祈りの揺らぎ(教会側視点)
教会の朝は、静寂から始まる。
白い石造りの礼拝堂に、低く澄んだ鐘の音が響き渡り、神官たちは一斉に祈りの姿勢を取った。
「……本日の祈祷、異常なし」
若い神官が、淡々と報告する。
しかし、祭壇の奥に立つ老神官――この教会で最も長く神に仕える者は、その言葉にわずかに眉をひそめた。
「……本当に、か?」
「は、はい。神像の反応、魔力の流れ、祈祷具の共鳴、すべて平常値です」
老神官は、ゆっくりと神像を見上げた。
そこに刻まれているのは、創造神と伝えられる女神の姿。
――だが、名は刻まれていない。
ただ、古い碑文に残る神名。
ミリセティア。
「……妙だ」
老神官は小さく呟く。
「昨日の深夜、精霊式計測具が“揺れた”」
「揺れ、ですか?」
「数値ではない。
“感覚”に近い反応だ」
若い神官は困惑した顔をする。
「……それは、誤作動では?」
「ならばよい」
老神官はそう言いながらも、視線を逸らさなかった。
教会の奥、立ち入りを禁じられた小礼拝堂。
そこに置かれた、古代の祈祷装置。
それは、神の力そのものを測るものではない。
――神に“近いもの”を感知するための器。
「最近、人界で奇妙な報告が増えている」
「奇妙、とは?」
「精霊の反応が、神界を経由せずに発生している」
若い神官が息を呑む。
「それは……禁忌では?」
「禁忌、というより――前例がない」
老神官はゆっくりと歩き出し、神像の足元に手を添えた。
「精霊は、本来、神々の秩序に従う存在だ。
しかし今、誰の名も呼ばず、誰の命も受けずに動いている」
「……反逆、でしょうか?」
「違う」
老神官は、静かに首を振る。
「むしろ――“帰属先が、最初から別だった”ように見える」
沈黙が落ちる。
「……創造神が、再び動いた、という可能性は?」
若い神官が、恐る恐る尋ねる。
老神官は、しばらく考え込んだ後、答えた。
「それは……分からん」
「分からない、ですか?」
「神々は、我々が思うほど単純ではない」
神像を見上げる。
ピンク色の衣をまとった女神。
優しく、微笑むような表情。
「創造神が現世に干渉するなら、
もっと露骨な形になるはずだ」
「では……これは?」
「“兆し”かもしれんし、
ただの偶然かもしれん」
老神官は、言葉を選ぶ。
「あるいは――神ではない何かが、
神に近づいているだけか」
「神に、近づく……?」
「人か、精霊か、あるいは――」
その先は、口にしなかった。
神官が沈黙する理由は、恐れではない。
断定すること自体が、危険だからだ。
「……冒険者ギルドから、報告が届いています」
別の神官が書類を持って現れる。
「最近、異常に生存率の高い冒険者が一人」
「名前は?」
「ミリア、という少女です」
老神官の手が、ぴたりと止まる。
「……姓は?」
「不明です。
年齢は十五前後。
能力は高いが、記録上は“突出していない”」
「……そうか」
老神官は、静かに息を吐いた。
神像を見る。
そして、名を持たぬ神の像。
「名を呼ばれぬ神は、力を示さぬ。
だが、名を持たぬ“力”は――静かに世界を変える」
老神官は、祈るように目を閉じた。
「……しばらく、様子を見よう」
「監視、ですか?」
「いいや」
老神官は首を振る。
「観測だ」
それが、神に仕える者の限界だった。




