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第二話 娘・篠崎鈴奈の事情

 私、篠崎鈴奈の人生は、一言で済ますのならば運の悪い人生だった。悪いことがあったら、そのうちいいことがある。そんな言葉は、私にとっては気休めに過ぎないものだった。

 中学生活も三年目を迎え、そろそろ受験について考えなくてはいけない頃のことだった。その日の朝、私はいつものように、いや、いつも以上に肩を落とし、俯きながら登校していた。学校へ行けば、家よりはましな精神状態になれる。それだけが救いの、虚しい中学生活だった。

 いつもと違う道を選んでしまったのは、運命だったのだろうか。信号を渡ろうとしたとき、信号無視の車が突っ込んできた。横断歩道の手前で、私はみっともなく尻餅をついた。そんなことがあったからだろうか。いや、それは、いつもとあまり変わらない。やっぱり、前日に父親と話をしたことが、堪えていたのかも知れない。進学について、話をしたせいだ。

 曲がり角をぬって、マンションの間を歩いてゆく。私の他にも、同じ中学校の制服に身を包んだ女の子はたくさんいた。学年が上の子も、下の子もたくさんいた。そんな中で、私は独りぼっちで歩いていた。

 たたた、と駆け足の音が聞こえてくる。朝から、元気ですね。そんなことを考えながら歩いていたその矢先、どん、と強い衝撃が背中に走った。それから、熱い感覚が、背中を中心にじわりと拡がってゆく。

「アケミ……お前を殺して、俺も死ぬ……」

 男の人の声が、聞こえた。振り向こうとしたけれど、身体はうまく動いてはくれなかった。じん、と痺れた全身は、ゆっくりと地面に倒れてゆく。

「え……人、違い……?」

 何とか顔を横向けて倒れた私が聞いた、それが最後の言葉だった。どくん、どくんと身体が脈打つたびに、熱い何かが背中から流れてゆく。やがて、脈動も聞こえなくなり、私の意識は闇へと落ちていった。


 目が覚めると、知らない場所だった。初めに見えたのは、抜けるような青い空。仰向けに寝転がっていた身を起こし、周囲を見渡す。どうやらそこは、雲の上のようだった。

「ここ、どこ……?」

 呟きながら、私は記憶を探る。昨日、父親との話が決裂して、眠って、起きて、それから……ぼんやりとしていた意識が、一気に覚醒した。自分の身体を見てみれば、あのとき着ていたセーラー服のままだった。背中に手を回してみるが、届かない。急いで服を脱ぎ、確かめた。傷跡のように、背中の真ん中あたりが破けてしまっていた。

「あれ、夢じゃ、ない……? 私、倒れて……アケミって、誰……? 人違いって……何?」

 上半身下着姿で制服を握りしめ、呆然と私は呟く。記憶が混濁を見せていた。私は、一体、私は……ぐるぐると回る思考の中で、誰かの声が聞こえてきた。

「おやおや、若い娘さんが、中々大胆な恰好じゃあないか」

 急に話しかけられた私は、思わず制服を胸元へ引き寄せて声の方へと振り向いた。

「だ、誰?」

 側に立っていたのは、見知らぬ青年だった。白っぽい一枚の布を、肩から引っ掛けたような服装は、ローマだかギリシャだかのひどく昔めいた格好だった。背丈は高く、細身でひょろりとした体型だ。つるりと尖った顎には髭の一本もなく、年若い顔には茫洋とした笑みが湛えられていた。

「そんなに隅から隅まで見つめられたら、照れるね。ああ、怪しいものじゃあない。僕は、神様だよ」

 軽い口調で言って、青年が私に向かって片手をフランクに挙げて見せる。

「……神様?」

 眉根に、自然と力が入る。

「そうだよ。万物の根源にして魂の管理者、全ての因果を司る者……こんな感じで、仰々しく説明したほうがいいかな?」

 私は、首を横へ振る。

「別に、あなたが何だって、いいです。それより、少しむこうを、向いていてもらえませんか?」

 私の提案に、自称神様は穏やかな笑みを浮かべる。

「いいね。恥じらいは大切だよ」

 サムズアップを見せて、自称神様が背中を見せる。着慣れた制服に、袖を通した。背中の破れ目が気になったが、仕方のないことだった。ここには、他に衣服も置いてはいない。

「もう、いいかい?」

 裾を伸ばしたあたりで、自称神様が振り返る。私は、うなずいて見せた。

「……ここ、どこですか?」

 じっと見つめてくる視線には、悪意や嫌らしさなどは一切感じられない。ただ、深く慈しむような、優しい目つきで自称神様は私を見つめてくる。どこか、居心地の悪さを感じ、私は口を開いた。

「ここは、僕の領域。わかりやすく言えば、死後の世界? っていうとこかな。君の世界じゃ、物語になってよく出てくるとこだよ。想像の力の産物、人間の可能性の先にある場所さ」

「死後の……私、死んじゃったんですか?」

 さっと、全身の血が足元へ引いてゆく感覚があった。

「うん。覚えているかも知れないけれど、君の身体は心臓に裂傷を受けて、即死した。ああ、あんまり思い出さないほうがいいよ。気分の良い出来事じゃあないだろうからね」

 目の前で、自称神様があっさりと言った。その言葉に、私の頭の中でフラッシュバックが起こる。いつもの通学路。逸れた横道。マンションの通り。そして、衝撃。

 頭を抱え、うずくまりそうになる。自称神様の手が、私の手首をそっと掴んだ。それだけで、嫌な記憶は消える。

「ごめんね。逆に思い出しちゃうよね。とりあえず、落ち着いて? 君の今後について、お話しなくちゃいけないんだ。時間も、差し迫ってることだし」

 自称神様の声が、身体の中に沁み通ってゆく。そうだ。私には、時間が無い。何かを思い出すように、そんな考えが浮かぶ。

「そう。それでいい。君は、生まれ変わるんだ。だけどそれは、君のいた世界、日本じゃあない。いわゆる、ファンタジー世界に君は転生する。そこで君は、勇者になるんだ」

「私が……勇者に?」

「うん。そのための資質は、君の魂に全部備わっていたんだ。けれども、君は生まれる世界を、間違えた。これは、僕のミスだ。おかげで、君には本当につらい思いをさせてしまった。許してほしい」

 そう言って、自称神様は深く頭を下げて見せた。

「……あなたの、せいじゃありません」

 私は、静かな声で言った。

「どうして? 捻じ曲げられた運命は、君に決して幸福な結果をもたらしはしなかったはずだ。勇者を必要としない、平和な世界に生れ落ちてしまった君の人生は、決して良いものでは無かっただろう?」

 首を、横へ振る。

「……確かに、私は生まれてから、多くの不運に見舞われました。物心つく前に母はいなくなり、父と二人で暮らしてきて、昨日まで……何とかやってこれたんです。生まれた後のことは、あなたに責任はありません」

 ふつふつと、胸の底に冷たいものが湧き上がる。

「随分と、難しいことを考えているみたいだね。せっかくの可愛い顔が、台無しだよ」

 神様の手が、そっと私の頬に伸びてくる。頬を撫でられれば、冷え切った心の底がゆっくりと鎮まっていった。

「……お世辞は、いりません。それより、今後のこと、聞かせてくれませんか?」

「そうだね。その方が、建設的だ。君はこれから、転生する。君たちにとっての、異世界という場所に。魂が慣れるまで、少し時間はかかるだろうね。でも、君は、君自身の心のまま、その世界で勇者になるんだ。それが、僕にできるせめてもの償いだよ」

 頬にあった温かな手のひらが、離れた。代わりに、目の前に神様が手を差し伸べてくる。そっと、その手に自分の手を重ねた。

「行こう。君を、運んでくれるものを、用意しておいたんだ。そろそろ、着いてるはずなんだけど」

 きょろきょろと、神様が辺りを見渡す。やがて、白い雲の上に何かを見つけたのか、神様は私の手を引いて歩き出した。

 行く先に、白いものが立っているのが見えた。それは、恐らくフクロウなのだろう。小学校の頃、理科の時間に見た図鑑で得た知識くらいしか無いが、なんとなくわかった。

「おや、寝ているようだね」

 フクロウの前までやってきた神様が、小さく首を傾げた。フクロウは瞼を閉じて、ゆらゆらと身体を揺すりながら眠っているようだった。

「可愛い……」

 白く輝くような、艶やかな羽根を畳んで行儀よく立ち寝する様子に、思わず声が漏れた。

「少し、強引に連れてきちゃったからね。もう少し、寝かせてあげようか。その間に、君の転生後について、少しだけ説明させてくれるかな?」

 神様の問いかけに、私はうなずきを返した。

「君は、赤ん坊になって生まれ変わる。そして物心がつくまで、君の精神は休眠状態になっている」

「休眠状態?」

「そう。赤ん坊の身体は、不便だからね。君の精神衛生上、あんまり良くないから。もちろん、君が誰かにおむつを替えてもらったりしたいって言うなら、考えるけれど」

「休眠状態でお願いします」

「素直なのは、良いことだね。ともかく、物心ついてからは、自由だよ。勇者として、人生を謳歌してほしい」

「自由、ですか? 勇者なんだから、役目はあるんでしょう?」

「僕から課すことは、無いよ。君の心のままに、行動してほしい。転生チートでも無双でも、好きなようにね。そういう本とか、読んだことあるよね?」

「はい……本は、好きでしたから」

 物語の中であれば、現実は入って来ない。だから、楽しむことができた。数少ない友人の一人が、そういうものを貯め込んでいた、ということもある。

「勇者として、何をして生きるのか。僕に、それを見せてくれればそれでいい」

 じっと、神様を見上げる。見下ろしてくる視線には、嫌な感じはどこにも無い。少なくともそれは、私の短い人生の中では出会ったことのない視線だった。

「……わかりました」

「うん。よろしくね」

 神様が、私の頭をそっと撫でた。柔らかな感触に、頭の先が痺れるようになる。だけど、それは心地の良いものだった。

「ああ、そろそろこの子も目を覚ますみたいだ。ちょっと、つついてみようか?」

 私の頭から、優しい感触が離れた。指を突き出し、神様はフクロウの頬っぺたをちょんとつつく。少しの寂しさと、暖かな痺れの残滓を感じながら、私も神様と並んでフクロウへと手を伸ばす。やがて目覚めたフクロウが、元気な男の子の声でしゃべり出したけれども、私はもう驚かなかった。ただただ、笑っていた。


 そうして、私、篠崎鈴奈は一度死に、異世界で新たな生を受けることとなった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

続きは、来週投稿の予定です。


お楽しみいただけましたら、幸いです。

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