特別な器具も要らず、どの程度落ち葉を集め、どの辺りに芋を入れればいいのかも研究されつくされている。
それでも、調理者のセンスによって多少の差異は出るのだが、その差は微々たるものだ。アハト芋と言えば落ち葉。落ち葉と言えばアハト芋という格言すらある。
次点は、石窯で焼く方法。こちらはより高度な技術を求められるのだが、その調理法から引き出される甘さは落ち葉で仕上げた時よりも最大値が高い。
芋全体が蜜で出来ているのではないかと思える程ねっとりとした粘着性を帯び、香ばしく仕上がった皮は適度にほろ苦く、より一層その甘さを際立たせる。ねっとりとした中身と、パリッとした皮の食感は正にハーモニー。皮目が焦げやすい落ち葉では味わえない至高の一品。これぞ芸術。といった具合だ。
その中でもとりわけ、魔女が一目置いている品があった。村の芋職人ことゴンザレス・イモンヌ(齢七十:通称ゴン爺)が焼き上げた至極の一品である。彼は十五の時に芋専用の石窯を自作する程の芋キチであり、その技術は王都の料理人でも並び立つ者がいないと(村の中で)評される職人であった。
毎年この時期になると、彼の焼いたアハト芋を嗜むのが魔女の密かな楽しみであったのだが、そこである問題が発生した。
端的に言うと、彼と口論になった。
ゴン爺曰く「いくら魔女様でも、芋に関しちゃワシの方が上手じゃて。ガッハッハッハ」
魔女はキレた。魔女とは、知識の探究者。ありとあらゆる知識において、他者のマウントを許容する事は沽券に関わる忌憚である。
あのクソガキ(齢七十)は、魔女を愚弄した。故に泣かす。以上。
そう意気込んで、芋を仕入れたまでは良かったが、何分アハト芋に情熱を注いだ経験はない。
高々数十年。されど数十年の差が、魔女とゴン爺の間にはある。
一定の温度を保つことにより、芋の成分が徐々に甘味を増していくという知識はあるのだが、その製法を実践した回数は片手で数える程だ。
取りあえず落ち葉を集めてみたはいいものの、試す前からなんとなく違うと感じていた。
石窯を造っても良かったのだが、それでは単なる後追いにしかならない。
創造だ。新たな手法を創造し、かつあの芋を超える逸品を。
魔女が魔女たる所以は、魔法の有無である。
魔法を用いて、石窯を超える焼き芋を仕上げるとの決断に至った魔女は、積み上げた落ち葉を風で散らすのであった──
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研究には、実践がつきものだ。実践には失敗がついてまわる。
魔女が焼いた芋の匂いに釣られて、多くの小動物が魔女の周りに集まっていた。
この森に住んで久しい魔女を、動物たちは畏れていない。というか、意思の疎通さえ可能である。
意思の疎通には魔女からの働きかけがいるので、この森に住む動物が言葉を発する訳ではないが、こうした実験の副産物にあやかる事は、森に住む動物たちにとってある種の日常であった。
村から街へと売りに出す芋の大半を買い占め、数えきれない程大量にあった芋も、残すところ僅かとなっていた。
魔女に焦りはない。一本、また一本と動物たちの肥やしになっていく焼き芋モドキを尻目に、魔女は実験の成功を確信していた。
初めは、風の魔法で芋を浮かし、その周りに火の魔法から生じる熱で芋を炙る所から始まった。
最初こそ、芋の外側だけこんがりと焼け、中は生のままという状態が続いたが、回数を重ねる毎に生焼け芋はキチンとした焼き芋になっていった。
しかし、その方法には限界があった。
確かに、美味しい芋は焼ける。焼けるが、どうにも石窯で焼いた芋には遠く及ばない。
芋の芯まで最高の状態を目指すとなると、どうしても外側が焦げ付いてしまうのだ。皮を剥がせば至高でも、彼の芋は皮まで至高である。むしろ、皮を含めて初めて至極の一品となるのだ。
次に魔女が着手した方法が、火という熱源を用いずに、熱を孕んだ風で芋に火を入れるという方法だ。
火の魔法で温められた空気を、風の魔法によって固定し、その熱波の中で芋を仕上げる。
これも、初めは上手くいかなかった。熱を通す過程で、芋の持つ水分が散ってしまい、食感が落ちる。
乾いた皮はそれなりに美味ではあるのだが、全体のバランスで考えるとどうしてもパサついているという印象が拭えず、至高の一品にはなりえない。
火と風を組み合わせた熱波に水の魔法を組み合わせて、水分を保持する方法も試してみたのだが、加減が難しく調節には高度な技術が求められた。
土の魔法を用いて土壁にて周囲を囲えば比較的簡単にはなるのだが、見た目が石窯っぽいという理由ですぐに取りやめる。
こだわってこそ、職人なのだ。ゴン爺の焼き芋を超えるだけでなく、調理過程の美しさまでこだわり始めた魔女を諫める者はいない。
それ故に、数多くの失敗を重ねる破目になったのだが、手ごたえは確かに感じていた。
その調節に余裕が出てくる頃には、熱波の中でまるで芋が舞っているかのような動きも取り入れており、こだわりというか遊んでいる風にしか見えないが、その表情は至って真剣そのものである。
最終的には芋一つでは物足りないと、同時に二つの芋を調理し始め、その様子はさながら劇場で披露されるワルツのような趣を見せている。
芋の仕上がりと盛り上がりが最高潮に達するのと同時に、熱波の中は業火に呑まれ、皮目に程よい焦げ目が施されていく。愛し合う芋と芋。その愛が引き裂かれる悲劇を演出する最後の仕上げだ。
まるで一つの壮大な恋の物語を彷彿とさせる芋の名演。この辺りはかつて街で親しんだ劇団の踊りから着想を得ていた。
熱波という劇場の中で、芋と芋は出会い、互いに惹かれ合う。そこに言葉はいらない。惹かれ合う二つの芋は自然と手を取り合い、導かれるままにワルツを舞う。舞を通して、心と心が通じ合い、恋は情熱に、情熱は激情へとなってその身を焦がしていく。
しかし、その恋は実らない。通じ合う心。通じ合う二つの芋の間には、決して結ばれない運命が存在していたからだ。
今宵限りの関係。一夜の蜜月。心が通じ合っているからこそ、芋と芋はそれを理解していた。
嗚呼、願わくば、今この時よ、永遠に止まり給へ。
──祈りは虚しく、舞台は終演を迎える。
嗚呼、愛しき芋よ。君の歩む道のりが、どうか祝福に彩られたものであります様に。主よ、我が祈りを、どうか聞き届け給へ。
主演:アハト芋
脚本:魔女
演出:魔女
そんな情景を頭に思い浮かべながら、魔女は手にした芋を見つめていた。
食べきれないので一つは森の動物たちに下げ渡し、残った一つを半分に割る。力を込めずとも芋はねっとりと割れ、割れた裂け目からは芳しい秋の香りが立ち上る。
それを口にした魔女は、満足そうに微笑むと、一人小屋へと帰っていった。
彼女がそうなるに至った経緯を思い出したのは、再度村へと訪れる時となる。
尚、余談ではあるが、街ではその年アハト芋の値段が高騰する事態に陥ったらしいのだが、それは魔女の知る由ではない。