秩序の中に、異常は無い
王都アステルの朝は、いつもと変わらず始まった。
石畳を撫でる風、開店準備をする商人の声、冒険者ギルド前に集まる人影。そのどれもが、昨日と寸分違わない。
ミリアはその中を歩いていた。
「今日も平和やなぁ……」
そう呟いた声は、彼女自身の耳にすら溶けて消える。違和感はない。胸の奥に引っかかるものもない。ただ、世界が妙に“整いすぎている”ことを除けば。
昼前、ギルドで依頼を受け、夕方には用事を終える。特別な出来事は起きなかった。剣を抜く必要も、魔法を使う必要もない。
それでも、不思議と「危険になりそうな瞬間」そのものが訪れなかった。
夜、彼女は王都の公衆浴場に足を運ぶ。
女子浴場には、同年代の少女たちの笑い声が満ちていた。湯気と魔導灯の光が視界を柔らかく包み、輪郭を曖昧にする。
ミリアはタオルを頭の上に置き、湯船の縁に足をかける。
湯に沈んだ瞬間、ふっと息が漏れた。
光と湯気の向こう側で、誰かの視線が揺れた気がした。
だが、それはすぐに消える。
「……気のせい、やんな」
浴場の中では、彼女の姿は他の少女たちと変わらない。ただの健康的な身体。特別なものは何もない。
それでも、湯の揺らぎは自然と静まり、誰かが滑りそうになる前に足元が安定し、些細な不運が起こる余地すらなかった。
同じ時刻――
神々の側では、観測が行われていた。
四天王は、秩序の記録を確認する。
神力反応、術式干渉、世界歪曲。
すべて正常。
「異常値、検出されず」
教会にも神託は降りない。沈黙は“平常”と判断され、帝国アルスの独自調査も凍結される。
結論は一つだった。
「秩序の中に、異常は無い」
精霊界では、微細な揺らぎが精霊女王の玉座に届いていた。
それは異常ではなく、秩序と完全に一致した“静止”。
精霊王は言葉を選ぶ。
「……報告の必要は、ありません」
女王は何も言わなかった。ただ、その揺らぎから目を逸らした。
――その頃、ミリアは湯から上がり、夜風に当たっていた。
胸の奥に、説明できない感覚が一瞬だけ灯る。
見られているような、重なっているような、けれど確かめようのない感覚。
「変なんは……世界のほう、か」
そう言って、彼女は笑う。
世界は平穏だった。
秩序は完璧だった。
だから誰も気づかない。




